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秋田の社会保険労務士・組織開発コンサルタント

組織開発、ファシリテーション
エグゼクティブコーチングを行っている
組織開発コンサルタントのブログです。

やれないのも自分、やらないのも自分

2025年08月16日 | 日記
先週の土曜日から私はお盆休みに入っています。
休みといっても半分以上はパソコンを開けて仕事をしています。

それは仕事が溜まっているから。
それはこれからやってくる仕事に事前に着手しているから。

結局、いつも仕事に追われている。

これは私だけではなく、お客様を見ていてもそう感じます。
特に社長や役員の方、管理職の方。

このループから抜け出すのはそう簡単ではありません。

いろんなものを手放す勇気があれば本当はできなくはない。
でもまだ今は無理か。

最近のお気に入りの場所は私のカバンの中



そのままお客様のところに連れて行ってやろうか!
私が頭のおかしな人と思われるのでできませんが。

結局、やれないのも自分、やらないのも自分か・・・。

正しいと認識してしまう

2025年08月11日 | 日記
先週は、カレー4回、麻婆豆腐3回、ハンバーグ2回、五目あんかけ焼きそばを2回食べました。



同じものばかり食べるのは体に良くないと聞いたことがありますが
本当に同じものばかり食べるのは体に良くないのか?
栄養がバランスよく配合されている食べ物でもそうなのか?

どこかで聞いた話を、それを正しいもの・こととして認識してしまうことがあります。
なぜ、それを正しいものとして認識してしまうのか。
エビデンスがあるから正しいと認識してしまうこともあれば
自分の押しが言っていたから正しいと認識してしまうこともあります。
バイアスがかかっていることも。

その時の自分の心の状態や環境、文脈などが影響することもあります。
自分が経験したことで正しいと認識してしまうこともあります。

自分の中で「~のはず」「~で合っている」「~が正しい」
などの考えが出てきたときに、なぜ自分はそう思っているのかと
客観的になれれば違う考えも浮かぶかもしれません。

とはいっても、同じものばかり食べるのはやっぱり駄目な気が・・・。
こういう思考が結局従来の考えを強化してしまうのかも。

人が見ている時だけ頑張る

2025年08月06日 | 日記
最近よくやる腹見せポーズ



警戒していませんよ、リラックスしていますよなど
友好的なメッセージかと思いきや
猫と犬ではおなかを見せる意味が違うらしく
猫がおなかを見せたからといって
警戒していない、リラックスしているという意味ではないようです。
あくまでネット情報ですが。

普段私が猫の方を見るとこのポーズをすることがよくあります。
私と喧嘩をしているときにもこのポーズをします。

もしも、友好的な態度ではなく「まだまだ戦えまっせ!」
という意味だとすると、「こちらもとことんやってやる!」
という気になります。
といいながらも、次の日の朝になれば仲直りしていますが。

私の方を見ながら、腹見せポーズをする本当の意味は何なのか?


小学生の時、掃除当番の仕事を適当にやっているところに
先生が来たら頑張って掃除をするふりをするということを
していた人もいるのではないでしょうか。
特に男子はまじめに掃除をしない人が多かった気がします。

人が見ている時だけ頑張る
大人になっても人が見ていない時はやらない、あるいはやっていても適当
人が見ている時、特に上司や上役の人がいる時は頑張っているフリをする。
そういう人が評価されてしまうこともあり
なんだか納得いかないという声を聴くこともあります。

そういえば私自身も階段を上がる音が聞こえたら
勉強をしているフリをよくしていました。

けれども、自分はうまくやっているつもりでも
頑張っていないことや勉強していないことはバレていたりします。

なんのために頑張るのか、なんのためにそれをやるのか
人ではなく自分の心が見ているということを忘れないようにしたいですね。

長所を伸ばすか、短所を改善するか

2025年08月04日 | 日記
ドラゴンフルーツをいただきました。



この色と見た目。美味しそうには見えません。

ところが切ってみると意外と悪くない。



味も美味しい。

見た目では食べる気がしないのは
ドラゴンフルーツにとって長所なのか短所なのか。


人材育成の本や研修では短所を改善したりするよりも
長所を伸ばすことを勧めるほうが多いように感じます。
最近の子育てや学校教育もそうなのかもしれません。

先日お客様と話している時に
「長所を伸ばすことが大切なのはわかっている
 けれども、短所を直さないとその人の社会生活(会社生活)が大変になる」
という発言をされていました。

私は人材育成の研修やコーチングをやっているので
長所を伸ばすことを大切にしましょうとお話ししますが
本音の部分ではお客様と同じようにある程度短所は直しておかないと
周りにとってもその人にとってはつらい毎日になるのでは・・・
と思っているところがあります。

長所を伸ばすか、短所を改善するかは本来本人が考えることであって
周りがとやかく言うことではないのかもしれません。
けれども、お客様がおっしゃるように人とかかわりあいながら
社会生活や会社生活を営んでいる以上最低限守ってほしい
あるいはやらないで欲しいと思うことがあったりします。
その部分に対して甘い顔をする、許してしまうというのはどうなのかと。

私もそうだなぁと感じてはいるのですが
長所を伸ばす方が良いのか、短所を改善する方が良いのかは
文脈やそのときの状況によってそれって違うのでは?

自分自身を振り返ると
子どもに対しては短所の改善ばかりしようとしていることを考えると
短所改善重視の考えが私にはあるのかもしれません。

奇跡はよく起こる

2025年07月29日 | 日記
やっと観にいくことができました。



公開されてから2カ月経っていたせいか
TOHOシネマズでは上映が終わっていて
アルヴェでも1日1回だけしか上映されていませんでした。
この1日1回のタイミングに合わせるのが結構難しい。

達成困難な依頼を奇跡的な出来事の連続で達成していくという
ハラハラドキドキの映画です。

ある出来事に対して対処したことがうまくいくと
それが正しい対処方法だと思い込んでしまうところがあります。

先日お客様のところで
お客様のトラブル対応方法がうまくいった話をされていました。
その際、私が別の対応方法をお話ししていたのですが
あなたの言っていることは間違っているとは言わないが
自分のやったやり方がうまくいったんだから自分のやり方が正しい
という考えを握りしめていらっしゃる感じでした。

もしかすると、その方法でうまくいったのは
奇跡的にうまくいっただけかもしれない。
100回やって1回はうまくいく程度のことが
ちょうどその時だったのかもしれない
ということは考えていらっしゃらない感じでした。

次また同じことがあったらうまくいくのかどうかは誰にもわかりません。

けれども、奇跡はよく起こるもの。
よく起こるものを本当は奇跡とは言いませんが。

自分のやり方が正しいという考えが強化されていくなぁ。

距離をおきたくなる

2025年07月24日 | 日記
横手で食べたカレー





この施設とはしばらく距離を置いていたのですが
建築を手がけたのがお客様の自宅と職場を手がけた建築士事務所と同じということで
お客様から一回行ってみたらと言われていたこともあり行ってみました。
カレーを食べたかったというのもありますが。
人が誰かと、何かと距離をおく理由は様々。

部下の成果を上司が自分の手柄のように奪い去っていく
こんな話を何度か聞いたことがあります。

へぇ~、そんな漫画みたいなことあるんや
と思っていましたが、振り返ってみると私も経験したことがありました。

自分がどれだけ頑張ったか、自分の人脈、アイデア、行動を過大評価する人もいます。
周りからすればそれほどでもないと思うようなことでも
本人は「いいでしょ」「良かったでしょ」「普通出来ない」など
アピールしてくるので、周りも仕方なく「あぁ、まぁ」といった
曖昧な態度になってしまう。

それをみんなが良い評価をしたと決めつける。
何か小中高校などの時の先輩とかにいたような感じなのですが伝わるかな。

最近はあまり遭遇しないですが
こういう人とはちょっと距離をおきたくなります。

何に価値を置くのか

2025年07月15日 | 日記
SNSで知り合いの方が何人も観た感想をアップしていたので
実際に観たくなり妻と観に行きました。



映画を観終わって家に帰る車の中で
「今日の映画の感想を200字以内で言ってみて」と言われ
「伝統と才能のどちらを取るのか、他の人のエゴは認めなくても
 自分のエゴは大切にするとか・・・」と言うと
「何それ、0点やな」と言われました。

「この映画は対比(二極)を強調してた。生い立ちの違う二人の男、美しいものと汚いもの
 繋がりと孤独、表舞台と旅回り、内と外、血筋と他人、伝統と才能、栄誉と蔑み
 素肌と入れ墨、神様と悪魔とか。
 でも、それでいて善悪は扱ってなかった。悪い人は一人も出てきてなかった。
 それから・・・」

確かに。写真も対比になっていますね。
流石です。参りました。

映画の公開日も6月6日。
敢えてこの日にしたのかな。

この映画で伝えたかったことは何か?
対比を通じて人が生きていくうえで何に価値を置くのか
というのも問われていたのかもしれない。


家族旅行や夫婦での外出などの予定は妻がたてることが多く
私は大まかな予定しか聞かないことが結構あります。
そうすると、当日に「今からどこ行くの?」「これから何するの?」
と質問しながら行動をしていくことになります。
妻の予定のたて方は結構ざっくりなことが多いので
「そのスケジュール感やったら時間的に無理やって!」
「そこって何しに行くの?」
「行きたいの?」
「誰が興味あるの?」
などよくわからない予定のたて方だったりすると
私の機嫌が悪くなっていきます。

本当は家族で、夫婦で楽しい時間を過ごしたいと思っているのに
私が機嫌を悪くすることですべて台無し。
本当に大切にしたいことを見落としています。

企業において、目標を立てることはよくありますが
立てた目標を達成することに価値を置くのか
現実が変わることに価値を置くのか
自分の、会社の本来の目的が達成されることに価値を置くのか
わからなくなってしまっているなぁと感じることがあります。

人のことや人の会社のことはよく見えるのに自分のことは見えない。
でも最近は自分自身の感情に気づき、機嫌が悪くなることが減りました。
少しは成長しているということかな。

苦情ゼロは良いことか

2025年07月09日 | 日記
父の日に貰いました

綿菓子


ルームフレグランス


プレゼントをもらったときに「これかぁ~」と思うことがあります。
プレゼントを贈ってくれた人に失礼かもしれませんが。
例えば下着をもらったときに
ブリーフタイプじゃなくてトランクスが良かったとか
首元が丸首じゃなくてVネックが良かったとか
ノースリーブじゃなくてTシャツが良かったなど。

今回貰った写真のプレゼントは嬉しかったです。

県外へ行ったときに妻に買ってくるプレゼントに関しては
妻の意向は聞きませんが、誕生日などは必ず妻の意向を聞きます。
「これじゃない、あれが良かった」と苦情めいたことを言われると
お金がもったいないだけじゃなく、やっぱり嫌な気持ちになるので。
金額にもよりますが、逆に言ってくれる方が楽で良いです。


仕事においてお客様からの苦情がないのは
精神的にも時間的にもお客様との関係においても良いものだと思います。
けれども、苦情がないというのは本当に良いことかというと微妙な感じもします。
お客様との信頼関係があるから苦情を言ってくださることもあれば
信頼関係がないから苦情を言わないこともあるのではないか。
相手に対する諦めの気持ち、逆に何か嫌な態度を取られる
こちらの言っていることがおかしいというような態度を取られる(無知扱いなど)

また、苦情はこちらの気づかなかった改善点に気づかされたり
さらにお客様との関係が良くなるなどの可能性もあります。
苦情ではなくても、お客様が本音でサービスについて
語っていただけることは良い関係ができていると考えることもできます。
嫌なものは敬遠したい、なければ良いのにと思いがちですが
苦情を肯定的に捉える視点も持っていたいですね。

ただ、自分がサービスを提供される側のときは
大人の対応として黙っておく(苦情を言わない)ことも大切な気はします。

何を育みたいのか

2025年06月30日 | 日記
緑黄色社会のライブに行ってきました。



楽しみにしていたので期待が大きくなりすぎていましたが
ライブはその大きくなりすぎた期待を裏切らないほどとても良かったです。

当日は雨が降っていて開場を待つ人の行列が建物の外まで続いていました。
私も建物の外で雨に打たれながら(傘をさしていましたが靴はびしょびしょ)
行列に並んでいたところ建物の屋根で雨宿りをしていた親子連れが
行列に近づいてきたかと思うと私の後ろに何げなく入ってきました。

「お、割り込みか?」
と思っていたら、親子連れの子供が
「お父さん、他の人たちはあっちからずっと並んでるよ」
と言ったにもかかわらず、父親は子供の声を無視して
「こっちきて」
と子供を促していました。

私の後ろに元々並んでいた人も何も言わなかったので
親子連れは私の後ろに並んだまま会場に入っていきました。

子供がライブに来たかったのか
父親がライブに来たかったのかはわかりませんが
父親は子供とどのような時間を過ごしたいと思っていたのか
ライブに参加することを通して子供と何を育みたかったのか
ライブに参加することで子供の何を育みたかったのか。

子供は今回の出来事をいつか忘れてしまうかもしれません。
もしもこの出来事がずっと記憶に残っていたら子供にどんな記憶として残るのか。

私自身、自分の言動が自分の子供にどのような影響を与えているのか
深く考えていなかったなぁと思います。
もっと考えて発言したり行動したらよかったと
少し後悔の気持ちが湧いてきてしまいました。

思いを叶えるには

2025年06月26日 | 日記
先日妻と由利本荘市で開催された二胡・中胡のリサイタルへ行ってきました。



楽器が演奏できるようになりたいという思いはあっても
行動に移せていないので思いが叶っていなかったり
挫折してしまったりして結局楽器が演奏できない
という人もいるかもしれません。
私もその一人です。

思いを叶えるにはやっぱり行動が必要で
楽器を買う、触ってみる、演奏してみる、教室に通う、努力をする
などしなければ楽器を演奏できるようになれません。

思いを叶えるには、行動も大切ですが、思いの強さや目的も大切。
楽器が演奏できるようになりたい私の思いは
それほど強いものではないのかもしれません。
目的も特にありません。

自分のことではありますが
不甲斐ない感じがして何だかなぁとモヤモヤしてしまいます。

自分のドラマを生きている

2025年06月20日 | 日記
重松清さんの本は何冊か家にありますが
妻と人の人生などについて話しをしていた時に
妻から勧められたので写真の本を読んでみました。



登場人物それぞれの視点から書かれた本で
人は自分のドラマを生きているんだなぁと感じさせられました。

喫茶店で窓から歩いている人を見ているとき
道や商業施設で人とすれ違うとき
車の中から外にいる人を見たときなどに
ふと、自分はこの人たちのことは全く知らない
この人たちもこの世に私が存在していることすら知らない
もしかするともう二度と会うことがないかもしれない
あったとしても恐らく気づくことはない。

私の目の前を通り過ぎる人たちにはそれぞれの生活があり
大切な家族がいて、信頼できる友達がいて、愛し合うパートナーがいて
仕事や学校があって、日々過ごしているんだなぁと思うことが結構あります。
歳を取ったせいかな。

私自身も自分のドラマの主人公として生きている。
私以外の人も自分のドラマの主人公として生きている。

そう考えると、すべての人は尊重されるべき存在。
このことを時々思い出すことで人に対する態度が変わるのかもしれない。

自然とエゴ

2025年06月17日 | 日記
西武の地下でやっていたカレーのイベント。
有名なお店が出店していると聞き行ってきました。





会計を済ませ商品の受け取りを待っていたところ
80代ぐらいのおじいさんがやってきて
「この店のカレー美味しいの、どうせ不味いんだろ」
と何度もお店の前で同じことを言っていました。
お店の人は慣れたものでうまくかわしていましたが
このおじいさんのコミュニケーションの取り方って
結構年齢の高い男性に多い感じがします。

コミュニケーションを取っていたのではなく
本当にケチをつけていただけかもしれませんが。

話しは変わりますが
飼っている猫の避妊手術をしました。
猫の立場からすればどういう気持ちなんだろうか。
発情期にとても苦しそうにしているのを見ていると
早く避妊手術をしてあげないとという気持ちになり
逆に動物の本来の自然の活動(子供を産むなど)を終わらせる
ようなことを人の気持ちと都合でやってしまっていいのか
望んでもいない手術を受けさせてもいいのかという罪悪感があります。

猫は目の前の現実をただ受け止めることしかできない。
それ以上でも以下でもない。

でも、目の前の現実、人間は与えられた環境などに常に文句を言っている。
私も気づけば文句を言っていることが多々あります。
私もカレー屋さんにやってきたおじいさんと大して変わらないのかもしれません。

余計なことを心配しなくてもいい

2025年06月09日 | 日記
劇団四季の赤毛のアンを観に行きました。



実は赤毛のアンの本を読んだこともなく
どのような話なのか全く知らなかったので
特に興味がなかったのですが
ミュージカルの内容はとても良かったです。

今回はワークパルでチケットを予約せずに個人で取ったからか
ネットの予約画面で席を見ると1階席はかなり後方しか席がなく
仕方なく2階席の比較的前方を取りました。

気になったのは、ネットの予約画面で席を探していた時に
埋まっていた席が会場へ行くと空いていたことです。
席が一列すべて空いているところもありました。
これは一体どういうことなのだろう。

以前ホテルを電話で予約する際
ホテルの人にホテルのサイトでは埋まっているかもしれないが
予約サイト(じゃらんや一休.comなど)では空いているかもしれません
と言われたことがありました。

今回席が一列すべて空いていたり、2階席の良い席が空いていたのは
キャンセルや団体客が来なかったなどがあるのかもしれませんが
それぞれのチケットを販売するサイトが押さえている席などの
関係などがあったのかなど素人考えが浮かんできました。

チケットを購入する窓口が沢山あることはメリットもあればデメリットもあり
デメリットを理解したうえで主催者はチケットを販売しているので仕方がないのか。
でも購入する側は情報を自ら取りに行かなければチケットが手に入らない。

どうしても欲しいのであれば意地でも情報を取りに行って
何としてでもチケットを取ろうとするからそれはそれで良いのか。

私が心配することは何もない。
赤毛のアンは自分の子供だったら心配してしまうような人でしたが。

ポイ活と損得

2025年06月01日 | 日記




先週はお昼に3回カレーを食べました。
どんだけカレーが好きなのか。

初めて入った店などでメニューにカレーがあるのに注文をしないと
後悔をしてしまいそうでカレーを注文してしまいます。
けれども、期待していたほどの味ではないと
ハンバーグにすればよかったなど損をした気分になります。

ちなみに先週食べたカレーと写真のカレーは全く関係がありません。
写真のカレーはどちらもおいしかったです。


数年前、携帯電話の交換でショップに行った際
アンケートを求められ、趣味の欄に「ポイ活」と書いてあって
ポイ活って何だろうと思っていました。

今となってはポイ活は当たり前のように誰もがやっています。
私も携帯電話で見る漫画のいくつかは、ポイ活で無料で見ています。

コンビニなどでは最近ポイントカードを出すことが減りました。
面倒というのと、後ろの人を待たせたり、店員さんを待たせたりするのが
嫌というのが大きな理由としてあります。
また、頑張ってポイントを集めても
それほど得することもないというのもあります。
楽天スーパーセールなどは凄いという話を聞きますが
私は楽天をほぼ使わないのであまり関係がありません。

と言いながらも、「ポイントカードはお持ちですか?」と聞かれ
ポイントカードを持っているのに「ありません」と言って
レジの金額を見ると、「本当は〇ポイント貰えるのか・・・」
と思ってしまい、なんだか損をした気持ちも起こってきます。

それならポイントカードを出せばいいのに・・・
こんなことでときどき気持ちが揺れるのも少しストレス。
ポイントカードを出してもストレス、出さなくてもストレス。
どうすればいいんだ。

自分の中にある損得の感情を手放せればストレスがなくなる。
それが簡単ではないので困ってしまいます。

いつから素直さを忘れてしまったんだろう

2025年05月28日 | 日記
先月エリッククラプトンのライブへ行ってきました。







歌ってくれると期待していた曲が歌われなかったことも残念ですが
ビリージョエルのライブと比較すると物足りなさを感じてしまい
かなり消化不良です。

次に行くライブは秋田で開催されるものなので移動は楽ちん。
ライブ自体も楽しめるのではないかと期待しています。


朝の出勤時間、信号待ちをしていると黄色い帽子をかぶった
新一年生が手を挙げて横断歩道を渡っていました。
その姿が微笑ましく思いニヤニヤしてしまったわけですが
「自分はいつから横断歩道を渡るときに手を挙げるのをやめたのか?」
とふと考えました。

そんなことしても意味がない
面倒
はずかしい
どうしてそんなことしないといけないのか
など理由は色々あります。

誰かに何かを頼まれたとき
子ども時代は素直に行動に移せていたのに
大人になった今は「なぜ」「どうして」「何でオレ?」など
疑問や嫌な気持ちなどが湧いてきます。

ライブも自分の期待した曲が歌われないからと不満を持ち
その時間を素直に楽しかったものとして受け止めることをしない。

子ども時代はどうしてそれをやるのか疑問に思っても
それが嫌だという気持ちからではなく
これをやったらどうなるんだろうなど
素朴な疑問の気持ちだったことが多かったのではないか。
そしてやったこと自体を楽しめたり
貢献できたことに充実感を感じたりしていたのではないか。

大人になれば素直な気持ちだけで世の中は渡っていけないから
仕方がないというのもあるかもしれません。

常にどちらかのモード(素直モード、疑問・批判モード)
でいるのではなく、どちらのモードも行ったり来たりしながら
気分よく生きていけると良いのもしれないなぁ。