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たそがれおじさんの備忘録(夢を追い求めて)

「とかち」をこよなく愛するおじさんが発信する十勝野風景

センチュリーラン深川 4 神居古潭

2025年02月17日 | 旅行

【2011年6月23日の記事】

 

6月19日

天気良好の中、空には積乱雲も出たり、本当にいい景色を堪能しながら、神居古澤へ入りました。おじさんが高校生だった頃は函館本線神居古澤駅もありました。

 

ここでのひと時は景観や自然を楽しむばかりでなく、おじさん心として、人との素敵な出会いがあったことです。

 

天気もよく橋の上からの石狩川と周りの自然も絶景です。神居古澤の渓谷は日本地質百景のひとつです。変成岩と川と周りの森林が織りなす彩は、久しぶりに来ましたが変わっていません。ちなみに、十勝の足寄町の「オンネトー湯の滝も」百選の中にあります。

                              

橋を渡ると、旧神居古澤駅のホームやそれに続くコンクリート壁が後ろにある山との仕切りになっています。暑い日ではありましたが、ここの広場は森林におおわれていたり、川の近くということもあり、木漏れ日を受けながらの森林浴です。

ここで出会った2組の親子には、神居古澤の自然を十分堪能させてもらいました。ひと組は、小学3年生の男の子とお母さん。旭川市内といっていました。もうひと組は、新篠津村から来たという、社会人1年目の女性とそのお母さん。

最初に会った小学3年生の子は、虫カゴと捕虫網を持って「カナヘビ」(爬虫類)を捕獲中でした。虫カゴの中にも1匹いました。結構大きめのカブトムシも捕っていました。おじさん興味を持ってその子のあとをくっついていくと、ここは本当に生き物が豊かです。

コンクリートの上には、幼虫もウニャ、ウニャいます。調べてみてもよくわかりませんでしたが、後々のために記録しておきます。

                                           

小3の子のお母さんは子どもの頃、神居古澤のすぐ近くの納内というところに住んでいて、このあたりもよく来たと言っていました。似たもの親子です。

 

カナヘビは、何匹かおじさんも見かけ、デジカメに収めましたが、小3の子が見つけて、「おじさん、僕が撮ってやるから(デジカメを)貸して」というもんですから、コンクリート下のカナヘビを撮ってもらいました。ピンボケになっていましたが、堂々としたポーズをとってくれました。しっぽの色が違っていたので、「トカゲのシッポ切り」でもしたのでしょうか。このカナヘビは、少年が捕獲しました。腹が大きく卵を抱えているようです。この少年の自宅窓際は、水槽にいろいろな生物を飼育していると言っていました。                    

そんな小3の少年といっしょに生き物たちを追っかけていますと、ふた組目の親子に出会いました。コンクリートの間にシマヘビがいると教えてくれたので行ってみました。重ねたコンクリートの崩れた隙間から、頭を出しています。デジカメを準備する間に引っ込んでしまいました。

その女性も子どものころから、自然や生き物に興味を持って過ごしてきたと言っていました。今もって興味があると言っていました。

 

そうこうしていると、コンクリートの上に別のシマヘビが現れました。小3の少年すかさずそのシマヘビによって行き、20~30cm近くまで顔を近づけ、シマヘビを見ています。シマヘビはびっくり、尾っぽをブルブル震わせています。危険を察知したときに取る行動です。間もなくコンクリートの裏に行ってしまいました。

                       

ここにはマムシもいると言っていました。シマヘビやアオダイショウとは違い、頭部が少しとんがっていたり、ウニャウニャと体をくねらせているのが特徴でしょうか。十勝のあるところでは、道路に車にひかれたマムシをよく見ました。

ふた組の親子との出会いで、景勝を楽しむ以外に神居古澤の生き物たちも楽しむことができました。

自然大好き、生き物大好きな少年・女性の表情と言葉の対応は、自然が育てた感性だと思います。おじさん心です。(2010.10.18付、小桧山博さんの考え方に共通します)

ここには蒸気機関車が3輌も展示されていて、圧巻でした。先頭の29638は、1918年小倉工場でつくられたものです。この型は、1913年からつくられて全部で784輌つくられたようです。中国大陸でも活躍したそうです。

               

最後尾には、D516、俗に言うデゴイチというやつです。1936年川崎工場ということでした。D516ということは、D51の中で6番目につくられたということです。

               

ちなみに、D51の1番目の車輛は、京都市梅小路機関車庫にあるそうです。

 

神居古澤での自然や人との出会いに満々足でした。

 

旭川市内を出るころには、積乱雲が今日の天気を象徴しています。

               

今回のセンチュリーラン深川大会、最後の訪問地、美瑛四季彩の丘を目指しました。

 


センチュリー深川 1 ナブさんの家

2025年02月17日 | 旅行

【2011年6月20日の記事】

 

6月19日、深川市で開かれた自転車イベント「センチュリーラン深川大会」に参加のため、奥さんをサポーターに6月18日から出かけました。今回は、イベントはもちろん、道々でいろいろな場面での出会いが多く、印象に残るものだったので6部編成として記録することとしました。

たまたまなんですが、おじさんが会員となっている、NPOフェザードフレンド(詳しくは、このホームページをご覧ください)とかかわりがある、東海大旭川校、織田憲嗣教授のコレクションをテーマとした「LIFE & Design~北欧の美しいくらし」展が、道立旭川美術館であるので、ツアーでの参加案内がありました。

おじさん、18日は深川へ向かうだけですので、現地(旭川美術館)合流ということで参加することにしました。

当日は13;00頃美術館前ということだったので、途中、美瑛の「ナブの家」に寄っていく計画で自宅を出ました。オーナーのナブさんとの出会いは、フェザーフレンドとのかかわりからでしたが、年に3回くらいおじゃまし、ナブさんの木工作品や自然を楽しませてもらっているところです。cafeもあったのですが、事情があって閉鎖したこともあり、1年近く行っていなかったので、フラッとですが18日に寄ることにしました。

美瑛の丘、「ケンとメリー」のポプラの木を越えて数百メートル行くと、バードハウスが道ナビになっている所が、ナブさんの家です。本当に久しぶりの訪問でした。周りの風景は以前とちっとも変っていません。十勝の自然を自慢していますが、ナブさんの自然もお気に入りのスポットです。

                        

工房にいるかと思って、そちらに向かってナブさんを呼んだら、前はcafeであった建物から顔を出しました。久しぶりの訪問にナブさんも喜んでくださいました。挨拶を交わす中で、「他の人たちももうすぐ来ますよ。今コーヒーの用意をしていたところです。」ということでした。「やっぱりな」、おじさんが行くと言ったことも関係しているかもしれないけど、旭川に行くならナブさんの家は関所みたいなものですから、納得。

というわけで、みんなが来るまでcafe下の沢やら周りの草花を観賞したり、工房の作品を見せてもらっていました。ここでいただいたカタクリの球根は2年間かけて、今年初めて芽を出したところです。紹介してもらった草花などいくつか紹介します。

年代の方は、よく見かけた亜麻の花と思われる花、これは「リナム」という花だそうです。亜麻は1年草ですが、この花は宿根亜麻だそうです。緑の中に清楚に咲いていました。

                        

沢の入り口にあった花、これは「銀ラン」というラン科の花です。北海道には自生していないということです。ナブさんがもらったものを移植したものです。北海道にもなじんだようです。

                        

一杯あるのか、花の茎ごと取って見せてくださったのは、「オドリコソウ」です。シソ科です。葉っぱはやっぱりシソの葉と似ています。ピントが別のところにあってしまって、ピンボケです。

                        

一杯紹介していただきましたが、写真の最後は「ジキタリス」(ゴマノハグサ科)です。ラン科かなと思ったら違いました。

                        

そうこうしているうちに、フェザーフレンド一行がやってきました。10名いました。これでナブさんの家には十勝12名様ご一行となり、とってもにぎやかにコーヒーをいただきながら、ナブさんとの再会を楽しみました。一行の中には帯広畜産大学で野生動物管理学のY教授も一緒でしたので、ナブさん、待ってましたとY教授に見てもらいたいものがあると外に連れ出しました。戻ってから聞くと、モモンガのひなが4匹いるということで、巣離れの時期を知りたくて巣の中を見てもらったそうです。こんなことからも、ナブさんの家がいかに自然豊かかわかります。十勝では、おじさん行きつけのoakway innにもモモンガが巣をつくっています。

元cafeの中は久しぶりにオープンしたように賑やかでした。おじさんと奥さんは、以前ここに来た黒田清子さん(平成天皇の御長女様)ご夫妻が来たときに座った場所に座らせてもらってご満悦。

時間が来たので外に出ますと、ナブさんが、自宅玄関前にあるバードハウスにニューナイ雀の雛がいるので見てごらんということで、ハウス公開をしてくれました。いました、もうすっかり雀らしくなったニューナイ雀が6羽いました。ナブさんずいぶん思い切ったことをしてくれます。頭上の電線には親雀がびっくりしてチュン、チュン鳴いていました。

                        

ナブさん、木工芸が専門ですが、自然との共生を堪能されています。おじさんと同じ年、こんな生活に共感します。

おじさんの奥さんは、自然の草花だけでなく、特に木工作品に魅かれていました。出会ってから、常々ほしいと思っていた「ナタ木工」の額をこの日購入しました。自宅に帰ってから、おじさんが現役のとき節目、節目で応援してくださった、大先輩のKさんの絵手紙を入れてみました。どちらの作品も一流です。どこに置こうかと迷っています。

                        

ナブさんの家を久しぶりに訪問し、ナブさんの人柄と自然を楽しみ、フェザーフレンドの次の目的地、旭川へと向かいました。

 


美ら島センチュリーラン 雲と空

2025年02月15日 | 旅行

【2011年1月23日・24日の記事】

今回の美ら島Century Run での道々、おじさんのもう一つの関心事は、時々に出会う「空と雲」です。おじさんの目に飛び込む「空と雲」は、その時のある時間に出会う、貴重な出会いなのであります。まあ、人と人との出会いが縁であると同じく、空と雲の出会いも、これまた縁なのです。おじさん心です。

往きの、千歳空港は、近くに雪雲が日本海側から張り出し、空港付近から太平洋側がおおむね晴れという空でした。

                       

高度1万1千M、1仙台上空付近です。下に広がる雲以外は、どこまでも青い空が広がっています。このまま成層圏を超え宇宙空間へ続いているのでしょう。ちなみに、宇宙は見えませんでした。で、正解なのかな。

                       

もうすぐ羽田に着くころです。薄雲が全体に広がって、その向こうに富士山がかすんで見えます。空の旅の醍醐味です。

                       

羽田から沖縄に向かう空と雲たちです。ここからは南下していくので、雲の様子も北海道とは少し趣を異にしています。と思っています。

富士山の山頂に向かって雲がかけ上っています。「空の名前」の本で調べてみたんだけど、「昇り雲」というのがP51にありました。威勢のよい雲に見えました。

                       

飛行機は高度を下げ、一つの雲(これは、さば雲でしょうか)を降りて次の雲に入り込むところです。ですので、飛行機はちょうど雲と雲のサンドイッチ状態になっているというわけです。

                       

那覇空港近くから雲が切れはじめ、空港に着陸したところでは、行雲がゆったりと流れていました。往きの空の旅は、空ばっかりの旅で楽しかったです。

                       

 

雨雲をバックに古宇利大橋が虹の中を行進しているようです。空と雲がつくる自然空間に人工的造形物もいいものです。自然と文明の絶妙なバランスです。おじさん心です。

                       

1月16日、美ら島Century Run 出発前、会場に向かうところで日の出を迎えました。濃い雨雲と切れ間からさし込む朝日がまぶしかったです。

                     

会場に着いて、またまた虹でした。前に同じ場面を使いましたが、少しズームアップしたら雨雲、虹、突風でできる波浪がグッと迫力を増したように感じました。

                      

那覇に移動する車の中から、「天使のハシゴ」を見つけました。以前に、十勝が丘展望台から大地に注ぐ天使の梯子を記録しましたが、沖縄の天使の梯子はサンゴの海に注いでいました。これを見ただけでも来たかいがありました。

                     

 

1月17日、帰宅の日になりました。この日は、こんな空と雲との出会いがありました。一部これまで使ったものと同じ場面がありますが、記録にとどめておきたいと思ったので。

朝起きてホテルの窓から、ビル越しに多毛雲を見つけました。多毛雲とは、「空の名前」P16 に積乱雲の一つであると書いてありました。あったかい海水の蒸気がモクモクと湧いてきたのでしょう。

                     

那覇空港から見えた雲です。なんていう名の雲かわかりませんが、ゴロンゴロンとした雲です。

                    

奄美大島辺りで見えた雲です。雲の名前はよくわかりません。おじさん心として、雲が畑のように広がっていたので、「畑雲」と命名しました。

                    

羽田に近くなってきたころには、一面の雲も「むら雲」になっていました。

                    

寒気と太平洋の暖流で、海水面から雲がわきあがっているように見えました。上空に見える小さく白いものは、お月さんです。

                              

間もなく羽田です。この空は、下界から見たら、もしかしたら天使のハシゴかなと思います。おじさん心として、空にできた天使のハシゴとしました。

                     

美ら島Century Run 空と雲編の最後、夕焼けと富士さんの中に存在感を持っている、チギレ雲です。本当の存在感は富士山なんですけど、空と雲編ですので、雲に敬意を表しました。

                              

 

        


美ら島センチュリーラン  4

2025年02月14日 | 旅行

【2011年1月20日の記事】

 

1月17日(月)

 

この日が、「美ら島Century Run」をメインとした旅の最終日になりました。那覇空港を14:30発にしてあるので、そこまでの時間を使って沖縄南部の観光をすることにしました。沖東交通さんを通してお願いし、運転・案内をしてくださったのが沖東交通のKさん。9:00前には、ホテルに迎えに来てくれました。読谷村の自宅、恩納村営業所から来られたということです。早くに出たに違いありません。

Kさんには、大変お世話になりました。短い時間の中、効率よく欲張った観光をお願いし、

おじさんのわがままを受け、やり繰りしてくださったのです。要点をついた説明と安全への配慮等々、沖縄の締めくくりを気分よく終わらせていただいたので、冒頭、まずお礼から。

 

9:00ホテル前を出発。はじめの訪問「姫ゆりの塔」へ向かいました。20分ほど行ったところで、前方に4名のライダー発見。月曜日のこんな時間にいるとしたら、もしかして昨日のイベントに出た人ではないかと1枚、後尾は女性です。皆さん、結構乗り込んでいるスタイルとペダリングです。

                 

姫ゆりの塔は、先の大戦の1945年4月、連合軍が本土上陸をした所であり、そこで17歳の若い命を散った沖縄女子師範・沖縄第一高等女学校の生徒さんたちにちなんで呼ばれ、碑を建立したことにあるそうです。施設内の説明は、Kさんが丁寧に要領よく説明してくれました。Kさんの話の中で、こんな言葉が印象的でした。「同じく若い命を散らしたのは、姫ゆり部隊だけでなく、同年齢での県内の多くの生徒もいることを忘れないでいただきたい。」と。そう言って、館内の一隅にある男子師範や県立中学校など、亡くなられた人数を記した表示を指してくれました。姫ゆり部隊でなくなった生徒さんより多くの生徒さんが亡くなった男子校もありました。子どもたちの未来を奪う戦争は、どんな理由をつけてもNOと、思いを改たにしたおじさん心です。

 

次に向かったのは、鍾乳洞のある「玉泉洞」の見学です。沖縄は石灰岩の島であることが分かれば、鍾乳洞があって当然。ここ「玉泉洞」は、国内でも最大規模の鍾乳洞だそうです。規模の大きさと多様な形をした鍾乳石は圧巻でした。下の1枚は、「絞り幕」と呼ばれている鍾乳石です。他にもシャンゼリゼが天井を埋め尽くしたような鍾乳石や観音様と呼んでいる鍾乳石などなど、いっぱいありました。自然が作る表情、たまりません。

               

最後に向かったのは、平和記念公園です。ここの公園内には沖縄戦で亡くなり、分かっている全ての方々の氏名を彫りこんだ石碑が建っていました。平和という言葉の示すように、日本人だけでなく、アメリカ人や他の外国人の氏名も刻まれていました。今現在、24万人ほどいるとKさんはおっしゃっていました。これからも氏名が分かれば碑に名前を刻むということで、まっさらな碑もありました。公園にある崖から、飛び降りたという場所も見ました。そんな場所に失礼とは思いつつ、どこまでも青い海と空を1枚。

               

                

ここからは一気に那覇空港を目指します。途中、Kさんにおじさんのわがままを許してもらい、糸満市の道の駅によってもらいました。実は、島ラッキョウを購入するためです。昨年、石垣に行った時にはまってしまった野菜です。空港にもありましたが、野菜は新鮮でなければ野菜と認めないおじさんです。よって、少しでも新鮮な島ラッキョウを手に入れるべく、道の駅の野菜売り場に寄っていただきました。値段も北海道で売っている半額以下でした。

 

那覇空港14:30発で、我が家を目指しました。無事着くことを願うばかりでした。機内では、徳之島出身というスチュワーデスさんの配慮で、窓側の席に空きがあるいうことで移動させてもらいました。このスチュワーデスさんとは搭乗ロビーから出会いがあり、声を交わしていたことも幸運かな。敬意を表して、眼下に広がる徳の島を1枚。

                 

                

 

機内のモニターでは、奄美大島を越えたあたりを表示しています。

       

次にモニターには、高度などのデーターが表示されました。かなり高いとはいえ-54℃の寒さでした。このあともモニターを見ていましたが、伊豆諸島あたりでは高度も同じなのに-43℃となっていたことから、今回の寒気団がいかに南方のほうに強く張り出していたかが伺えます。おじさん心です。                   

 

羽田からは闇の旅になるので、空の旅もここまで。そして、闇になる前に、この前nobuさんのブログで見た空港からの富士山をおじさんも撮りたくて捜したら、目の前にいました。夕暮れの中、素敵なシルエットとなり、おじさんを喜ばせてくれました。

            

羽田を発ち、闇の中から地上へ。おじさんを安全に運んでくれた翼よありがとう。千歳空港は雪でした。

             

北海道は日本海側を中心に雪が降っていたおかげで、列車に遅れが出て、出発していたはずの1本早い列車に乗ることができました。帯広駅前のイルミネーションが「お帰りなさい」と迎えてくれました。

 

予定より早く、23:00チョイすぎに自宅に戻りました。

ビバ!美ら島Century Runの終幕です。


美ら島センチュリーラン 3

2025年02月14日 | 旅行

【2011年1月19日の記事】

 

1月16日(日)

5:00、ゴーゴーという風の音が目覚ましで起床。昨晩、コンビニで仕入れたオニギリとサンドイッチで朝食を済ませる。身支度をし、出発時刻を待ちながらテレビの天気予報を見ると、沖縄には暴風警報が出ています。もしかしたら今回のイベントは中止かも、という不安がよぎりました。7:30ホテル出発直前のテラスから見る前浜です。戸を開けるのも気を使います。雨も時々ザーッと降ったりしています。

              

外に出ると雨は止んでいます。北海道人のおじさんにとって、気温12℃ぐらいは10月下旬ですので、寒すぎるということはありません。でも、この風の強さだけは人生の中で初体験です。追い風に乗ってアッという間にコミュニティーセンターに着きました。

センチュリー(160KM)の参加者は、7:00に出発したので、会場にいるのは100KMの人や50KMの人たちです。出走サインを済ませ、センターの中をうろうろしたり、外の天気を眺めながら時間の来るのを待っていました。外は、雨が降ったり雲の切れ間からお日様が差し込んだりの不安定さは変わりません。センターの外には、波しぶきから出るように見える虹がきれいです。十勝ではお目にかかれない風景にしばし見とれていました。

              

8:45から出発式があり、この強風には十分気をつけるよう、参加者への要請がありました。おじさんは、古宇利・桜ロードコース100KM です。プログラムを見ると、このコースには477人が参加することになっています。

案内があり、スタート地点に移動が始まりました。昨日あいさつした森氏はこのコースの一番先頭のゼッケンで、先頭列にいました。おじさんはその25番目なもんだから、ちゃっかり森氏の後ろに並び、心の中で「後ろにくっつかせていただきます。風よけによろしくお願いします。」と言っていました。写真はおじさんの後ろに集まってくる人たちです。

              

9:00、大会長のピストルの合図でスタートです。いよいよ始まるぞ、ライディング。

しばらくは森氏が先頭で進みます。風は、斜め向かい風、ときには正面からの北西の風です。7KM くらい行ったところから、本気モードの人たちがどんどんおじさんたちを追い越して行きます。

おじさん、他力本願の風よけ利用では失礼なので、たまに前に出させてもらいましたが、達人は違います。常に自分のペースでペダルを踏んでいます。たそがれているおじさんでもレース感覚がちょこっと頭の隅にあるのでしょう、後方から追い越してきた数人グループに乗り換えてしまいました。「森さん、失礼します」と。

若い人(と思うのですけど)は、くっつきぱなしでも文句は言いません。まぁ、こんな時は、後方は出て行くのが礼儀なんだと思うのですが、2か月も外で乗っていなく、ましてやこの風では、全く自信がありません。「皆さん、ごめんなさい」と、ざんげのライディングです。

でも、みんな速いので、次から次へとおじさんをちぎって行きます。おじさん、そのたびに次から次へと乗り換えて、少しでも省エネルギー化を図っているという状態です。強風を楽しんでいるおじさん心です。雨はまだ降ったり止んだりです。

スタートから22.5KM で、エードステーションの名護市民会館に着きました。上下レインウェアーなもんだから、結構汗もかいて、水分補給には気を使います。よって、ここでも水分補給です。沖縄に来たのだからと、シークヮーサーのジュースをいただきました。酸味があり喉にスーッと入って行きます。

外に出て、スタッフの方にお願いし、勇姿を1枚とってもらいました。ここは10年前、仕事の関係で来たことがある思い出の施設でもあります。

名護を出発したころから、雨の降る間隔も長くなり、道路状態もウェットから解放されました。次のエードステーションの古宇利島を目指します。途中、キャノンデ―ルの社の人と声を交わしました。その人「出ろ!といわれて辛いっすよ」といいながら、やっぱり若さで乗りきっていました。こんな風だもんですから、ゆっくり会話を交わすこともままなりません。

やがて、昨日も来た古宇利大橋です。ここの風は半端でありません。おじさんは酔っ払い運転さながらです。橋の頂上に向かって走る斜め方向からの風なもんですから。スタートから風景は1枚も撮っていなかったこともあったので、橋の頂上でバイクから降りて橋から眺める左右の風景を2枚撮りました。右側には、折り返していく人が追い風に乗って気持ちよく進んでいる姿もありました。

こんな強風でも、サンゴの海と南国の雲は絵になります。どうやら、雨雲は少し遠のいたようです。

               

 

               

古宇利島までは48KM と記載されていました。100KMの半分近く走ったことになっていますが、向かい風基調を考えると70KM くらい走ったようなものだと思っていました。ここでレインウェアーを脱ぎました。少しゆったりと休憩をとり、汗が引き切らないうちに出発しました。

本当に帰りは天国です。追い風がほとんどで、時々斜め向かい風なもんですから。と思っていたのが勘違い。今帰仁村(なきじんそん)に入って、湧川を左折してからが、おじさんにとっての本当の地獄が待っていました。ここから中山というところまでのおよそ5KMが上り基調だったのです。時々下りもありますが気休め程度です。太ももの外側の大腿筋が悲鳴を上げています。帰ってから、「ルート ラボ」で調べたら、40Mくらいの短さとはいえ、23.5%という激坂が2か所あったことが分かりました。美瑛の時もつらかったといいましたが、ここの登りもつらかったです。この中山をすぎると、本物の天国でした。

12:30頃、昼食会場のオキナワフルーツランドに着き、さっそくバイキング昼食となりました。豚骨のついたコラーゲンたっぷりのバラ肉の煮物がおいしかったです。

ここで出会った方には、印象深いものがありました。席が向かい合っていたので声を交わすことになったのですが、横浜から参加したとおっしゃるSさんご夫妻です。聞けば、今回が2回目のサイクルイベントとか。これまでマウンテンバイクには乗っていたそうなのですが、ロードバイクに興味を持って購入したところ、はまってしまったとのこと。で、おじさんいいました「1回目はどこのイベントに参加したのですか」と。ご夫妻いいました「美瑛のセンチュリーライドです。初めてで、しかも上り下りばかりで大変でした」と。おじさんも美瑛を走っていたもんですから、全くの他人がただの他人ではなくなってしまいました。来年、また美瑛で会いましょうと別れました。沖縄に来てこんな方に出会うとは。これも縁ですね。

ここでは少し休みすぎたのでしょうか、体がけだるい状態になって出発です。でも、追い風と下りもあるもんだから、ペダルはグーンと軽かったです。交通量の多い国道に入ったので、追い越すこともしません。前の人のスピードに合わせゴールしました。ゴールでは、おじさんが走っている間、近辺の観光施設巡りをしていた奥さんも一足早く戻ってきて、笑顔で迎えてくれました。ホッとしました。ゴールして食べたトン汁は、大会を運営した皆さんの心が伝わりました。そういえば、美瑛の時もそんなような気持ちになっていたっけ。

天候に翻弄されながら終えた美ら島オキナワCentury Run。終えたらすべてがよしという感がありました。気分爽快です。

で、出会いはまだありました。ホテルに戻って移動の準備をしていたら、同じフロアで自転車をばらしている方と声を交わしました。この方はセンチュリー(160KM )に参加した東京のTさんとおっしゃる方です。札幌勤務が1年半ほどあり、その間も自転車イベントを楽しんでいたそうな。当初4年くらいいると思っていて、その間に十勝センチュリーも参加しようと思っていたとのこと。おじさんその十勝にいて、十勝センチュリーはここ数年の常連なもんですから(といっても、ハーフです)、是非時間をつくって十勝にも来てくださいと声をかけてきました。これもまた縁ですね。

輪行袋に詰め込んだ自転車と関係荷物は、サイクルヤマト便で送り、那覇のホテルに向かいました。ここでは、完走と安着祝いをしました。アルコールに弱いおじさんですが、海鮮サラダを友に地ビール「オリオン」で乾杯です。おいしかったです。

               

折角来たのだからと、夜の国際通りを少し眺め、アーケードのある土産物店で小物のお土産を買いこみ、本番の一日が終了。

             

体も悲鳴を上げているはずなのですが、とってもいい気分。自分の都合に合わせてくれていますね(笑)