難波宮って? 古代史のんびり散歩

時間だけは、タップリある定年団塊世代が、ズート気になっていた
古代日本史を素人の感性でゆっくり探訪します。

奈良探訪 大古事記展 平城京

2014年10月22日 | 歴史

平成26年10月22日

「大古事記展」
 前から見たかった、七枝刀の現物が、奈良県天理市の石上神宮から出展されるとの事で、古事記展が開催されている、奈良県立美術館へ。
何故興味があるかと言えば、この人の殺傷に使えるとは思えない形の、刀が。
その表面に文字が刻まれ、内容から、製作が4世紀と想像されることで、朝鮮の百済との交流や、当時の倭王権が奈良にあり、文字も一部の人に限られたかもしれないが、かなり利用されていたことや。その刻印された年号から、南大阪に大古墳群を築いた応神天皇、仁徳天皇に至る河内王朝以前の、仲哀天皇時代であり。応神天皇以前が、間違いなく存在した物的文章的証しと思え。その証をこの目で是非見たいと考えたからです。
 車を近くの民間駐車場に止めて。県立美術館はわかりやすい所にあり、来館者も想像より随分少なく、これは観やすくていいや。
あれー?(7枝刀)て皆にあまり興味有るものではないのかな? 
入場料を払い、館内へ。
「古事記 作成 1300年」語り継ぐ ココロと コトバ 「大古事記展」をメインテーマとして、貴重な国宝などが、テーマ毎に展示され分かりやすく、興味を深める展示会でした。でも私には、古事記があまりに、叙情的に表現され、その歴史的な資料としての価値や本質に目をつぶってしまっているように思えたのは、私の見識のなさでしょう。
しかし、私の今日の目的の品は何処に、ずうっと展示ブースを巡って行って、あった、七枝刀、あれー、良く見ると、複製品の注釈?? その下に、「七枝刀は、10月25日より展示予定」の張り紙が。今日は10月22日!!!
そんな!!! 七枝刀を見るために、奈良までやって来たのに。その前で、路頭に迷うがごとく立ち尽くしていたのは、私だけでは無く、何人もの入場者が、「そんな!?」と。
どおりで来場者が少ないはずだ!
近くにいた、熟練夫婦連れは、

「えっ、本物がない。25日からか。」「これを見に来たのに。」

 

「ちゃんと、調べてきたの、貴方は、いつもこうなんだから。」,

 

「インターネットで調べてきたんだけど、書いてかなあ?」

 

「あ~あ、しかりしてよ、まだボケんといてよ!」

 

「そやかて...」

 

「あんたは何時もそうなんやから、結婚が決まって、家を探すときからそうやった。ホンマ頼りない。----」

 

 端で聞いていて、どう見ても30年以上前の話に思えることを、大きな声で。俺の怖い女房と一緒だな。どこの女房も---あーあ。

サブテーマ「五感で味わう、愛と創造の物語」
 やはり!!

 





2014年10.18~12.14
奈良県立美術館
奈良市登大路町10-6 Tel 0742-23-3968




平成26年10月22日 
「古事記 作成 1300年」の後 平城京跡に、行きました。

 大古事記展で落胆傷心の後、昔、小学校の、遠足で、バスの窓越しに、

「左に見えますのが、平城京跡でございます。」と言う、バスガイドのお姉さんの案内に、バスの外を見て。

 


「なんや、田んぼばっかりやん。」と言う声が、何人もから。

 


私も、そう思い、ガッカリしたことを思いだして、「平城京?」と思いながら、でも一度は見ておきたいと思い、国道から、警備員の案内に従って車を駐車場へ。
有料なんだろうかと、せこい心配。(無料でした。有り難い。)平日のせいで、停まっている車も少なく、停めやすかった。駐車場は丁度、御所の正門(朱雀門)と大極殿の間の左側にありとても便利。
ただ、この時はまだ、都の大きさを理解していなかった。この後に、難行が待ち構えていました。
観光バスが3台ほど停まって居るだけで、来場者は意外なほど少ないと思いました。
朱雀門と、大極殿の間を、JRが走っており、踏みきりが作られて警備員が案内してくれていた。

 


昔の基段だけの、何もない所に、史料を元に実に艶やかに再現復活された、朱雀門、大極殿に、目を奪われました。創建当時の朱塗りの柱は、目が眩しい程でした。



その他再現されているのは、御所の周囲を廻る塀だけで、むしろ、その大きさが実感でき、当時の建設意義が分かる様でした。
11月からイベントが、予定されているらしく、中庭では仮設の展示場作りなどで慌ただしく準備が進んでいました。


当たり前なのですが、駐車場から歩く以外に交通手段は無く、朱雀門から、30分ほどかけ、大極殿に到着、南面を向き、瞑想していると、あの光景が、朝鮮から、三韓の使が貢ぎ物を持って此方へ、進んでくる光景が、見えるようで。難波の宮、大宰府、藤原の宮で見た、同じ光景が思い起こされました。
大極殿で、今日は、来館者が少なく、待機されていた、ボランティアの案内者が私を見つけていただき、直ぐ側に来られ、丁寧に説明してもらい本当に有り難かったです。

「平城京跡はお初めてですか?」

「はい、関西の人間で、よく、小学校や中学校の遠足で、ここは、バスで窓の外から眺めるだけでした。」「バスガイドさんは、必ず通る度に、右手に見えますのが、平城京跡でございます。と教えていただくのですが、なんや田んぼばっかりやん。でした。」「今日は古代史に興味があるもんですから、大古事記展を見に来まして、近ごろ、平城京跡が整備されていて、お勧めという話が多いので、こちらにお寄りしました。」

「そうですか、地元関西の古くからの人に、同じ感想をお持ちの方が多いですよね。」「実際に来られた感想は?」

「実に艶やかに、朱雀門や、大極殿が復興再現されていて、目を奪われました。」

「そうですか、建屋の、朱塗りは、仏教文化の影響です。それまでの建物は原則、白木の無垢で作られていたのですが。」

大極殿の中に、六角形の造りが。

「これはご存知ですか。」

「天子が即位されるときに使われる、建て屋でしょうか?」

「さすが良くご存知ですね。そう、高御座(タカミクラ)ですね。」「京都御所で、大正天皇が、即位された、高御座が残されているんですが、それよりも、少し大きいですね。」「即位の式や、正月の謁見の儀式が済むと、組立式になっていて、解体して、別の場所にしまわれていたようです。」「陛下がお座りになる、椅子が少し簡単すぎじゃーないと、いわれる方もおいでになったんですが。」

「当時、座るとき、天子がのけぞって椅子に座られる事はなかったでしょうから、ソファーなどのイメージは必要ないでしょう。」
「今、正面に見える、朱雀門の遥か向こう、羅正門から、朝鮮の使者の一行が、やって来るのを想像するのは、ワクワクしますね。」

「随分他にも、見学されていらっしゃるようですね。」

「難波の宮、九州大宰府、藤原京を見てきました。基段の上に立って、南面して前を見た時の何と言うか、心がずーと、引きずりこまれるような感覚が実に艶やかですね。その前に当時はあった、建物が無いということもあるのでしょうが。」

「成る程ね、実に面白いご意見ですね、私も、一度、大宰府へ行って見たくなりました。ところで、藤原京から、平城京へ遷都した理由はご存知ですか?」

「藤原京のガイドさんに、大極殿の方向が良くなかったと、お聞きしましたが?」

「はい、方向なのですが、天子南面といわれるように、天子は、都の北にあって、南を向いて政を行うとなっているのですが、あの藤原京では、南から北へ下る地形になっているため、南に住む、シモジモの汚物が、大極殿に向かって流れてくる事になってしまい、これはまずいと、遷都が計画されたようです。」

「藤原京ガイドさんから、大々的な土木灌漑工事がなされたと、お聞きしましたが、それでもダメだったんですね。」

「今の、大和川が平城京の北側から、生駒山と金剛山の、山間から西の大阪方面のへ流れる位置で都合のいい場所だったんですよ。」
「東大寺、春日大社に近く、天子にとっては至極便利で快適でしたでしょうね。」

「あっ、成る程ね、位置的に、難波からは大和川を登ってこれ、淀川からも木津川を経由して来れ、便利だったんじゃないでしょうか。」

「そうですね。東国や尾張地方からも大津 木津川経由で直ぐに着け、飛鳥地区よりも便利だったでしょうね。」

「葛城族の影響が強い、竹ノ内街道を使わなくても、良くなったというのは、一つの理由になるでしょうか?」

「面白い見方ですね、葛城族はこの時代では、あまり影響力は無くなっていると思うのですが。 よく勉強されていますね。地形的な事をもっと勉強したくなりました。」

「今日は、ご案内有り難うございました。難波の宮の関係する古代史に興味があり、また今日、平城京跡を訪問して、ますます、古代史が好きになってきて、もっと勉強したくなりました。」

「私も、老後のボランティアで、案内をやっていて、こういう出会いが有るからたのしいです。」「またお越しください。」

とても参考になり、ありがとございました。










大極殿を出た後、貰った案内書を見ずに歩き回り、平城京跡は本当に広いを実感でき、もおヘトヘト、これからまだ、駐車場まで歩かなければならない。前から、シニア夫婦が。

「大極殿はこの広場を通っていけば良いですか?何かイベントの工事をしてるようで。」

「大丈夫ですよ。大極殿へは向かって左から裏の入口に行けるようになっていますよ。」

「分かりました、有り難うございいます。」

「遠いですよ!」

「分かりました、頑張ります。」







宿泊は近鉄 筒井駅のそば サンホテル大和郡山に一泊
従業員の対応も良く落ち着いたいいホテルでした。
ただ、飲み助で、客同士でワイワイやるのが大好きな性分から、近所を随分歩き回ったけれど、手頃な居酒屋(小振りで、客が適当に入っており、店員の愛想が良さそうで、勘定が適当そうなお店)は見つけられなかった。残念。
 明日は、天理市の巻向遺跡群の、黒塚古墳を見学し、大和川沿いに大阪へ下り、応神天皇陵、そして、堺市中百舌鳥古墳の、仁徳天皇陵へ。少し雨が心配。


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 すみません。私は、理系出身で物を知らないド素人の定年組みです。記載内容に、非常識な内容、不快な表現等があるかと思いますが、何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます。ご指摘頂けましたなら、早急に訂正変更いたしますので、ご指摘、ご指導お願いします。 記載内容に多少の大袈裟や、特に会話記載に省略や脚色を加えております。老人の戯言と、ご容赦下さいね。


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