難波宮って? 古代史のんびり散歩

時間だけは、タップリある定年団塊世代が、ズート気になっていた
古代日本史を素人の感性でゆっくり探訪します。

葛城から竹ノ内街道 羽曳野へ H26-11-04

2014年11月04日 | 歴史

葛城地区の 古墳見学に来ました

 

秋の連休、古代史散策 2日目

  平成26年11月4日

 

屋敷山公園

 

まず、葛城市公民館の隣にある、屋敷山公園古墳に来ました。

 

葛城市は奈良の南にあり、皆さんご存知のように、古代、葛城族の場所であり、天皇家と深い繋がりがある豪族でした。
と言うことは、この地区の古墳は、葛城族との関係が深いと言うことでしょうか。

 

道向かいの葛城市立新庄中学校に 駐車場がありました。駐車料金は無料でした。有り難い。
この屋敷山古墳は、江戸時代 城主の 邸宅になっていたようです。邸宅=屋敷 だから、屋敷山古墳と呼ばれているよです。これは、高槻市の今城塚古墳の、戦国時代、地区の豪族に砦にされたから、今城塚古墳と呼ばれたことと共通するように思えました。
今は公園になり とてもよく管理整備されていると思いました。

 

 

 

江戸時代、地区の領主が、古墳を屋敷にしやすい丘と見て、造成工事をするとき、大きな石の蓋が付いた石棺を堀当て、何だろうと庭石にしていた。
古墳の上に屋敷を造ると言う事は、私なら気味が悪いから、絶対しないから。この領主は古墳であるのを知らなかった。その言い伝えが最早、江戸時代には残っていなかった。と言うことなのかな。
地元の人は知っていも、わざと領主に言わなかった。言えなかった。事も考えたりしたのですが。
 「何も知らん、無学な奴らめ、祟られろ!」とか (^-^)/

 

屋敷山古墳のパノラマ

 

 

 


 

二塚 古墳にきました。

 
場所的に、屋敷山公園の裏山といった感じで、グループで歩いて登っている、考古学ファンも見受けました。
段々畑の一画がポツンと古墳でした。

 

 

案内板の後ろに進んで行くと横穴式の石室がありました。

 

 

 

奈良平野一望パノラマ

 眺めが良く 奈良全体が見えました。 自然にまかせてある 興味ある 古墳です。

 


 

竹内街道の 途中で 史跡の丘に来ました。

  葛城から羽曳野へ、竹ノ内街道を車で走っていたら、史跡の丘公園の看板があり、何だろうと興味に誘われて途中停車。
駐車場は無し、公園と書いている割に整備されている様子は無く、案内板も随分くたびれて、道も放置状態、古代史ブームは去ってしまったか "(-""-)"。

 

 

ここは何? 小山全体が公園になっており 中に 四つ 小さな古墳がありました。 おとずれる人は少なく道も 崩れかけていました。

 

 

崩れかけている、階段。見学に行かれるときは、十分注意して下さい。私は足を踏み外しそうになり、怖かったです。(・・;)

 

後からNETで調べたら、キトラ山を中心とした前方後円墳1基、、方墳1基を含む34基の古墳群との事でした。

 


 

あすかの里 道の駅で休憩

 

 

竹之内街道 資料館 へ だけど、だけど (-_-;) 月曜 火曜 お休み 今回休みに囚われて。

 


 

峯ヶ塚 古墳 に きました。

 

 地元の伝承では、ヤマトタケルの墓。
大きさから、大王クラスの墓と想像されるが、宮内庁の選定から洩れているため、過去に幾度か発掘調査された。貴重な資料がもたらされたようです。

 

 

 

 

 

 

 

駐車場は有料でした。残念 ('_') 
古墳は総合公園の一部として きれいに管理されていた。

 


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