どうも!最近脳内BGMが「アステリックスとオベリックス:史上最大のバトル」のBGM及び挿入歌の醤油。です!!!いやあ、あのシリーズは素晴らしい!!!
試しに冒頭の戦闘シーンを見てみてください。フランス語ですが、十分面白いと思います。ネトフリに入れば日本語吹き替えで見られますよ!!!
さて、本題に入ります。前の記事で「来週」だなんて言いながら1か月以上待たせてしまって申し訳ございません。最終回となる今回は、アジアに飛ぶとしましょう・・・
<アラビア語版>
「アステリックス」の人気は欧州圏のみにとどまりません。中東のアラビア語圏でも、「タンタンの冒険」や「ラッキー・ルーク」といった他のバンド・デシネと並んで、 「アステリックス」は人気がありました。なんでも、ミッキーマウスなどの漫画が幼稚に感じられるようになったものの、活字の本を読むにはまだ早い世代には丁度良かったのだとか。
「アステリックス」のアラビア語版は最初はレバノンで、後にエジプトで合計8冊が出版されました。右から左に書くアラビア語に合わせて画像が反転された他(イスラエルのヘブライ語版でも同じことが行われています)、宗教上の理由でアステリックスたちが食べるイノシシ肉が子牛の肉ということになり、ラテン語の台詞や「○○の神にかけて!」といった台詞はカットされました。
キャラクター名は、アステリックスは”أستريكس”(アストゥリックス)、オベリックスは”أوبليكس”(ウブリックス)、イデフィックスは”عنيديكس”(アニディックス、頑固という意味のعنيد(アニディック)に由来?)、パノラミックスは”بانوراميكس”(バヌラミックス)、アシュランストゥリックスは”فنيكس”(フィニックス)、アブララクルシックスは”شاطريكس”(シャティリックス、「賢い」という意味のشَاطِر(シャティリック)に由来?)になっているようです。フランス語版に忠実な名前でも、母音が「ア」「イ」「ウ」しかなかったり、パ行がバ行の音になるアラビア語の音韻の影響を受けていて面白いです。オベリックスの口癖は“هؤلاء الرومان مجانين” (ハウラ・アルルマン・マジャニン)だとか。これらの訳の一部は、「史上最大のバトル」でも受け継がれていました。
ちなみにアステリックスたちは《 Astérix et Cléopâtre 》(アステリックスとクレオパトラ)、《 Astérix légionnaire 》(ローマ兵アステリックス)、《 L'Odyssée d'Astérix 》(アステリックスのオデッセイ)で、それぞれエジプト、チュニジア、メソポタミアにパレスチナと、後のアラブ圏に何度か旅をしています。また、ゴシニはバグダッドのカリフを主人公にした「イズノグード」という漫画の原作も書いています。
<ヒンディー語版>
ガリアを飛び出し、ゲルマニア(ドイツ)、ブリタニア(イギリス)、エジプト、ヘルウェティア(スイス)、ベルガエ(ベルギー)と様々な場所に冒険に出掛けてきたアステリックスとオベリックス一行。彼らが旅した中で現時点での最東端が、インドです。ローマ帝国と交流したサータヴァーハナ朝など、紀元前から様々な王朝が栄えてきたインドに、アステリックスたちは《 Astérix chez Rahàzade 》(アステリックス ラハザード姫の国へ行く)で訪れています。そして、そのインドにも、「アステリックス」の翻訳に関する面白い話があります・・・
インドには400を超える言語があり、公用語だけでも18とかなり言語的に多様な地域なのですが、その中でインド全土の共通語としての役割を(英語と共に)果たしているヒンディー語と、バングラデシュを含む北東部のベンガル地方で広く話されるベンガル語に、「アステリックス」は翻訳されています。
最初のヒンディー語版は1980年代に出たのですが、上質な紙質や駅での広告といった宣伝にも拘らずあまりウケませんでした。訳者のハリシュ・M・スダンは、「『アステリックス』のユーモアは早すぎたのだろう」と分析しています。ちなみに、その訳ではローマ兵たちがパンジャーブ語訛りで喋っていたようです。
そして、2016年に、新しいヒンディー語版が出版されることになりました。フランス側からの強い要求により、今度は英語からの重訳ではなくフランス語から直接翻訳されました。訳者は、「タンタンの冒険」をヒンディー語に訳したプネート・グプタと、フランス語が堪能で仏文学に詳しいディパ・チョードリーです。
文化が違うインドということもあり、翻訳にあたっては大胆なローカライズが行われました。例えば、ローマ兵がラテン語ではなく古代インドで使われ、お経の言語でもあるサンスクリット語を話すようになりました。例えば、”Alea jacta est”(賽は投げられた)は、”राम नाम सत्य है”(ラム・ナーム・サティヤ・ヘー)(ラーマの名前は真実である)と訳されました。「ラム」はヒンドゥー教のヴィシュヌ神の化身・ラーマ王子のことで、葬式で遺体を運ぶ時によく使われるフレーズだとか・・・また、アシュランストゥリックスがボリウッド映画の曲を歌ったりもしているそうです。
キャラクター名に関しては、アステリックスとオベリックスはそのままデーヴァナーガリー文字表記でएस्ट्रिक्सとओबेलिक्सなのですが、イデフィックスはअड़ियलिक्स(アディヤリックス、アディヤルは「頑固」)、パノラミックスはऔषधिक्स(アウシャディックス、アウシャディは薬の意)、アシュランストゥリックスはबेसुरतालिक्स(ベスルタリックス、ベスラは「ひどい音」)、アブララクルシックスはगोलमटोलिक्स(ゴルマトリックス、ゴルマトルは「太った」)と改名されました。さらに、こちらの名前は「史上最大のバトル」のヒンディー語吹き替えでも流用されています。余談ですが画像からデーヴァナーガリー文字を起こすのが大変でした。検索してもなかなか出てこなかったもので・・・オベリックスの口癖は"ये रोमन तो पागल होते हैं।"(イェ・ローマン・ト・パーガル・ホテ・ヘーン)です。
ヒンディー語の翻訳にはかなり苦心させられたらしく、ローマ兵の《 Centurion 》(百人隊長)などといった階級を表す際に新たな訳語を生みだしたり、200ものオノマトペを集めたり、吹き出しにデーヴァナーガリー文字が収まるよう工夫したりしたらしいです。また、現代インドの言葉遣いを反映し、現代風の言い回しやインド英語(ヒングリッシュ)が用いられました。例えば、「イチゴ」は旧来のझरबेरियाँ(ジャルベリヤーン)ではなく、英語由来のस्ट्रॉबेरी(ストロベリー)が用いられているようです。日本語で「ブルーベリー」をわざわざ「藍苺」(らんめい)と呼ばないような感じなのでしょうね。こういった苦労や工夫もあり、この翻訳は、フランス語からの優れた翻訳に対して送られるロマン・ロラン賞を受賞しました。
ちなみに、《 Astérix chez Rahàzade 》はフランスのアルベール・ルネ社からもアラビア語(先ほど紹介したものとは別の訳です)とヘブライ語で出版されているのですが・・・訳す言語間違えていませんか!?
<インドネシア語版>
アジア地域で「アステリックス」の人気が特に根強いのは、東南アジアのインドネシアです。なんでも、1982年に「アステリックス」が翻訳されて以来、一度も絶版になることなく、人気を得ているとのことです。今でこそ「ドラえもん」や「SPY×FAMILY」といった日本の漫画・アニメの人気が取りざたされるインドネシアですが、1989年に「キャンディ♡キャンディ」が輸出される前は「アステリックス」「タンタンの冒険」などのバンド・デシネもかなり人気を誇っていたそうです。
翻訳者の方は、フランス留学経験があり、「マダム・アステリックス」のあだ名で知られるマリア・アントニア・ラハルタティ・バンバン・ハルヨ(Maria Antonia Rahartati Bambang Haryo)さんで、原文をただ直訳するのではなく、インドネシア語に合わせて意訳するという工夫をしたそうです。
例えば、キャラクター名。主要キャラはほぼフランス語のままなのですが、一部サブキャラはインドネシア語風に改名されました。
ベルギカ(ベルギー)が舞台となる《 Astérix chez les Belges 》(アステリックス ベルギーへ行く)に登場するネルウィー族の長・Gueuselambix(グーズランビックというベルギーのビールに由来します)は、「毛が濃い腕」(lengan berbulu)をもじったLenghanberbulix(ルンガンベルブリックス)になりました。
台詞回しの訳にも工夫があり、「フランス一周大冒険」におけるオベリックスの台詞が、
《 Je ne suis pas gros ! Non, monsieur, tout juste enveloppé ! 》(オイラデブじゃないもん!小太りなだけだよ)
から、
"Siapa bilang aku gendut ? Aku cuma montok seronok, sexy…"(誰がオイラがデブだって?オイラはふっくらしてて、愉快で、セクシーなだけさ・・・)
となったりしました。また、前述のルンガンベルブリックスのベルギー訛りは、スハルト元大統領の訛りをイメージした感じで訳されたそうです。
他にも、ローマ軍が歌う《 La marche des jeunes 》(若者のマーチ)というシャンソンが"Aku Seorang Kapitan"(僕は大尉)というマーチ調の童謡に置き換えられるなど、これまで紹介してきた言語でも見たようなローカライズが行われてきました。
マリアさんは1995年にユデルゾ本人からお褒めの言葉をあずかり、さらに2018年には「アステリックス」をインドネシアで広めた功績から、フランスから芸術文化勲章の3等(シュヴァリエ)を授与されさえしたのです(日本人では鳥山明さんや高橋留美子さんが受賞しています)。
ちなみにインドネシア語版の「アステリックス」を翻訳的な観点から研究した論文がネットでいくつか見つかったのですが、その多くがなぜか英語版と比較していました。別に英語版からの重訳というわけでもないのに、ちゃんと確認しなかったのかな?と思います。「史上最大のバトル」はキャラ名からして英語版からの重訳みたいで残念。でもパノラミックスはそのままみたいで謎です。オベリックスの口癖は"Orang-orang Romawi memang gila!"です。
<韓国語版>
さて、お隣の韓国です。韓国語版はユデルゾの最終作である34巻まで訳されました。ゼミのKさんも子供時代にそちらを読んでいたみたいで、うらやましくなります。今回の翻訳でも実際に貸していただき、辞書を引きつつ参考にさせていただきました。
(画像はKさんに掲載許可をいただきました)
最初の訳は1980年代に「少年中央」という雑誌の付録として出たそうですが(この時は英語から訳されたそうです)、当時はまだヨーロッパの文化に馴染みがなかったゆえそこまで人気が出なかったそうです。現行版(といっても今は絶版ですが・・・)は21世紀に入ってから、シェイクスピアの全集などを出している「文学と知性社」から出版されたもので、グローバル化の進む時代に合わせる、という狙いがあったそうです。こちらの翻訳は自国のコンテンツが強い韓国でそこそこの成功を収め、韓国の大手新聞・東亜日報は「アステリックス」のことを、
즐겁게 웃으며 읽는 사이에 세계의 풍물을 배우고 이해할 수 있는 더할 나위 없이 훌륭한 학습만화!
楽しく笑って読んでいる間に世界の風物を学び、理解することができるこの上なく素晴らしい学習漫画!
と評しています。自分の勝手な考察としては、中国の冊封体制やロシアの脅威、日本の植民地支配など大国に翻弄されてきた韓国の立ち位置とローマ帝国やゲルマン人の侵入の脅威にさらされるガリア人の村が重なったのではないかと思います。
肝心の翻訳についてですが、韓国版Wikipedia、ナムウィキを参考にして読んでみると、言語・文化の違いもあり、わりと忠実めに訳されたそうです。それでも、フランス語専門家のオ・ヨンジュによるこの訳は比較的上手く訳された方だとか。登場人物の名前もアステリックスが아스테릭스、オベリックスが오벨릭스、イデフィックスが이데픽스、パノラミックスが파노라믹스、アシュランストゥリックスが아쉬랑스투릭스、アブララクルシックスが아브라라쿠르식스と、フランス語名をハングル表記しただけのものが多いですが、魚屋のオルドラルファベティックス(Ordralfabétix)が「골라골라트릭스」(ゴラゴラトリックス)になるなど(由来はKさんも分からないらしいですが多分「選ぶ」という意味の골라(ゴラ)が由来だと思われます)、一部キャラは韓国語独自の名前が付けられています。他にも、アステリックスとオベリックスが「서울의찬가」(ソウルの賛歌)を歌ったり(最初の10巻の翻訳には歌手のソン・キワンも参加していたようです)、海賊ババのアフリカ訛りが西南方言で翻訳されたりと、韓国風の味付けが加えられていることが分かります。自分もゼミ論の翻訳で「自衛隊に入ろう」「ガンダーラ」のような曲のパロディや関西弁・九州弁といった方言を使ったので、どこか親近感が湧きます。
また、作中に出てくるラテン語やフランス独自の事柄について詳細な脚注やあとがきが付いており、親切かつかなり知的好奇心を掻き立てる作りです。日本と同じくローマ史への馴染みがないからこその措置ですね。
ちなみに韓国の漫画家・李元馥(イ・ウォンボク)もかなり「アステリックス」の絵柄から影響を受けているのですが(韓国語版「アステリックス」の推薦文も書いています)、世界の国々を扱った著作「遠い国・近い国」(먼나라 이웃나라)の一部で「アステリックス」の絵をトレパクしたことが問題視されたこともあるそうです。彼自身が「遠い国・近い国」の日本回で、日本の文化は外国の「いいとこ取り」で、一方朝鮮半島は独自の文化を作り上げた、と比較した漫画を描いていたのがまた皮肉(日本でも真逆なことを言っている人がいますが、外国の真似や独自性の観点で言えばどちらも五十歩百歩だと思います)。
ちなみに日本でも「コリア驚いた!韓国から見たニッポン」 という名前で翻訳が出ています。絵柄や国民性をネタにしたギャグのノリには「アステリックス」の影響を濃厚に感じますし、作中に出てくるカエサルのイラストもどこか「アステリックス」のそれに似ています。時代ゆえのバイアスのかかった描写もありますが、結構面白いのでご一読あれ。李元馥自身がドイツ留学の経験者で、帰国後世界のことを扱った漫画を出したというのも、ゴシニがアルゼンチンやアメリカからフランスに帰国した後ローマ時代の各国を舞台にした「アステリックス」を書いたことと繋がるところがあります。
韓国では、近年になってから制作されたアニメ映画版もそこそこ入ってきていて、そちらでも原作と同じ名前が使われています。ベースとなる翻訳があるのはやはり強いですね。「史上最大のバトル」の吹き替えも原作準拠の訳だったのですが、ローマ軍の駐屯地の名前だけは英語名のままになっていて、見落としていたのかなと思います。
<日本語版>
トリを飾るのは、この記事を読んでいるみなさんもご存じの日本語です。日本では成功しなかったと先ほど書きましたが、実際1974年に双葉社から3巻しか出ませんでした。仏文学者の渡辺一夫の監修や同じく仏文学者の松原秀一・新倉俊一・西本晃二による翻訳、手塚治虫やちばてつやといった漫画家の推薦をもってしてもです。このことは世界から見たらショッキングみたいで、それに関する論文も書かれています。
なぜ成功しなかったのかは「ローマ帝国やラテン語の文化的馴染みが薄かった」「フランス文化=高尚という思い込みに囚われて対象年齢の割に難解な訳になってしまった」「独自の漫画文化があって輸入物の入る余裕がなかった」など諸説ありますが、それはさておき、1巻目の「アステリックスの冒険」の1ページ目をフランス語版と読み比べつつ、実際どのような感じの訳だったのか見ていきましょう。昨年11月に国会図書館デジタルコレクションで読んできました。
En 50 avant J.-C., nos ancêtres les Gaulois avaient été vaincus par les Romains, après une longue lutte...
「紀元前50年 われらが祖先(もちろんフランス人のことですヨ)ガリヤ人たちは 長い闘いの末 ローマ人たちによって打負かされてしまった・・・」
原文の《 Nos ancêtres 》をそのまんま訳しているのが少々クソ真面目に感じますが、その後の「もちろんフランス人のことですヨ」でその不自然さを補っています。こういう訳者の遊び心が好きです。
Des chefs tels que Vercingétorix doivent déposer leurs armes aux pieds de César...
「ヴェルサンジェトリックスをはじめ首領たちはシーザーの足もとに武器を捨てることになった・・・」
ガリアの英雄ウェルキンゲトリクスの名前がここではフランス語読みになっています。一方カエサルは「シーザー」と当時主流だった英語読みに。また、カエサルの《 OUAP ! 》という叫び声や武器が文字通り足元に落ちる時の《 CLANG ! 》という効果音はフランス語表記のままになっています。
La paix s'est installée, troublée par quelques attaques de Germains, vite repoussées...
《 Pon ! Pon ! On s'en fa !... 》《 Mais addentzion ! On refiendra ! 》
「平和が訪れた 時折ゲルマンの蛮族の攻撃で乱されることはあったが それもたちまち撃退された・・・」
「ワカタ!ワカタヨ!帰ルヨ!・・・」「オボエテルネ!マタ来ルワ!」
原文ではゲルマン人たちはbとp、vとf、tとdなどを取り違えるドイツ語訛りのフランス語で喋っているのですが、日本語訳ではカタカナ表記に片言といった感じで訛りが表現されています。翻訳者の一人である新倉俊一によると、「日本語を習いたてのフランス人の日本語をとり入れた」そうです(「訳者のことば」より)。訛りを含めたステレオタイプをフランス人の視点から笑い飛ばすこの漫画ですが、この訳ではフランス人自身が笑いの対象になっているのが面白い!
ゲルマン人は2巻の「黄金の鎌」にも出てくるのですが、彼らの「ツェッタイニ ナイアルヨ!」という台詞が特にお気に入りです。「絶対」をローマ字表記(Zettai)した上でドイツ語読みしている感じがする所と、ステレオタイプな中国訛りを彷彿とさせる「アル」が使われているのが好きです。
Toute la Gaule est occupée...Toute ?...Non ! Car une région résiste victorieusement à l'envahisseur. Une petite région entourée de camps retranchés Romains...
「ガリヤ全土は占領された・・・はたして全土か?ノン!なぜなら 一地域が侵略者に対して堂々と抵抗していたからである ローマ軍の陣営に囲まれた狭い地域ではあったが・・・」
フランス語の「ノン!」をカタカナで転写してフランスらしさを最大限にアピールしています。味があっていいですが、裏を返せばそういう所にインテリらしいスノッブさを見出し敬遠する人もいたのかもしれません・・・
Tous les efforts pour vaincre ces fiers Gaulois ont été inutiles et César s'interroge...
《 Quid ? 》
これら誇り高きガリヤ人たちを打ち破ろうとする試みは全てムダとなり何事ならんと自問するシーザー・・・
「コハ イカニ?」
ここで初めてラテン語の引用が登場します。カタカナで「クイッド?」と書いて注釈をつけるといった方法も使えたはずですが、ここでは「漢字と片カナの文語体に移しかえ」ています。ラテン語がヨーロッパ広域で文語として使われてきた歴史を思うとあまりにしっくり来る訳し方で、今回のゼミ論文でも流用させていただきました。本当はふりがなでラテン語の音訳をつけたかったのですが、字数が小さくて断念しました。
他に日本風の味付けがなされている例としては、《 Par Belenos ! 》(ベレヌスにかけて!)や《 Par Jupiter ! 》(ユピテルにかけて!)といった、ガリア人とローマ人がそれぞれの神々に祈る時の台詞が、「お天道様もご照覧あれ」「南無三!」と訳されていることが挙げられます。ベレヌスはケルト神話の太陽神なので、「お天道様」という訳もある意味ハマっていますね。
C'est ici que nous faisons connaissance avec notre héros, le guerrier Astérix, qui va s'adonner à son sport favori: la chasse.
《 Tu reviens bientôt, Astérix ?... 》《 Je serai de retour pour déjeuner, Obélix...》
「さて いよいよわが主人公アステリックスとの対面だ アステリックスはお気に入りのスポーツ 狩に出かけるところだ」
「おーい アステリックス すぐ戻るかい?」「ああ オベリックス 昼飯には帰る・・・」
さて、いよいよ主要キャラの登場です。キャラクター名に関しては、アステリックス、オベリックス、パノラミックス、アブララクルシックスはそのままフランス語のカタカナ転写となっております。「アシュランストゥリックス」は発音しにくいと思ったのか「アシュラントリックス」に。
それに対して、一部サブキャラの名前は翻訳者のギャグセンスがかなり反映されたものになっています。「アステリックスの冒険」で村に忍び込むスパイCaligula Minusはカリッグラ・チビス、「アステリックスとゴート族」に出てくるローマ軍の隊長Nenpeuplus(N'en peu plus=どうにもならない)は「ドーニモナラヌス」などと訳されました。ダジャレを用いた翻訳というのはまさに翻訳者の本領発揮といった所で、実際「ドーニモナラヌス」は今でもジワジワきます。とはいえ、英語版などと比較すると名前が訳されている確率は低めで、もっとはっちゃけてもよかったんじゃないかなぁ、とは思います。また、ローマ人の名前が微妙に「○○ウス」になっていない例も・・・ちなみにネトフリの「史上最大のバトル」でもFastanefuriusやBlackangusといったキャラの名前が「ワイルドスピード」「神戸牛」と直訳されていて笑いました。訳してくれるのはありがたいけど「ウス」つけようよ!
《 Le voilà ! 》《 On l'aura ! 》《 Ipso facto ! 》《 Sic ! 》
「ほら奴だ!」「つかまえてみせるぞ!」「言ウニャ及ブ!」「シカリ!」
アステリックスを捕まえようと木の横から覗くローマ兵たちの台詞です。前半がフランス語(日本語)、後半はラテン語となっています。
PAF ! BOUM ! OUILLE ! AÏE
効果音の解説はさっきしたので省略。タンタンみたいにこっちも訳してほしかったですけどねぇ。
Nous vous le disons : les Romains y perdent leur latin !
《 Vae victis ! 》《 Qu'est-ce qu'y dit ?... 》
一言蛇足:骨折り損のラテン語忘れ!
「マケレバ賊軍!」「なんのこと それ・・・」
これはかなり訳しにくいパートですね。フランス語の《 Perdre son latin 》(ラテン語を忘れる)というのは「わけがわからなくなる」という意味で、それを文字通り「ラテン語を忘れた」ローマ兵という感じで戯画化したわけです。ローマ兵が《 il 》を《 y 》と崩した形で喋っているのもボーナスポイント。日本語版も(少々苦しくはありますが)ことわざを活かした訳にしている感じですね。
ちなみに「ラテン語を忘れる」ギャグに関しては「史上最大のバトル」にもこのようなやり取りがありました。
カエサル:ワイルドスピード、"Sit aprum lupus"(「イノシシをオオカミに」).
ワイルドスピード:あ~、「ルプス」って何でしょう?第二外国語がギリシャ語で・・・
・・・あんたらいつも何語喋ってるのさ!?
さて、言葉遊びの翻訳で面白かったのが「アステリックスとゴート族」に出てくるドルイドたちが宴会で言う洒落です。
《 Ta conversation est amène... hir ! 》《 Passe-moi le celte ! 》《 Rien ne serpe de courir !... 》《 Ce que je ri...Gaule ! 》
これらについていちいち解説しますと、《 amène 》(心地よい)と《 menhir 》(メンヒル)、《 sel 》(塩)と《 celte 》(ケルト)、《 sert de~ 》(~しようとする)と《 serpe 》(鎌)、《 rigole 》(笑える)と《 Gaule 》(ガリア)をかけているわけです。
さて、翻訳者はこれをどう訳したのでしょうか?
「お前の話はおメンヒロイぞ!」「塩を持ってケルト!」「急カマ回れ!...」「笑わせガリヤる!」
意味も含めていい感じで訳されていますね!笑わせガリヤる。それって、「やがる」と「ガリア」をかけてるわけ?そんなギャグ、ウェルキンゲトリクスだって笑わないよ!
さて、この1ページを見て読者の皆さんはどう感じたでしょうか?面白そうだと思いましたか?それともお堅いと感じましたか?これをふまえて、再び日本での失敗について考察してみましょう。
確かに、ローマ帝国に関する文化背景やラテン語などの素養は、日本人にはなじみがない所があるのかもしれません。翻訳者の一人である松原秀一さんや、小説「ローマ人の物語」を書いた塩野七生さんもそのようなニュアンスのことを書いておられました。ヨーロッパではローマ史が基礎教養であるのに対し、日本では日本史と世界史が選択制で、世界史を選んでもローマ史に割く時間はそこまで多くないでしょう。なので、「ガリア」「ラテン語」「メンヒル」といった馴染みのない言葉をダジャレにされても困る感じがしますよね。この訳もなかなか頑張って訳してる感じはしますが、ちょっと苦しいところも多々。それを補うようにやたら注が多いのもちょっとした読みづらさがあります。注自体はドイツ語版や韓国語版にもあるからいいんですけど、キャラ名にすらいちいち「原文では~」と付いてるのはしつこいよ!
これとも関連した話ですが、「難解な訳」に関しては確かにそう言わざるを得ない側面はあるかなと思います。元々子供の楽しむ作品として描かれたものが大人にもウケた、というのがこの作品の本質なのに、それを最初から大人っぽい筆致で訳されたら白けてしまう、というのは分かります。実際読んでみると、確かに「子供向け」として読むには少々大人っぽい雰囲気の訳で、「ドラえもん」などを読み慣れている身からしたら困惑するかもしれません。まあ僕は十分笑いましたけど・・・オベリックスの口癖は最初の三巻の時点では出てこないのですが、代わりに表紙裏でアステリックスが「気違いだこいつらローマ人は!」と言っています。なんか語感が悪いですねぇ。あまりにもフランス語の語順そのままですし、「気違い」という現在ではタブーとされている言葉が使われているのも隔世の感があります。余談ですが、「キチガイ」という語句を多用することで知られる迷アニメ「チャージマン研!」は「アステリックス」の日本語版と同じ1974年に出ています・・・
「独自の漫画文化」に関してはかなり鋭い指摘で、我々の周りには国産の様々なジャンルの漫画作品があふれており、逆に海外漫画は量も存在感もかなり少ないです。そういうこともあってか、海外の小説や映画が人気になっても漫画がそれに匹敵するくらいの人気を得ることはほとんどなく、アメコミですら映画化で人気になる、みたいな現象がありますね。ユデルゾの癖の強い絵柄も漫画・アニメのKawaii絵柄に慣れた日本人からしたらあまりに強烈です。かといって絵柄を日本人向けに描き換えたら、それはもはや別作品になってしまいます。
しかし、これらの理由によって「アステリックス」が日本でウケる可能性は閉ざされたのでしょうか。ノン!
中国の春秋戦国時代を舞台にした「キングダム」や、19世紀の中央アジアが題材の「乙女語り」など、それまで日本人にとってなじみのなかった題材の漫画もウケていますし(自分はどちらも未読・・・)、何より(時代は違いますが)ローマ帝国が舞台の「テルマエ・ロマエ」もあります(フランスでもウケたらしく、作者のヤマザキマリさんはその理由を「アステリックス」と同じくローマ人が困るから、と分析していたのが面白かったです)。歴史物が受け入れられる土壌は十分にあるはずです。
海外漫画自体の不人気に関しては、そもそも翻訳があるものも少ないですし、文化的な馴染みがないのも分かりますが、一方でフランス人は日本の漫画が大好きなので、その逆が起こってほしいと思うところもあります。そう考えると「タンタンの冒険」は頑張ってる。絵柄に関しても、髭面のオッサンが活躍するバタくさい絵柄のマリオが人気を収めているので、案外問題はないかもしれません。売り方や宣伝さえ工夫すれば、日本でも十分成功するポテンシャルはあるはずです。翻訳に関しても原典を尊重しつつ、時代に合わせた自由な訳し方をすることで、新たな世代の支持を得られるかもしれません。自分も、なるべくその理想に近い訳を作ることができたと思いたいです。
ともかく、「アステリックス」が再び日本語に翻訳され、大ヒットとはいかずとも根強い支持を得ることを期待したいですね!ネトフリのシリーズがそのきっかけとなってくれることを願いたいものです。
ここまで紹介した言語の他にも、一番最初に訳されたのがポルトガル語版であるとか、セルビア語版《 Asterix et le griffon 》(アステリックスとグリフォン)では民族ごとにラテン文字とキリル文字が使い分けられていたりとか、70年代に2巻出ていたペルシャ語版が革命で中断し2002年に英語から重訳した海賊版が出たとか、面白い話が色々ありますが、全部は書ききれない(それに資料を読み切れない!)ので、ここまでにしておきます。
さて、「アステリックス」は今でも続いており、今年10月には第41巻となる《 Astérix en Lusitanie 》(アステリックス ルシタニア(ポルトガル)へ行く)が出版される予定です。作品自体だけでなく、翻訳の流れも止まってはいません。その第41巻は19の言語に翻訳されることが決まっているほか、今年に入ってからは新たに、ベルギー・ワロン語の2種類の方言と、ドイツ語のオーバープファルツ方言、さらにウクライナ語に翻訳されました。
ウクライナ語版に関しては2021年に出版される予定だったのが、ロシアの侵略などの影響で遅れ、アングレーム国際漫画祭での展示などを経て今年やっと発売する運びになったのだそうです。訳者のアンナ・マリア・バランディナさんはなんと2006年生まれの18歳。3歳からフランス語を勉強しており、ポーランドにあるフランス系インターナショナルスクールのリセ・ルネ・ゴシニに通っていたそうです。他には「タンタンの冒険」やボードレールの「悪の華」もウクライナ語に訳したのだとか。このような若い世代が翻訳に関わっているというのが希望を感じさせますし、今まさに大国の侵略にあえいでいるウクライナでこの作品が翻訳されるというのもとても意味があることのように思えます。
また、今年4月30日にはNetflixでアニメシリーズ「アステリックスとオベリックス:史上最大のバトル」が配信されました。このシリーズは世界190か国で配信され、これまで紹介してきた言語を(一部の少数言語や古典語を除いて)全て含む38もの言語で吹き替えられました。世界、特に「アステリックス」がこれまで人気のなかったアメリカ合衆国やアジアへの進出を狙ったとのことです。そのおかげで、2002年の実写映画「ミッション・クレオパトラ」以来となる「アステリックス」の日本語吹き替えも今回めでたく作られたわけです。しかも英語からの重訳ではなくちゃんとフランス語からの翻訳っぽくてありがたい!翻訳者の高部義之さんは他にもフランス映画をいくつか訳されています。
また、タミル語、テルグ語、フィリピン語、マレー語にはまだ原作が翻訳されていません。これらが全てアジアの言語であることからも、製作陣の自信がうかがえます。
吹き替えが作られるにあたっては、翻訳の過程でユーモアが失われることがないようわざわざ専用のチームが作られた上、120種類以上もの翻訳が参考資料として使われたそうです。最高のシリーズを作り上げるにあたりこれまでの翻訳の蓄積を参考にした、というのがとてもアツいです!!!日本語版もひょっとしたら双葉社の訳を参考にしたのかもしれません。
こういった努力が功を奏したこともあってか、「史上最大のバトル」は配信開始からわずか2週間で、世界70か国と地域で再生回数トップ10に入ったそうです!めでたい!!!その中には「アステリックス」が昔から親しまれているヨーロッパだけではなく、インドやベトナムといったアジアの国もあったそうです。やはり吹き替え効果でしょうか。
ちなみに僕は日本語で見た後元のフランス語、さらに英語(きかんしゃトーマスの声優さんも一部出ていました)・ドイツ語・韓国語・イタリア語(ちゃんとローマ兵がローマ訛りでした!)・オランダ語・フラマン語・スペイン語(ヨーロッパと中南米両方)・ポルトガル語(ブラジルとポルトガル両方)・ガリシア語・カタルーニャ語・ルーマニア語・バスク語・ハンガリー語・フィンランド語・スウェーデン語・ノルウェー語・デンマーク語・ロシア語・ウクライナ語・ポーランド語・チェコ語・クロアチア語・ギリシャ語・トルコ語・ヘブライ語で全部見ました。どの吹き替えも個性的で言葉がわからなくとも十分楽しめました。残りの吹き替え(アラビア語、ヒンディー語、タミル語、テルグ語、タイ語、マレー語、インドネシア語、フィリピノ語、ベトナム語、中国語)もネトフリのギフトカードの期限が切れる前になるべく全部見るつもりです。
さて、日本で知られていない作品の翻訳について語るというムチャな企画を三回に渡ってお届けしてきましたが、いかがでしたでしょうか。ゼミ論文の片手間に調査も兼ねて始めた(なかば自己満足な)この記事でしたが、いつの間にか言語の数も資料の数も膨れ上がり、記事も三つに増えてしまいました。その上発表も卒業してからだいぶ後になってしまいましたが、その分内容が豪華になった上、「史上最大のバトル」の公開とも紐づけられたので個人的には満足しています。ゼミ論文と同じく、書いてて本当に楽しかったです。
改めて、漫画を翻訳するという突然の思い付きに許可をくださった松永先生や、韓国語版を貸してくださったKさん(今回も表紙の掲載許可をいただきました!)、プロの視点から適切なアドバイスをくださった原正人先生、その他お世話になった皆様方全員に、ユピテル神とテウタテス神にかけてお礼を言いたいと思います。これからの人生に何があろうと、翻訳・批評ゼミで「アステリックス」を翻訳したという経験は、メンヒルのように強固な支えであってくれることでしょう。
それから、有史以来幾多の人々が幾多の言語で行ってきた「翻訳」という素晴らしい文化的行為や、それを行ってきた人々のことも讃えたいと思います。どの翻訳も一癖も二癖もあって、個性豊かなガリアやローマの住人たちのよう。その「ヘン」さを讃えるにはここでタイトル回収を行うしかないでしょう!
《 Ils sont fous, ces traducteurs ! 》(翻訳者ってヘンなの!)ご拝読ありがとうございました!!!
<参考文献>
- アラビア語
- ヒンディー語
- 瓜生中「よくわかるヒンドゥー教」角川ソフィア文庫(2022)
- Asterix in Hindi: How do you translate a universal cultural memory?
- Asterix comics: Meet the Gaulwasis - Mumbai Mirror
- Hindi Version Of French Comic "Asterix" Wins Romain Rolland Prize For Translation
- https://news.abplive.com/astro/ram-naam-satya-hai-chanted-during-the-final-journey-of-a-dead-person-know-reason-1667640
- Astérix chez Rahazade en arabe littéral et en hébreu | BDZoom.com
- インドネシア語
- 日本貿易振興機構海外調査部『インドネシアにおけるコンテンツ市場調査』,日本貿易振興機構. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11506142 (参照 2025-03-29)
- FENOMENA KHAS PENERJEMAHAN KOMIK: STUDI KONTRASTIF KOMIK ASTERIX DI BELGIA DAN ASTERIX DAN CLEOPATRA 1
- Maria Antonia Rahartati: Adding color to lives of children with 'Astérix' - Books - The Jakarta Post
- Top 10 Times Asterix was Relevant to Indonesia
- Ibu Tati "La traduction c'est presque un jeu pour moi"
- Soixante ans d’attachement à la langue française récompensés
- 韓国語
- 李元馥「コリア驚いた!韓国から見たニッポン」朝日出版社(2001)
- 골족의 영웅 아스테릭스 | 문학과지성사
- 아스테릭스
- 日本語
- 渡辺一夫監修、松原秀一・新倉俊一・⻄本晃二訳「アステリックスの冒険」 双葉社(1974)
- 渡辺一夫監修、松原秀一・新倉俊一・⻄本晃二訳「黄金の鎌」 双葉社(1974)
- 渡辺一夫監修、松原秀一・新倉俊一・⻄本晃二訳「アステリックスとゴート族」 双葉社(1974)
- 塩野七生「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前[下]10」新潮文庫(1995)
- Astérix au Japon
- ヤマザキマリ×ペネロープ・バジュー 対談 in 海外マンガフェスタ 国は違ってもアラサー女子の悩みは同じ | アニメ!アニメ!
- あとがき
- Astérix en Lusitanie : les irréductibles Gaulois s’aventurent en terre portugaise
- Astérix parle désormais ukrainien: une conquête de plus pour le Gaulois
- Astérix se reinventa en clave global con una estrategia que apunta a Estados Unidos y Asia
- « Astérix & Obélix : Le Combat des chefs » dépasse les 10 millions de vues dans le monde
- "Le Combat des chefs": succès mitigé pour la mini-série "Astérix" d'Alain Chabat