毎日が遺言

広島の日

 今日は、69年前の広島への原爆投下の日、つまり、1発の原子爆弾によって、多くの無辜の市民を含む何万という人が無差別に虐殺された日、そして決して核兵器を許さず、二度と殺戮を許してはならないことを誓う日。
 どんなに理由付けをしても、無差別殺人に変わりはない。どんな理由をつけても、殺人を、してもさせてもならない。
 先の震災によって、人間と原子力(放射能)との平和的共存は、今はまだありえないことを悟った。以前からそうは思っていたが、確信した。
 私は、核兵器だけでなく、すべての原子力をなくす決意をしたい。
 原子力肯定派は、よく「必要」ということを口にするが、「必要」を命に優先させてはならない。いわく、「原子爆弾は、戦争を早く終わらせて、無駄死にする人を救う必要があった」 いわく、「たとえ危険であっても、日本の経済を守り、国を守るためには必要なのは原子力発電だ」 …しかし、それでは人は死ぬ。犠牲は一人も出さないことを前提に考えるのが、人道的にまっとうだと思う。「必要」という“現実”に人の道が負けてはならない。
 私にとっては、8月の今日、9日、15日は、人としてのまっとうな心を自ら確認する、そういう日だ。

コメント一覧

mirapapa
http://yaplog.jp/mirapapa/
> <色:#ff0066>mocyukaさん</色>
そうですね、戦争世代の子供世代が、つまり私のような世代がもっと頑張らないといけないんですよね。
でも、自分たちは、周囲も大人もみんな「戦争を伝えるべきだ」という空気の中で育ってきたので、あまり話を聞いたり、それを伝えたりすることに気持ちが向いていませんでした。
今になれば、それが次の世代(mocyukaさんのような世代や、私の子供の世代)に正しく身近に戦争を伝えることができなかったことになるんでしょうね。
mocyukaさんはおじいさまおばあさまから直接戦争体験をお聞きになっていらっしゃるんですね。
その意味では私と同じ世代といえるかな?(すみません、50代と一緒にして{笑}{汗})
ホントに、伝えていかないといけませんね。
事実もさることながら、それに伴う感覚=命を粗末にすることは許してはならないという感覚を、伝えないと{YES}
mocyuka
http://yaplog.jp/mocyuka/
年をとるごとにいろいろと
考えるようになりました。
子供の頃は教科書に書いてある事が
全てだと思ってましたが
今は情報社会
当時の情報もたくさん明らかになり
本当に原爆投下をしなければ
戦争を終結させる事が
できなかったのか。。。
と疑問に思うようになりました。
アメリカの力を世界に
示すためにだけに投下
されたのではないかとも聞きました。

私は祖父母から悲惨な戦争体験を
小さい頃からたくさん聞いて
育つことができました。
祖父が亡くなり
祖母がボケ始めたので
幸せな日本に育ってきた子供たちに
戦争の恐ろしさ悲惨さを教えるのは
今度は私なのかと思っています。
母は、きっと生きるのに精一杯
だったからでしょうね
そういう話は聞いてないんですよね。

今もどこかで戦争は続き
核の恐怖も続く。。。
これからの世界に生きていく
子供たちの幸せのために
鬱陶しがられても言うべき事は
ちゃんと言わなければ。
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