山口県の巨樹巡礼

長年月を生き、かつ誇り高く屹立している巨樹!。そんな巨樹に会いただただ首を垂れ巨樹を抱きしめてきます。

巨樹庵(山口県の巨樹巡礼)-Vol10( 10‐①~⑨ )

2023-04-03 18:22:02 | 日記
今年(2020年)の正月にNHK・BSを何気なく観ていたら、”巨樹百景 神様の木に会う”という番組を放送していました。日本全国の巨樹を紹介していたのですが、この時「そういえば我が家には山口県の巨樹の本があったなぁー」とふと思い出し、本棚をゴソゴソ探してみると有りましたありました。その本の名は「やまぐち 祈りの108樹(2004年発行)」と「続 やまぐち 祈りの108樹(2006年発行)」の2冊です。2冊とも元山口県立山口博物館の学芸員をやっておられた 三宅貞敏さんの著作です。
本をパラパラとめくってみると、山口県にも 「国の天然記念物」になっている巨樹もあったり神社仏閣に存在してたりと、あんまり面倒なく見られるかもしれなくて面白そうだなと思った次第です。
というわけで、用事で何処かへ出かけたついでに県内の巨樹に会ってこようと「巨樹巡り」を始めました。2冊の本を参考にしながらの巡礼ですが樹木の専門家でも何でもない素人の私が探して歩くのですから、へんてこなブログになるかもしれません。
一応、私流に決め事を設定してます。
1.三宅先生の2冊の本に記述されている巨樹を目指します。
2.2冊の本に記述されている巨樹以外でも、これは載せた方が良いだろうという巨樹は【番外編】として記しています。
3.訪れた順に番号を記入していきます(年月日も)。また直近に巡った巨樹がいちばん上になってます。
4.場所がかなり分かりにくい所もあるので、全ての巨樹の地図を載せます。
                        2020年3月  庵主敬白

注)5月になり三宅先生の本には3冊目(続続 やまぐち 祈りの108樹(2012年発行))があることが分かり、先生本人より寄贈していただきました。深謝いたします。これ以降は3冊を参考にして巨樹巡りを楽しみたいと思います。
                        2020年5月  庵主敬白



10-⑨正現寺のイヌマほか(美祢市美東町長田郷)
   市指定天然記念物         2024.5.30
  
臨済宗万勝寺という寺が衰退し、真宗の道場として再興され1640年(寛永17年)に正現寺となりました。江戸末期ごろ好んで富士を描いた画家の菅江嶺の菩提寺だそうです。山口県の先達ではありますが私は不勉強でこの人物を全く知りません。
正面右側の大きな石灯籠(多分)が特徴的です。

  
説明版によると、ここのイヌマキは雌株とのことなので果実が生るんだろうと思います。果実は紫黒色に熟すと食用になるみたいです。県内では”さるのみ”とか”さるのきんたま”とか言われて甘みがあり子供たちによく食べられていたそうです。私はまったく記憶がありませんので私より上の世代の話だと思います。
ここのイヌマキは県内有数の高さを誇りますが、幹がいろんな雑木に絡まれていて少し苦しそうです。

  
その他にも鐘楼の傍にそこそこ大きなイチョウと、これに這い上がって2分岐しているこれもそこそこ大きなフジが有ります。

    
 


10-⑧法香院のヤブツバキ(美祢市美東町絵堂)
   市指定天然記念物         2024.5.10
  
この寺は元々1184年頃に三隅に創建されたそうですが、何回かの転地のあと現在地に移転再建されたそうです。法然寺と称していたそうですが別名法香院とも呼ばれてました。現在は残念ながら廃寺となっていますが、お墓なんかがけっこう残ってますので、それなりに整備はされています。
本堂の前にはそこそこ大きなイチョウがあります。また、ヤブツバキのそばにはユズリハの大きなのがあります。

  
イチョウの近くの墓の一角に旧美東町の天然記念物に指定されたという標識が立つヤブツバキがあります。大きさ的には県内でも有数の巨樹です。まだまだ枝葉も元気で、大きな折損もなさそうです。
ツバキは日本海側は青森県深浦まで北上してますが、能登や越中では八百比丘尼(人魚の肉を食べて八百歳まで生きたという伝説の人物)がツバキを植えたという伝承が残ってるそうです。
県内では萩市笠山がヤブツバキ群生林として整備されていて、花期には観光客が多く訪れます。

    
右奥の観音堂は長門16番霊場として1625年(寛永2年)に定められたそうですが、廃寺となった現在は少し寂れた感じで参拝客が来るとは思えませんでした。観音堂に上がる階段の両側にイロハモミジの巨樹があります。左側の方が大きいみたいですがなかなかの樹で秋の紅葉の見事さが想像できます。

 
10-⑦明林寺のハルニレ(美祢市美東町綾木九瀬原)
   市指定天然記念物(イヌマキのみ)  2024.5.10        
   
山門を入ってすぐの所にイチョウのまあまあ大きいのがあり、鐘撞堂の側には美祢市の天然記念物に指定されているイヌマキの巨樹があります。さらに奥には何とも言えず見事な巨樹が有り、三宅先生の本には記載がないのですが、樹皮や葉っぱの形状から多分トチノキではないかと思います。その堂々たる風格ある姿形にほれぼれと見とれてしまいます。

   
( 多分、トチノキ? )
さて肝心のハルニレは何処に?と、あちこち探しても見つかりません。ちょっと誰かに聞いてみようか・・ということになり、方丈(というより、一般住宅)を訪ねてみると運よく住職の息子さんと思しき方が出てこられ「あの樹は後ろの山側にあり、此処からは見えないし行けないので・・・」と、知らなければ絶対に行けないような道をわざわざ案内してくださいました。ぐるっと回って薄暗い山道を行き、やっと到着しました。

  
手前のが大きい方(1.93m)で、奥の方のやつが小さい方(1.76m)です。大きい方は根が板根状になってます。これが普通なのかな? 初めて見る樹なのでよく分かりません。枝葉は幹の中途と先端の方にあるだけで、特異な形状をしています。これも普通なのかなぁ―。
野生種は県内には少なく、近くでは秋吉台上に見られるそうです。
手前にはオニグルミの大きなのが有りましたが、台風で倒木してしまい幹が切られて直ぐ近くに並べられています。これを見ても大きかったんだなぁーと分かります。棕櫚の樹も周りに有りましたが、これも倒木してしまって少なくなってます。

   

明林寺は京都の銀閣寺が創建(1482年)されてからしばらく後の1489年創建の由緒ある古寺です。本堂裏にある日本式庭園・池が有名なお寺で、ハルニレはその後ろの借景の山裾にあります。


10-⑥大師堂のフジ(山口市下小鯖鯖地)  2024.4.18                    
 
大師原公園は鳴滝・泰雲寺の近くから山口ICへ抜ける旧道沿いにあります。階段から鳥居へ行く道ではなく、その右側の道を登って行くとすぐに荒れ果てた藤棚に行きつきます。藤棚を造っていた木が倒れていたり折れていたりしていてまるで廃墟のようです。台風か何かの強風でこうなったものと思いますが、その後の補修や修理が全く為されずに今に至ってるものと思われます。

   
堂はすでに無く、長く放置されたままの祠みたいなのが一つあるだけです。
肝心のフジですが、少しだけ葉や花をつけているのを辿ってみると現在生きているのは一番奥の蔓だけみたいです。他の蔓には葉も花もついていないので、枯死したものと思われます。この藤棚の有様では仕方ないのかもしれません。

  
奥側に少しだけフジの花が咲いています。三宅先生が写真を撮った2002年の時とは比べものにならないくらい少なくなってます。これ以上藤棚の倒壊が進むと、フジの蔓が切れて全滅してしまうかもしれません。花房最長1m以上あったと言われ昔の「小鯖村史」にも載るぐらいの見事な藤棚を一目見たかったなぁ―とタメ息が出ます。


10-⑤泰雲寺の散りツバキほか(山口市下小鯖鳴滝)
                    2024.4.18
  
花が白色・八重咲きのなかなか立派な散りツバキです。普段目にするヤブツバキと違ってチリツバキは花弁が1枚づつ離生するもので、桜の花びらの様だと言えば分かりやすいでしょうか。もともとはヤブツバキが母種でその変種の八重ツバキの栽培変種とされてるそうです。奈良や京都などの寺院に古くから栽培され、花色は白色から紅色までいろいろ変化があり、多色のものは「五色散りツバキ」と呼ばれています。これの立派なやつは近くでは山口市鋳銭司の「両足寺」が有名です(樹齢300年・樹高5m、2-⑧参照)。我が家の隣家にも1.2m位の五色散りツバキがあり、毎年3月頃に色とりどりの花を咲かせ目を楽しませてくれてます。

  
泰雲寺は1404年に葦谷というところに「闢雲寺」という名で創建され、1423年に現在地に移遷されました。 有力な戦国大名の大内教弘もよく保護し没後本寺に葬られました。この頃は防長五刹に数えられ、大本山として傘下の寺は末寺~曾孫末寺まで含めると600余寺に達していたそうです。後に小早川隆景(毛利元就の三男)と室の菩提所となり、1609年(慶長14年)小早川隆景の十三回忌を機にその戒名からとり「泰雲寺」と改めたとのことです。隆景(供養塔)と室の墓があります。

   
 大内教弘の墓                小早川隆景の供養塔 

   
古いお寺なので寺域内にはイチョウの巨樹やイヌマキなどの樹々が残っています。


10-④笠山のムクノキほか(萩市越ケ浜)  2020.2.27
    
萩市笠山(かさやま)は東洋最小の火山として有名ですが、もう一つ「ヤブツバキの群生林」がある場所としても有名です。この笠山椿群生林 がある虎ヶ崎から群生林を抜けるように歩いて行くと笠山自然遊歩道が整備されていて頂上まで歩いて行けるようになっています。ムクノキはこの道の側に鎮座しています。

    
ムクノキは古来より神社仏閣では神仏の依り代として植栽され、村境の指標として植栽されたり街道の道標として植栽されてきました。笠山は毛利藩指月城の鬼門の方角にあり藩より保護されて立入りは制限されてきましたが、明治以降は一般に払い下げられたりして牛の放牧・植林・伐採がなされ人の往来が盛んになりました。このムクノキはそういった人々の分かりにくい山道の道標として親しまれてきたようです。

    
ムクノキの巨樹はどの樹も姿形が良いですね。ここのも幹周3.8mの堂々とした姿です。
笠山にはこの他にもクロマツ(3.7m)、4分岐したホルトノキ(3.3m)、あるいは麓の明神池そばの厳島神社付近にはクロマツ(4.2m)やイスノキ(3.7m、1-⑬参照)などの巨樹が残っています。



10-③快友寺のイヌマキほか(下関市菊川町吉賀)
    市指定天然記念物        2023.11.12
  
快友寺は1605年に現在地に移転され、勝善院という名から快友寺という寺名に改められました。現在は浄土宗のお寺になっています。イヌマキなどは風除けの為にその当時植栽されたものと思われ、それからすると樹齢は400年を超えなかなかの樹齢となります。

  
本堂と鐘楼             明版一切経を収蔵している八角輪蔵

     
観音堂の側にあるイヌマキ(表側)。近くに寄るとなかなかの大きさだと実感できます。

  
快友寺には大きなもので6本のイヌマキがありますが、うち5本は本堂の裏側にあります。一番大きなものは山口県でも有数の大きさとなっています。イヌマキ群としては下関市豊北町阿川の「阿川八幡宮」のもの(5‐⑧参照)が数的には群を抜いていますが、平地にこれだけのイヌマキ群があるのは珍しいと思います。

   
イヌマキの巨樹を見ていつも思うのは、近所の家のイヌマキの生垣(あちこちにあります)をしょっちゅう見てるんですが、それがこんなにも立派な巨樹になるのかーと感慨深いものがありますね。
またこの寺には以前コウヤマキの巨樹があったみたいですが、今は若木が植えられています。県内では主に東・北部にはコウヤマキがありますが、こんな西部にあるのは初めて見ました。巨樹の元気な姿を見たかったですね。
 


10-②生木地蔵のヤブツバキ(山口市阿東徳佐下神角)
                    2023.4.24
   
山口市阿東の秀峰「十種ヶ峰」の麓、神角(こうづの)集落にあるヤブツバキです。元は樹の根元近くが二分岐していてそこに”お地蔵様”を祀っていたところ、樹がどんどん大きくなってそのお地蔵様を吞み込んでしまって現在の姿になったそうです。主幹の中にはお地蔵様がいらっしゃるんですね。それで「生木地蔵(いきぎじぞう)」と名付けられたようです。
その主幹の幹回りは2mを越えていて、ヤブツバキとしては県内でも有数の大きさです。

  
前の道は林道で、「十種ヶ峰」頂上への登山道の始まりとなっています。

  
ヤブツバキの手前には、かなり大きくて立派なシダレザクラがあり、これを観に来られる観光客もたくさんいらっしゃいます。

 
そして何といっても此処は、「十種ヶ峰のヤマシャクヤクの群生地」として有名になってきています。日本でも有数のヤマシャクヤクの群生地で、この季節になると連日大勢の登山客が押し寄せます。かくゆう私もその一人です。


10-①徳佐台のエドヒガン・イトザクラ(山口市阿東徳佐下台)
                    2023.3.28
 
ここのエドヒガン(手前)・イトザクラ(奥)は個人の住宅(旧藩時代の徳佐村御本陣三軒のひとつ河野家)にあります。そのため中に入って見ることはできませんが、外から見てもなかなかの大きさだと分かります。
エドヒガンは花期が早く俗に「彼岸桜」と言われてるそうです。またイトザクラはエドヒガンが下垂する品種で一般には「シダレザクラ」と言われてるものです。ちょうど満開の時期なので車で通りすぎるときに眺めても見応えがあります。