幸せな無職の日常

27歳にして4度目の無職。
現在腰のヘルニア療養中…
自称「歩く波乱」の私が、人生を振り返りながら自分を見つめ直すブログ

上司の書類をチェックする新人

2020-10-23 17:05:07 | 幸せな無職の日常
ハローワーク経由でIT系の仕事を始めることになった私。
記念すべき1社目です。手短に1度目の社会人生活を書きます。


早速、事務職で入社したものの、技術職の仕事をするという洗礼を受けました。
悔しいけど、やっとなれた正社員。
私には選択肢がありませんでした。


初めての上司は中国人でした。
コミュニケーションは、中国語(しかも南部)の訛りがキツい日本語を、脳内で正しい日本語に変換するところから始まります。

こんな調子だったので、半年ほどは先輩を間に挟んでしか上司と話すこともできませんでした。

あまりにも苦労が絶えないため、少しでも意思の疎通ができるようにと、帰宅後は中国文化と中国語を必死で勉強しました。

覚えたての中国語を少し披露したことがきっかけで、上司とは徐々に話せる仲になっていきました。


ある日、仲介役だった先輩がしばらく出向へ行くことになりました。
すっかり困ってしまった私たちは、2人でどうやってコミュニケーションを取るかを2時間も話し合いました。
その結果、コミュニケーションスタイルは中国式で、細かいことは文字や図にして説明するとなりました。

中国式コミュニケーションとは、上下関係を意識せず言いたいことははっきり言うというもの。

それからは非常識が常識に変わる日々でした。

私は、「今の説明じゃ理解できない」「仕事の振り方が雑」「こうした方がいいと思う」
そんなことまで面と向かって言うようになりました。

不思議ですが、そんなやり取りをすればするほど喜ばれ、上司との距離は縮まっていったのです。

そのうち私は上司の書類に赤ペンを入れ、取引先へ送るメールのチェックも任されるようになります。

部下の指導の相談に乗り、チームマネジメントについても意見する…
社会人になって1年にも満たない小娘が上司と対等にやり合うその姿は、端から見ると驚愕ものだったでしょう。
後から来た後輩には「どっちが課長ですか」とまで言われました。

当然私もそれなりにいろいろ言われました。
中にはどこで覚えて来たのかわからないようなキツイ言葉もありました。

きっとその言葉は、上司が今まで誰かに言われてきた言葉なのかもしれません。


異文化交流は、適応するまでの過程が苦しいものです。
新しい環境、慣れない仕事、やったこともないプログラミング、上司と教育係の先輩は中国人。
あまりにも濃すぎる社会人デビューでした。

しかし、そのどれもが今の私へと繋がっています。
普通に生きていたら経験しないであろうことを経験できたことは、この上ない財産だと思います。