松岡修造が出ている「ファブリーズ」のCMです。ベッドの前に中高生ぐらいの男の子が二人立っていて、熱の入った松岡をよそに、突っ立ったまま、これ見よがしにあくびしたり、やっと聴き取れそうな声で文句を言ってみたり。で、松岡がバイ菌の話をしたら「早く言ってよ!」とシュッシュッとやり出す、あれです。
思うに、あの男の子たちは、バイ菌対策とは知らずに(または説明を聞きもせずに)あそこで何の目的かわからない作業を言われるままにしているわけですよね。しかも、意に沿わずにやっていることはありありとわかる。
それが不思議で仕方がない。なんで、自分がやることの意味も知らず、または納得せずに、やっているんだろう いやだったら、普通はそれをしないでおこうとするんじゃないですかね。その場に立っていることが不思議。あるいは先に「なんでするんですか?」と聞きますよね。それもしない。意味もわからないのに言われたまま作業してる。それならいっそのこと、はやく済まそうと、一生懸命やってしまえば、ホメてもらえるし、自分の不快な時間も少なくて済む。でも、それもしない。自分からはなにも働きかけないで不快な作業をしつつ、しかも不快であることを嫌味な態度で示している。それどころか、あとで作業の意味を聞いて「早く言ってよ!」などと、松岡の責任みたいに言ってる。お前が早く聞けよ(笑)。
このCMを見ていると、今の若者の(うわぁ~、この言い方、年寄りや!(笑))“素直さ”と“使えなさ”を示しているようで、なんだかイヤなものを見せつけられた気分になるのです。
言われたことは、しないといけないことなので、とりあえず言うことは聞いておく。でも「お前に従うんじゃないんだぞ、オレはオレでつらいのを我慢してやっているんだぞ」みたいなところで自分の何かを守っている。いちいち意味を理解するエネルギーなどは使いたくないと見せたいかのように、わざと説明をしっかり聞かない。指示には素直に行動するが、それは自分が意に沿わないエネルギーを使ってやっているんだと言わんばかりの不快な態度で自己のエネルギーの“価値”を示しているかのようだ。だからといって、その作業を放棄することはしない。立場を失うことはしないのか。
意味を自ら理解して意欲的に取り組む、作業を効率よく済ませる、そういう態度が建設的で、人物の評価の上昇を得るはず。だが、使えないやつほど「とりあえず言うことは聞いておいてやるよ、でもオレは辛抱して努力はしているんだから、オレのつらそうな態度からそれは知っておいてくれ」という態度をとる、と思えます。
幸いウチの職場にそんな若者はいませんが(採用されないでしょう(笑))、このCMを、当り前のことのようにみんなが見ているとすれば、そんな“使えなさ”を感じさせる態度がどこにでもある当り前のことになっているということか。それでは社会人として認められないと思うのだが。また、この男の子たちが中高生らしいことから、学生の間はそんな社会人の要素を育てることは必要ないとされているのか。学生のうちに社会性を身につけないで、いつ身につけるのか? 今の社会に、じっくり人を育てるほどの余裕があるのか?
年寄りの過ぎた心配、若者に難癖をつける妄言であるかもしれません。でも、このCMには、この男の子たちの非建設性に不愉快を感じざるを得ないのです。やっぱり、世間とズレた年寄りになっているのかなぁ…
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