山口県の巨樹巡礼

長年月を生き、かつ誇り高く屹立している巨樹!。そんな巨樹に会いただただ首を垂れ巨樹を抱きしめてきます。

巨樹庵(山口県の巨樹巡礼)-Vol11( 11‐①~ )

2024-06-03 17:12:24 | 日記
今年(2020年)の正月にNHK・BSを何気なく観ていたら、”巨樹百景 神様の木に会う”という番組を放送していました。日本全国の巨樹を紹介していたのですが、この時「そういえば我が家には山口県の巨樹の本があったなぁー」とふと思い出し、本棚をゴソゴソ探してみると有りましたありました。その本の名は「やまぐち 祈りの108樹(2004年発行)」と「続 やまぐち 祈りの108樹(2006年発行)」の2冊です。2冊とも元山口県立山口博物館の学芸員をやっておられた 三宅貞敏さんの著作です。
本をパラパラとめくってみると、山口県にも 「国の天然記念物」になっている巨樹もあったり神社仏閣に存在してたりと、あんまり面倒なく見られるかもしれなくて面白そうだなと思った次第です。
というわけで、用事で何処かへ出かけたついでに県内の巨樹に会ってこようと「巨樹巡り」を始めました。2冊の本を参考にしながらの巡礼ですが樹木の専門家でも何でもない素人の私が探して歩くのですから、へんてこなブログになるかもしれません。
一応、私流に決め事を設定してます。
1.三宅先生の2冊の本に記述されている巨樹を目指します。
2.2冊の本に記述されている巨樹以外でも、これは載せた方が良いだろうという巨樹は【番外編】として記しています。
3.訪れた順に番号を記入していきます(年月日も)。また直近に巡った巨樹がいちばん上になってます。
4.場所がかなり分かりにくい所もあるので、全ての巨樹の地図を載せます。
                        2020年3月  庵主敬白

注)5月になり三宅先生の本には3冊目(続続 やまぐち 祈りの108樹(2012年発行))があることが分かり、先生本人より寄贈していただきました。深謝いたします。これ以降は3冊を参考にして巨樹巡りを楽しみたいと思います。
                        2020年5月  庵主敬白



11-⑧森様のムクノキほか(美祢市秋芳町江原)     
                    2024.5.30 
     
以前から秋芳町の日本百名水「別府弁天池」近くの県道31号の道路標識に「江原ウバーレ集落」はこちら→というのがありまして、見るたびに「ウバーレ集落」とはなんぞや?と思ったのですが、家に帰るとそんな疑問も飛んでました。今回「江原ウバーレ集落」に行くということで改めて調べたところ「石灰岩が雨水で溶けたくぼみであるドリーネ、多数の小さな独立したドリーネが1つの陥没穴として結合してできたウバーレ、さらにはウバーレが大きくなったのがポリエ」ということらしいです。秋吉台のある山口県民にはドリーネというのは馴染みがあるのですが、ウバーレというのがあるとは初めて知りました。ウバーレに数十軒の家のある集落ができているのは、とても珍しいことだそうです。しかも「江原」というのは「よわら」と読むそうで「誰も読めんじゃろ!」と突っ込みたくなります。
さて肝心の”森様”の場所ですが、これがなかなか大変でした。多分こっちだろうと行ってはみたものの、藪に道を阻まれて行けなくなり、誰かに聞いてみようと2~3軒の家を訪ねても誰も出てきては無いしで途方に暮れました。もう諦めて駐車場まで帰ろうとしたところお寺があったので、そこを訪ねて奥様にやっと少し話を聞くことができました。ただお寺なので森様の祭りには一切関わって無くて、場所は分からないとのことでした。聞く人がいなくて・・と話すと、あそこら辺りに農作業をしている人がいるはずだから・・と場所を教えてくれました。言われたとおりに行ってみると2~3人が畑作業をしています。その中のオジサンに聞いてみると「この道を300m位登って行くと石の階段があるからすぐ分かるよ。そこが森様への入り口だから」とのことでした。やれやれやっと辿り着けるかと安堵し登って行きましたが、あにはからんや行けども行けども石の階段が見当たりません。もうあるじゃろ、もうあるじゃろと登って行きましたが、さすがにいい加減登ったところで「もう、分からんわ!」と匙を投げてトボトボと引き返していたところ、女房が「ひょっとして、此処のことじゃない?」と言います。私たちは神社等の石の階段を思ってたのですが、自然石でしかも1段あるかないか解らんような物だとは想像もしてませんでした。それが写真の入り口です。「これを石の階段があるなんて言うかなぁー?」と半信半疑で中に入って行くと直ぐには何も無く、数十メートル奥にやっとそれらしき樹を見つけました。注連縄が張って有り祭壇もあります。
やれやれ永かったなぁーと安堵しました。

   
ムクノキの巨樹です。なかなかのものです。ムクノキは日本では古くからエノキと共に一里塚、道の分岐点、小祠などの日陰樹となり、神社では神の「依り代」として保護・植栽されてきました。ここにはムクノキやエノキの大きなのが何本かありますが、自然のものか植栽されたものかは不明です。
ヤナギイボタという珍しい樹もあるとのことでしたが、どこにあるのか分かりませんでした。

  
倒木してる巨樹も有りますし、棕櫚(シュロ)の樹やカゴノキ?なんかもありました。
森様というのは2か所にあるらしく、ここは上組の森様だと思います。ある民俗誌には「上組の森は蛇、下組のそれは蛙を祀るとされる。土地の言葉で蛇はヤムシ、蛙はヒキという。いずれの森もムクノキを神木とし、集落の南北両端に位置する。・・」などとカルスト地帯の極端な乏水性を背景として、水神としての要素があることが述べられています。


11-⑦早二のクロガネモチ(美祢市秋芳町青景早二)
   市指定天然記念物 指定解除     2024.5.30 
  
地区の集会場の「早二公会堂」敷地内にあるクロガネモチです。残念なことに上部が大きく折損していて、それかあらぬか市指定天然記念物の指定を解除されています。

  
「樹幹の下部(目通り付近以下)には樹瘤が目立ち異形です」とのことですが、今まで見てきたクロガネモチの巨樹には殆どといっていいほど下部に樹瘤が目立ちますので、私には見慣れた風景です。ただ三宅先生の本には内部が大分枯損していると出ていますが、現在では樹皮が枯れて大きく剥離してしまっていて、目通り3.46mあったのが少し小さくなってるものと思われます。
ただそれでも大きいですね。立派な巨樹です。上部の折損と下部の枯損で厳しい状況だなぁ―と思いますが、枝葉は元気そうなので何とか長生きして欲しいものです。

  


11-⑥山領のヤマザクラ(美祢市秋芳町青景山領)
   枯死、消失            2024.5.30   

山領地区の墓地にあるということでしたので墓地まで行って探してみたのですが、どこにもそんな巨樹は無く「おかしいなぁー」と言いながらあちこち探してみても分かりません。お墓自体はそこそこ綺麗ですが、周りは草ぼうぼうで探すに探せない状態です。
いったんあきらめて近くをウロウロして探しますがありません。時間が経ってやっと出会えた里人に聞いてみると「あぁー、あれは無くなってしもうた。ぼろぼろと枝が落ちてきてなぁー、100年も経っとるからしょうがないのー」とのことでした。
またしても間に合いませんでした。三宅先生の本の写真では、遠くからでも見える大きなヤマザクラが写っています。柳井市の琴石山で見つかったヤマザクラにつぐ大きさだったみたいです。会いたかったなぁ―、残念でなりません。

ネットでいろいろ調べてましたら、以前「山領のヤマザクラ」を何回か見に行った方の情報が出ていました。それによると、2013年・・・全く問題なし、2016年・・・分岐した幹が半分になっていた、2022年・・・消失 となっていました。(詳しくはネットを参照してください)
2014年以降に問題が発生してきたのだと思います。何とかならなかったのかなぁ―と無念の思いです。


11-⑤三島神社のカヤ(美祢市美東町赤佐山)
   市指定天然記念物(社叢)      2024.5.30        
  
絵堂から秋吉台サファリランド前を通り、2叉路を右折し県道239号を嘉万方面に向かい直ぐ左側に鳥居が見えます。鳥居があって拝殿があって、後背地はこんもりとした石灰岩の小山というとてもこじんまりとした可愛らしい神社です。三百数十年前に伊豆国(静岡県)三島から「水の神」として勧請したと伝えられています。
江戸時代の風土注進案には三嶋社・河内社・稲荷社の三社相殿と記載されてるそうです。三嶋社も河内社も水の神様ですから、秋吉台近辺は水を確保するのがいかに困難だったかが分かります。

  
カヤの巨樹は社殿の両側にあり多分植栽されたものであろうと言われています。それぞれ幹周3.55m・3.35mの立派な巨樹です。背景の樹林内にはやや小さい10数本のカヤがあるそうですが、石灰岩の岩塊のはざまに生えていますので野生種なのかもしれません。ここの周辺地域にも野生種が見られるそうです。
カヤの材は古くから建築・彫刻・碁盤材として賞用されてきました。木肌がとても美しいみたいです。カヤの樹は4年ぶりに(3-⑧洞海寺のカヤ)見ることができ嬉しかったです。

  
背景の樹林にはカヤの樹や棕櫚等が生えています。シラカシやエノキもあるようですが、割とこざっぱりとした小さな空間にあります。右側の写真には「猿田彦大神」の石碑(道案内の神・庚申信仰にも関係あり)が写ってますが、これも久しぶりに見たので嬉しかったです。 


11-④須賀神社のスダジイほか (美祢市美東町赤植畠)
                    2024.5.30
             「秋吉台サファリランド」へ行く途中の八幡池の左側道のそばに鳥居とフェンスという一見??な入り口が見えます。獣除けに設置されたであろうフェンスの入り口を手で開け鳥居をくぐり階段を登って行きます。見上げるといきなりの急登で「嘘やろー」とブツブツ言いながら登ります。

  
急登の所々に巨樹があります。ひいひい言いながらやっと石祠(1969年、昭和44年建立)がある所に辿り着きました。須賀神社は昔は荒神社と言いましたが、明治時代に須賀神社と改称したそうです。急登をひいひい言いながら登って来ないといけない所によくも造ったなぁ―と感心します。
さて肝心の三宅先生の本に出ているスダジイを探しますが、竹や雑木が繁茂していてなかなか見つかりません。

   
しばらく探し回ってやっと少し下った所にそれらしい巨樹を見つけましたが、急坂と竹や雑木に遮られて近づくことが出来ません。写真でも下部が竹や雑木で遮られて撮れなくて判然としません。ただ二人であちこちから観察して、三宅先生の写真と同じような姿形が見えたので間違いないだろうということになりました。
シイの仲間は北陸以南の暖帯域に広く分布しています。県内ではスダジイ・コジイを含めて村落地のほぼ全域に分布していますが、やや高い地域では見られないようです。スダジイの樹皮は深く裂けるがコジイは裂けない等の違いはありますが、スダジイ・コジイの中間型があり識別が難しくなっています。
その他にはモチノキ、タブノキ、ヤマモモのやや大きめの樹があるとのことですが、どれがどれだか分かりません。


11-③毘沙門堂のイロハモミジ
             (美祢市美東町綾木四の瀬)
   市指定天然記念物         2024.5.30
  
国道435号を美東から山口へ行く途中、四の瀬のバス停近くから右側に集落に下りていきます。四叉路の手前に「四の瀬のイロハモミジ」と彫られた石柱があります。ただ肝心の方向を示す矢印がどこにも見当たらず、あちこち歩いてみましたが分かりません。結局離れた距離で農作業をしていたオジサンに大声で聞いてみたら「石柱の道を真っ直ぐ山の方へ行けば良いんよ、携帯の中継局の鉄塔が目印じゃけ」とのことでした。言われた通り行き、道幅の広い所に車を置きしばらく歩いて行くと写真のような鳥居が見えてきました。

  
背の低い鳥居をくぐって毘沙門堂の方へ行くと、何やら説明版があります。ここはとにかく薄暗くて最初は良く見えなかったのですが、説明版の隣に巨樹らしきものが見えてきました。思わず「おおー、これは!」 と声が出ました。モミジの木がこんなに大きくなるのか?としばらく見とれてました。ここまでと思ってなかったので、ただただ呆然です。

  
このイロハモミジは県内最大の巨樹みたいです。 こんな所(失礼)にこんな巨樹があるのかぁーと頭の中は興奮気味です。高さはそうでもないんでしょうが、幹周4m位というのはすごいなぁー。1m位の高さで3分岐してますが、それが幅広の良い姿になってます。

 
薄暗いあまり風通しの良くない場所なので、幹には苔が吹き付けたようについてます。
毘沙門天は多聞天とも言い、夜叉を率いて仏界の北方を守護し、財宝富貴・仏法護持・戦勝の神として信仰されたとのことです。江戸時代の「風土注進案」にもこの毘沙門堂が出てくるらしいので、古くから集落の人々に信仰されてきたのでしょう。イロハモミジは江戸時代に毘沙門堂を整備した時に植えられたものだろうとのことですので、樹齢は2~300年ぐらいでしょうか。


11-②大田の往還松(クロマツ)    
        (美祢市美東町大田弁財) 2024.5.30            
    
昔は萩市へ行く時にはこの側を通っている県道28号線を利用していたので、ここのクロマツ(昔は3本あり「弁財の3本松」と呼ばれていました)を必ず目にしていました。かなりな高さのある3本のクロマツを見ると「すげぇー松の木があるなぁー」と思いながら車を運転していたものです。昔はこういう自然のものを大事にするという風潮も無かったので、ご多分にもれずマツノザイセンチュウにやられて手遅れで2本が枯死してしまいました。残る1本も上部が台風にやられて折損していますが、何とか生き永らえています。

 
昔は街道沿いにこういう大きな街道松があちこちに残っていたのでしょうが、明治以来の道路の拡幅工事で切られたりマツノザイセンチュウにやられたりで、県下で大きな街道松が残っているのはこの1本だけみたいです。

  
クロマツの樹皮は灰黒色で亀甲状に深く裂けて趣がでるために、古くから庭園や街道の並木として植栽されてきましたが、近年(1980年代~)マツノマダラカミキリが運ぶマツノザイセンチュウの影響で多くの巨樹・名樹が枯死してきました。最初は枯死する原因が分からなかったにしても、もう少し早くに人間が手を打っておけば・・と思わないでもありません。
少し前には「ナラ枯れ」が問題になりましたし、ちょっと前からは日本全国で「サクラ枯れ」が話題になっています。自然環境の悪化や昔は無かった爆発的な病害虫の発生などで、いかな巨樹でも人間がちゃんと保護・管理していなければ、あっという間に枯死してしまう時代になったんだと痛感します。


11-①綾木八幡宮のシマモクセイほか
             (美祢市美東町綾木宮の台)
   市指定天然記念物         2024.5.30
  
最初は平安時代末の1181年(養和元年)に宇佐八幡宮から勧請され、1635年(寛永12年)に再建されたとのことです。850年ぐらいの由緒ある八幡宮です。

  
手をついている手前の木は別種ですが、その向こうに3分岐したシマモクセイがあります。シマモクセイは別名「ナタオレノキ」とも呼ばれ、その材質の硬さから工具の柄などに使われています。なるほどナタオレと言われるほど固いのかぁーと感心してます。顕著な暖帯性種で県内では産地も個体数も少ないそうです。ただここの樹は、種々の特徴から九州南部に分布するオオモクセイに近似のもののようで、将来再検討されるかもしれません。

  
幹のきめ細やかさは固そうな樹だなぁ―と思わされます。葉はこんな感じ。またシマモクセイは2本あり、3分岐した樹から1m位離れて少し細いもう1本があります。

   
その他にも、ウラジロガシ・ツクバネガシ・シイ・クロガネモチなどのやや大きい樹があるとのことですが、私にはどれがどれか分かりません。




















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