正直、あの時Lou Reedは書きたくなかった。
追悼の文章になるのは目に見えてたのだけど
その気持ちの整理がついてなく
亡くなったからすぐにとりあげるということも
89年リリースなんで80年代UKロックというテーマとの乖離も
とても書ける状態じゃなかった
Lou Reedが死んだ日は想像しないようにしていたけど
きっと心身共にダメになるんだろうなとは思ってた
実際、友人・知人から消息確認メールが何本か入ったり
ところが軽く風邪気味になった程度で驚くほど冷静だった
なので
おそらく書くとLouの死を現実として受け止めなきゃなんない
それが恐かったんだ
けれどLou Reed「New York」は、本ブログがスタートしてから
2回目で開設間もない連載に穴をあけるわけにいかないと
ふり絞って書いたのがあの文章
辛うじて吐き出したものの
お蔭で「New York」をあれだけ集中して聴いたのはリリース以来だった
その翌年、先延ばしになってたロックバー「STORIES」での
Lou Reed tribute も済ませ、
http://ontheblog.blog44.fc2.com/blog-entry-2081.html
今年の秋、三回忌を迎える
この
「ワイルドサイドの歩き方」ってのは
「××のトリセツ」みたく無粋な邦題だけど
中身は まとも
そして写真の質・量ともに群を抜く
これだけでも価値あり
結構知らないことや再発見のエピソード多し
例えば
THE VELVET UNDERGROUNDの
「White Light/White Heat」は
アンフェタミンの作用がテーマということは知ってたけど
この本でスピードが抗うつ剤だったってことを今さらながら初めて知った。
なんてのは序の口で
Lou Reed歴30年とは言えども
全然知らないことばかりだということ痛感。
で
1980年代のLouだけれども
1980年「不遇の時代」と呼ばれるアリスタから最後のアルバムを出し
翌年、古巣RCAに移籍。
同時期に女性の相手としては2度目になる結婚をして
その翌年「The Blue Mask」リリース。
傑作とされる復活作も本書では冷ややかに俯瞰してる
それから次の3作に至っては「無意味」と一網打尽
女性と結婚し
クスリと縁を切って
でもアルコール依存から抜けきれずに
太極拳と出会い
一発録りのようなアルバム出して絶賛受けるも
時流の打ち込みを多用して速攻でディスられ
これこそがLouの80年代なのだよ
ここから大事
80年代だろうがどんなサウンドだろうが
根っこは50年代から変わってない
だってLou Reedなのだから。
1984年リリース「New Sensations」に収録されてる
「Turn to Me」
悪い遊びは全部卒業しちまったと感じたとき、
そん時ゃ壁にブチ当たってるのさ。
クルマで事故ったりしてな。
前歯が抜け落ちて、オトコとして役立たずになっちまった。
ダチが死んだ。
言うことなんか ねぇ。
もううんざりだって呟きながらテレビをつける。
煙草に火をつけ社会奉仕なんてものが
知らず知らずのうちに頭の中をかすめてくる。
煙草の吸い過ぎ肺がイカれて、
やがて不整脈が致命的な心臓発作を引き起こすだろう。
んな時は、いつでもいい。いつでもいいから。
いつでも俺に頼れってば。
1986年「Mistrial」からのシングル
「No Money Down」
失望してんだ?
俺のやり方に
時代を読み間違え臆病風に吹かれてると思ってるだろ
俺のやることは二人の問題だから
がっかりさせられると思ってる
お前
無理にツケを払おうとしてる?
恋人同士さ信じるぜ
後払いにしな
ね。
「New York」は90年代を見据えた作品であったけど
それからの作品はエゴ全開で元通りとなり
案の定、結婚は破綻し
それでもローリー・アンダーソンという生涯の伴侶現れ
出会いから16年後、65歳で正式に結婚
晩年の写真は穏やかな表情も
おっと遺作がメタリカとの共演だなんて
ザマアミロ
ってな感じかいLou?
最後のLIVEも不機嫌かつ大音響で観衆を逆撫でし
その4か月後
その時に臨む顔は好奇心に満ち溢れてたとローリーは述懐してて
これが強烈に泣ける
太極拳の第21式の型をするLouは
大きな目を開いたままだったと
・・・これ以上は、書けん
留守番をいいことに好き勝手書き散らしてしまった。
一度もお会いしたことがないのに10年以上、
懇意にしていただいてる
発作的に手首を切ったあと
肉親以外でただ一人連絡できたことや
心配や迷惑をかけてるのは承知してる
共同ブログも立ち上げていただき
そりゃ音楽の好みは全く同じってわけないから
すれ違いや食い違いも ちっこしあったりするけど
そこがまた合評の醍醐味でもあるので
これからもよろしゅう
今月27日の三回忌にあたり