私が八歳になるまで両親はスナックを経営し、母はその店のママをしていた。
当時バブル全盛期、地元のスナックの中で、いち早く導入したカラオケ機は客を呼び、儲かって笑いが止まらなかったという。
(その頃のお金が残っていたらもっと楽な生活ができたのに。笑)
私はネオン街に立っている客寄せのオッサンに頭を撫でてもらった。店でバイトしているホステスのお姉ちゃんたちにもかわいがってもらった。
準備中、母が仕込みをしている間、カラオケでピンクレディーを歌った。(今の歌唱力はその時につちかわれたもの。笑)
夜は一人でお留守番。さみしかった。(だから、一人のさみしさには慣れている)
深夜、母はベロベロに酔って帰ってきた。客の酒を飲むのも売り上げのためだといい、体を張っていた。母の布団は酒と化粧の匂いで薄汚れて、くさかった。そのまま倒れ込むように昼間まで寝ていた。
父は時々マスターとして店に入ったが、幼心には父が働いている記憶はほとんどないに等しい。思い出すのは雀荘や競輪場に連れられていったこと。
タバコの匂いにまみれた部屋の中で、男たちが机を囲んでいた。あのジャラジャラと耳につく音が忘れられない。
まさに父は『髪結いの亭主』だった。働きもせず、ぶらぶらしていた。
金がなくなると家に帰ってきて、母に金をせびっていたところを何度か目撃したことがある。
父の暴力は恐怖だった。私はひっぱたかれて体が飛び、タンスにぶつかって鼻血が出た。
母は頭をなぐられて流血。あまりの血の多さに慌てた父は救急車を呼んだ。
病院に運ばれた先で「旦那さんを訴えますか?」と医者に聞かれて母は首を振ったという。
父が死んでから年月が経ち、私は小学校のクラスメイトにこういったことがある。
「父が死んでくれて良かった」
誰もが大なり小なり心の傷はある。その傷があるからこそ今があるのだ。
暴力の恐さよりも、恐れていたものがある。
子供の心に抱えていた不安は、親が離れ離れになることだった。つまり離婚。
父がもし生きていたら間違いなく離婚していただろう。離婚する前に死んだだけだ。
いずれにせよ、父とは離れる運命にあったんだと思う。
子供は親の姿をちゃんと見ている。夫婦喧嘩の様子を不安げに隅から見ていた。
喧嘩のあと、母は私の耳もとで呪文のように父の悪口をいった。
小さな私に何をいっても理解できないと思ったのだろうか。それともただの愚痴のつもりだったのか。
だけど、子供はちゃんと分かっている。自分の親は仲が悪いことを。
「母さんはね、父さんと別れたいの」
「母さんはね、父さんのことが大嫌いなの」
「男はオオカミだよ。絶対に信用してはいけない」
「母さんは父さんと別れたいの。でも、お前のために我慢するよ」
暴力を振るう父。そして、我慢し続ける母。それでも離れて欲しくないこの気持ち。
私はどうしたらいいかと考えたあげく、学校の作文に全てを書いた。
『父と母はいつもケンカしています。二人を止めたいけど私にはできません』
日頃の思いを作文に連ねた。
その日、家に電話がかかってきた。学校の先生からだった。私が書いた作文の内容を心配してかけてきてくれたのだ。
それが原因で夫婦喧嘩はよりいっそう激しさを増した。作文のことでいい争っていた。
私のせいだ。
反省して、ただ辛くて、布団の中で泣いていた。
今の私には借金はない。車はローンを組まずして一括で買った。
極力、金の貸し借りはしない。どうしても困っている友達に貸したがきちんと返してくれた(当たり前か。笑)
私の周りには金銭でルーズな人はいない。いたらマジで怒るよ。
人間どこで信頼を計るかはそこだと思うから。
こんなケチな私に、かつて1000万の借金が肩にのっていた、なんていったら信じられるだろうか。
好景気時、道楽浸りで父が残していったツケである。
借金で首が回らなくなった父は荒れに荒れまくっていた。酒に溺れていく悪循環はもう誰にも止められなかった。
父は窒息死だった。酒を飲み過ぎて吐瀉物が喉に詰まって死んだ。
皮肉なことに、それで借金を一部返済することができた。(神様の思し召しか?)
父が死ぬ少し前、母の友人が保険会社に就職し、義理で父にも保険をかけていたのだ。
父が死んだと聞いたとき、一瞬、母が殺したのではないかと子供心に疑った。今思えば、とても悲しいことだ。
葬儀が終わって間もないのに、取り立て屋がひっきりなしに来ていた。そこで私の目に映ったのは他でもない母の気丈な対応だった。
母は強かった。
私は人に甘えない。特に男。本当は甘えたかったけどうまくできなかった。
信じることができなかった。裏切られるのが怖かった。父へのトラウマがあったからだろう。
心のどこかで男をバカにしていた。男がいなくても生きていく自信があった。ひねくれた考えを持っていた。
母の血を受け継いで私は強い。
でも、女はあまり強くない方がいい。弱い女の方が幸せになれると思う。
強くてしっかりしすぎた女は男をダメにする。私の母が典型的な例ではないだろうか。
母はもっと父を頼り、もっと甘えるべきだった。頼りない父でも、頼られたらなんとか頑張れたかもしれない。
けれど母の中で父は、すでに諦めた存在にあったのだ。
葬式で父側の親戚に「お前が殺したんだ!」と責められた母。それは一理あると思う。
男だけが悪いのではなく、管理できなかった女も悪いのだ。
大人になった私は母に聞いた。「何で、あんなろくでもない父と一緒になったの?」
それがずっと疑問だった。
母は答えた。「父さんはね、十のうち二がすばらしく良かったの。その二の良さで、残りの悪い八の部分が不思議と消えてしまったんだよ」
男女間には当人同士しか知り得ないことがある。
私も恋愛をして少し、母の気持ちが分かりかけてきた。
当時バブル全盛期、地元のスナックの中で、いち早く導入したカラオケ機は客を呼び、儲かって笑いが止まらなかったという。
(その頃のお金が残っていたらもっと楽な生活ができたのに。笑)
私はネオン街に立っている客寄せのオッサンに頭を撫でてもらった。店でバイトしているホステスのお姉ちゃんたちにもかわいがってもらった。
準備中、母が仕込みをしている間、カラオケでピンクレディーを歌った。(今の歌唱力はその時につちかわれたもの。笑)
夜は一人でお留守番。さみしかった。(だから、一人のさみしさには慣れている)
深夜、母はベロベロに酔って帰ってきた。客の酒を飲むのも売り上げのためだといい、体を張っていた。母の布団は酒と化粧の匂いで薄汚れて、くさかった。そのまま倒れ込むように昼間まで寝ていた。
父は時々マスターとして店に入ったが、幼心には父が働いている記憶はほとんどないに等しい。思い出すのは雀荘や競輪場に連れられていったこと。
タバコの匂いにまみれた部屋の中で、男たちが机を囲んでいた。あのジャラジャラと耳につく音が忘れられない。
まさに父は『髪結いの亭主』だった。働きもせず、ぶらぶらしていた。
金がなくなると家に帰ってきて、母に金をせびっていたところを何度か目撃したことがある。
父の暴力は恐怖だった。私はひっぱたかれて体が飛び、タンスにぶつかって鼻血が出た。
母は頭をなぐられて流血。あまりの血の多さに慌てた父は救急車を呼んだ。
病院に運ばれた先で「旦那さんを訴えますか?」と医者に聞かれて母は首を振ったという。
父が死んでから年月が経ち、私は小学校のクラスメイトにこういったことがある。
「父が死んでくれて良かった」
誰もが大なり小なり心の傷はある。その傷があるからこそ今があるのだ。
暴力の恐さよりも、恐れていたものがある。
子供の心に抱えていた不安は、親が離れ離れになることだった。つまり離婚。
父がもし生きていたら間違いなく離婚していただろう。離婚する前に死んだだけだ。
いずれにせよ、父とは離れる運命にあったんだと思う。
子供は親の姿をちゃんと見ている。夫婦喧嘩の様子を不安げに隅から見ていた。
喧嘩のあと、母は私の耳もとで呪文のように父の悪口をいった。
小さな私に何をいっても理解できないと思ったのだろうか。それともただの愚痴のつもりだったのか。
だけど、子供はちゃんと分かっている。自分の親は仲が悪いことを。
「母さんはね、父さんと別れたいの」
「母さんはね、父さんのことが大嫌いなの」
「男はオオカミだよ。絶対に信用してはいけない」
「母さんは父さんと別れたいの。でも、お前のために我慢するよ」
暴力を振るう父。そして、我慢し続ける母。それでも離れて欲しくないこの気持ち。
私はどうしたらいいかと考えたあげく、学校の作文に全てを書いた。
『父と母はいつもケンカしています。二人を止めたいけど私にはできません』
日頃の思いを作文に連ねた。
その日、家に電話がかかってきた。学校の先生からだった。私が書いた作文の内容を心配してかけてきてくれたのだ。
それが原因で夫婦喧嘩はよりいっそう激しさを増した。作文のことでいい争っていた。
私のせいだ。
反省して、ただ辛くて、布団の中で泣いていた。
今の私には借金はない。車はローンを組まずして一括で買った。
極力、金の貸し借りはしない。どうしても困っている友達に貸したがきちんと返してくれた(当たり前か。笑)
私の周りには金銭でルーズな人はいない。いたらマジで怒るよ。
人間どこで信頼を計るかはそこだと思うから。
こんなケチな私に、かつて1000万の借金が肩にのっていた、なんていったら信じられるだろうか。
好景気時、道楽浸りで父が残していったツケである。
借金で首が回らなくなった父は荒れに荒れまくっていた。酒に溺れていく悪循環はもう誰にも止められなかった。
父は窒息死だった。酒を飲み過ぎて吐瀉物が喉に詰まって死んだ。
皮肉なことに、それで借金を一部返済することができた。(神様の思し召しか?)
父が死ぬ少し前、母の友人が保険会社に就職し、義理で父にも保険をかけていたのだ。
父が死んだと聞いたとき、一瞬、母が殺したのではないかと子供心に疑った。今思えば、とても悲しいことだ。
葬儀が終わって間もないのに、取り立て屋がひっきりなしに来ていた。そこで私の目に映ったのは他でもない母の気丈な対応だった。
母は強かった。
私は人に甘えない。特に男。本当は甘えたかったけどうまくできなかった。
信じることができなかった。裏切られるのが怖かった。父へのトラウマがあったからだろう。
心のどこかで男をバカにしていた。男がいなくても生きていく自信があった。ひねくれた考えを持っていた。
母の血を受け継いで私は強い。
でも、女はあまり強くない方がいい。弱い女の方が幸せになれると思う。
強くてしっかりしすぎた女は男をダメにする。私の母が典型的な例ではないだろうか。
母はもっと父を頼り、もっと甘えるべきだった。頼りない父でも、頼られたらなんとか頑張れたかもしれない。
けれど母の中で父は、すでに諦めた存在にあったのだ。
葬式で父側の親戚に「お前が殺したんだ!」と責められた母。それは一理あると思う。
男だけが悪いのではなく、管理できなかった女も悪いのだ。
大人になった私は母に聞いた。「何で、あんなろくでもない父と一緒になったの?」
それがずっと疑問だった。
母は答えた。「父さんはね、十のうち二がすばらしく良かったの。その二の良さで、残りの悪い八の部分が不思議と消えてしまったんだよ」
男女間には当人同士しか知り得ないことがある。
私も恋愛をして少し、母の気持ちが分かりかけてきた。