大誠舘 宮崎師範Blog🔥

日々の稽古、諸活動を通じ独り言を綴っていきます。押忍

A distant karate story ⑤

2020-02-09 03:56:25 | 日記
前回のつづきとなりますが、私は、第4回北海道大会を前にして、なんと
左腕の骨折という危機的状況に陥ったのでした

普通ならここで諦めなければならないのですが…
当時の私はある決断をしたのです。

空手バカなのか本当のバカだったのか…それは
  ギブスをはめたまま出場する
ということでした

この大会には、前のブログにも書きましたが、有名主流派出身でその流派の北海道大会で準優勝の経験のある強豪が出場予定であり、当時正道会館北海道支部の看板を背負っていた私にとっては、出場しないわけにはいかなったのです。

最初は、諦めていたのですが、有名主流派の北海道大会で腕にギブスを付けて奮戦している選手がいたことを思い出し
   これだ   
と思い、行動に移すことにしたのでした。
今の時代なら絶対にありえないですよね 

北海道支部長も私の思いに賛同してくれて、ちょうど大会前に審査会も重なり、大阪から来道された石井館長から片腕で戦う方法を伝授していただきました。
   
大会までの日にちが刻一刻と迫る中で、私は片腕戦法の稽古に励んだのでした

そして、大会のトーナメントを決める時期となり、私は支部長に例の強豪との1回戦の対決を懇願したのです。

私は、ギブスを付けたまま戦うことで腕のダメージ等を考えると、とても決勝まで行くのは無理だと判断したのでした。

それなら、1回戦で例の強豪とぶっかり、私でストップしょうと考えたのです🔥

さて大会当日
第1回大会から各選手が徐々にレベルアップしており、他流の選手が正道の牙城を崩すべく虎視眈々と狙う中
  昭和63年11月3日
  中島体育センター本館
において、その火蓋が切って落とされたのでした

参加選手40数名(無差別級のみ)、この時も北海道実戦空手界を代表する諸流派が一堂に会したのです。

私は1回戦で例の強豪S選手と対戦したわけですが、当時のルールは
   摑み3秒、引っ掛け
が認められいたので、私はこのルールを最大限に活かしたのでした。

この戦法は
 右手で相手の左袖を摑み、回し崩しの要領で右ロー→左ヒザをボディに入れ、更に左ミドルまたは左ハイキック
といったものでした。

結果的に本戦、延長、再延長でも決着がつかず、その勝負は数試合を挟んだ1回戦の最終試合へと持ち越されたのです。

そして迎えた最終決戦
お互い意地と意地のぶつかり合いとなり、僅差の判定で私の勝利となりましたが…
今思うと
心情的に考えて、ギブス目がけて思いっ切り突き蹴りを出せるはずはなく、その状況下で戦ってくれたS選手には深く感謝しております

S選手との戦いが終わり、私は腕のダメージもあり棄権しましたが、その後は後輩達が正道会館北海道支部の牙城を守ってくれたのでした

その中には、体重60㎏前後の小兵ながら3位となった弟の姿もあったのです。
             おわり