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竜宮に棲む人魚(十一)

2006-09-27 15:39:32 | 竜宮に棲む人魚
「このエロ野郎、李瑠から離れろ!」
 後方から罵声が飛ぶ。夏彦が振り向き様、男が襲いかかってきた。
 反射的によけたが、その男の標的は定まっていた。間違いなく敵意は自分に向けられていた。
「李瑠は誰にも渡さない!」
 謎の男の目は血走り、鼻息が荒く、ぞっとするほど興奮している。
 夏彦は身の危険を感じ、手近にあった椅子を武器として持ち構えた。
「誰か、広斗を止めろ!」金子が叫ぶ。
 その男の名は広斗というらしい。
 いったい何者? 恨みを買った覚えはない。
「なぜ俺を狙うんだ?」夏彦は聞いた。
「うるさい、つべこべいわずに李瑠から離れろ!」
 顎がしゃくれた細い目の男。童顔には似つかない若白髪がアンバランスだった。
 制止する男たちを次々となぎ倒し、ひたすら突進してくる。
「つかまえたぞ」
 夏彦の椅子を取りあげ、胸倉をつかんだ広斗は狂喜した。
「離せ!」
 夏彦は抵抗し、取っ組みあいになって壁に激突。二人は横転した。
 広斗は夏彦の上にまたがり、懐からナイフを取り出す。
 こいつ、いかれている。
 夏彦は恐怖を感じた。
 刃先をおろしかけたとき、「やめなさい、広斗!」
 ナイフは夏彦の喉元で止まった。
「私を困らせないで」
 李瑠の一言が彼を抑制させた。
「この男のどこがいいんだよ」広斗の声は今にも泣き出しそうに震えていた。「他の男に取られるのは我慢できない。李瑠は俺だけを愛してほしい」
「いいかげんにしなさい! 何度も説明して、納得してくれたじゃないの」
「嫌だ! 分からないよ」首を振りながら子供のように泣きわめいている。
 すきを見て、つかさず広斗を蹴り飛ばした。彼は勢いよくひっくり返り、手に持っていたナイフを落とした。
 夏彦は走って、彼から距離を置いた。
「勘違いするな。俺はその女とは何の関係もない!」
「うるさい」
 広斗はすぐに起きあがりナイフを持ち直す。「ぶっ殺してやる」またしても執拗に追いかけ、ナイフを振り回した。
「痛っ」
 刃先が夏彦の腕をかすめた。服は切り裂かれ、傷口から血が流れる。
 そのとき、いっせいに周囲の男たちが広斗に飛びかかり、押さえつけた。縄をかけ、動きを封じ込める。しばらくすると観念したのか彼は大人しくなった。
「李瑠、愛している、愛している、愛している……」
 広斗は奇声をあげて繰り返し唱えた。
 そして、縄につながれたまま、黒帯の女たちに連れていかれた。
 夏彦がその男を見たのはそれが最初で最後だった。
 
 李瑠が駆け寄り、「大丈夫?」と聞く。
「ああ、大丈夫だ」
「ひどい怪我だわ。別室で手当てしましょう」
「これくらい平気だよ」
 顔や足にも数カ所、切られたが軽傷で済んだ。腕の傷口は深くて、血が一筋たれていた。
「駄目。手当てしましょう。私のいうことをきいて」優しい口調で説き伏せる。「こちらについてきて」
「分かったよ」 
 彼女の肩を借りて、夏彦は案内の方へ足を進めた。
 細い通路を通り、ある扉の前で「ここがあなたの部屋よ」といわれた。
「俺の部屋?」
 扉が開き、中に入ると、夏彦は見回した。
 狭い部屋にはベッドしかなかった。
「ここに座って」
 とりあえず、そこに腰をおろした。
 引き裂かれた赤いアロハシャツを脱がされ、上半身は裸になった。
 李瑠はシーツの裾を破り、腕の傷口に押し当てて止血した。応急処置としても大雑把に思えた。
 李瑠は夏彦の背中をそっと撫でて、「いい身体をしているわね」と呟く。
「野球をしていたからな」
 普通の会話を返したが、彼女の行為には違和感があった。
 腕に流れついた血をぺろりとなめたからだ。
「おい、冗談はよせ!」
 夏彦は嫌悪感をあらわにして仰け反った。急激に動いた弾みで激痛が走る。
「うっ」
「こんな腕に抱かれてみたいわ」
 李瑠は少しも意に介しない態度で艶めかしく微笑んでいた。
「あの男といい君たちといい、いったいどうなっているんだ。俺は殺されそうになったんだぞ」
「安心して、もうあんな目にはあわせないから」
「なぜそんなことがいえる?」
「あの男はもう終わりよ」
「どういう意味だ!」
「規律を乱す者は用なし、ということ」
 李瑠はにこっと笑い、頬をすり寄せて甘えてきた。「あなたが気に入った。あなたの子供が産みたい」
「やめろ! それ以上、近づくな!」
「私のことが嫌い?」
「好きとか嫌いとか、そういう問題じゃない!」
「だったら、今すぐ抱いて」
「馬鹿っ! そんなことできるわけないだろう」
「あなた、初めてじゃないんでしょ? 私のこと、もっと知りたくない?」
「やらしい女だな」夏彦は顔をそむけた。「君は何者だ?」
「それを聞いて何になるの?」
「目的は何だ? 君たちがすることはさっぱり分からない。俺はいっこくも早くここから出たい。出口はどこだ!」
 李瑠は無言で微笑んだ。「さぁ、知らないわ」
「しらばっくれるな!」
「大声出さないで」
 李瑠の白い手が夏彦の頬を撫でた。
 駄目だ。この女と話していても埒が明かない。
 夏彦は腕を押さえながら立ちあがり、扉のノブに手をかけた。
「待って、いかないで」李瑠が呼び止める。
 彼は振り返り、「君たちのお遊びにはつきあえないよ。頼むから俺を巻き込まないでくれ」
 李瑠はベッドから立つと、服がするりと床に落ちた。
 全裸を目の当たりにして夏彦は背を向ける。「何をしているんだ? 早く服を着ろよ」
「こっちを向いて。私を見て。こんなにも身体があなたをほしがっているわ。ほら、私を見て」
 背後から李瑠に抱きしめられた。胸のふくらみが、じかに伝わってくる。
 李瑠は耳元で呟く。「考えを捨て、本能のまま、愛しあいましょうよ」そういって耳たぶをぺろぺろとなめた。
「やめろ!」夏彦は彼女を突き放した。「触るな。さっきから、訳の分からないことをいいやがって、頭が変になりそうだ」
 李瑠の身体が視野に入った。
 皮下脂肪のないスリムな身体。だけど胸は豊かで上を向いている。白くてつるりとした肌。
「抱いて……」
 李瑠が迫ってくる。
「くるな!」
 夏彦は後ずさる。どんどん近づいてくる。壁にぶつかる。それ以上、さがれない。
 李瑠は彼の胸元にキスをした。
「あなたの鼓動が聞こえるわ。どきどきしている。私も同じよ」
 李瑠は彼の手を取り、自分の胸に押し当てた。
 嘘だ。鼓動は感じられない。体温さえも全く……。
 夏彦は急いで手をおろす。
「かわいい」
 李瑠は夏彦のズボンに触れ、ファスナーをさげて、下半身をいじり回した。
「意地を張らないで。身体は反応しているわ」
 李瑠は背が高かった。さほど背伸びしなくても彼の唇を捕らえた。
「誘惑には乗らない! 君に何の興味もない!」夏彦は彼女の手を払いのけ、睨みつけた。「俺を、他の男と一緒にするな!」
 一瞬、李瑠は寂しげな目をした。
 だが、すぐさま自信たっぷりの表情に変わり、「あなたは私を受け入れるわ、絶対に」
 そういい残し、部屋から出ていった。
 ガチャリ。鍵をかける音。
 まさか?
 慌てて扉のノブを回したが開かない。閉じこめられた。
「おい、開けろ!」
 夏彦は扉を何度も叩き続けた。