みつばちエンジニア

SEの閉塞感のすごい日常の打開を夢見て、日々のモヤモヤを綴ります。

美しい設計

2024-04-24 22:52:18 | 日記
SEの仕事は面白くない。システム設計は機能要件、非機能要件に添って機械的に詳細化し、実装されるもので、そこに個人の技量の差は許されない。裏を返せば、設計の美しさと言う価値が存在しない世界だからだ。
先日、散歩の途中で庭園美術館と、ゆかしの杜に立ちよった。建物に入って内部を見渡すとなんとも言えない品格を感じた。柱、床、天井、階段など構成物が、ただその機能を果たすだけではなく、作り出す空間に彩りをもたらしていて、美しさを感じる建物だった。建築物は物理的な形が存在して、目に見える。そのため素人でも、ただ役割をなすだけでない美しさを感じることができる。そして、美しい建物はその当初の役目を終えても、新しい役割で維持されるし、その設計者や思想も大切に語り継がれているように思った。
さて、私たちの担当している情報システムはと言うと、実機はクーラーの効いた部屋に半導体が積み重なっているだけだし、提供する機能は膨大な0と1の羅列であるだけで、見たところで美しさがわからない。
結果として、細部への配慮やこだわりが評価されることもなく、ただシステムの対応年数が過ぎれば廃止され、新しい何かが作り上げられる。そこには価値の継承も積み重ねも感じられず、ただ消費しているように感じることがる。これでは、美しい設計ができる人も、張りぼての設計しかできない人も、一緒くたに扱われているように感じる。システムの安定性やメンテナンス性は設計の美しさ設計の上に成り立つものだと考える。最近、情報システム障害のニュースが増えている。これは、本来美しい設計であるべき社会的な規模のシステムが張りぼての設計で作られた結果なのではないかとと憂いてしまう。SEには、システムの美しさについての感性が必要だと思うし、美しさの感性をもつSEがもっと評価されたらSEもおしろい仕事になると思う。


1000年アーキテクチャー(08)

2024-04-24 16:50:09 | 1000年アーキテクチャー
設計工程について考えてみたいと思う。設計工程は各アウトプットを分かりやすくするためにウォーターフォールモデルでの開発を想定して考える。
リリース程について考えてみる。この工程は開発されたシステムが、システムがシステムを開発する人から、システムを提供する人に引き渡され、システムの利用者に公開されることになる。この段階ではシステムを開発する人が抜けるため、システムの詳細な作りに関する知識が失われることになる。1000年アーキテクチャを考える場合、システムの寿命は人間よりも長くなるため、新たに開発する人が参加した場合でも、システムの機能追加や更改が可能となることが重要である。
そのためには、これまでの工程の成果物で、システムを利用する人に向けた設計、設定が明確にわかる必要がある。こうすることによって新しいメンバーであっても、システムの利用者に向けた機能を踏襲理解して開発することが可能となる。システムを提供する人やシステムを開発する人に向けた機能は無理に踏襲する必要はなく、その時代に合わせて見直したほうがよいと判断できるようになる。
このようにリリースの工程では、単にシステムが稼働し引き渡されるだけでなく、維持されるべき利用者に向けた機能と、時代に会わせて見直すべき提供者、開発者に向けた機能が識別しやすい状態で管理されていることを確認できればよいこと考える。