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秋田の社会保険労務士・組織開発コンサルタント

組織開発、ファシリテーション
エグゼクティブコーチングを行っている
組織開発コンサルタントのブログです。

アリとキリギリス8

2023年03月31日 | 
アリとキリギリス7のつづき

以前お客様から次のようは話を聞きました。
お客様は人手不足で求人の募集をかけても応募がなく
知り合いの方を通じて人材紹介会社を頼ることにしました。

人材紹介会社の人との最初の面談でその会社の社長から

「御社の仕事の魅力は何ですか?」

「御社の仕事のやりがいは何ですか?」

と聞かれ、つい頭に浮かんがのが肉体的にもキツくて事務作業もあって
神経を使ってしまう映像が思い浮かび咄嗟に答えられずにいると

「やりがいのない会社に人は紹介できない
 もう少し良い会社になったら紹介します」

と言われ、自分の会社や会社がやっている仕事って
魅力もやりがいもないのか・・・と落ち込んだそうです。

そこで私は

「社長は現場に出ることや事務作業をすることが減ったと思いますが
 社長は会社の仕事をしているときに魅力ややりがいは
 感じていなかったのですか?」

と伺ったところ「魅力もやりがいも感じていた」ということでした。

私はこの話しを聞いて、違和感のようなモヤモヤした気持ちになり
数日間この話しのことを考えていました。

そして、有名な石積職人の話しを思い出し気持ちがスッキリしました。

アリとキリギリス7

2023年03月19日 | 
アリとキリギリス6のつづき

キリギリスの発言を聞いていると
「楽しく歌って過ごす」ことは幸せと感じていますが
「仕事(働くこと)」は幸せではないと感じている
あるいはそういう価値観を持っているという印象を受けます。

アリの発言からは「仕事(働くこと)」を幸せと感じているのか
幸せではないと感じているのかはわかりません。
冬のために嫌々働いていたのかもしれません。

人が「楽をして稼ぐ」、「短い時間で高収入を上げる」などといった
言葉に魅力を感じてしまうのは、「仕事(働くこと)」を
「苦(幸せではないこと)」と捉えている人が多いからかもしれません。
あるいは、「苦(幸せではないこと)」とまでは言わなくても
別のやりたいことに比べれば楽しいことではないと。

コロナ禍において、感染者となったり濃厚接触者となって
出社できない、仕事ができないなどの状態を体験した人の中には
仕事ができることの有り難さや嬉しさなどを感じた人もいるようです。

けれども、そのような気持ちも数日経てば忘れてしまい
また仕事が「苦(幸せではないこと)」になってしまった人が
多いように感じます。

そうすると、「仕事(働くこと)」が「苦(幸せではないこと)」
にならなければ、楽しいものであればよいのではないかと考えてしまいますが
仕事は楽しいときもあれば、肉体的にも精神的にも苦しく大変なときもあります。

やりがいのある仕事であれば肉体的、精神的に苦しくても
「仕事(働くこと)」を幸せと感じることができるのではないか。
そうすると、会社はやりがいのある仕事を提供すべきという考え方が生まれてきます。

アリとキリギリス6

2023年02月25日 | 
アリとキリギリス5のつづき

「幸せな家庭はどれも似たものだが、
 不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」
「アンナ・カレーニア上 改版」(トルストイ 岩波文庫 1989)

レファレンス協同データベース
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000029946

この本を読んだことはありませんが、結構印象に残っている言葉です。

この言葉が事実なのかどうかは別にして
幸せについて簡単に思いつくのは
衣食住が満たされている
健康である
安全な環境
自分自身を受け入れてもらえる安心できる環境
家族・友達・パートナーがいる
自分の思いや考えを理解して貰える
自分のやりたいことができる
他の人に対して思いやりを持てる
毎日気持ちよく笑顔でいることができる
などなど
不幸はこの逆であり、さらに細分化できるのかもしれません。

アリとキリギリスは「仕事」というものに対して
どのような認識、価値観をもっていたのでしょうか。

「仕事」を幸せ捉えていたのでしょうか。
それとも不幸と捉えていたのでしょうか。

アリとキリギリス5

2023年02月12日 | 
アリとキリギリス4のつづき

アリの人生が不幸にもこのようになった場合
キリギリスのような生き方が大切だと思うのも仕方がないかもしれません。

今の社会の流れは、ワーク・ライフ・バランスですので
仕事もしながらプライベートもしっかり充実させるにはどうすれば良いか
という視点が大切になっています。

業務を効率化する
機械化する
ITを活用するなどの生産性向上させる
お金に働かせるという考えから投資などを行う
外注化などをして時間を確保するなど
あの手この手を使いキリギリスの生き方を実現しながら
アリのように将来に備えることも不可能ではないという考え方もあります。

ただ、キリギリスの生き方に比べて
仕事ばかりするアリは本当に不幸なのか?
冬はしっかり休んでいますが。

結局そこにあるのは価値観の違いではないのか。
その価値観がどのようにして生まれたのか。
価値観とまでは言えなくても経験に基づく思考の可能性もあります。
仕事するよりは楽な方が良いなど別に何も深く考えていない
ということもあるかもしれません。

何をもって幸福なのか不幸なのかを判断するのでしょうか。

アリとキリギリス4

2023年01月28日 | 
アリとキリギリス3のつづき

アリの生き方とキリギリスの生き方ではどちらが良い人生なのか。
「良い」とは何かという定義設定が難しいですね。
この話しは、目の前の楽しみだけを追わず
将来に備えておくことが大切だよ
というメッセージを持っています。

わたしたちはキリギリスがあとから困るという結果を知っているので
アリのような生き方が大切だと思ってしまうところがあります。
人生も同じですね。
今勉強をしておいた方が・・・
暴飲暴食すれば・・・
運動をした方が・・・
貯金をした方が・・・など。
仮に、キリギリスが何とか食料を調達し生き延びることができたとしても
やっぱり将来への備えは大切だね、という話しになります。

けれども、本当にアリのような生き方が良くて
キリギリスのような生き方は良くないのでしょうか。

もしも、私たちが結果を知らなかった場合や
キリギリスが何とか生き延びることができたという結果の場合
確かに将来への備えは必要だけれども、先のことは分からないので
「今、この時」を楽しむことも大切なのではないかと考えることもできます。

アリのように働いてばかりで心の趣くまま楽しいことを何もしないと
不慮の事故に遭ったり、体を壊したりしてしまうと
楽しみを後回しにしてこれまで働いていたのは何だったのか
と思ってしまうところもあります。

アリとキリギリス3

2023年01月17日 | 
アリとキリギリス2のつづき

ここまではキリギリスの行動に問題があるような書き方をしてきましたが
アリの行動には問題(もっとできること)はなかったのでしょうか?

アリとキリギリスがどの程度の関係なのかにもよりますが
アリが親友だった場合、アリが自分の部下や自社の社員だった場合
アリはどのような対応をすることができたのか。

「みんなが頑張ってリスクに備える行動をとっているときに
 キリギリス君だけが他の人と協調することなく
 好き勝手な行動をしていると友達、先輩社員、他の社員からも見放されるよ。
 そうするとキリギリス君も友達付き合いがしづらくなったり
 この会社に居づらくなったりすると思うんだけれど、どう思う?」

「キリギリス君が1日休むと8時間他の人よりも働いていないことになり
 20日休むと160時間他の人よりも働いていないことになるよ。
 160時間と言えば1カ月働いていないのと同じだよ。
 そうすると、キリギリス君は休んでいない人と比べて
 1カ月仕事の経験ができていないことになり
 これが10年だと約1年も仕事の経験ができていないことになっちゃうよ。
 それって、キリギリス君の仕事のキャリアを考えたときにどうなんだろう?」

などキリギリス君に将来を考える機会を与えることで
キリギリス君が何かに気づいて行動を変えられたかもしれません。

アリとキリギリス2

2022年12月18日 | 
アリとキリギリス1のつづき

働かなくてもお金がもらえるシステム(セーフティーネット)としては
年金、失業等給付、生活保護などがあり
職に就きながら働かなくてもお金がもらえるシステムとしては
年次有給休暇、労災や私傷病時等における給付などがあります。

年次有給休暇、労災や私傷病時等の給付は原則として労働者が対象であり
私のような自営業者には原則としてこのようなシステムは適用されません。
どんなに高熱が出ても、どんなに体調が悪くても
働かなければならないときがあったりします。
なので、自営業者やこういった保護を受けられない人は
緊急時に休めるよう仕組みを作っておく必要があります。
つまり、アリのように前もってリスクに備えるということですね。

キリギリスのように好き勝手に過ごしてリスクに備えなかった場合
アリがしたように自己責任として切り捨てられるのも
自営業者の立場から言えば仕方がないと考えてしまうところがあります。

もしかすると、毎年キリギリスは同じ行動をとっていて
アリとしては今年こそは食料を求められても断ってやる
という強い気持ちがあったのかもしれないと考えることもできます。

食料を分けてもらえず亡くなってしまうようなことは
現在の日本ではあまり考えられませんが、この話しを会社に置き換えた場合
キリギリスのような態度が解雇などに繋がることはあるかもしれません。

すると、食料を買うためのお金が手に入らなくなるので
キリギリスと同じように生活に困ってしまう状態は
起こりえるのではないでしょうか。

アリとキリギリス1

2022年12月03日 | 
ある夏の日、キリギリスはバイオリンを弾き、歌を歌って過ごしていました。
その一方で、アリは来たる冬のために食料を一生懸命、家に運んでいます。
「食料をわざわざ運ばなくても、たくさんあるじゃないか」
とキリギリスがアリに話しかけると、アリは
「今はたくさんあるけど、冬になると食べ物はなくなってしまうよ」
と答えました。
しかしキリギリスは
「まだ夏は始まったばかり。楽しく歌って過ごせばいいのに」
とアリをからかい、再びバイオリンを弾き始めました。
やがて秋になっても、キリギリスは遊んで暮らしています。
そして、冬がやってきました。
キリギリスは食料を探すものの、周りには何もありません。
お腹がすいて困り果てたキリギリスは
アリが食料を集めていたことを思い出し、
食料を分けてもらおうとアリの家を訪ねました。
キリギリスは、夏の間に働いていたアリをからかってしまったことを
アリにお詫びし食料を分けてもらえないかとお願いをしましたが、アリは
「夏も歌って過ごしたんだから、冬も歌って過ごせばいいんじゃない」
と言い放ち、扉を閉めて追い払ってしまいました。
キリギリスは力尽き、アリの家の扉の前で凍え死んでしまいました。

有名なお話しです。
やりたいことばかりしてやるべきことをやらなければ
大変なことになりますよという戒めでもあります。

昔の仕事観は
やりたいことではなくやらざるを得ないことやるだったかもしれませんが
今は多様な働き方やワークライフバランスが重視される時代になり
やりたい仕事をやるということが重視されるようになってきた感じがあります。

人は仕事をするために生きているのではない
という言葉をよく聞きます。

では、なぜ仕事をするのか?と聞くと
「生きていくためにお金が必要」
という。

何か矛盾していますね。

だからみんな不労所得に憧れてしまうんですね。

さるかに合戦10

2022年10月29日 | 
さるかに合戦9のつづき

そしてもう一つ、書いていて気づいたことは
復讐に加担した、栗、ハチ、牛のくそ、臼は何を意味しているのか
専門的な言葉を使うと、どのような「メタファー(隠喩)」なのか
ということです。

ハチを除き、栗も牛のくそも臼も自分で動くことはできません。
どうしてこの話はこの動くことができないものを復讐の加担者に選んだのか。

不思議です。

私は、栗とハチからは山のイメージがあり
牛のくそと臼からは田んぼや畑をイメージします。
かには海や川のイメージですね。

そして、さるは自分勝手で自由に動き回ることができる存在であり
海の幸、川の幸、山の幸を好きなように食べ
人が苦労をして作った田んぼや畑の食物を荒らす存在。

やっぱりここにはヒエラルキーに対するメッセージがあるのではないのか。
好き勝手に振る舞う領主と苦しい思いをしている農民の人たち。
この話しは領主に対する何かしらのメッセージ
あるいは風刺なのではないかなどと勝手に思ったりしています。

もしそうであるならば
やはり上に立つ人、ヒエラルキーの上に位置する人の
在り方が最も大切なのではないかと感じます。

参考図書
『「昔話法廷」/NHK Eテレ「昔話法廷」制作班編 坂口理子原作
 イマセン法律監修 伊野孝行 挿画/金の星社』
「図解 眠れなくなるほど面白い 社会心理学
 東京大学大学院 社会心理学研究室教授 亀田達也監修/日本文芸社」
「決定版まんが日本昔ばなし/講談社」

次回は、番外編として「アリとキリギリス」の話しをテーマにします。

さるかに合戦9

2022年10月13日 | 
さるかに合戦8のつづき

さるかに合戦の話しから組織の規範、ルール、ヒエラルキー、パワハラ
などにについて書いてきましたが、そろそろ締めに入っていこうと思います。

さるかに合戦8を書き終えたあとに思い出したことと
さるかに合戦を書いていて気づいたことがあります。

思い出したことは、ご存知の方もいると思いますが
NHKで放送されていた「昔話法廷」という番組です。
昔話を法廷(裁判)で争ったらどんな感じになるのかという
とても勉強になる番組です。
この番組の本バージョンで「昔話法廷/金の星社」という本があり
それにさるかに合戦が載っているかもしれないと思い見たところ載っていました。
本には私がさるかに合戦を書いていて気づいたことがストーリーに入っていました。

そのストーリーとは、復讐をされたさるには
家族はいなかったのかということです。
テレビ番組でもやっていた気がしますが
桃太郎の話しも桃太郎側に立てば、鬼退治をした英雄の話しになり
鬼の側からすれば自分たちが平和で暮らす鬼の島を襲ってきた
悪い人間という話しになります。

そして、今度は鬼の子どもが桃太郎や人間に対して復讐心を抱く。
そこにあるのは負の連鎖。
けれども、その苦しみや心の傷は誰にも分らないので
外側から見る私たちからすれば負の連鎖ですが
復讐する側からすれば負の連鎖でも何でもないのかもしれません。

私たちが考えなければならないことは
このような連鎖を発生させないように
予防するにはどうすればよいのかということ。

繰り返しになりますが
そのためには技術的課題と適応課題の両面から
アプローチしていくことが大切になってきます。

さるかに合戦8

2022年10月03日 | 
さるかに合戦7のつづき

人の在り方・考え方や組織の風土(適応課題)と
組織の規範、ルール(技術的課題)のうち、組織の規範、ルールは
加害者及び被害者の双方に適用されるものを作っていく必要があり
これは現在の社会一般で適用されているものを考えれば
ある程度は容易に想像できるのではないでしょうか。

けれども、組織の規範、ルール設定だけでは物事は解決せず
同じような出来事が繰り返されてしまうという現実もあります。

そうすると、人の在り方・考え方や組織の風土(適応課題)への対応が
必要となるわけですが、どのようなことが考えられるでしょうか。

教育や研修の類だけで何とかなってくれればよいですが
そんなに簡単な話ではありませんので、教育や研修をしながらも
他の打ち手も色々考えていく必要があります。

では、その打ち手とは何か?

一つ考えられるのが、組織をどのような状態にしたいのか
さるかに合戦で言えば、みんなが暮らす村をどのような村にしたいのか
を明確にしながら自分自身が何を大切にしているのかなどを
みんなが共有し、尊重していく。

自分の望むものを大切にしながら
自分以外の人が大切にしているもの
そして共通している価値観を知る。

このようなことを話し合う対話の場を作っていくことも必要かもしれません。

さるかに合戦7

2022年09月19日 | 
さるかに合戦6のつづき

このようなパワハラのケースは
ヒエラルキーが原因なのかもしれません。

じゃあ、ヒエラルキーを無くせば良いのでは
と考えてしまいますが、それほど簡単な問題ではありません。
現在は、ティール組織と呼ばれるフラットな組織形態もありますが
全ての組織がそのような組織形態になれるわけでもありませんし
ティール組織が必ずしも自社に合っているとは限らないこともあります。

そう考えると、やはり経営者、上司、先輩、年長者などの
ヒエラルキーの上位にいると思われる方々の在り方や考え方、
言動などが大切になってきます。
また、組織風土や組織の規範・ルール、その組織のメンバーの
在り方、考え方、言動なども大切になってきます。

人の在り方・考え方や組織の風土(適応課題)と
組織の規範、ルール(技術的課題)は別の課題になるため
それぞれに対して別々のアプローチが必要となりますが
目指すべきところ(安心・安全な社会や生活)は同じなので
両方を意識した対応が必要となります。

さるかに合戦6

2022年09月03日 | 
さるかに合戦5のつづき

そのほか組織や集団における同調行動が集団極化に至るものとして
仕事の覚えが少し悪い
仕事が少し遅い
何度言っても同じミスを繰り返す
など少し能力不足に感じてしまう社員に対する
パワハラ(いじめ・嫌がらせ)などがあります。

集団でのパワハラは、誰かが先導してやるケースもありますが
同調から始まるケース、冗談やからかいなどから始まるケースもあります。
そして、パワハラに対する感覚が麻痺してエスカレートしてしまうこともあります。
このような状態になると、まさに集団極化ですね。

先導者がいる場合のパワハラは
してはいけない・やってはダメなことと分かっていても
先導する人が怖くて逆らえない
ここで何か言うと自分が同じことをされてしまうかもしれない
などの理由から同調してしまう人もいます。

先導者が怖いからと言って
同調しても仕方がないという話しにはなりませんが
先導者が経営者、上司、先輩、年長者、親、兄、姉などであれば
これまでのその人との関係性で
抗えない心理状態になっていることもあります。

さるかに合戦5

2022年08月24日 | 
さるかに合戦4のつづき

さるかに合戦における子がに達、栗、ハチ、牛のくそ、臼の行動が
群集心理とまでは言えないかもしれませんが
何かしらの集団力学や同調行動が働いている可能性はあります。

組織において、集団力学や同調行動が働いてしまうケースとして
会社に対して不満を持っている人たち同士で
なぜか仲良くなり、一緒になって勤務態度が悪くなったり
服務違反的な行動を行うようになったりすることがあります。

「会社のここが問題だ、だから自分たちの主張を会社は認めるべきだ」
「会社のここに不満がある、だから自分たちもこのような行動をとっていい」

自分たちの中では、自分たちの行動が正当化されている。
それが次第に集団的浅慮に陥り、エスカレートすると
集団極化が進んでより危険な行動(より問題のある行動)をするようになる。

これが国同士であれば、戦争に繋がりかねないですし
国内であれば内紛・クーデターという話しになるのかもしれません。

一度このような状態になってしまうと
元の状態(又は理想の状態)にするのが非常に困難になります。

さるかに合戦4

2022年08月12日 | 
さるかに合戦3のつづき

テレビで見る有名な子供向けアニメでも
悪いキャラクターが最後はやっつけられる。
ルールで裁くのではなく、主人公が最後にはやっつける。
水戸黄門などの時代劇も同じような感じがします。

実は、私たちは当たり前のようにルールがあるようで
ルールのない世界を自然に受け入れています。

自然に受け入れるということは
特に意識もしていない、疑問など持っていない
そして気づいていない、と考えることができるのではないか。

現在の私たちの常識とされているもので考えたときに
子がに達、栗、ハチ、牛のくそ、臼の行動は
現実世界では許されていません。
国によって違うかもしれませんが。

注意しなければならないのは
ルールが曖昧になっている、又はルールが存在しない等の状況において
自分の価値観や自分と同じ価値基準を持つ人で考えが一致したとき
自分たちの価値観を正当化して思わぬ言動をしてしまう
恐れがあるということです。
つまり、状況などによってはその考えが暴走し
危険な方向へ行ってしまうかもしれない。

いわゆる「群集心理」が働く可能性があります。