絵画レンタル・販売 みうらコレクション

福島県郡山市で絵画レンタル店を開いています。今井幸子さんやアステックスの作品の他多数。竹久夢二の版画、グッズも販売。

夢二へのこだわり

2017-11-17 08:37:36 | 展示会案内
私の幼少期、少年期である昭和30年、40年代は高度経済成長期。映画『三丁目の夕日』そのもの。人の心や生活もおおらかで、玄関に鍵の掛かった家は少なかった。隣家を訪ねると玄関内には壁掛けや状差がありその絵柄は美人画。また夏はクーラーが入った家はまだまだ少なく玄関や掃出し、窓は開け放たれていた。必需品は扇風機とうちわ。その柄には美人画。竹久夢二や伊東深水のようだったと記憶している。深水はともかく幼いころの記憶に夢二のあのうつろで面長の寂しそうな美人画が焼き付いている。その時のワクワクする、しかし何か罪悪感のようなドキドキ感。
年を経て、勤め始めて夢二の安い木版画を買った。現在、画商として夢二に向き合えば、「いまさら夢二」との声も。しかし私にはこだわりがある。死後80年以上も経ていながら竹久夢二専門の有名美術館は全国に4館(後記)もある。その人気は衰えない。誰しもが青春期にあこがれるさすらいや漂泊。夢二の人生そのもの、吟遊詩人。3人の女性とのロマンスと破局。名声と衰亡。大戦突入前の現代以上に心が自由で夢にあふれた時代。絵画や文学、音楽も西欧から輸入されたまさに大正浪漫。
夢二は市井を見続けた。生活感のある女性、売春宿の女、普通の女性を書き続けた。衰勢の40代後半にして再起を期して個展を開くためにアメリカ、ヨーロッパへ渡航。帰国後すぐに台湾へ。しかし病を得て帰国したが静養中に死亡。帰国後は群馬県榛名での研究所開設、後進の指導に当たる計画が決まっていた。それまで夢二は正式な弟子は取らなかった。余談だが、若かりし東郷青児は夢二がたまきにまかせていた日本橋の「港屋絵草紙店」に行き浸り、夢二の弟子を自負していたという。戦後の青児の活躍は周知の通りである。
夢二の時代を私は知らないし、夢二のような人生をおくったわけでもない。しかし夢二の残した絵画はどこか懐かしい心のふる里や幼いころの憧れを呼び起こしてくれるような気がしてならない。
平成29年11月 店主

【参考Ⅰ】
1. 竹久夢二美術館・弥生美術館  住所:東京都文京区弥生2-4-2
2. 夢二郷土美術館        住所:岡山県岡山市中区浜2-1-32
別館 瀬戸内市邑久町本庄
3. 竹久夢二伊香保記念館     住所:群馬県渋川市伊香保町伊香保544-119
4. 日光竹久夢二美術館      住所:栃木県日光市柄倉772-1

【参考Ⅱ】
群馬の竹久夢二伊香保記念館では本館3階の夢二黒船館展示室「蔵屋敷」で最も有名な真筆『黒船屋』(掛軸)を、毎年、夢二の誕生日である9月16日前後の約2週間限定で特別公開している。












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