劇団未来ブログ

劇団未来や団員の あれこれ を発信

DVD上映会

2009年03月03日 23時16分18秒 | 稽古日誌
本日は、DVD上映会

我劇団で昨秋上演させていただいた
「歌わせたい男たち」(二兎社版)

まあ、本家の作品を観よう(観比べよう)というわけだ。

うちの劇団には、過去に公演で使用したプロジェクターを一台所有しているのだ。
しかも、劇団員の好意でスクリーンも購入していただき、小さいながらも映画館さながらに、映像を鑑賞することが出来る。
ただ、ひとつ映画館と大きな違いは、
 少々さむい
という点くらいだろう。
 特に、今日は寒かった。
 
 まあ、そんなことはいい。

簡単に、感想を……

面白かった。
ものすごく良かった。
笑えた。こんなに面白いシーンが多かったとは。

ただ、ひとつ言える事は、劇団未来の芝居も創り方は間違っていない。という事だ。
負け惜しみに聞こえるかもしれないが、本当にそう思った。
決して、負けてはいない。

大きな違いは、本家・二兎社の作品は、大変わかりやすい創り方をしていた。
“わかりやすい”というのはお客さんに対してである。

まあ、よく言えば“分かりやすい”だが、悪く言えば“誇張しすぎ”“やりすぎ”ともいえる。
例えば、舞台は卒業式の2時間前なのだが、そこでピアノ演奏をする講師が、卒業式ではありえないステージ衣装を着用してきた時の、校長の反応。
本家は、「それはありえないよッ!」という反応を観客に“みせていた”。
うちは、演者が本当に驚き、その反応を観客に“伝えていた”。

どちらが、良いという事ではない。
前者は「多少説明されている感」は拭えないが、分かりやすく笑える。
後者は「舞台上でいきる人間味」は滲み出るが、観客の笑いを誘うとは限らない。

端的に述べると、創り方の違いである。
本家は、動きや反応、全体的にコミカルで笑えるのだが、少しリアリティにかけるのである。
逆に、うちの劇団ではこのような創り方は出来ないと思う。

上手くいえないが、まじめに創りすぎてしまうのだと思う。
実際、芝居なのだからもっと遊びのシーンがあってもいいのに、なかなかそうは行かない。それは、演出・役者・スタッフ全てにいえることだと思う。
もっと言えば、商業的ではないのかもしれない。(興行的なものを追求していない。)

このような創り方は、行き過ぎれば観客を無視した「ひとりよがり」の芝居にもなるだろう。
しかし、観客にはむやみにこびない芝居創りにもなるだろう。


まあ、いろいろ”うんちく”を述べたが、本家に「勝った」とも言えない事だ。
もっと、我々はいろいろな芝居を観て勉強すべきだし、根本的に「何故芝居をするのか」「何の為に芝居をするのか」という事も考えなければならないと思った。

決して、「こたえ」がある事ではないと思う。
その「こたえ」は、常に変化し考え続けなければならない事だとは思うが、“面白い芝居をしたい”とあいまいに取組んでいても、あいまいな芝居しか出来ないと思う。

 私個人が、はっきり思うのは「芝居を職業のひとつとして取組んでいる人間」とそうでない“差”は確実にあると思う。

 まあ、人の芝居を観て、こんな事を感じたのでした。

※上記は、特に個人的な主観であって、劇団未来の総意ではありません。
劇団員の意見の相違もあるので、今回については筆者を明記いたします。
「筆者 しまよしみち」

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