時の栞

何を見て、何を思い、どう表現したのか。
私の欠片であるコトバで綴った、私自身の栞です。

やまとうた~山吹の花に想う~

2013-04-06 01:47:09 | 雑感

山吹の花の季節になり、

あちらこちらのお庭で見かけるようになりました。

この花は一重ですが、山吹を見ると、太田道灌が歌道に励む

きっかけとなったという逸話を想い出します。

 

文献で最初に現れたのが、

湯浅常山(ゆあさじょうざん)の逸話集、

『常山紀談』(じょうざんきだん)

巻之一「太田持資歌道に志す事」↓らしいです。

上の内容を簡単に書くと、外出時に雨にあった道灌は、

ある小屋で蓑を貸してくれるよう頼みますが、

応対した若い娘は何も言わず、山吹の花一枝を折って差し出します。

道灌は「花が欲しいのではない」と怒って帰ってしまいました。

この話を聞いた家臣は、「それは、七重八重 花は咲けども 山吹の

実の一つだに なきぞ悲しき、という歌に託した娘の心情であろう」と言うと、

己の無知を恥じた道灌は、それから歌道に励むようになった、

こんな感じです。

 

この逸話についての水原一さんという国文学者の論文は、

とても興味深い内容でした。

 

道灌の父、太田道真は早くから歌道に熱心で、

心敬、飯尾宗祇らの連歌師を招いて、

『川越千句』を作っていることから、

その風流の才は相当の域に達していると言えるそうです。

それより前に、道灌は江戸城を築いていることから、

年齢的にも道灌が父や、その周辺から

影響を受けていないはずはないという意見です。

また、道灌に山吹を差し出した武蔵国の小屋に住む娘について、

『後拾遺和歌集』(ごしゅういわかしゅう)に収められている

中務卿 兼明親王(なかつかさきょう かねあきらしんのう)の歌を、

自家薬籠中の物とするほど知悉していたのだろうかと、

ちょっと失礼にも思える意見を述べています。

まあ確かに、これにしか収められていないので、

ちょっと疑問を感じることではあります。

そして引用された山吹の句についても、

その必然性に疑問を投げかけていました。

 

なるほどと思える部分が多く面白い論文だったので、

余計に山吹の句と逸話、そして花の印象が強いのかもしれません。

 

 

 

新日本古典文学全集8に収められた「後拾遺和歌集」

左の紙箱に入り、濃い緑の装丁、右は表紙を開いたところです。

  

 

八重山吹に実がならないのは、

雄しべは花弁に変化し、雌しべは退化してしまったため。

実がならないのに、苗を売ってるのは?と思いました?

それは、八重山吹は株分けや挿し木で増やせるから。

春はビタミンカラーの花が多いですね。

 

 

歌の第五句が「あやしき」となっていますが、

明治期の教科書で道灌の逸話を紹介しているものの多くは

「かなしき」であることから、

「かなしき」のほうがポピュラーであるとされています。

が、江戸時代の流布本などでは「あやしき」になっています。

 

歌の右隣に書いてあるのは、

小倉の家に住んでた頃、雨の降った日に来客があって、

帰りに蓑を借りたいと言われたので、山吹の枝を折って持たせたら、

その人は事情が呑み込めずに帰って行きました。

何日か経って、山吹の真意が解らなかったと言って寄越したので、

その返事に歌を届けました、という解説。

 

この歌では兼明親王が、道理、礼儀に失していることを、

とても心苦しく、恥ずかしく思っていると感じられます。

その生涯に思いを馳せながら、八重山吹を愛で楽しみました。

 



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