どんなに理由付けをしても、無差別殺人に変わりはない。どんな理由をつけても、殺人を、してもさせてもならない。
先の震災によって、人間と原子力(放射能)との平和的共存は、今はまだありえないことを悟った。以前からそうは思っていたが、確信した。
私は、核兵器だけでなく、すべての原子力をなくす決意をしたい。
原子力肯定派は、よく「必要」ということを口にするが、「必要」を命に優先させてはならない。いわく、「原子爆弾は、戦争を早く終わらせて、無駄死にする人を救う必要があった」 いわく、「たとえ危険であっても、日本の経済を守り、国を守るためには必要なのは原子力発電だ」 …しかし、それでは人は死ぬ。犠牲は一人も出さないことを前提に考えるのが、人道的にまっとうだと思う。「必要」という“現実”に人の道が負けてはならない。
私にとっては、8月の今日、9日、15日は、人としてのまっとうな心を自ら確認する、そういう日だ。
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