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たそがれおじさんの備忘録(夢を追い求めて)

「とかち」をこよなく愛するおじさんが発信する十勝野風景

遠征

2025年07月20日 | そこはかとなく

自分の周りの様子ばかりでは

自分としても少しマンネリを感じますね。

 

6月以降で地元を離れて撮った写真を記録し、

リフレッシュでもしてみたいと思って...。

 

順不同です。

 

金山湖

 

 

7月12日

キャンプ場やウォータースポーツで知られています。

この日はサップ・ボート・カヤックなどを楽しむ姿も見られました。

知人は夏場には水上オートバイに来ています。

 

林間道から見る芦別岳。

夕張山地にある芦別岳は

ここから観る光景が大好きです。

 

JR富良野線のノロッコ号

7月12日

十勝岳連峰の裾野を走っていました。

機関車も緑だったので少しかすんでしまいました(笑)

 

6月のことです。

旅の途中で支笏湖に寄りました。

恵庭岳は札幌オリンピック

アルペンの男女滑降競技の会場になりました。

湖に突っ込んで行くようだったそうです。

 

右側に風不死岳

左側に樽前山。

 

支笏湖はカルデラ湖です。

まわりにできた火山はとして

恵庭岳・風不死岳・樽前山があります。

 

十勝の地質形成とも関係が深く、

恵庭岳の大噴火では帯広や芽室辺りの火山灰を降らせ、

地質形成に影響を与えています。

 

胆振に出かけた帰り、

いつもは道東道を使いますが、

久しぶりに日高道(国道274)を走りました。

 

平取町・二風谷だ半日過ごし、

アイヌ文化や民族の歴史について学びました。

ここで外せないのが、

アイヌで初めて国会議員となった

萱野茂さんです。

アイヌ語で演説したことは有名ですね。

個人の資料館や平取町立アイヌ文化博物館がメインでした。

 

左側のアッツ織は

日中友好事業で中国に行った際に

万里の長城で羽織りたいと

奥様につくってもらったものだそうです。

 

私が特に印象に残る二風谷での出来事として、

二風谷ダム建設があります。

アイヌの人々にとっては自然が神であり、

人工的なダム建設などは承服できません。

裁判闘争になりました。

wikipedia参照

 

その二風谷ダムを見学。

 

※写真は下流方面

 

萱野茂さんのご子息や

二風谷ダム訴訟で中心になった

貝澤正さんのご子息耕一さんのおくさまともお会いでき

話を伺うことができました。

 

久しぶりの日勝経由の日高越え。

まだ現役でいました。

懐かしい(笑)

 

十勝に入って。

日勝峠も久しぶりです。

(数年前に自転車でここまで来ています)

 

車に乗れるうちは北海道旅もいいですね...。

 

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6月から始まったイモの花の開花。

小麦収穫が終わって、

次はイモの収穫が本格化します。


朝の雲

2025年07月08日 | そこはかとなく

十勝は連日の猛暑です。

北海道でも地形的に特異なところがあって

十勝・オホーツク辺りが気温が高くなる傾向にあります。

※オホーツクは気圧が変われば寒くなるというリスクもありますね。

 

日高山脈や大雪山連峰が影響しているといわれていますね。

 

日本列島は高気圧が大きく張り出して

北海道も高気圧に覆われています。

偏西風も列島の北部に押し上げられていますね。

 

そんな気象状況で、

北海道全体も高温傾向にあります。

加えて、十勝・オホーツク(特に北見地方)は、

偏西風が日高山脈や大雪山連峰を乗り越えて

フェーン現象でさらに気温を押し上げています。

 

今日の予報も最高気温37℃といってます。

十勝地方には昨日に続いて

熱中症アラートが発令されました。

 

今日も自宅のクーラーで終日過ごすことになりそうです。

それでも外の育て物は直射日光を浴びて、

息を潜めて一日を過ごさなければなりません。

 

せめて干上がらないようにと

朝一の水やりをしました。

 

ネットで調べたら帯広は午前6時で26.7℃。

全国913の観測地では

254番目の気温でした。

※帯広の気温は北海道では一番。

 913番目は伊達市大滝の15.9℃。

 

ホースを育て物の近くにかざしての水やり。

身体はあまり動かさないで暑さをしのぎました。

 

半ボケで突っ立ってボーっと水やりをしながら

空を見上げたら...。

フェーン現象でできた雲が上空を行ったり来たり、

筋状に延びたり...。

 

今日の十勝を象徴する

朝一の十勝の空、紹介したくなりました!

前庭から見た上空です。

何処でできた雲か分かりませんが、

ゆるやかに流れながら消えていきます。

 

自宅前の西側から北西方面。

 

雲が見ごとに今日の天候を象徴しているようです。

 

9時過ぎで30℃になりました

見ただけで暑い(笑)


そこはかとなく

2025年06月11日 | そこはかとなく

今日のような天気は

アウトドアな生活を送ろうとしている自分に、

ストレスが溜まる一日となりました。

 

という天気なのですが...。

予報は曇りなのですが、

SNS情報では時々雨雲が近づいてきて

(5㎜以下ですが)雨を降らすというのです。

 

今日の北海道は大陸からの寒気を伴なった低気圧が通過。

 

~こうしている時、外では雷が鳴っています~

 

空がにわかに曇ってきて

パラパラと雨を降らせる一日でした。

結果的には大した雨では無かったのですが、

少し遠くには行けませんでした。

 

ということで今日はほぼ一日缶詰生活でした。

 

読書もあまり好きではないし...。

結局はほぼ一日、

録画したビデオを視聴しながら過ごすということに。

 

テレビのドラマや映画もあまり視聴しないのですが、

たまたま第二次世界大戦で

(実在した)ジョージ・バットンを扱った

「バットン大戦車軍」を録画していたので

それををみました。

2時間50分の映画は時間稼ぎにはちょうどよかった(笑)

 

それにしても現在の

ウクライナ侵攻をしているロシアの状況、

そこで展開される戦闘。

使われる兵器などは違うと思いますが、

戦闘で戦死する姿は変わらないのではないかと。

 

映画のシーンを見ながら

現実に戦争状態の両国の兵士(国民)を想うと、

なんとも切ない思いと

独裁者に対する怒りがこみ上げてきました。

 

他には

溜めておいたストリートピアノや

こころ旅などを見て過ごしました。

 

ほぼ一日のテレビ視聴も結構疲れます。

 

それでも雨の合間を縫ってちょこっと外の空気も吸いました(笑)

 

外に出たら気になる小麦です。

花もいよいよ満開期に入る?

緑濃い小麦が白く見えます。

 

 

 

農作物全般に言えることですが、

出来高は天候次第なのです。

 

そこはかとなく過ぎた一日でした。


雲足が速いです

2025年04月16日 | そこはかとなく

強い風が吹く一日でした。

夕方、投函物があってポストまで行ってきました。

 

行きは向かい風が強く

気温以上に寒かったです。

 

空を見たら西から東に向かって流れる雲

見た目でもわかるくらい速かった。

こんな日は全然春を感じれません!

 

帰って天気図を見たら...。

納得!

 

明日も風が強いらしい...。

気温は今日より高めのようです。

散歩はしたいですね...。

 

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少し心配なこと。

 

昨年の自転車事故(鎖骨骨折)や

年明けの大雪など、

身体的負荷やトラブル以降、

すっかり心身の守りに入っています。

 

身体をいたわり過ぎるのか?

年齢相応なのか?

次の行動がすっごく遅いと自覚しています。

 

例えば...。

■食事が終わったら食べた食器はすぐ下げない。

おくさんが待ちきれなくて下げてくれることが多い。

 

■食事の後の薬をお昼頃に服用する。

羽鳥慎一モーニングショーに没頭して忘れている。

 

■散歩をしようと思っても外に出ない。

録画ビデオ視聴や風が強いことにかまけて計画倒れ。

 

■就寝時間が遅い。

PCやテレビに向かって趣味的な好きなジャンルにはまってしまう。

 

等々..........

数えたらきりがないので放棄する(笑)

 

こんな生活から脱却しなければ...

認知症が忍び寄る。

喝! 喝!! 喝!!!


司馬遼太郎さんのこと

2025年02月14日 | そこはかとなく

【2011年3月4日の記事】

 

おじさんは、仕事以外で本を読むということは苦手です。したがって司馬遼太郎などという作家さんの本はほとんど読んでいません。たまたま、昨年からテレビのシリーズで放映された「坂の上の雲」を見てしまい、すっかり魅了されこの先での放映を楽しみにしているところです。

そんなことで、その原作者の司馬遼太郎さんに興味を持ち、インターネット情報で司馬遼太郎さんのことをちょっと知り得たということです。氏は歴史小説家、特に明治という日本開国前後の時代とそこに生きた人物などをテーマにした著作が多くあります。また、紀行随筆での作品も多く書いていたようです。

そんなインターネット検索の網に引っ掛かってきた一つに「21世紀に生きる君たちへ」があります。これはおじさんも最後まで読ませてもらいました。知るところによると、氏が子どもたちのために書き下ろし、教科書(以前は大阪書籍でしたが、平成23年度からは教育出版でも6年生の教材として扱うようです。十勝では国語は教育出版を使うと聞きました)に掲載されているようです。

この内容は、子供向けというより大人の人が読んでも価値あるものだと強く感じました。

司馬遼太郎氏は1996(平成8年)年2月、72歳の生涯を閉じました。実際に21世紀を迎えることなく亡くなりました。21世紀となった現在、どんな時代が来ようとも不変なこと、そして、過去と現在・未来とはしっかりとつながっていること、子どもたちの豊かな感性を育てる責任は親や大人にあることを教えてくれる、優れた作品だと思うおじさん心です。小学生の教材だからと侮ってはいけない。これもおじさん心です。

全文引用は著作権違反だと思っているので、部分引用にしなければならないのが残念です。子どもが6年生の大人の方は是非、教科書から全文を読んでほしいと願うところです。もちろん、書店では司馬遼太郎さんの作品として売っています。

 

※省いたのは、~線のところです。

私は歴史小説を書いてきた。もともと歴史が好きなのである。~歴史とは~かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。と、答えることにしている。

 私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。歴史の中にもいる。~もし君たちさえそう望むなら~おすそ分けしてあげたいほどである。

 ただ、さびしく思うことがある。~ 私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、21世紀というものを見ることができないに違いない。君たちは、ちがう。21世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。~ もっとも、私には21世紀のことなど、とても予測できない。ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。

 昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。

 自然こそ不変の価値なのである。~ さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。人間は~繰り返すようだが~自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。

 この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思い上がった考えが頭をもたげた。20世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といってもいい。同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。

 このことは、古代の賢者も考えたし、また19世紀の医学もそのように考えた。ある意味では、平凡な事実にすぎないこのことを、20世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。

 20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、21世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。

 ~ この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。

 そうなれば、21世紀の人間はよりいっそう自然を尊敬することになるだろう。そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬しあうようになるのにちがいない。そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。

 さて、君たち自身のことである。~

 君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。自分に厳しく、相手にはやさしく。という自己を。

 そして、すなおでかしこい自己を。21世紀においては、特にそのことが重要である。~

 21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。

 右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。

 人間は、助け合って生きているのである。~人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。

 原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり。今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

 このため、助けあう、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわり~他人の痛みを感じること~やさしさと言いかえてもいい。~この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。

 その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分の中でつくりあげていきさえすればいい。

~ 君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。

 鎌倉時代の武士たちは、「たのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。

 もう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、“たのもしい君たち”になっていくのである。

 以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心がまえというものである。

 君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。

 私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。

 書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。

 

 

子どもたちが、この教材を通して学んだことと、親や大人の現実があまりにもかけ離れたものであってほしくありません。

すべては未来のために、すべては子供たちのために。ちょっと大げさだったかな。