
彼女は小学校から同級の友人S子の自宅への道を急いだ。
S子の家は自営業でお店の裏に自宅への門があり、彼女はそこをくぐるとき、いつも慎重にくぐった。
彼女とS子は洋楽が好きで、2ヶ月に一度、代わりばんこに双方の家に行き、自分たちが買ったレコードを聴きながらお茶を飲むのが日課だった。
彼女は3枚レコードを持っていき、その中に一等好きな、ハウスオブラブのレコードがあった。
(1.タイトルについて)
「愛の家かぁ。このバンド名でデビューアルバムも同名って何か凄くない?」
S子は言った。S子が妻子ある男性に恋しているのを彼女はだいぶ前から知っていた。
その”凄くない?”の意味するところは?
バンドのメンバーは”愛”に飢えているのではないだろうか。彼女がS子にそう言うと鼻で笑われてしまった。
誰だって愛に飢えている
そして誰だって平凡な幸せに憧れたりする
私たちはまだ23歳で、まだ本物の愛も人生も知らないかもしれないけれど
ジャケットを二人で眺めた。(2.アートワーク)
バンドのメンバーらしき人物が二人で写っている、スナップ写真のようにシンプルなものだった。
でも惹かれた。
このての、何か神聖で、何か清潔感漂う写真は彼女の心を捉えて離さず、半ば衝動買いだった。
S子も彼女の趣味はよく分かっていたが、あえてジャケットにはコメントしなかった。
中を開けてみると。(3.アルバム全体の雰囲気・曲順も含む)
もう一発目の Christine から侵されてしまった。
のちに彼女は思う。この歌詞を書いたガイ・チャドウィックにとって、クリスティーンとは女神(若しくは、自分の理想とする女性)だったのではないのかと。
その後もまどろみを促すかのような曲調は続く。
全ての曲がオブラートで包んであるかのようなのだ。
ここは現実の世界ではなく、夢想の世界であって、何処かに現実の世界へ通じる扉があるけれど、ここから抜け出せない。
麻薬中毒のようにハウスオブラブの音世界は続く。
彼女は泣きたくなった。
曲がかかっている最中に友人S子が彼との関係を話し出したからだ。
その話に普段ならそんなに違和感を覚えなかったけれども、そのときは本当に、苦痛だった。
(S子はこのアルバムに聴き入っていないし、夢想の世界にもいない。余りにも比重を占めている現実がそこにある。ということはハウスオブラブの麻薬が効くのは私だけ?)
(4.P.Vや当時のライブ映像について)
彼女とS子は二度都内へライブを観に行ったことがあった。
S子の勧めでアン・ピ・ガールを、彼女の勧めでデペッシュ・モードを。
けれど。
ハウスオブラブがもし来日してもS子とは観に行きたくない。
なぜならハウスオブラブの音楽は彼女にとって触れれば壊れてしまいそうな、雪の結晶体のように儚いものであったから。
しかし彼らの来日はなかった(と彼女は記憶している)。
(5.関連商品について)
S子がそのとき何のレコードをかけてくれたのか彼女には余り記憶がない。
S子の部屋でハウスオブラブを聴き、益々彼らへの熱が増した彼女は、後日行きつけの外盤屋を訪ねる。そこにも高校の同級生のM美がいて、M美は彼女にサウンズ紙の一面を見せた。そこにはハウスオブラブのロングインタビューが載っていた。
「私、これ訳して自分の本に載せるよ」
M美は目を丸くしたが、やがて微笑みこう言った。
「頑張ってね。本が出来上がるの楽しみにしてるね」