これは吉永小百合さんを貶めるものではない!
では何故 今更!
今般 芸人の田村淳の青学受験や箱根駅伝に絡め
一族に「大卒」が一人もいない 超低学歴家族出の2C者や
無知で無学で不勉強な下賤メディアのド田舎記者が
ナニを思惑してか
「淳の受験と駅伝で有名になった青学」などと
悪意を持って書き散らかす田吾作のアホどもに
「もっと真面目に下調べして書けッ!山出しドモ!」との
啓蒙の意を込めての一文である。
1965年2月
新聞各紙朝刊に 女性週刊誌の広告
「早稲田・慶応なんか目じゃないわ!
吉永小百合!本命は青学!」
のキャッチコピー! :不信の向きは国会図書館で確認されたし!
当時 世間では相当話題になったらしい
その辺に詳しい者は
青学へのアピール!と
その理由は
吉永さんはその時点で既に大人気の上品系知的女優! :へビスモ下品系 北●景子とは大違い
出っ歯の明治顔 田村淳とも大違いで
青学に取っても悪い話ではなかったのでは。。。
淳などよりプラスイメージが有った、、、
、、、 吉永さんは学校群変更前の
名門都立駒場高に入学し その優秀さは よく知られていた : 加藤登紀子さんも同窓
、、、因みに 父君は東大法学部卒
地頭の良さは明白である :多忙の為 後に精華学園に転校退学
精華退学後 大検で受験資格を目指すも
数科目を残して「大検合格」をしていなかった。
。。若し 合格していたら東大合格も十分可能だったであろう。。
春日のふざけ企画とは大違いで!
吉永さんは 現在の代々木上原駅周辺
渋谷区西原生まれのお嬢様
当然 青学は地元!
小さいころから青学の評判を熟知していた筈で
多忙の中での通学にも利便
なにより青学の S・Cは
「女優業にもプラスになる!」
と考えたであろうと推測する
因みに 吉永さんと人気を二分していた憂い系美人
松原智恵子さんは
明治大学二部文学部英文科に入学し 直ぐに退学した
ところが!
青学は 大検未修の吉永さんを
受験資格なしとし
ご縁がなかった!のである。
吉永小百合さんを!
賢明な読者は モ~お解りでしょう!
その青学が
ドコの「オケラの骨」とも判らない
田村淳などと「合格の裏取引!」などする訳がなかろう!
人気絶頂の郷ひろみさんでさえ不合格なのに!
「一族郎党に大卒者が一人もいない明治辺り?」の田舎出2C者!
大仁田だの なべやかんだの、、、全員入学の明治と
一緒にするなッ!
まだ!格が違うことが解らないのか!愚か者が!
、、そのオケラ男!淳! "自称名門!明治!"スルーで 慶応通信に!、、 :一体!ド~なってる!? エッ? 明治!
又!「田村淳受験と箱根駅伝で有名になった青学」などと書いた
乞食メディアの田舎モンの 乞食記者も
己の世間知らずの恥を知れ!
昔から
北海道 九州沖縄からも
多数の応募者がいることも知らずに 書くなッ!
田舎モンのバカ記者!
鬼才 寺山修司先生は
1954年春 青森高校卒業
青山学院大学文学部教育学科不合格
同年 早稲田大学教育学部国文科に合格
たかりメディアの 田吾作記者!
ドコから金を貰っての乞食ネタか知らんが
「箱根駅伝で有名云々の青学」などと書く前に
コノ位の事! 調べろ!プロなら!乞食!
、、、これから数年後
吉永さんは 青学卒の渡哲也さんと大恋愛に落ちるのである、、、、
大学は
早稲田大学が
吉永さんは 「入学資格有り!」として
入学を許可したのである!
そして
多忙な中
早稲田大学第二文学部西洋史学専修を
在学4年間で 優秀な成績で卒業したのである。
早稲田も吉永さんで止めて置けば 良かったったものを、、、、
アホの広末を入れて 天下の物笑いになったのは周知である!
更に 世界に恥を晒した ペテン師 小保方へと迷走するのである、、、
余談 当時 小悪魔と言われ
父親が東宝重役で飛ぶ鳥落としの 富裕育ち
世の中万事思いのままの加賀まり子さんは
1960年 青学高等部受験 不合格!
「私を落とす青学って!」と絶句!
当時から青学高等部は慶応女子と共に
日本の最難関であり
女子の人気は慶女を凌駕していた :山出し記者などは知る由もなかろうが!
「青学高等部受験」は 合否に関わらず
一定以上の「学力と家庭水準」の 証左でも有ったのである! :田吾作記者などは知る由もなかろうが!
当然 大学の人気も 明治法政等とは明らかに一線を画していた。
志望者の家庭層が全く違っていた
厚木移転でコケてしまったが、、
しかし 30年間も僻地に在ったにも拘らず
尚 高いブランド力の維持は 流石と言うべきであろう!
今回で
淳娘の青学幼の芽もナクなった?イヤ!初めから!無かった!
幼OBの海老蔵の娘でさえ はしゃぎ過ぎでトホホなんだから、、、
正に 金の為ならウソ800を書き散らかす乞食メディア、、、