続・シーガイア100倍!!

沖縄陸軍病院第三外科壕跡(ひめゆりの塔)

次の観光ポイントは・・・



花を買いました。


沖縄陸軍病院第三外科壕跡です。


ひめゆりの塔があります。


献花しましたが、もうこみ上げてきてしまって・・・我慢できなかったのです。



米軍の沖縄上陸を目前に控えた1945年3月23日、両校の女子生徒222人と引率教師18名の合計240名からなる学徒隊は、沖縄陸軍病院(通称・南風原陸軍病院)に看護要員として動員された(ただし、強制ではなく志願)。沖縄陸軍病院は沖縄守備軍(第32軍)の直轄で、本部、内科、外科、伝染病科に分かれており、40近くの横穴壕の土壁に2段ベッドを備え付けて患者を収容した。米軍が上陸して前線の負傷兵が増加するのに伴い、内科は第二外科に、伝染病科は第三外科に変更され、那覇近郊の一日橋、識名、知念半島近くの糸数に分室がおかれた。学徒隊は全員が分散配置された。
しかし、敗色濃厚となった6月18日に突然解散命令が出され、翌日の6月19日をはじめとする約1週間の間に多数の犠牲を出した(死亡者のうち実に80%がこの間に集中している)。最終的には教師・学徒240人のうち136人が死亡。そのうちの10人(教師の平良松四郎と9名の生徒)は荒崎海岸で集団自決している(自決の強制性については論争あり。当該項目を参照)。また隣の洞窟でも米軍の銃乱射で3名が死亡、3名が重傷を負った。


ひめゆり平和記念資料館  http://www.himeyuri.or.jp/


千羽鶴も・・・



碑の前に壕の入り口があります。


ここで現実に起こったことなんだと思うと・・・あぁ・・だめだ。


ひめゆり平和記念資料館。ここは別料金(300円)になりますが、必ず見学してくださいね。


撮影は禁止されています。



ここでは、ひめゆり学徒隊の生き残りの方のお話を直接聞くことができました。
このお話も、展示も一般人を巻き込んだ沖縄戦がいかに悲惨だったのか教えてくれますが
展示の最後に意外な事が・・・これは実際に行って見てきて下さい。
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