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ユメのなかでも踊ってる

ただ今、お休み中。

マネーゲームでは手に入らない夢を叶えよう!

2006年04月30日 | 競馬・G1レース結果
4月30日は京都競馬場で
第133回天皇賞・春(G1)芝3200メートルが開催されました。結果は、
1着、4枠7番、ディープインパクト、牡4歳、1番人気。
2着、6枠11番、リンカーン、牡6歳、2番人気。
3着、1枠1番、ストラタジェム、牡5歳、8番人気。
4着、7枠14番、アイポッパー、牡6歳、7番人気。
5着、3枠6番、トウカイカムカム、牡5歳、9番人気。
3番人気のマッキーマックスは7着でした。
1着のディープインパクトは2002年3月25日産、鹿毛。父・サンデーサイレンス、母・ウインドインハーヘア、母の父・Alzao。前走の阪神大賞典(G2)を勝って、これで10戦9勝、G1は皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞に続く4勝目。
1着から3着まで、父の名はサンデーサイレンス(SS)、4着(サッカーボーイ)、5着(トウカイテイオー)は母の父がサンデーサイレンス。という訳で終わってみれば、今週はG1天皇賞ウィークならぬ、"SS祭り週間" となりました。
さて、SS初年度産駒のクラシックデビューは1995年のこと。
皐月賞・ジェニュイン、ダービー・タヤスツヨシ、オークス・ダンスパートナーと3勝。その年の菊花賞を制したのはマヤノトップガン。前年の覇者、3冠馬ナリタブライアンのレコードを更新した。
翌1996年菊花賞を勝ち、SS産駒の牡馬クラシック3レース制覇を達成したダンスインザダークは種牡馬となってから、ザッツザプレンティ(2003年)、デルタブルース(2004年)と2年連続で菊花賞馬を出した。
このダンスインザダークを筆頭にサンデーサイレンスが送り出した菊花賞馬は、昨年のディープインパクトで4頭(2000年エアシャカール、2001年マンハッタンカフェ)
そして春の天皇賞を最初に制覇したSS産駒は、1999年のスペシャルウィーク。
1998年のダービー馬スペシャルウィークを、皐月賞・菊花賞と負かしたセイウンスカイはマヤノトップガンの菊花賞レコードを更新したが、この記録は未だに破られていない。スペシャルウィークがG1競走で負けたのはセイウンスカイの他に2頭の外国産馬(エルコンドルパサー、グラスワンダー)がいたが、この同期3頭の中で産駒の中から最初にG1馬を送り出したのはスペシャルウィークだった。2005年のオークスを制した後に海外遠征を行い、見事に勝利したシーザリオである。
スペシャルウィークを筆頭にサンデーサイレンスが送り出した春の天皇賞馬は、今年のディープインパクトで4頭(2002年マンハッタンカフェ、2004年スズカマンボ)
今日もディープインパクトは確かに飛びましたね....。えぇ、ゲートが開くと同時に。あの出遅れが結果的には良かった、と言うか、菊花賞の時のように、"がむしゃらに走る" ことなく最後まで自分のペースで走ることが出来たのではと思いました。3コーナー辺りで「今日は勝ったな」と確信させる馬がこれから先、登場するかどうか。未来のことは分かりませんが、まぁ、ただ強いという形容詞では表現出来ないものを見た、と思ったら、レコードのおまけ付き。SS初年度産駒で牡馬クラシック3レース制覇の夢を破ったマヤノトップガンの記録を破ったんですよね、SS産駒の3冠馬が。
一度も負けることなく菊花賞を制したディープとは対象的にトップガンは前哨戦を2戦連続2着と悔しい思いをしてのレコードでの勝利。勝つのが当然とレコードで勝ったディープとは違い、前年5着の雪辱をレコードで晴らしたトップガン。2頭の活躍した時代には10年の時の流れがある。トップガンの活躍を知らない競馬ファンも当然いるだろう。
ただ時代が変わっても変わらないものもある。今、ディープインパクトの活躍に勇気づけられ、夢を貰っている若い人たちへ。昔、マヤノトップガンの活躍に勇気を貰った人もいた。大人から子どもまで「金、カネ、金」の世の中にあって、どんなにお金を積んでも決して手には入らないもの。それは、勝者にだけ与えられる惜しみない賞賛と栄誉。競走馬の世界は残酷だ。敗者に与えられるものは何も無い。だからこそ、やっと掴んだ勝利に拍手を贈ることを惜しみたくはない。今日、負けた馬にも次に勝つチャンスはあるのだ。私はそれをマヤノトップガンと言う名前の競走馬に教えられた。
ディープインパクトの勝利を境に日本の競馬は変わってゆくのだろう。ディープが与えてくれるものは、決してお金に代えることは出来ない。その意味では "競馬が教えてくれること" は昔も今も、そしてこれからも変わることは無いのだと思う。

小倉デビューの若武者とピカピカのいぶし銀。

2006年04月16日 | 競馬・G1レース結果
4月16日は中山競馬場で
第66回皐月賞(G1)3歳牡・牝馬 芝2000メートルが開催されました。結果は、
1着、3枠5番、メイショウサムソン、牡、6番人気。
2着、1枠2番、ドリームパスポート、牡、10番人気。
3着、3枠6番、フサイチジャンク、牡、2番人気。
4着、7枠15番、アドマイヤムーン、牡、1番人気。
5着、1枠1番、フサイチリシャール、牡、3番人気。
1着のメイショウサムソンは2003年3月7日産、鹿毛、父・オペラハウス、母・マイヴィヴィアン、母の父・ダンシングブレーヴ。2005年7月小倉デビュー、2006年きさらぎ賞(G3)ドリームパスポート2着、スプリングS(G2)を勝って重賞初制覇。今回の皐月賞勝ちで、10戦5勝、重賞2勝目となりました。きさらぎ賞→スプリングS路線での勝利は2003年のネオユニヴァース(父・サンデーサイレンス)以来3年ぶり。オペラハウス産駒の皐月賞(とゆーかクラシック競走)は、1999年のテイエムオペラオー以来、7年ぶり。小倉デビュー馬の皐月賞制覇は、1990年のハクタイセイ(父・ハイセイコー)以来16年ぶり。
3年、7年、16年の次ぎは、鞍上の石橋騎手、初のG1制覇。1985年騎手デビューなので、実に21年ぶり(って言うのか?)、22年目のベテラン騎手の晴れ舞台。G1挑戦42回目。G1初騎乗は1987年優駿牝馬(オークス)マックスビューティー、ルーペナイト・11着。皐月賞は1995年(ジェニュイン)オグリワン・16着。1997年(サニーブライアン)ゴッドスピード・8着。1998年(セイウンスカイ)、トウカイパンチ・17着。2000年(エアシャカール)、パープルエビス・7着。そして今年2006年メイショウサムソン・1着と5度目の挑戦。調教師の 瀬戸口師はネオユニヴァース以来、2度目の皐月賞制覇ですが、石橋騎手が騎乗した5頭のうち、オグリワン、ゴッドスピード、メイショウサムソンの3頭が瀬戸口師の管理馬というのも何かの縁だったのかもしれません。
聖書に出て来る怪力サムソン(旧約聖書「士師記」)は策士で英雄でしたが、女に弱かった(英雄色を好む?)ので、その色香に迷って身を滅ぼします。メイショウサムソン君のサムソンが怪力サムソンから来てるのかどうかはわかりませんが、女に弱いかどうかはさておき、母系は4代祖母のガーネツトが天皇賞を制覇してることを除いては一族の中にG1勝ち馬がいなかったんですね。ポレールが障害で活躍してますが、まだグレード制導入前のことですし。これでやっとG1馬誕生です、しかもクラシック馬です。母系が弱いも克服したメイショウサムソンの今後のレースにも期待大です。
そう言えば、馬主のメイショウの松本さんも、メイショウドトウの2001年宝塚記念以来、5年ぶりのG1制覇、クラシックは初の快挙ですね。何かとお目出度尽くしの第66回皐月賞が終わりました。牡馬クラシック第2弾の東京優駿(日本ダービー)は今回のレースの4着までの馬に優先出走権が与えられます。

2連覇達成の最年長、最軽量馬に最敬礼。

2006年04月15日 | 競馬・G1レース結果
4月15日は中山競馬場で
第8回中山グランドジャンプ(J・G1)国際招待芝4250メートルが開催されました。結果は、
1着、8枠14番、[外]カラジ、せん(馬)11歳、2番人気。
2着、5枠8番、テイエムドラゴン、牡4歳、1番人気。
3着、4枠7番、テレジェニック、せん6歳、3番人気。
4着、6枠11番、メルシーエイタイム、牡4歳、4番人気。
5着、3枠4番、メジロアービン、牡7歳、13番人気。
1着のカラジ(Karasi)は1995年2月20日愛国産、鹿毛。父・Kahyasi、母・Karamita、母の父・Shantung。1998年3歳デビュー、英国で9戦3勝の後、同年豪州へ売却される。そして平地のレースではもう結果が出せなくて、障害馬として売りに出されたのが、2003年のこと。以来今回の日本での勝利で、戦績は英・豪州で79戦13勝、JAR(日本)4戦2勝、うち障害は16戦8勝(JRA・4戦2勝を含む)、通算戦績85戦15勝となりました。
昨年のペガサスジャンプステークス(バローネフォンテン)3350メートル、3着の後、第7回中山グランドジャンプ(J・G1)を1番人気での勝利(せん10歳 / the 10-year-old gelding)。で、このG1勝利で2005年の障害チャンピオン(The Wolf Blass Champion Jumper Award)ホースに選ばれた。そして今年3月のペガサスジャンプS(昨年の中山グランドジャンプ以来の障害レースで4番人気)(1着はテレジェニック、せん6歳)を1つ歳をとっても、着順は昨年より1つ縮めて2着。そして本番のグランドジャンプを、日本代表の若武者・4歳牡馬のテイエムドラゴンをアタマ差おさえて見事に連覇達成。出走15頭中最年長の11歳、最低馬体重の430キロ。コンパクトな馬体のどこに強さが潜んでいるのか不思議に思う。
父・Kahyasi は1985年愛国産。英、仏、愛で7戦5勝、英・愛ダービー馬。1989年より愛国で種牡馬供用。父の父・Ile de Bourbon は1975年米国産。英、仏で12戦5勝、欧州3歳チャンピオン。1980年英国で種牡馬入り。1987年より日本で供用開始、1997年死亡。父の父の父・Nijinsky は1967年加国産。英、愛、仏で13戦11勝、2着2回で、Northern Dancer 系の父系。カナダ産の偉大な種牡馬の血を引いた自らの血を残せない11歳。1995年産の日本の馬は、エアデジャヴー (秋華賞馬・エアメサイアの母)、エガオヲミセテ(高松記念馬・オレハマッテルゼの全姉)、ロンドンブリッジ(オークス馬・ダイワエルシエーロの母)、セイウンスカイ、スペシャルウィーク、エリモエクセル、ファレノプシス、エルコンドルパサー、グラスワンダーetc. すでに他界しているもの、次代の活躍馬を送り出しているもの、11年の歳月は馬の世界では第1の生(競走馬)が終わって第2の生(繁殖馬)が始まっている。第2の生のないカラジですが、余生を送るにもう十分な貯えがあるよなぁ、と思うのですが、まだまだ頑張って欲しいと思ったりもします。
えー、下世話な話になりますが、わざわざ極東の地まで競走しにやって来るなんて、この時期の南半球には大きなレースは無いのか? と思っていました(失礼な奴ですね...)が、あるんですね、伝統あるお祭り。Oakbank Easter Horse Racing Carnival(the Famous Great Eastern Steeplechase)歴史は古く、1876年から続いてる。カラジも2004年にこのお祭りに参加して(Yalumba Classic Hurdle)勝っていますね。で何故このビッグな祭りを蹴って? 日本の障害レースに参加するのか? the world's richest jumps race ...世界一の高額賞金の障害レースなんですね...中山グランドジャンプ...。賞金額だけでなく世界から一流の障害馬の集まる、それを迎え撃つ日本馬も負けてはいない、そんなレースになるといいですね。11歳でも負けない、カラジの活躍を見るとそう思わずにいられません。

牝馬2冠発、ダービー経由、桜の女王行き

2006年04月09日 | 競馬・G1レース結果
4月9日は阪神競馬場で
第66回桜花賞(G1)3歳牝馬芝1600メートルが開催されました。結果は、
1着、7枠14番、キストゥヘヴン、6番人気。
2着、4枠8番、アドマイヤキッス、1番人気。
3着、6枠12番、コイウタ、5番人気。
4着、1枠2番、アサヒライジング、9番人気。
5着、8枠16番、シェルズレイ、7番人気。
2番人気のフサイチパンドラは14着、3番人気のテイエムプリキュアは8着でした。
1着のキストゥヘヴンは2003年4月25日産、鹿毛、父・アドマイヤベガ、母・ロングバージン、母の父・ノーザンテースト。2005年12月新馬デビュー、3戦連続2着の後、4戦目で1勝して未勝利脱出、フラワーC(G3)を勝って重賞初制覇。今回桜花賞を勝って、通算成績は6戦3勝、重賞2勝となりました。
今年の桜の女王の座を競った牝馬たちが産まれるちょうど10年前、
1993年のクラシック競走は、ナリタタイシン(皐月賞、父・リヴリア)、ウイニングチケット(ダービー、父・トニービン)、ビワハヤヒデ(菊花賞、父・シャルード)の3頭の牡馬と1頭の牝馬が活躍した年だった。
彼女の名前はベガ、JRA登録馬のなかでは一番短い(当時)2文字の名前だった。1990年3月8日産、鹿毛、父・トニービン、母・アンティックヴァリュー、母の父・Northern Dancer。2003年1月デビュー戦2着の後、2戦目で初勝利、続くチューリップ賞(当時はOP)を制して迎えた桜花賞を、1番人気で1着。初重賞、初G1制覇で桜の女王の座についた。2着・ユキノビジン、3着・マックスジョリー、3頭の着差はクビ、クビだった。続く優駿牝馬(オークス)も1番人気で1着となったベガは樫の女王の栄冠も手にして、1987年のマックスビューティ(マックスジョリーの母です)以来の2冠牝馬の誕生となった。2着・ユキノビジン、3着・マックスジョリー、3頭の着差は1と3/4馬身、アタマと広がっていた。ベガは強い馬でした、が、目つきの悪い馬?(てか顔が恐い)ナンバーワンとも言われていましたね、女の子なのに....。産まれた時に脚がまがっていてなかなか買い手がつかなかった、それであの走りなんですから、圧倒的な能力の差だったのでしょう。オークスを制した後は勝ちにめぐまれなくて、通算成績は9戦4勝。
繁殖入りして母となったベガが最初に送り出したのが、1996年3月12日産まれの鹿毛の牡馬、アドマイヤベガ(父・サンデーサイレンス)です。
アドマイヤベガ3歳時の1999年牡馬クラシクは、テイエムオペラオー(皐月賞、父・オペラハウス)、アドマイヤベガ(ダービー)、ナリタトップロード(菊花賞、父・サッカーボーイ)と、母ベガが走った年と同じように、3頭の牡馬で3冠を仲良く?分け合った。2000年8月に競走馬を引退し、種牡馬入りしたアドマイヤベガが突然の病(偶発性胃破裂)でこの世を去ったのが、2004年10月29日。2003年産まれの牝馬・キストゥヘヴンは2004年、1歳時のサマーセールではまだ身体が小さくて買い手がいなかったが、父・アドマイヤベガの初年度産駒が活躍し始めたたことにより、オ−タムセールでは良い値段がついた。キストゥヘヴンの馬主はアドマイヤベガの母 " ベガ " と同じ馬主。チュ−リップ賞を勝って桜花賞を制したベガとは異なり、フラワーCを制しての桜の女王。キストゥヘヴンの名前は亡くなった父への鎮魂のように思える。そして彼女はクラシック馬の父という栄誉をも贈った孝行娘だ。
桜花賞馬(ベガ)からダ−ビー馬(アドマイヤベガ)、そして再び桜花賞馬へ。この先はどこへと続いているのだろう? 
今年もちょっと楽しみなクラシック競走が幕を開けた。

待ったなし、勝利の美酒をイッキ飲み

2006年03月27日 | 競馬・G1レース結果
3月26日は中京競馬場で
第36回 高松宮記念(G1)芝1200メートルが開催されました。結果は、
1着、6枠11番、オレハマッテルゼ、牡6歳、4番人気。
2着、7枠14番、ラインクラフト、牝4歳、2番人気。
3着、7枠13番、シーイズトウショウ、牝6歳、3番人気。
4着、2枠3番、プリサイスマシーン、牡7歳、7番人気。
5着、3枠6番、ネイティヴハート、牡8歳、11番人気。
1番人気のシンボリグラン(牡4歳)は6着でした。
1着のオレハマッテルゼは2000年産、牡・栗毛、父・サンデーサイレンス、母・カーリーエンジェル、母の父・ジャッジアンジェルーチ。2003年5月、3歳未勝利戦デビュー、クラシック競走には縁が無かった。19戦6勝、2着6回の戦績で迎えた初重賞挑戦が、2005年の京王杯スプリングC(G2)2着。続く初G1挑戦の安田記念(アサクサデンエン)11着、その後オープン戦を1勝して2005年は終わる。今年に入り、京都金杯、東京新聞杯、阪急杯を9着、2着、3着の成績。3戦0勝で迎えた、今年4戦目、G1挑戦2度目の今回のレースを勝って、初重賞、初G1制覇の快挙。高松宮記念を勝って重賞初制覇は、シンコウキング(1997)、ショウナンカンプ(2002)に続き3頭目です。これで通戦成績は26戦8勝、2着8回、3着4回。
オレハマッテルゼの馬名は石原裕次郎さんの『俺は待ってるぜ(唄と映画?)』が由来だそうですが、惜敗続きでなかなか勝てないのは、「(いつか勝てる日が来るのを)俺は待ってるぜ」なんて具合に格好つけてるからじゃないのかとか、「(お前たちがやって来るのを)俺は(ゴール板を通過して)待ってるぜ」なら勝てるだろーけど、「(お前たちがやって来るまで)俺は(ゴール板の前で)待ってるぜ」なぁんて態度で他馬に勝利を譲ってどうするよ...と思ったものでした。が、ついにとゆーか、やっととゆーか勝ちましたね。
鞍上の柴田善臣騎手は2000年の高松宮記念(キングヘイロー)以来のG1勝ち。管理している音無師(調教師)は厩舎開業以来初のG1制覇達成。馬主の小田切氏は1985年、最終コーナー26番手から直線で25頭を追い越し、かつ2着馬につけた着差1と1/4馬身とゆー見事な追い越しを披露して樫の女王(オークス馬)の座についたノアノハコブネ(1982年産、父・アローエクスプレス、母.ユトリロ)以来の所有馬のG1制覇。関係者みんなが待っていた勝利の美酒は、長い長い熟成期間を必要としたけれど、最後の仕上げに要したのはわずか1200メートル、1分と8秒0の決着だった。
正直勝てるとは思っていませんでした。頑張っても2着、3着が精一杯なんじゃぁと。テルてる(オレハマッテルゼが勝つ日を待ってる、の略)の勝利で、高松宮記念、苦節ン年の " 頑張った馬ご褒美レース " とゆーイメージがますます定着しそーです。「そんなこたぁないぜぇ、お前の常識がひっくり返る日が来るのを、俺は待ってるぜ!」と " オレハマッテルゼ " が言うのなら、「その時の馬が君であることを、私は期待してるよ」と返しましょう。

2002年産、魔に魅入られる?

2006年02月20日 | 競馬・G1レース結果
2月19日は東京競馬場で
第23回フェブラリーS(ステークス)(G1)ダート1600メートルが開催されました。結果は、
1着、7枠14番、カネヒキリ、牡4歳、1番人気。
2着、5枠9番、シーキングザダイヤ、牡5歳、2番人気。
3着、2枠3番、ユートピア、牡6歳、11番人気。
4着、6枠11番、ブルーコンコルド、牡6歳、4番人気。
5着、4枠8番、ヴァーミリアン、牡4歳、3番人気。
とゆーことで、これで第19回(2002年)のアグネスデジタル以来、5年連続して1番人気の勝利が続いたことになります。で、ダートのG1、フェブラリーSとJC(ジャパンカップ)ダートの両レースを制したのは、第17回(2000年)を制したウイングアロー以来、2頭目。ダートのG1そのものがまだ歴史が浅いので、統一ダート王という称号はまだあまり耳にしませんが、これからも頑張って欲しいですね。
頑張ってほしい、と言えば。シーキングザダイヤ、このまま2着キープで?第2のステイゴールドを目指して欲しいものです。てか、すでに私の中では、"砂上のステイゴールド" と呼ばれております、シーキングザダイヤ。「僕の勝てるレース探して東西南北、地方、海外どこまでもぉ〜」 ..... のレース挑戦ぶりがちょっと哀れを誘います。
カネヒキリ、牡・栗毛。2002年2月26日生まれ。
父、フジキセキ。母、ライフアウトゼア。母の父、Deputy Minister。
2006年2月19日現在の成績。10戦6勝(JRA)。2戦2勝(地方)
ダート限定、9戦8勝、2着1回(地方含む)。同年代ということで、さしずめ"ダート界のディープインパクト" と称してもよいかと思います。
さて、このカネヒキリ、その競走成績をつらつら眺めてみると、なかなかどうして凄い馬...なのです。
・2004年7月、新潟の新馬戦デビューの成績は、芝1400メートル、14頭中3番人気で4着。勝ち馬は牝馬のフェリシア。
フェリシア、牝・黒鹿毛。2002年4月12日生まれ。
父、グラスワンダー。母、フェルモイ。母の父、Irish River。
12戦2勝。新馬戦で(カネヒキリに?)勝った後、同年12月の牝馬限定のファンタジーS(G3)を勝って以来、勝っていないんですね...。
・2004年8月、カネヒキリの第2戦の成績は、小倉の未勝利戦、芝1800メートル、13頭中5番人気で11着。勝ち馬はニホンピロブレイブ。
ニホンピロブレイブ、牡・栗毛。2002年4月19日生まれ。
父、ミホノブルボン。母、アタゴプリティー。母の父、マルゼンスキー。
11戦1勝(平地)、2戦0勝、2着1回(障害)。デビュー2戦目の未勝利戦で(カネヒキリに?)勝って以来、勝ちに恵まれず、障害に転向するも未だ勝ててないんですね...。
・翌、2005年2月、京都の未勝利戦、ダート1800メートル、中山の500万下、ダート1800メートルと連勝した後。むかえた3月、阪神での初重賞、毎日杯(G3)、芝2000メートル、14頭中3番人気で7着。勝ち馬はローゼンクロイツ。
ローゼンクロイツ、牡・鹿毛。2002年4月6日生まれ。
父、サンデーサイレンス。母、ロゼカラー。母の父、Shirley Heights。
9戦3勝。デビュー2戦目の未勝利戦、オープン戦、初重賞の毎日杯以来、勝利からは遠ざかっている...。
・その後、再びダートに戻り、初重賞のユニコーンS(G3)、地方交流戦でのG1レース2勝(ジャパンダートダービー、ダービーグランプリ)を含む破竹の4連勝の後の東京、ダート1600メートル、武蔵野S(G3)、16頭中、1番人気で2着。勝ち馬はサンライズバッカス。
サンライズバッカス、牡・黒鹿毛。2002年4月30日生まれ。
父、ヘネシー。母、リアルサファイヤ。母の父、リアルシャダイ。
12戦5勝(JRA)。1戦0勝、2着1回(地方)
芝のレースを4戦0勝で、5戦目のダート戦での勝利以来、ダート戦4連勝で迎えたダービーグランンプリで、"カネヒキリ" の2着。で、次走の武蔵野Sを勝って "カネヒキリ" に雪辱を果たすのね。で、その後、ダート競走を3戦(うち2回はカネヒキリと対戦)して、当然、今回のフェブラリーS・12着、昨年のJCダート・5着を含めて、勝ちがないのね...。
カネヒキリは本当に強い。これからもっと強くなって行くだろうとも思う。
負けたのは僅かに4回、その4回の負けの陰で?偶然にも4頭の同年生まれの馬たちが、
「あの日、あの時、あのレースでヤツと一緒に走って勝ちさえしなければ、今頃、バラ色の競走馬生活送れていただろうに」
と、ため息ついて、涙を飲んでいるかと思うと、手放しでほめ讃るのもちょっとどーよ?と思ってしまいます。
もっとも、「俺を負かす奴は絶対に許さん!!」的なパワーがないと強い馬にはなれないだろーとも思うので、コレからも怒りの雷パワーを発揮してもらいたいものです。
とゆーわけで、求む、カネヒキリを打負かす猛者...でもその後は保証出来ないけどね...。

2005年のインターナリーフローレス

2005年12月25日 | 競馬・G1レース結果
『....何万人の女たちが あたしはちがうと思いながら
何万人の女たちと 同じと気がついてしまう月
好きになるのも 信じきるのも
待ちわびるのも 思い切るのも
みんな自由だ みんな自由だ.....
(「十二月」 / 作詩・中島みゆき)
ダイヤモンドのグレードを表わすのに "4C" という言葉を使う。
Carat(カラット)、重さ。1カラットは0.2グラム。
Color(カラー)、色。無色のDカラーが最高で、グレードはDからZまで。
Clarity(クラリティー)、透明度。
Cut(カット)、プロポーション。
の4つの頭文字を取って、4C。
クラリティーは、10倍のルーペでダイヤモンドの内包物の有無(内部の特徴・インクルージョン)と外部からみた瑕(外部の特徴・ブレミッシュ)によってグレード選別されるそーです。で、そのグレードには、
FL(Flawless)、フローレス、内外部無欠損。
IF(Internaly Flawless)、インターナリーフローレス、内部無欠損。
VVS(Very Very Slightly)、VVSには1と2のランクがある。
VS(Very Slightly)、これも1と2。
SI(Slightly Included)、1と2。
I(imperfection)、1から3。で、これより下のクラスは宝石とは呼ばれない....らしい。
と、FLからIまであって、最高のクラスがフローレスと呼ばれる完全無欠のダイヤモンドとゆーことになります。が、人の手に触れると、そのことによって外から何らかの瑕がつくことになるので、最早、フローレスとは呼べない状態になる。で、普通(...普通なのか?)に入手可能なダイヤモンドの最高のものが、インターナリーフローレス。IFではなく、LC(ルーペクリーン)と表記されることもあるよーです。
最後にカット。ダイヤモンドの輝きを最大限に引き出すために、人の手で唯一行える作業。で、評価はプロポーション(均整)とフィニッシュ(仕上げ)によって行われ、Excellent, Very Good, Good, Medium, Fair, Poor, の6段階ある。
さて、4Cのうち、カラットはさておき、エクセレントなカット、"D" カラー、そして完全無欠のフローレスと見なされていた、ダイヤモンドの原石、1頭のサラブレッドが競走馬デビューを飾ったのが、ちょうど去年の12月。そして、今年2005年、6戦6勝、G1を3勝。3つのクラシックを制した三冠馬。無瑕(無敗)のまま迎える、グランプリ有馬記念。勝てば、史上初の無敗の4冠馬の誕生。それは、歴史的な瞬間、誰もが彼に"フローレス" であることを望む。けれどそれは、彼、にとって本当に良いことなのだろうか? 競走馬を続けていけば、いつか必ず負ける日は来るのではないだろうか? 一点の曇りもなく、ターフを去った馬はこれまでもいた。けれどそれは、自らの意志ではなく、不測の事故等で引退を余儀無くされたものだ。
そして、第50回有馬記念が始まった。結果は、
1着、ハーツクライ、牡4歳。父・サンデーサイレンス、母・アイリッシュダンス、母の父・トニービン。
2着、ディープインパクト、牡3歳。父・サンデーサイレンス、母・ウインドインハーヘア、母の父・アルザオ。
3着、リンカーン、牡5歳。父・サンデーサイレンス、母・グレースアドマイヤ、母の父・トニービン。
4着、コスモバルク、牡4歳。5着、コイントス、牡7歳。
でした。
終わってみれば、1着から3着までサンデーサイレンス...。16頭中8頭出走で掲示板に4頭。
おそらく、名種牡馬サンデーサイレンスのこれが "最後の最高傑作" になるであろう、ディープインパクトが初めての負けたのが、4歳の先輩馬で、それを見守ったのが、5歳の先輩馬。ダイヤモンドはダイヤモンドでのみ磨かれて、さらに一層その輝きを増す。この負けは、ディープインパクトの内面の完全無欠さを否定するものではないハズだ。外面の瑕を輝きに変える底力がこの馬にはある。ある、と私は信じる。2005年12月25日、フローレスだった1頭の競走馬が、インターナリーフローレスとなって、人の手に届く馬になった。その歴史的瞬間に立ち会えたのだと、そう思っている。来年以降のディープインパクトのさらなる活躍を期待しつつ。
最後に、ハーツクライ、最高のクリスマス・プレゼントをありがとう。今回は本当によく頑張ったよ、お前。そして、ご免。君が勝つことは、正直、期待してなかった.....。ディープインパクトが負けたことより、ハーツクライが勝ったことの方が、まだ、信じられなかったりする、そんな有馬記念でした。

2001年12月の兄弟ワン・ツー

2005年12月24日 | 競馬・G1レース結果
その馬の名をポレールという。
1991年6月17日生。父・エブロス、母・シークイン。3代祖母に有馬記念馬、ガーネツト。
牡14歳、黒鹿毛。現在、阪神競馬場で誘導馬をしている。
平地14戦1勝、障害35戦8勝。1996年、JRA賞最優秀障害馬。
2歳時、新馬戦(デビュー)勝ち以降、7戦0勝。で、3歳時の8月に障害戦デビューするも3戦0勝。
翌4歳時、平地で3戦0勝の後、再び障害に挑戦、5戦目にしてやっと未勝利脱出。で、その後障害レースに専念するも、9戦0勝、2着2回。
1996年、5歳時の成績は、8戦5勝(中山大障害・春、秋)、2着2回、3着1回で、JRA賞を獲得。
1997年4月12日の中山大障害・春を勝った後、4月27日には天皇賞・春に挑戦。16頭立て12番人気の12着。その後、障害を飛び、平地を走り、障害を飛び、その年の中山大障害・秋、2着で6歳時を終える。2000年、4月の中山グランドジャンプ(G1)を最後にターフを去る。
ポレールが競走馬、障害馬として一番輝いていたのは、1996年。
そして、唯一の平地のG1、1997年の天皇賞・春の勝ち馬、マヤノトップガンはこのレースで3200メートルの世界記録を打ち立てた。そして、ポレールと一緒に、この偉業達成の場に立ち会った馬、ユウセンショウ(父・ラグビーボール)には、1歳違いの半弟ゴーカイがいて、ポレールと同じく障害のチャンピオンホースだ。
ゴーカイ、1993年産。父・ジャッジアンジェルーチ、母・ユウミロク。
平地26戦1勝。障害28戦8勝。2000年、2001年のJRA賞最優秀障害馬。
ポレールが障害馬として大活躍した1996年に、3歳デビューしたゴーカイは、5歳まで平地を走り、1999年の6歳時に初めて障害レースに挑戦する。12戦3勝、中山大障害(G1)2着
ゴーカイが障害馬として本格化したのは、7歳時の2000年。6戦3勝、G1レース、中山グランドジャンプ1着、中山大障害2着
8歳になった2001年になっても、ゴーカイは障害馬としてトップクラスにいた。5戦1勝、2着3回。G1レース、中山グランドジャンプ1着、中山大障害2着。ゴーカイの3年連続の中山大障害の最後を飾ったのが、ユウセンショウの全弟、ゴーカイの半弟のユウフヨウホウ。兄が勝てなかった、中山大障害勝ちが弟の唯一のG1勝ちだった。
8歳の兄と4歳の弟の、1、2着決着。はっきり言って全然似ていない兄弟...。名前も、当然?似てないし....。何より、兄8歳、弟4歳なんて組み合わせは、障害レースでなければ有り得ないかも、しれない。凄いものを見た、と思った。
ゴーカイは翌2002年を最後にターフを去る。9歳で、中山グランドジャンプ2着に頑張った。
障害レースにグレード制が導入されたのが、1999年。で、G1レースは、春と秋(冬か?)の中山の障害。
今日は中山競馬場で、障害G1、中山大障害が行われました。成績は、
1着、テイエムドラゴン、牡3歳。父・アドマイヤベガ、母・ヤエシラオキ。
2着、メルシーエイタイム、牡3歳。
3着、メジロベイシンガー、牝4歳。
...でした。一言、言ってもいいかな? 3歳はいくら何でも若すぎるだろぉぉ? 障害G1の、といっても1999年からだけど...、おそらく最年少記録ではないかと。
テイエムドラゴン、G1終了時、平地9戦0勝。障害3戦3勝。障害初挑戦で勝ち、続く重賞、京都ハイジャンンプ(J.G3)を勝ち、G1初挑戦であっさりと勝ちやがった。...勝ちやがった、てのはどーかと思いますが、でもやっぱり、勝ちやがった、としか表現の仕様がない、といいますか。お前、そんなにあっさり勝ってはいかんだろー? と思って親父の名前見たら、アドマイヤベガだった。さすがサンデーサイレンス(SS)系種牡馬、産駒は早熟タイプが多いとゆーか。で、アドマイヤベガ、初のG1馬誕生の瞬間だったんですね。おめでとう、てかさすが?個性派が多いな、SS系種牡馬...。
障害馬、ポレールの最盛期、1996年に産まれたアドマイヤベガ。
そのアドマイヤベガがダービーを勝って活躍した3歳時、1999年にゴーカイが障害馬に転向した。
ゴーカイが弟ユウフヨウホウと1、2着を決めた2001年の中山大障害。その年にアドマイヤベガの初年度産駒が誕生。
そして、ゴーカイがターフを去った2002年に産まれた、テイエムドラゴンが3歳での中山大障害制覇、父に初G1をプレゼントした。障害馬は経験をつんでから、とゆー常識をテイエムドラゴンがどこまで塗り替えるのか、ちょっと楽しみでもありますが、親父と同じよーに若くして? 引退なんてことにはならないか、と不安でもあったり。ともあれ、これからも頑張れ、若き牛若丸、あ、ドラゴンだから、牛じゃなくて、竜か...。

2000年12月23日の3強対決その後、プロローグ編。

2005年12月11日 | 競馬・G1レース結果
ラジオたんぱ杯2歳ステークス(G3)、暮に阪神競馬場で行われる芝2000メートルのレース。
第1回(1984年)から第7回(1990年)までの名称は、ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス(S)
第8回(1991年)から第17回(2000年)までの名称は、ラジオたんぱ杯3歳S。
そして、馬齢表記が変更になったことにより、
第18回(2001年)から現在の名称となり、第22回の今年は12月24日に行われる予定。そして、このレースを勝った馬はその後結構活躍していたりする。
1990年、イソノルーブル、オークス馬。
1992年、ナリタタイシン、皐月賞馬。
1994年、タヤスツヨシ、ダービー馬。
1996年、メジロブライト、天皇賞・春(1998年)
1998年、アドマイヤベガ、ダービー馬。
"ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス" の名称としては、最後の勝ち馬となったイソノルーブルから数えて、ちょうど2年ごとにG1馬が誕生してるんですね。
ミレニアム、20世紀最後の年、2000年12月23日に開催された、"ラジオたんぱ杯3歳S" には、後年から見ると、結構豪華とも言える、3頭の馬が上位を占めた。
1着、アグネスタキオン、2番人気。
2着、ジャングルポケット、3番人気。
3着、クロフネ、1番人気。
勝ったアグネスタキオンは翌年の皐月賞馬。2着のジャングルポケットは翌年、ダービーとジャパンカップを勝ち、2001年の最優秀4歳牡馬(今の3歳)、年度代表馬に選ばれる。3着のクロフネは翌年、NHKマイルカップとジャパンカップ・ダートを勝ち、2001年の最優秀ダートホースに。
そして、このレースが3頭揃って走った唯一のレースとなった。アグネスタキオンとジャングルポケットは皐月賞で、ジャングルポケットとクロフネはダービーで、それぞれ戦ったが、それが最後の対戦となる。アグネスタキオンは皐月賞後、故障発生でそのまま引退。クロフネもJCダートを最後に引退。ジャングルポケットは彼等が去った翌年も走り、2003年1月に現役引退。
それぞれ違うルートで一つの場所に集まった、3頭がそれぞれの栄光を手に、再び、種牡馬としての対決?を約してターフを去った。そして、その第1戦とも言えるレースが、5年の時を経て、同じ12月に行われた。"ラジオたんぱ3歳S" の後、交わることのなかった2頭の対決。その対決は、新種牡馬としてデビューした初年度の産駒たちの戦いの場で行われることとなった。
11日に行われた、第57回朝日杯フューチュリティステークス(...この名称なんとかしてほしー...)の結果です。
1着、フサイチリシャール、2番人気。父・クロフネ、母・フサイチエアデール、母の父・サンデーサイレンス。
2着、スーパーホーネット、5番人気。父・ロドリゴデトリアーノ、母・ユウサンポリッシュ、母の父・エルセニョール。
3着、ジャリスコライト、1番人気。父・Fantastic Light、母・Chancey Squaw、母の父・Chief's Crown。
4着、ショウナンタキオン、3番人気。父・アグネスタキオン。
5着、ダイアモンドヘッド、4番人気。父・サンデーサイレンス。
1番人気のジャリスコライトの "3" 着、昨年のペールギュントと同じですね。そして、2着のスーパーホーネット、"3" 枠5番。3枠のお馬さんは気にはなったので、一応チェックはしたのですが、私が最終的に選んだのは、同じ3枠でも1戦1勝のダノンブリエ。理由は、もしも、もしもよ、この馬が勝つか上位に来たら、ここで書きたいと思うことがあったのさぁ。7着じゃあ話題にも出来やしねぇ。ダノンブリエの今後の活躍に期待しつつ....次の話題へ。
勝ったフサイチリシャールの鞍上は福永騎手。前日のレースで落馬したので、どうなるか心配でしたけど、なんか最後まで余裕でしたね。で、同一G1レース3勝。このレース何回参戦して、3勝なのか調べてみた。4戦3勝、負けたレースも3着だから、相性良いのかもしれないですね、2歳馬のG1レースと。今回のレース結果を一言で表現するなら、
"戦闘機"、"酒" に飲まれる...!
....これしか無いよなぁ、と愚弟に話したら、「なんや、それ~?」と、言われました。が、現時点で、"スーパーホーネット" と言ったら、戦闘機を思い浮かべるでしょう.....。早く、競走馬の名前として覚えてもらえるよう、頑張れ、戦闘機?
と、ゆーわけで、今年初年度産駒がデビューした新種牡馬の中で。G1馬を出した第一号となりました、クロフネ。見事? 5年前の借りを返す事が出来ました。次はジャングルポケット産駒との対決ですが、これは来年以降のお楽しみですね。そして、アグネスタキオン、ジャングルポケット、クロフネの産駒が一堂に会する東京優駿(日本ダービー)、実現する日が来たら、夢のようだ。
ともあれ、勝った馬も、今一つだった馬も来年の春、秋を目指して頑張れ。

1978年の2歳チャンピオン

2005年12月04日 | 競馬・G1レース結果
それは、1935年にはじまる。フランス料理の祖といわれる、オーギュスト・エスコフィエがこの世を去り、エルヴィス・プレスリーとアラン・ドロンが誕生した年、世界中が暗い時代へのカウンドダウンの始まりを数え出した年。
『ドルメロ(イタリアの地名)の魔法使い』と称された20世紀初頭の名伯楽、天才馬産家と呼ばれたフェデリコ・テシオ(1855~1967)の晩年の最高傑作のひとつと言われている馬がイタリアに誕生した。
Nearco(ネアルコ / 1935-1957)、父・Pharos、母・Nogara。14戦14勝。
後継種牡馬として、Royal Charger、孫のHail to Reasonが優秀で、ヘイルツーリーズン系を形成。サンデーサイレンスやブライアンズタイムの父の父がこの馬。
Nearctic、息子のNorthern Dancerを通して、ノーザンダンサー系、...あまりにも有名で今さらとゆー気もするけど
このネアルコを父に、Mumtaz Begumを母に英国で産まれた牡馬の名を、Nasrullah(ナスルーラ / 1940-1959)という。生来の気性難が災いし、競走馬としての成績は10戦5勝、とあまり良い、とは言えない。が、このナスルーラ、種牡馬になっても、問題児(?)だった。世話してくれる人を殴る、蹴る、暴れる....の怪我人続出.....。ところが、馬的には問題大いにあり、でも、種牡馬としての成績は良かったのね、凄い、と言ってもいいかもしれない。
で、このナスルーラの最後の産駒の1頭が、アメリカ産のNever Bend(ネヴァーベント / 1960-1977)、そして、ネヴァーベントを父に、River Ladyを母にアメリカでRiverman(リヴァーマン / 1969-1999)が産まれる。
このリヴァーマンとIrish Starを両親にフランスに産まれた栗毛の牡馬の名前を、Irish River(アイリッシュリヴァー / 1976年)という。12戦10勝。2歳時、6戦5勝で、仏2歳チャンピオン。3歳時もG1レース4つ勝って、チャンピオン...。1978年、アイリッシュリヴァーのG1勝ちは、Grand Criterium(仏グランクリテリウム、1600M)、Prix de la Salamandre(サラマンドル賞、1400M)、Prix Morny(モルニー賞、1200M)の3つ。えーと、で、私は今回初めて知ったのですが、フランスには、2歳馬の3冠レースとゆーのがあるそーです。アイリッシュリヴァーはその3冠レースを全部勝ってる訳ではないけれど、G1を3つ勝ったので、変則3冠、と呼ぶこともあるようです。そんなことより、おフランスには、2歳馬のG1競走随分あるんですね。てか、まだ若駒のうちから、そんなに走らせて大丈夫なんでしょうか? それでも、3歳になったアイリッシュリヴァーはG1を4つ勝っている。Poule d'Essai des Poulains(仏2000ギニー、1600M)、Prix d'Ispahan(イスパーン賞1850M)、Prix Jacques le Marois(ジャックルマロワ賞、1600M)、Prix du Moulin de Longchamp(ムーランドロンシャン賞、1600M)と、2000メートル以下のレースでは負けなし、逆に言えば、どキッパリと短距離血統なのかなぁ?
3歳末で引退した、アイリッシュリヴァーはフランスで種牡馬入りした後、アメリカに渡り、1989年、North of Eden(1983)を母にもつ、*パラダイスクリーク( Paradise Creek)が誕生することになる。25戦14勝、G1を4勝。
1935年、イタリアに産まれた5代祖父から、イギリス、アメリカ、アメリカ、フランス、アメリカ、と渡り歩いた(?)、父系を持つ、パラダイスクリークが日本にやって来たのが、1995年。
ネアルコ誕生から60年後に日本にやって来た、種牡馬に初のG1馬誕生の知らせが届いたのが、その10年後。
アイリッシュリヴァーが、仏2歳チャンピオンとなった25年後(2003年)に、パラダイスクリークを父、芦毛のフェリアード(1996)を母に、産まれた牝馬の名前をテイエムプリキュアという。
12月4日、阪神競馬場で行われた第57回阪神ジュベナイルフィリーズは、
1着・テイエムプリキュア、父・パラダイスクリーク、母・フェリアード、8番人気。
2着・シークレットコード、父・Fusaichi Pegasus、母・マジックコード、9番人気。
3着・フサイチパンドラ、父・サンデーサイレンス、母・ロッタレース、2番人気。
とゆー結果になりました。
テイエムプリキュアは、このレースを勝って、3戦3勝。無敗の2歳女王の誕生は、ニシノフラワー(4戦4勝)、ヤマニンパラダイス(3戦3勝)、ビワハイジ(3戦3勝)、スティンガー(3戦3勝)、ピースオブワールド(4戦4勝)の5頭に続く、6頭目。
鞍上の熊沢騎手のG1勝ちは、2歳牝馬のG1が出来た、1991年の有馬記念でのダイユサク以来、ってことは、14年ぶり、ですね。でもっ、この人がG1勝った時って必ず、かならぁず、嵐を呼びますねぇ、いえ、天気ではなくて、馬券の話。...まあ、今回は天気のほうもかなり荒れましたけど。
雷鳴とともに、勝利を運んで来たのは、"楽園の小川"、"妖精の国(アイルランド)の河"、"河守り" の名を持つ、父祖に守られた少女。
で、1番人気のアルーリングボイスは14着とゆーことで、"声"は雷にかき消されてしまいました、とさ。って全然、笑えない.....一体何があったんだ、アルーリングボイス。
1番人気に支持されて、勝てないとゆーデータは書きましたが、今までのワーストって何位だろーと調べてみた。スエヒロジョウオーが勝った年(1992)の、マルカアイリス16着、でも、12位入線、降着での16着(ビリ)なので、記録更新したんだね、アルーリング....嬉しくはないだろーけどさ。
そーいえば、スエヒロジョウオーが女王になった時も、波乱の結末。9番人気と12番人気のマイネピクシーで、多分、このレースの配当金の記録を持ってた、と思う。で、この配当金最高だったかも、のスエヒロジョウオーは歴代最少馬体重、390キロでの戴冠。で、歴代最高のおデブ、じゃなくて、グラマラス少女は、ヤマカツスズラン、ピースオブワールドの492キロ、....で、100キロ以上も差がある。
まぁ、一緒に走ってるわけではないので、比較するのはどうかと思いますが。
2戦2勝で1着。1戦1勝馬、2頭が2.3着で落ち着いた、今回のレース。感想は、牝馬の、とくに若駒のレースは本当に走ってみなけりゃ分らない、です。
わずか、250万円(競走馬のお値段としては結構お買得)で、テイエムの冠名をもつ、竹園オーナーに買われた馬が、このレースまでで稼ぎ出した賞金は、7860万円....。父に、「G1馬を出した種牡馬」とゆー栄誉をもたらした少女は、馬主さん孝行な娘さんでもありました。
最後に、私は、どのレースでも、どの馬が勝っても別に嫌、ではないですが。今回、出馬表を眺めながら、この馬にだけは、勝って欲しくない、かも、と思ったのが、実は今回勝った、テイエムプリキュア、いえ、馬は好きなんですよ、馬は。問題は、名前、だ。テイエムプリキュア、プリキュア...プリキュア...プリキュア....。「プリキュア」って言ったら、やっぱり、"あの" プリキュア、なんだろうなぁ。...『ありえない~』は、「使えない....」。とゆー訳で、私は再び、時の旅人に。てか、イタリアからイギリス、フランス、アメリカ、やっと日本に戻って来た時はホッとしました。
ネアルコやナスルーラの話は面白い? ので、また機会がありましたら、やってみようかな、と思います。

2005年のGrand Prix de Saint-Cloud

2005年11月28日 | 競馬・G1レース結果
第18回(1998)のジャパンカップの勝ち馬、エルコンドルパサー(1995-2002)は、アメリカ産の黒鹿毛の馬で、父・Kingmambo(1990)、母・Saddlers Gal(1989)、母の父・Sadler's Wells(1981)
競走成績、日本で7戦6勝、海外で4戦2勝、2着2回。
3歳時に、NHKマイル、ジャパンカップ、とG1を2勝した後、翌年は海外でのみ競走馬生活を行い、サンクルー大賞(仏G1)、フォワ賞(仏G2)を勝った後、凱旋門賞(仏G1)2着を最後に、引退、種牡馬に。
この、エルコンドルパサーが種牡馬入りした、2000年、アメリカ、ケンタッキー州で、父・Kingmambo、母・Chesa Plana(1989)、母の父・Niniski(1976)の鹿毛の牡馬が誕生した。
2001年、UAE(United Arab Emirates)に移動、つまり買われていったのね~
そして、エルコンドルパサーがこの世に別れを告げた、2002年から、イギリスで競走馬生活を開始。
Alkaased(アルカセット)と名付けられたこの馬は、実に大切にされれ調教された。
2歳時、2戦。3歳時、4戦1勝、2着3回。4歳時、4戦2勝、2着2回。
そして、2005年。2戦1勝、2着1回の成績でむかえた、6月26日、フランス、サンクルー競馬場で行われた、Grand Prix de Saint-Cloud(サンクルー大賞)
出走11頭中、3番人気に支持されたアルカセットは、昨年の2着馬、Policy Makerを2馬身差で破り、さらにその2馬身後には、1番人気のBago(バゴ)が3着をキープ、バゴの鼻差、4着のElvstroem、1馬身おいての5着がReefscape。
で、アルカセットの調教師、クマーニ(Luca M.Cumani)師が構想した、秋のローテーションが、凱旋門賞(Prix de l'Arc de Triomphe、略して、"The Arc" ...と英国では書かれていた、フルネームでは呼ばないものなのかもしれない....ぷり・ど・らるく・ど・とろわんふ...)、ブリーダーズカップ(Breeders' Cup Turf) 、ジャパンカップ、香港ヴァーズ(Hong Kong Vase)の4つ。
ちなみに、全部、芝の2400メートル、the 12-furlong contest、the one-mile-four-furlong contest、the mile and a half race....。
読めねぇ~よ....な、フランスのサイトは、ちゃんと2400メートル(メートルはフランス語...)と書いてるのに。
で、9月に凱旋門賞の前哨戦、フォア賞(Prix Foy) を2着の後、フレグモーネ(英語では血行不良って書いてたよーに思う...乱暴に言うと、お馬さんの病気、故障、の1つ...)で、凱旋門賞は回避、ブリーダーズカップも回避、イギリスで1戦して、これで、15戦5勝。
そして、11月27日、東京競馬場、第25回ジャパンカップが始まった。
お約束どおり? タップダンスシチーが逃げる、逃げる、逃げる。
その後をストーミーカフェが死にものぐるいで...多分..追いかけている。タップダンスの競馬が確実に行われるのを見て、うーん、勝ちはタップ、かなぁ、と思っていたら、直線、がぜん、面白くなりました。
で、ゴール前の興奮、タップ(タップダンスシチー)もロブ(ゼンノロブロイ)も要らない、と思っていた私が、注目したのが、ヘヴンリーロマンスと外国のお馬さん、クセ馬、ベタートークナウ、と日本のハーツクライ。
G1、2着続きのハーツクライ、多分勝てないだろーけど、府中の2400メートルなら、侮れない、ハーツクライ....。
勝ったのか? 勝てたのか? ハーツクライ、勝ったのか? と、期待の分だけ、後の落胆も大きいとゆーものですが、とにかく、興奮しました。
えぇ、すごーく。でもっ、アルカセットの方が勝ってるよーな気もする...。
掲示板は、写真、写真、写真。で、おまけに、ウィジャボードの進路が狭くなったことによる審議のランプ。
長い長い写真判定の後、結果。
1着、[外]アルカセット、ホーリックスの世界レコードを16年ぶりに更新して、レコード勝ち。
2着、ハーツクライ、1着との鼻差わずか3センチ。
3着、ゼンノロブロイ、1と3/4馬身差。
4着、リンカーン、再び鼻差。
5着、[外]ウィジャボード、クビ差。
3番人気のアルカセットは、外国馬の中で1番の支持だったので、第17回(1997)のピルサドスキー以来、2頭目の快挙ということになる。
で、アルカセットに騎乗した、デットーリ騎手は、第16回(1996)シングスピール、第22回(2002)ファルブラヴで勝っているので、今回で3勝目。2勝でも、凄いと思った記憶があるけど、3回も勝つなんてぇ。
同一レース3勝なので英国のニュースサイトでは、ハットトリックと書かれていた。
で、騎手はどーでも良い、興味があるのは、馬だ。なんですが、今回、4着のリンカーン騎乗の武豊騎手を除き、5着以内に入ったお馬さんの騎手は、全部外国の騎手....でした。
で、勝ったアルカセットの父、キングマンボは日本で走った産駒のG1勝ちが全部、東京競馬場、らしい。
よほど相性良いみたいですね...。そーいえば、エルコンドルパサーの日本でのG1勝ちも東京競馬場だわ。
アルカセットの初G1勝ちは、1ちゃーく、ゼッケン2番、アルカセット君。2ちゃーく、ゼッケン4番、ポリシーメイカー君。3ちゃーく....。てな具合に、一目で結果が分るレースだったのに、2度目のG1勝ちは、長い長い写真判定の末、鼻差3センチ。で、3着と4着と5着も写真で判定しないと、ちょっとどの馬が何着か分らないとゆースリリングなレースになりました。
2005年のGrand Prix de Saint-Cloudで、ゴール前の様子が写真で見れます。フランス語は読めなくても、写真は大丈夫...。

1992年の軌跡

2005年11月27日 | 競馬・G1レース結果
20世紀、世界のサラブレッドの血脈を大きく塗り替えた大種牡馬、と呼ばれる馬がいる。
カナダ産の、ビッグな競走成績と比較しようのない種牡馬成績に比べると、あまりに小柄なその馬の名前をNorthern Dancer(ノーザンダンサー / 1961-1990)という。
そして、1967年、ノーザンダンサーの直仔としてカナダで生まれた、栗毛のVice Regent(ヴァイスリージェント / 5戦2勝)はカナダのリーディングサイヤーとして13年間君臨し、Deputy Minister(デピュティミニスター / 1979 - 2004、母・Mint Copy、母の父・Bunty's Flight)、カナダ産、22戦12勝、2着2回、3着2回、へと血を繋いでゆく。
1984年にメリーランド州(Windfields Farm)で種牡馬生活をスタートさせた、デピュティミニスターは初年度から、産駒が大活躍したこともあって、1988年にはケンタッキー州(Brookdale Farm)に移動、以後、1997,98年・北米リーディングサイヤー、2002,03年、北米トップブルードメアサイアー。
で、そのデピュティミニスターとSilver Valley(1979)を両親に1992年に産まれた栗毛の牝馬が、*Life Out There(ライフアウトゼア)、母の父は、Mr. Prospector(1970)
で、ノーザンダンサー → ヴァイスリージェント → デピュティミニスターと血脈が続いて、その先も後継種牡馬がいる、よーに、いえ、それよりももっと強力に広範囲に、この大種牡馬ノーザンダンサー様の血脈は世界の大半のサラブレッドたちへと受け継がれていった訳ね。
とゆーわけで、日本にも、ノーザンダンサーの直仔、11年間リーディングサイヤーの座に君臨した、*Northern Taste(ノーザンテースト / 1971.3.15-2004.12.11)という栗毛のお馬さんがいる、てか、いた...訳ですが。
日本でノーザンテーストが種牡馬として大成功すれば、それだけ、ノーザンテーストの血を受け継ぐ馬が多くなる。で、まあ、その内、ノーザンテーストの血を持つ繁殖牝馬につける、種牡馬が少なくなってくる、とゆー。
とゆーわけで、アメリカから、ノーザンダンサーの血を一滴も持っていない、一頭の青鹿毛の牡馬がやって来たわけね。今をとどろく、これがサンデーサイレンス様が日本のサラブレッド生産界に期待を込めて迎えられた理由。
ノーザンテーストの直仔の繁殖牝馬やノーザンダンサー系の血を持つ繁殖牝馬にサンデーサイレンスをかけ合わせると、あぁーら不思議、お仔たちは走る走る.....てか、競走馬はたいてー走るよな.....つまり、つおーい産駒がたぁくさん誕生した訳ですね。すでに日本では、サンデーサイレンス系なんてのも出来つつある。
1992年に、その「ノーザンダンサー、何様よ?」な牡馬と「私だって知らないもんね、そんな人?」な牝馬、*ミルレーサーMillracer(1983)との間に産まれた、青鹿毛の牡馬の名前をフジキセキ、と言う。
サンデーサイレンスの初年度産駒で、2歳時、3戦3勝、3歳の3月、クラシックレースを目前に脚部の故障で引退を余儀無くされた、まぁ、非運の馬....ですね。2歳時の強さとラストとなった、弥生賞の勝ち方から、幻の3冠馬、と呼ぶ人もいます。が、私は、運も実力のうち、という言葉があるように、運が味方につかなかった分、フジキセキがその年のクラシックレースで、今年のディープインパクトのような活躍を見せたがどうかは怪しい、と思います。ただ、あの時、一番、強かったのがフジキセキだった、というのは紛れも無い事実です。本当に惚れ惚れするくらい、強かったです。で、自身がそうであったように、種牡馬となったフジキセキは、2歳時から活躍する産駒を出す。ただ、G1馬には恵まれて無かったんですね。
さて、11月26日は東京競馬場で、第6回ジャパンカップダートが開催されました。結果は、
1着、カネヒキリ・牡3歳、1番人気。
2着、シーキングザダイヤ・牡4歳、11番人気。
3着、スターキングマン・牡6歳、13番人気。
で、昨年の覇者、タイムパラドックス、牡7歳は、3番人気の4着。
2番人気のサカラート・牡5歳は.......7着......何やってるんだ、お前、お前、お前ぇ....今回は予想もせず、ただひたすら、緋色(スカーレット)一族の、サカラートの走りっぷりを観戦しようと思っていたのに、のにのにのに、なっさけねぇ....です。駄目坊ちゃんに惹かれる私のこれが運命かも、しれない。まあ、でもゴール前、鼻差、クビ差の激戦で、レースそのものは面白かったですけどね。
カネヒキリ、ハワイの言葉で「雷の神様」の名前、らしいです。
父・フジキセキ、母・ライフアウトゼア、母の父・デピュティミニスター。
今回のレースで、11戦7勝。内、地方交流G1、2戦2勝。
3歳馬の勝ちも、1番人気での勝ちも、第2回(2001年)のクロフネ以来。
で、外国産馬のクロフネ君は、1992年産まれの栗毛の父・*フレンチデピュティ(French Deputy )、その父・デピュティミニスターなんですね。
で、フジキセキ産駒の初G1勝ち、ダートってのはちょっと珍しいかな、と思って調べてみたら、カネヒキリのお母さん、ライフアウトゼアには、Silver Deputy(シルヴァーデピュティー /1985)という全兄(つまり、父と母が同じ)がいて、2歳時、2戦2勝で種牡馬入り、自身も全てダート勝ちだけど、産駒もダート勝ちが多い、ところを見ると、案外、カネヒキリのダート属性は母系の血なのかなぁ、と思う。デピュティミニスターはダートでも芝でも走る馬を出しているので。
てな訳で、フジキセキ、自分の血より、牝系の血を強く出すタイプなのか、と思ってみたり。これからの産駒の活躍にも、さらに注目です。

2001年のロストコード

2005年11月20日 | 競馬・G1レース結果
2001年2月のとある土曜日、ヴァージニア州のレガシー・ファーム(Legacy Farm)にて、1頭の種牡馬が、その年最初の種付けを目前に、突然の心臓発作でこの世に別れを告げた。享年17歳。前年の11月にケンタッキー州から、種牡馬として期待を集めて移動した直後。種付け予定の繁殖牝馬は40頭。彼女たちは、イリノイ、ルイジアナ、ニュージャージー、カナダ、そしてケンタッキー州から集まって来る予定だった。
Lost Code(ロストコード)1984年、フロリダ産、黒鹿毛。
父・Codex、母・Loss Or Gain、母の父・Ack Ack。
27戦15勝、2着5回、3着2回。G1、2勝(1987/ Arlington Classic、1988/ Oaklawn Handicap)
1989年、ケンタッキー州(Dearborn/Vinery Stallions )で繁殖入り。競走馬としても、種牡馬としても成績を残した馬。
1971年、母の父・Ack Ack(アックアック)は、"American Champion Sprinter" に選ばれている。
30年後の2001年には、ロストコードの初年度産駒、Lost the Code(1990年)を母に持つ、Squirtle Squirt(1998年)が、"American Champion Sprinter" に選ばれ、この、*スクワートルスクワート(Squirtle Squirt)は、2003年から日本で種牡馬として供用されている。
そして、ロストコードの2年目の産駒にあたる、トリッキーコード(Tricky Code / 1991年)は、父の亡くなった2001年4月に、北海道、追分ファームで、サンデーサイレンスを父に持つ、青鹿毛の牡馬を産んだ。
その馬の名を、ハットトリックという。
ハットトリック(Hat Trick)、元々はクリケット(乱暴に言うと、イギリスの野球によく似た、スポーツ、ルールはよく分らない...)で使われた用語、らしいです。連続して3人の打者(とゆーのか?)をアウトにしたボーラー(投手?)に帽子が贈られその栄誉が讃えられたことから....野球で言うと、3者3三振? そんなに連続してアウトを取るのが難しいのか、クリケット...いえ、ルールはよく知らないんですけど。で、昨今よく知られてるのは、サッカーやホッケーで、1試合に1人の選手が3得点すること、をそう呼ぶ。
11月20日、京都競馬場では、第22回マイルチャンピオンシップが開催されました。
1着、3枠、3番人気、ハットトリック、牡4歳。父・サンデーサイレンス
2着、4番人気、ダイワメジャー、牡4歳。父・サンデーサイレンス
3着、2番人気、ラインクラフト、牝3歳。
と、ゆー結果になりました。圧倒的1番人気のデュランダルは、どうしたわけか8着に。
ハットトリック、名前が名前だけに、3がつきもの。今年に入って、初重賞勝ち。京都金杯(G3)、東京新聞杯(G3)と、G3を2勝して、3勝目が初G1。3度目の同一G1、3連覇の夢を破って、初G1...。アメリカでG2勝ちの母に逆らったのか、G2勝ち抜きで、G1勝っちゃった....孝行息子、なのか...?
「3」に因む、と言えば、も一つおまけ。過去21回のマイルCSで、「1、2番人気が揃って連対を外した」のは2回だけ。で、今回が、3回目です。
さて、4歳牡馬の1、2着で決着した、今回のマイルCSですが、終わってみれば、"おやじのまつりBy.サンデーサイレンス" ...。3着のラインクラフトの母の父は、サンデーサイレンス。4着のダンスインザムードの父もサンデーサイレンス....。
で、今回のレースの感想...思いっきり私情を挟んでます。何で、そこまで頑張って、最後の最後で負けるか、ダイワメジャー。今回はノド鳴り克服後のレースで、ゴール前勝ったか? と思ったその瞬間.....だから、君の呼び名はいつまでたっても、"駄目ジャー"....なのさ....(ため息)
ハットトリックの母・トリッキーコードの父・ロストコード。母の名は、"Loss Or Gain" で、その母は、"Gain Or Loss" .....母娘揃って、なんてギャンブラーな名前なんだ...。
孫のハットトリックが初のG1制覇をしたその日、2005年11月20日現在、北米の "Leading Brood Mare Sires" 74位にLost Code の名前があります。母の父として、頑張ってるんですね。とゆーわけで、祖父さんの亡くなったその年に生まれた、ハットトリック、これからも頑張れ~

2004年11月14日の落とし物

2005年11月13日 | 競馬・G1レース結果
『探し物が1つあります。
....多分、...1つだと、思います。
どこで落としたのか、心当たりがあまりにも? 多過ぎて。
私にも、何なのか、良くわからないのです。
できれば、それを、取り戻したいと、思っています。
ばぁ~い、
乙女の時は過ぎたけど、気分は乙女な "スイープトウショウ"はぁーと。』
「えーっと、今度のレースは、エリザベス女王杯ね。そーいえば、このレースに良い思い出って無いわ、私。
何々、今年の注目は、エアメサイアって言うの、知らないわね、こんな娘。
んー、エアメサイア・3歳、牝、...これは当然ね。牝馬オンリーのレースですもの。
春のクラシックはさっぱりだったのね。
桜花賞4着、....そー言えば、私は5着だったわ、イヤっ、思い出したくないこと思い出しちゃった。オークスは2着....イヤだわ、何かデジャヴるわ。で、秋の秋華賞で念願のG1制覇、と....あらっ、私と同じよねぇ...デジャヴるわ。
それで、何?
3歳牝馬で、牝馬統一女王の座につこうって言うの?
違うわ、統一女王として、支持率一番なわけね、今。
私だって、私だって、去年の今頃は、そー言われたものよ。レース当日だって、1番人気だったのよ。でもっ、1年先輩のアドマイヤグルーヴさんや、オースミハルカさんの、4歳馬1、2着で決着がついて、私の出番はなかったわ。言いたく無いけど、...5着だった...。
意地で掲示板だけは死守したけど、でも、私にとっては、掲示板死守なんて、どうってことないの。だって、今まで、掲示板(1着から5着まで表示される)だけは外したことがないんだもの、って安心してたら、この秋の緒戦、天皇賞の前哨戦の、毎日王冠(G2)で、初めて6着の屈辱を味わったのよ。イヤな思い出なの。
だのに、まだ完全にショックから立ち直っていないのに、レース場につれてこられて、一目で分かったわ、あの屈辱の競馬場じゃないのよっ。
何考えてるのよ、うちのスタッフ。おバカ? 乙女の心の傷をえぐるよーな真似して、そんなに楽しい?それとも、これはイヂめ? ....笑わせるわ、こんなことで、私をイジメられると思って? 知らないと思ってるんでしょうけど、私には最終兵器があるのよ。そうよ、馬場に入らなければ、レース放棄になるのよ。
今までのゲート入り拒否りは今イチ効果がなかった。どころか、ゲートの稽古ばかりで飽きちゃったわ、去年の春のことよ。
だから、断固馬場入りは、拒否るわ、ええ、断固として。
上の重いのは降りたわ、でも、彼、本当は悪い人じゃないのよね、ちょっと罪悪感感じるかも。でも、今日は駄目、頑張るのよ、スイープ。あぁ、なななんで、馬場に入れるのよ、で、何で私、ちゃんとゲートに入ってるの?......気がついたら、レースが終わってるぅ、ちゃんとムチに反応する、我身が情けないわ。だって、一度走り出したら、負けたくないって思うんだもの。
.....終わってみれば、5着、勝てばとても名誉なレース(天皇賞・秋)だったみたいだけど、関係ないわ。とにかく、もう当分、ここへは連れてこないでよね!」
「11月13日、今日の天気は、晴れ。
回りは女の子(牝馬)ばかり。私の回りの野郎といえば、スタッフくらいのものね。ま、前走は思いっきり、反抗出来て、ちょっと気分爽快だったから、今日は大人しくしてよっかなぁ?
あらっ、私、アドマイヤグルーヴさんの4番人気、オースミハルカさんの5番人気を差し置いて、2番人気なの?
.....で、1番人気.....えーっと、エアメサイア、3歳、父・サンデーサイレンス、母・エアデジャヴー。.....許せないわ、3歳馬のくせに、秋華賞勝っただけのくせに、世の中には順番ってものがあるのよ。いいえ、待って、落ち着くのよ。私だって去年は、古馬牝馬の壁に立ち向って勝ってやるって、そう思ってたわ。
エアメサイアちゃんて、何かと私とデジャヴる、って思っていたら、お母さんの名前が、エアデジャヴーだったのね。....そうよね、人間のことわざに、毒を食らわば皿までも、ってあるけど、この際、最後まで、私とデジャヴって貰いましょう...」

かくして、11月13日のエリザベス女王杯は、スイープトウショウによる、エアメサイア、昨年の私と同じ道を歩む、計画が発動されることになった....?
か、どうかはわからないが、取りあえず、
1着・スイープトウショウ、父・エンドスィープ
2着・オースミハルカ、父・フサイチコンコルド
3着・アドマイヤグルーヴ、父・サンデーサイレンス
4着・ヤマニンシュクル、父・トウカイテイオー
5着・エアメサイア、父・サンデーサイレンス
あいかわらずの、サンデーサイレンス産駒、強しですが、牝馬のレースでは他の種牡馬の名前もあって、結構バラエティーに富んでていいかなぁ、と。
エリザベス女王杯は、スイープトウショウが、1年前の落とし物を取り戻したレースになると同時に、エアメサイアが、昨年の3歳牝馬の成績をそのまま? 踏襲する結果に。はたして、来年、エアメサイアは落とし物を取り返せるのか? 
"点" の競馬が、こうして "線" になってゆくんですね。
今回、用意してたネタが、あまりにも堅苦しかったので、ちょっと? 趣向を変えてみました....。来週からは、また真面目にやります....多分。

紀元2665年の栄誉、18分の1。

2005年10月30日 | 競馬・G1レース結果
当り前のことですが、競馬のレースというものは、1頭だけでは成立しません。
ですが、レースに勝つのはただ1頭(普通はね)と決まっています。
で、私は普段あまり、とゆーか殆ど騎手の話をしませんが、騎手が1人だけでも、やっぱりレースは出来ないんですよね。かくして、勝つ馬は1頭、勝利騎手も1人、あとは居ないと困るから、取りあえず居る、その他大勢、枯れ木も山の賑わい、とゆー状態になってくる。
昨日、自分で「明日の天皇賞は枯れ木に花が咲く~」と書いておいて、「恩返しの犬の名前はシロ(白)で、牝だ...」とわざわざキーワードを書き込んでおいて、何故買わなかったんだ、"ヘヴンリーロマンス" ....。その、理由はただ一つ、騎手がねぇ、ここ最近パッとしてないんだよねぇ、馬は結構面白そうだと思うんだけど、でした。
第132回天皇賞・秋は、1905年の「エンペラーズカップ」から、ちょうど100周年の記念レースで、天皇・皇后両陛下が御覧になられる、とゆー、JRA的にはとっても名誉なイベントでございました。で、思いも寄らぬ、人気薄の馬が勝つとゆー穴党には満足のいくレース(当ればね.....)となりました。
1着・1枠1番、ヘヴンリーロマンス(14番人気)、父・サンデーサイレンス。
2着・7ゼンノロブロイ(1番人気)、父・サンデーサイレンス。
3着・ダンスインザムード(13番人気)、父・サンデーサイレンス。
4着・アサクサデンエン、父・シングスピール。
5着・スイープトウショウ、父・エンドスィープ。
18頭中、牝馬が4頭でうち、3頭が掲示板に載るとゆー結果になりましたが、残りの1頭、アドマイヤグルーヴ、17着、どーしたんだ?
終わってみれば、1着から3着まで、父の名はサンデーサイレンス。
そして、ゴール前、ヘヴンリーロマンスが颯爽と突っ込んでこなければ、昨年と同じ、ゼンノロブロイとダンズインザムードの同一調教師さんで、1、2着連覇とゆー、それはそれで、結構面白かったかも、な結果になっていた、かも、しれないんですよね。
平成9年(1997)のエアグルーヴ以来8年ぶりの牝馬の天皇賞制覇です。その前が、昭和55年(1980)のプリティキャストまで遡ることになるので、結構希少な勝利だと思うので、思わず、テレビの前で拍手してしまいました。
勝利騎手の松永騎手は、これで、6回のG1制覇、で、実は、全部、牝馬、だったりする。G1挑戦、170回で、天皇賞は、春が9回、秋が9回の、計18回目での勝利です。騎手としての初騎乗が昭和61年(1986)。G1初騎乗は昭和62年(1987)の桜花賞で、その時の勝ち馬はマックスビューティーで、松永騎手の成績は10着。
初のG1勝ちは、平成3年(1991)の優駿牝馬・オークス、イソノルーブル。
平成8年(1996)・秋華賞、ファビラスラフィン。
平成9年(1997)・桜花賞、キョウエイマーチ。
平成12年(2000)・桜花賞、チアズグレイス。
同年・エリザベス女王杯、ファレノプシス。
うーん、今回....実に5年ぶりだったんですね。
で、G1レース、2着は平成元年(1989)・宝塚記念、フレッシュボイス・牡。以下、ユウキビバーチェ、ファビラスラフイン、ブレーブテンダー・牡、キョウエイマーチ(2回)、ロンドンブリッジ、チアズグレイスの計8回で、牡は2頭のみ。ついで? に、G1、3着も調べてみた...。平成5年(1993)・皐月賞、シクレノンシェリフ。以下、キョウエイキーマン、メジロブライト(2回)、エモシオン、エアエミネム、メガスターダムの計7回で、全部、牡とゆー結果になりました。
これまでの、牝馬限定戦での、G1勝ちから、牡馬牝馬レースでの、牡馬を押し退けての初のG1勝ち。イソノルーブルからファビラスラフィンまで5年。そして、ファレノプシスからヘヴンリーロマンスまで5年。これまでの鎖を断ち切って、運命の車輪を動かした、この1戦の後の、松永騎手のG1レースでの勝ちの行方が少し気になる。でも、やっぱり、牝馬で勝って欲しいとか、思ってみたりもするのよね。