どうも!明日発表を控えた醤油。です!やっとこさ資料制作を終えて、それを今日コピーしてきました。ついに明日本番と思うとドキドキするようなそうでもないような。そのタイミングに合わせて、この記事を発表できるのは光栄です。まあ、そこそこ前にあらかた書き終わってはいたんですけど、最後に見直しがしたくてちょっと放置しちゃってた感じです。でも、前回とは違ってちゃんと締め切りに間に合うことができました(「発表先行公開!」はまた今度ということで・・・)。
さて、この記事の執筆中に、ついに「汽車のえほん」の27巻(「トーマスといじわるなディーゼル」の作者であるクリストファー・オードリー執筆)が日本語に訳されることになったというニュースが飛び込んできて、有頂天になりました!
(画像引用元:原作『汽車のえほん』未翻訳だった27巻ついに発売! - Z-KEN's Waste Dump)
1970~80年代に最初の26巻が訳されて以来40年近く。それ以降の作品の日本語版が無いと聞いた小学生時代の僕が試しに翻訳するために(当時の英語力ではほぼ無理ゲーでしたが・・・)英語版(27、28、41巻)を取り寄せてもらって10年近く。ついに自分の母語でこれらの作品が読めることに非常にワクワクしています。いやあ、幼少期から20年近くトーマスファンをやってきていると、「人生万事塞翁が馬」とか、"Life is like a box of chocolates. You never know what you're going to get."(人生はチョコレートの箱のようなもの。開けるまで何が出るかは分からない)といった言葉がしみじみと感じられます。
物心つく前からアメリカ盤のDVDや国内外の絵本でキャラクターに親しんだ時。模型期の終焉を目撃し、CG化で脚本のクオリティが下がりまくり模型期の素晴らしさ、クオリティの高さ、重量感や声優を懐かしがっていたあの時(といってもCG化は自分でも驚くほど意外とすんなり受け入れていました)。小学校の「えほんのへや」や市内の図書館で「汽車のえほん」を読み漁ったあの時。Wikipediaでトーマス関連の情報を沢山仕入れ、各国のトーマスサイトを訪れたあの時。当時の制作会社だったHiT社がアメリカのマテル社に買収されトーマスの「北米化」を危惧したあの時(その懸念は今や現実のものとなりました)。原鉄道模型博物館の展示で8期の制作体制一新以降ご無沙汰していた、僕のお気に入りかつこの三部作の主人公であるダックがついに復活することが判明し歓喜したあの時。復活したダックの声と口癖の翻訳の違いに戸惑い一時期トーマスから離れたあの時(トップハム・ハット卿の声優変更も違和感がありました)。国連が関わる大改革が行われることがきっかけでトーマスファンに舞い戻り、リアルタイムで新作や過去作を楽しんだ高校時代。何度も行ったトーマスランド。CG最後の映画をコロナで見に行けず悔しかったあの時。入試直前に見てビックリした2Dアニメ化。レポートの題材にするために横浜市の端っこの瀬谷区まで行って何冊も原語版を借りたあの時・・・
こういった体験を振り返るだけでも自分の半生を振り返れます。また、絶対にありえないと思っていたことも起こりうる、ということにも気付かされました。翻訳者の方が逝去されていたり、出版社が世界観の違いから翻訳を見送っていたりで日本語版出版が絶望的だった中の今回のニュースもそれです。
長い事同じ作品を愛し続けてきて良かったと思いますし、そう思わせるほど日本での展開を続けてくださった翻訳者やローカライザーの方々にも感謝感激雨あられです。今後の人生でこの作品やその日本語展開がどのような道を辿るのかが楽しみです。
さて、本題に入ります。今回はダック・ディーゼル三部作の最終回にあたる話と、三部作を通して気になったことについて色々書いてみようと思います。
タイトルは、「とこやへいったダック」(A Close Shave)。珍しくえほんと「きかんしゃトーマス」で邦題が同じエピソードです。英題の"A Close Shave"もまた語り甲斐のある表現なのでのちに語ります。
前回の濡れ衣事件でエドワードの駅にやってきたダック。優しいエドワードはダックのことを疑ってなんかいないよ、トップハム・ハット卿もきっとそうだよ、と彼のことを慰めます。仕事を楽しむダックですが、ゴードン・ジェームス・ヘンリーはまだ口を利いてくれません。
(ウィルバート・オードリー作/ジョン・ケニー絵/桑原三郎・清水周裕訳「ダックとディーゼル機関車」(1974)ポプラ社、P47)
このシーンでダックが言う"It's not fair"は直訳すると「不公平だ」ですが、日本語訳を見ると「ひどいはなしさ」「まったくひどいよ」などと意訳されていることが多いです。辞書だと"REASONABLE AND ACCEPTABLE"(合理的かつ受け入れやすい)、"TREATING EVERYONE EQUALLY"(皆を平等に扱う)などと書かれている"fair"ですが、"It is fair to say that..."(~と言うのが妥当だろう)などどうも日本語の「不公平」よりも広い意味合いで使われている感じがするので(「マイ・フェア・レディ」などで使われる、明らかに異なる「美しい」という意味を除いても)、このような表現にしたのでしょうね。もっとも前回のダックの扱いは本当に公平ではないので「ふこうへいだ」でも良かったとは思いますけどね。
さて、ある日のこと。ダックは貨物列車の手伝いを終え、ゆっくり丘を下っていました。ちょっとした鼻歌なんて歌ったりして、気持ちよさそうです。ちなみに日本語版で「はなうた」となっているところは英語だと"He hummed a little tune"(ちょっとした歌を口ずさんだ)となっており、語彙の差が出ていて面白いです。
(ウィルバート・オードリー作/ジョン・ケニー絵/桑原三郎・清水周裕訳「ダックとディーゼル機関車」(1974)ポプラ社、P49)
しかし、そんな穏やかな時もつかの間、悪夢が始まります。
「ピィーッ、ピィーッ、ピィーッ。」
<あっ、しゃしょうのふえかな。でも、しゃしょうは のっていないはずだし>と、ダックは おもいました。機関士も、おなじおとをきいたので ふりかえってみたのです。
「ダック、いそげ。いそぐんだ。だっそうした貨車が おいかけてくるぞ。」
(ウィルバート・オードリー作/ジョン・ケニー絵/桑原三郎・清水周裕訳「ダックとディーゼル機関車」(1974)ポプラ社、P48)
連結が外れた貨車がダックに向かって突進してきたのです!しかも20台も!
ここからのシーンは詳しくは解説しません。絶対に初見で見た方がハラハラするし、見ていて楽しいと思います。原作の挿絵も敢えて付けません。
暴走の詳細をじっくり楽しみたいのであれば原作、その勢いや緊張感を楽しみたいのなら「きかんしゃトーマス」がいいでしょう。
後者はまたも原語版ですが公式YouTubeに上がっています。しかも例の暴走の直前から。リンゴ・スターのテンションの高いナレーションやシンセサイザーによる緊張感のあるBGMは必聴です!また、日本語版の森本レオによるナレーションや声優陣の演技も素晴らしいので機会があったら見てみて下さい。
(問題のシーンは29:24あたりから)
ひとつだけ詳しく解説するとしたら、"clear"という単語の使われ方でしょう。「澄み切った」とか「明確な」といった意味が知られがちですけど、ここではどうも違う使われ方をしているようです。
まず、追いつかれた貨車にダックの助手が乗り移り、ブレーキをかけているシーン。
"Another clear mile and we'll do it."
(Awdry (1958) "Duck and the Diesel Engine", Egmont, P52)
「もう一マイルいくうちには とめられるぞ。」
(ウィルバート・オードリー作/ジョン・ケニー絵/桑原三郎・清水周裕訳「ダックとディーゼル機関車」(1974)ポプラ社、P52)
日本語と見比べても"clear"が何を指しているのか分かりにくいですね。ここで英英辞典を見てみましょう。
especially AmE informal used to emphasize a long distance (<米語俗>長い距離を強調するのに使われる。)
You can see clear to the hills.(丘までが見渡せる)
"Clear mile"というのは「1マイル」という距離の長さを強調しているのでしょうね。でもこの差し迫った状況では1マイル(1.6km)なんてすぐでしょうし、単に語感の関係で入れている可能性もありますね。
ちなみに「マイル」などのヤード・ポンド法をどう訳すか(そのままにするか、メートル法に直すか)は翻訳者によって意見の分かれる所ですが「汽車のえほん」と「きかんしゃトーマス」の場合はどちらも基本的にそのままになっています。イギリスの片田舎の雰囲気が出て個人的には好きです。
ちなみに、ネットだとどうもヤード・ポンド法を「滅ぼすべき」などこき下ろすノリが強いです。事故も起こりましたし弊害が多いのは承知ですけれど、「ネットで叩かれているからとりあえず叩く」的な一部のノリは少々行き過ぎだと思いますし、何より多文化主義の観点からもあまり褒められたものではありません。問題点は指摘しつつほどほどにしてほしいものです。
さて、その次の"clear"です。暴走を止められるか、という瀬戸際になって、なんと線路の先に旅客列車(「きかんしゃトーマス」ではジェームス)がいることが分かったのです。どんどん近づきつつある状況の一部を切り取った一文。
The last coach cleared the platform.
(Awdry (1958) "Duck and the Diesel Engine", Egmont, P54)
ちょうど、りょかく列車の さいごのしゃりょうが、プラットホームを でていくところでした。
(ウィルバート・オードリー作/ジョン・ケニー絵/桑原三郎・清水周裕訳「ダックとディーゼル機関車」(1974)ポプラ社、P54)
日本語版がかなり意訳込みなので直訳しますと「最後の客車がプラットホームを出た」です。今度の"clear"は動詞ですね。この状況に合う定義はというと・・・
to make people, cars etc leave a place (人や車などをある場所から離れさせること)
トーマスファンとしてはどうしても"cars"の所を"engines"(機関車)に入れ替えて読みたいです。とにかく、"clear"には「場所を離れる」という意味があるわけです。「汽車のえほん」ではよく使われる言い回しです。
というわけで"clear"の解説だけで長くなりましたが、やはり簡単な単語でも辞書を引くと、新たな発見がありますね。
さて、"clear"以外でこのシーンの好きなことを挙げるとすれば、「ぎゃくしん いっぱーい。じょうき ぜんかーい。きてき ならせー。」(Hard over-Full steam-Whistle.)と地の文が唐突に機関士の掛け声のようになる所(緊張感が出て好きです!)や、日本語吹き替え版の機関士の「わー、あれを見ろぉ!」という掛け声でしょうか。
さて、大暴走の末、ダックは側線に逸れ、床屋に突っ込んだのです。幸いなことに(そしてソドー島ではいつものことに)、ケガ人は出ませんでした。それどころか、怒り心頭の床屋に(なぜか)石鹸の泡を塗りたくられるくらいでした。
(ウィルバート・オードリー作/ジョン・ケニー絵/桑原三郎・清水周裕訳「ダックとディーゼル機関車」(1974)ポプラ社、P57)
さて、トップハム・ハット卿がやってきて、床屋の説得(とタイトル回収)を行います。
「あなたのきもちは よくわかる。こわれたところは すっかり なおしましょう。でも、あなたにも しってもらいたいんだが、ダックと ダックの機関士たちの はたらきで、おそろしいじこを ふせぐことができたんだ。さもなければ、たいへんなことに なるところだった。」
ふとっちょのきょくちょうは、すこし まをおいてから こういったのです。
「まったく、かみそりのはわたりで、ききいっぱつだったんだ。うん。」("It was a very close shave.")
(ウィルバート・オードリー作/ジョン・ケニー絵/桑原三郎・清水周裕訳「ダックとディーゼル機関車」(1974)ポプラ社、P48)
床屋に機関車が突っ込んでくる時点で(ケガ人がいなかったとはいえ)十分「おそろしいじこ」だとは思いますが、とにかくトロッコ問題的な結果論として相対的にもっと悲惨な事態を防いだということで床屋にも見直してもらったわけです。
最後にトップハム・ハット卿が「すこし まをおいてから」言った一言。"A close shave"は「間一髪」「危機一髪」みたいな意味で、"close"が"narrow"、"shave"が"call"などの単語に置き換わったりもします。ここでわざわざ"shave"をチョイスするのはセンスありますね。床屋だけに、剃るってね。日本語版もそのニュアンスを活かして「剃刀の刃渡り」と訳したのは上手いと思います。というか、その表現自体初めて知ったかも。意味も言葉も似たようなイディオムが存在しているのは奇跡的ですね。
ちなみこの"A Close Shave"というタイトルは、同じくイギリスのアードマンのストップモーションアニメ「ウォレスとグルミット」の三作目の短編のタイトルとしても使われています。邦題は「ウォレスとグルミット 危機一髪!」。あの有名な「ひつじのショーン」も出てきます。
(画像はAmazonより)
さて、名誉を回復したダック。今回の活躍を「こぶなし機関車」に登場した有名な機関車、シティ・オブ・トルーローにも報告してもらえると聞いて、数週間ぶりの幸せを味わいます。
続けて、操車場に戻っていいと言われ、さらに幸せな思いをしているダックに、一瞬不安がよぎります。
「でも、みんなは ぼくがきらいなんです。ディーゼルのほうが すきなんですよ。」
「いや、いまはちがう。ディーゼルのはなしなんか、わしは はじめから しんようしていなかった。きみが いなくなってから、ディーゼルは、ヘンリーのことで また うそをついたんだ。だから、くびにした。みんな こうかいして、きみに もどってもらいたいといっている。」
(ウィルバート・オードリー作/ジョン・ケニー絵/桑原三郎・清水周裕訳「ダックとディーゼル機関車」(1974)ポプラ社、P60)
あのいじわるなディーゼルはまた噓をついたため、クビになっていました。ダックの濡れ衣は、完璧に晴れたのです!
こういうわけで、それから 二、三日たつと、あたらしいペンキで ぴかぴかになったダックが、もとの そう車じょうに もどってきました。
みんなは 大かんせいをあげて 大西部鉄道のダックを むかえたのです。
(ウィルバート・オードリー作/ジョン・ケニー絵/桑原三郎・清水周裕訳「ダックとディーゼル機関車」(1974)ポプラ社、P62)
(ウィルバート・オードリー作/ジョン・ケニー絵/桑原三郎・清水周裕訳「ダックとディーゼル機関車」(1974)ポプラ社、P63)
こうして、物語はハッピーエンドを迎えました。「その1」に書いてある通り「トーマスといじわるなディーゼル」はこの話を踏まえているため、ディーゼルを永久追放できたわけではありませんが、とりあえずその場は丸く収まったわけです。トップハム・ハット卿がディーゼルを最初から信用していなかったというのならそもそもディーゼルを使わなければよかったじゃん、というツッコミもあるでしょうが、それに関しては「いじわるなディーゼル」でうまいこと補完されているので大丈夫です。
さて、三作読んできて気付いたのは、英語版のリズムの良さ、文字表現の面白さ、そして日本語版のオノマトペの豊かさです。
例えば、「ディーゼルのたくらみ」の38ページで、ゴードン・ヘンリー・ジェームスが言うこの一文。
"Yes," they said, "he did it to us. We'll do it to him, and see how he likes it."
(Awdry (1958) "Duck and the Diesel Engine", Egmont, P38)
直訳すると、「『そうだ、』彼らは言った。彼は俺たちにそれをやったんだ。俺たちはそれを彼にやり、彼がどう思うか見よう」となります。
英語だとスムーズになりますが、日本語だと人称代名詞とかがやたら多くて読みにくいですね。
では、日本語版ではどうなっているでしょうか。
「そうだ。あいつが やったんだから、こっちも やりかえそう。」
(ウィルバート・オードリー作/ジョン・ケニー絵/桑原三郎・清水周裕訳「ダックとディーゼル機関車」(1974)ポプラ社、P48)
「やる」「やりかえす」と異なる表現を使い、"to us"や"to him"のような表現を削ることで原文のシンプルさも意味も保っていますね。
そもそも英語は日本語よりも代名詞を使う頻度が高い印象です。そのおかげで日本語とは違うハキハキとしたテンポが出ているわけですね。
例をもう一つ、「きかんしゃトーマス」と同じイギリスの特撮の傑作「サンダーバード」の1話から挙げましょう。原子力旅客機ファイアーフラッシュ号の主脚に爆弾が仕掛けられ、着陸が出来なくなるシーン。2時間以内に安全カバーを交換しないと乗客が被曝してしまう、かといって飛び続けるわけにもいかないという絶望的な状況に、「奇跡でも起きない限り助からない」というパイロット。
それを宇宙基地・サンダーバード5号から聞いた国際救助隊のジョン・トレーシーのセリフ。
"That's just what you might get."
直訳すると「それこそが君たちが得るかもしれないものだ」。抽象的ですね。さて、日本語版ではどうなっているでしょうか。
「その奇跡を起こしてやるぞ」
"That"が「その奇跡」とより具体的な内容になることで、より分かりやすく、またアツいセリフとなってますね。先ほどのゴードンたちのセリフとは日本語にする際のプロセスが微妙に異なりますが、どちらも日本語ならではの自然な表現になっていていい感じです。もちろん、英語版のシンプルさも実にかっこいい。
(問題のセリフは14:56あたりから)
次に、文字表現の面白さです。大文字小文字、斜体、ダッシュなどの様々な文字・記号が入り混じり、視覚的に楽しい表現がされることのある絵本。「汽車のえほん」も例外ではありません。
特に見ていて楽しかったのは28ページ。ディーゼルが無理矢理貨車を引っ張ろうとする場面です。
Diesel lost patience. "GrrrrrRRRRRrrrrrRRRRR!" he roared, and gave a great heave. The trucks jerked forward.
"Oher! Oher!" they screamed. "We can't! We WON'T!" Some of their brakes broke, and the gear hanging down bumped on the rails and sleepers.
"WE CAN'T! WE WON'T! Aaaaah!" Their trailing brakes caught in the points and locked themselves solid.
"GrrrrrRRRRRrrrrrRRRRRrrrrrRRRR!" roared Diesel; a rusty coupling broke, and he shot forward suddenly by himself.
"Ho! Ho! Ho!" chuckled Duck.
(Awdry (1958) "Duck and the Diesel Engine", Egmont, P28)
GとRの連続でダイナミックに表現されたディーゼルのグルルルルという唸り声を始め、斜体や大文字を使って貨車の唸り声を表現するなど、とても見ていて楽しくなる、勢いのある文面です。日本語版でも「ル」の大きさを途中で変えるという表現で再現されていました。視覚的な点では他に、日本語版で単語ごとに程よく 空白が 入っていたのが 印象的でした。子供向けに読みやすくしているなと感じましたね。今回の絵本翻訳でも、それを参考にさせていただきました。
そして、オノマトペです。世界的にも特にオノマトペが多いと言われる日本語。「汽車のえほん」の日本語版でも、英語版とは比べ物にならないほどのオノマトペが使われています。
例えば、ディーゼル初登場シーンのこの二文。
あたらしい機関車は、<ゴロゴロゴロゴロ>おとをたてて、みんなのほうにやってきました。
/ディーゼルは こういうと、<ゴロゴロ> みんなのほうに はしっていきました。
(ウィルバート・オードリー作/ジョン・ケニー絵/桑原三郎・清水周裕訳「ダックとディーゼル機関車」(1974)ポプラ社、P22)
<ゴロゴロ>という擬音語が印象的ですね。英語版ではどうなっているでしょうか。
"The visitor purred smoothly towards them."
"And he purred towards them."
(Awdry (1958) "Duck and the Diesel Engine", Egmont, P22)
両方とも"purred"という動詞が使われています。猫が喉を鳴らすようなイメージでしょう。これを日本語では擬音語にして、より分かりやすく表現しているわけですね。
もう一つ、今回のエピソードで貨物列車が外れてダックの方に向かってくるところの文を引用してみましょう。原文では、
"...bumping and swaying with ever-increasing speed."
(Awdry (1958) "Duck and the Diesel Engine", Egmont, P50)
直訳すると「増していくスピードでぶつかり合い、揺れる」となっていますが、日本語版では
<ガチャガチャーン、グウォー>。スピードが ぐんぐん あがります。
(ウィルバート・オードリー作/ジョン・ケニー絵/桑原三郎・清水周裕訳「ダックとディーゼル機関車」(1974)ポプラ社、P50)
"with ever-increasing speed"を独立した一つの文章とした上で、貨車たちがぶつかり合い揺れる様子を、擬音語を使ってより臨場感のある表現にしています。"Bumping"→<ガチャガチャーン>はともかく、"Swaying"→<グウォー>は自分には到底思いつきませんでした・・・日本語の擬音語のボキャブラリーの豊富さ、さらにそれを拾ってくる翻訳者の発想力のすごさには驚かされます。
ただし、汽笛や蒸気の音など鉄道関連の音に関しては"Peep! Peep!" "Hoooooooosh!"といった感じで具体的に書かれている印象です。外国語には擬音語が「少ない」だけで「全くない」みたいわけではないですからね(日本語のような名詞的なオノマトペ以外にも、動詞がそのような役割を果たす場合もあるので、むしろそういった語彙の豊富さでいえば英語も負けていません)。ここら辺の塩梅を間違えると自文化中心的な考え(いわゆる「日本スゴイ」)に陥りがちなので気を付けましょう。少し話が逸れますが、声優に関しても同等の勘違い(プロの声優は日本にしかいない、海外では俳優が声優を兼ねている、ゆえに日本より未発達)をされている方がネットだと多くいる印象です・・・ちなみに自分にとって汽笛の擬音語は"Peep peep!"「ピッピー」の印象が強いので「ポッポー」という一般的に使われる方はあまりピンと来ません(ゴードンやダックとかはそれっぽいけど)。
さて、オノマトペの中には動物の鳴き声や物音を言葉で表した擬音語・擬声語以外にも、擬態語という、感覚を言葉で表したものがあります。日本語以外では、韓国語やタミル語、ズールー語、コサ語などにあり、英語にはほとんど存在しない表現です。実際、そういった表現はアフリカ、オーストラリア、アメリカ先住民の言語に多く、英語のような欧米言語にはあまり見られないそうです。
日本語でも存在感を示すこの表現は、「汽車のえほん」においても用いられています。例えば、トップハム・ハット卿に対してディーゼルがでまかせを言うシーン。
きょくちょうのことばに、ディーゼルは、おもわず もじもじしてしまいました。
(ウィルバート・オードリー作/ジョン・ケニー絵/桑原三郎・清水周裕訳「ダックとディーゼル機関車」(1974)ポプラ社、P44)
原文では"squirm"となっている表現が、「もじもじ」という擬態語で示されています。もっと面白いのは、ダックが建物に突っ込んだ際の床屋に関する表現です。
The Barber was telling the workmen what he thought.
"I do not like engines popping through my walls," he fumed. "They disturb my customers."
(Awdry (1958) "Duck and the Diesel Engine", Egmont, P58)
とこやは、さぎょういんに もんくをいっています。
ふとっちょのきょくちょうにまで、ぷりぷり いいはじめました。
「機関車が みせのかべをやぶって とびこむなんて、まったく ひどいじゃありませんか。お客さんに めいわくも いいところです。」
(ウィルバート・オードリー作/ジョン・ケニー絵/桑原三郎・清水周裕訳「ダックとディーゼル機関車」(1974)ポプラ社、P58)
床屋のセリフの途中の"he fumed"がセリフの前に移され、さらに原文で会話の対象がいつの間に作業員からトップハム・ハット卿に移り変わっているのを補った上で「ぷりぷり」と表現されています。途中に"said ○○" "grumbled ○○"と挟まれたセリフを一つに繋げるのは「汽車のえほん」ではよく行われていることですが、このようなタイプは珍しいです。必ずしも原文の直訳ではないが、きれいな文章になっている名訳だと思います。「ぷりぷり」という擬態語のチョイスも「Go!プリンセスプリキュア」の略称の一つみたいでかわいい。
このように自分の好きな作品を言語間で少し比較しただけでも、両言語の特性の違いや面白さがいっぱい出てきて、それこそが翻訳の醍醐味であると、ここ2か月くらいの調査で改めて分かりました。今回で、連載は完結・・・と言いたいところですが、この企画、そもそも私の発表の前菜、準備段階として書いたもの。あくまで物語はまだ始まったばかりです。ゼミの皆さん、明日の私の発表をぜひ楽しみにしていてください。もう一人の方の発表も今から楽しみです。
参考文献
- Awdry(1987)"Thomas and the Evil Diesel", Kaye & Ward
- Awdry (1958) "Duck and the Diesel Engine", Egmont
- ウィルバート・オードリー作/ジョン・ケニー絵/桑原三郎・清水周裕「ダックとディーゼル機関車」(1974)ポプラ社
- "LONGMAN Dictionary of Contemporary English 6TH EDITION" Pearson Education Limited, 1978, 2014
- 原作『汽車のえほん』未翻訳だった27巻ついに発売! - Z-KEN's Waste Dump
- Amazon | ウォレスとグルミット ~ウォレスとグルミット、危機一髪!~ [DVD] | 映画
- Onomatopoeia - Wikipedia
- Ideophone - Wikipedia
「原作『汽車のえほん』未翻訳だった27巻ついに発売!」のリンク掲載許可はブログ筆者のぜるけんさんにいただきました。ありがとうございます。冒頭に書いたようなトーマス漬けの半生においてもぜるさんのブログは特別な存在でしたので、ここにリンクを掲載できて光栄です。
予告編
(Awdry(1987)"Thomas and the Evil Diesel", Kaye & Ward、裏表紙より)
「パーシーが しゅうりにだされているあいだ、ディーゼルが ふとっちょのきょくちょうの鉄道を てつだうことになりました。ディーゼルは ふたたび ふとっちょのきょくちょうの鉄道で はたらくことができて うれしかったのですが、トーマスとトビーは ディーゼルに あうのが いやでした。まえに ディーゼルが この鉄道にきたとき、ディーゼルが ダックにしかけた いたずらを、おぼえていたのです。それは、貨車たちも おなじでした。『いじわるディーゼルが きたぞー。』貨車たちは おたがい ささやきました。ディーゼルは かんかん。そして、きづかないうちに また もんだいをおこすのです・・・」(Awdry(1987)"Thomas and the Evil Diesel", Kaye & Ward、裏表紙より翻訳)
「トーマスといじわるなディーゼル」お楽しみに!