goo blog サービス終了のお知らせ 

ダージリン・ティを飲みながら

東北での生活はあっという間に4年目に突入。伝統が大切にされているこの地方の祭りや催しをくまなく見たいと意欲マンマンの毎日

脈診

2006-09-17 | Weblog
韓国の休廷ドラマを見て思い出した。ドラマの中で脈診をする場面があるが、私もニューデリーで現地の人に紹介してもらって、アユルベーダの脈診を経験した。
医師はアユルベーダの世界では頂点に立つ人で、欧米でも活躍していると聞いた。診察室の椅子に座り神妙にしていると、医師が静かに脈をとる。そして側にいる助手にヒンディー語で何やらしゃべり始める。助手が通訳をする。
「肝臓が熱い。結腸になんとかかんとか・・・」と内臓の状態を独特の表現で説明してくれる。
「ヨーグルトはしばらくやめること、トマトは当分食べないこと、処方する薬を飲むように」(もっとたくさん説明があったけど、忘れた)
診察室を出て、道を挟んだ向こう側の建物に入ると、そこでは大きな薬研を使って、乾燥した薬草をゴリゴリと潰している。
もらった袋は両手にかかえるほど。
二、三度は煎じて飲んだが、あまりにも苦くて続かなかった。それにどこが悪いってことではなかったしぃ。
このあと、アユルベーダが日本にも紹介された。日本では、悠長な脈診はさすがに受け入れられなかったか、ゴマージュなどのオイルマッサージが広まった。本当はもっと奥が深くて、知れば知るほど不思議な世界なのだけど。人の体質などの分析があったりして。

秋の庭はどうしたって寂しそう。

ピラティスでインナーマスルを鍛える

2006-09-15 | Weblog
明日は楽しいピラティスの日。毎週、近場で習っている(しかも一回が630円!なんでそんなに安いのぉ?私は決してケチではないが、やはり安いものには単純に喜びをかんじるのである)。
インド時代にはヨガを習った。そして時を経て気功を、次に太極拳を・・・。それぞれカジッタというにすぎないんですけどね。
ところでピラティスだが、90分ほどレッスンをする間ほとんど汗はかかないが、身体の奥の筋肉を伸ばしたり縮めたりするからか、あとで気持ちも身体もすっきりして、ポジティブな気持ちになれる。インナーマスル鍛錬の成果か。心と身体が一体であるという実感。
じっさいに日常生活でインナーマスルは伸びきっているってかんじだものね、特にこの頃。
がんばって、いい心と身体つくろうっと!
写真は庭に咲いたハーブの花。8種類あり。

フィリピンの布ーピーニャ

2006-09-12 | Weblog
フィリピン製の布、「ピーニャ」はパイナップルの葉の繊維を叩いて作られる。大変高価な布として、今なお上流の人々に愛されているが、その制作過程においてあまりにも手がかかるため、今では作り手が減ってきているときく。(だからどんどん高価になる)
手触りにはシャリ感があり、そのナチュラルな色と光沢が品の良さを感じさせるので、男性の正装として着用されるバロン・タガログ(フィリピン男性が着ている刺繍入りシャツ)や婦人用のハンカチ、ブラウス、また来客用テーブルウェア(テーブルカバーやナプキンなど)に使われている。
そもそもバロン・タガログに、なぜこのようなスケスケの布が使用されるようになったのか。
そこには辛いフィリピンの歴史が隠されているのだ。スペインが約四百年もの間支配しつづけていたとき、フィリピン人が洋服の下にピストルなどを隠さないようにとこのような布を使ったシャツを着せるようにしたらしい。


イカは呼子のでなきゃ。

2006-09-06 | Weblog
この夏、私用のため佐賀県は唐津市、呼子に足をのばした。
秀吉の朝鮮出兵はこのあたりから。とても立地のいい港だ。呼子はテレビなどの旅番組では朝市が有名。もっと有名なのはイカである。
港を臨む通りに並ぶ小料理屋さんでは、いけすの中から生きたイカを取り出して、イカそうめん、天ぷら、げそ揚げなどを作ってくれる。それがほんとうにおいしくて。写真は呼子港。

インドの光と影

2006-09-03 | Weblog
新聞にインドのドクター・ブッチャー(にくきり医者)の話が出ていた。
貧しい人が脚を切り落としてくれと頼むと医療費をとって切断していたそうだ。なぜ健常な人が脚を切ってくれと頼むのか。それは物乞いをするためだ。裏には元締めのマフィアがいるらしいとも言われている。
私がインド、ニューデリーに住んでいたのは15年も前のことだが、マーケットに行くと足もとでスカートの裾を引っ張るものがいる。見れば、両足のない人が台車に座って私のほうをじっと見ている。そして「バクシーシー、バクシーシー(お恵みを)」と物乞いをするのだ。
そういう脚のない人、手に包帯を巻いた人(らい病患者かあるいはそれを装っているか)目が見えない人などが街に大勢いた。車が信号で止まるとそれっとばかりに寄ってきて「お恵みを・・・」と迫ってくるのだ。
しかし今やインドはIT産業国家として発展し、15年前の貧しい国ではなくなった。街の様子もすっかり変わり、物乞いの人も激減していると思っていた。ところが、ところがである。
未だに国のめまぐるしい変化や、少数の富める人の豪奢な生活とはまったく別世界に住んでいる人たちが存在することはインドの大きな影の部分なのだ。

こんな話にこのチーズケーキ。悪趣味かしら。このところお気に入りのおいしいコーヒーが飲めるお店のものです。お口直しにどうぞ。気分だけでも。

緊急地震速報

2006-09-01 | Weblog
夕方、関東地方に地震があった。震度4だとか。地震が平気な人は一人もいないと思うが、私も地震は死ぬほど怖い。高校生の頃、大きな地震が夜中に起きて、8つも年下の弟のベッドに飛び込んだ。翌朝母から「夕べ男性のベッドに飛び込んだんだって?」とからかわれた。
長女が生まれて間もない頃、けっこう大きな地震があり、慌てて家を飛び出したのはいいが、大事な赤ちゃんを寝かしたままだった(母親になりきっていなかった?)これには周りの人から嫌みを言われた。非情な新米母と思われたらしい。
インドでも地震にあった。ニューデリーのホテルにいるとき、ひどく揺れた。むこうの建物は地震対策などしていないから、ギシギシと揺れ続けて、いよいよ私の人生もこれまでかと部屋の外でうろうろした。

政府の取り組みとして、緊急地震速報を検討していると今日の新聞に出ていた。すでにモニタリングをしている。「地震が発生します」と速報して5,4,3,2,1,とカウントするらしい。しかしそれほどの時間で何ができるだろうか。私自身はクッションをかかえておろおろするだけのような気がする。

写真は庭に咲いたミントの花、部屋に飾るとかすかな香りが漂ってくる。
花瓶の下に敷いているのはフィリピンの布,ピーニャ。これについてはまた今度。

東北にはもう秋の気配が。

2006-08-30 | Weblog
北の家に戻ってきた。
車で東北道を北上するにつれ気温が下がり、空気が澄んでくる。
目立って山が多くなる那須高原までくると、ようやく旅気分を味わえるシチュエーションに。高速道路の両脇にはもうススキの穂が出ている。秋だ!
福島に入り、左手に安達太良山(このあたりで、悲しくも狂ってしまった高村光太郎の妻、智恵子がチイチイと歌ったのではなかったか?)、そして山形県の蔵王などを眺めながらひたすら走り続ける。時々息抜きにサービスエリアに立ち寄って、ソフトクリームをなめたり、コーヒーを飲んだり、あるいは山菜蕎麦をすすったり、「みちのく」の旅は楽しく続くのだ。
わずか二週間の不在だったのに、長い旅から帰ったような気持ちに陥って、暗い庭に懐中電灯を照らしてトマトとカボチャの出来具合を確めた。
トマトは鈴なり、カボチャはうらなり、ハーブはたくさんの花をつけていた。

トランス・アメリカーつまんない!

2006-08-23 | Weblog
映画「トランス・アメリカ」を見た。
性同一性障害の男性が女性になるのだが、最後の手術の前に、彼には息子がいたことが判明。母親を失くした息子を引き取る事に。しかし彼は女性になるために父とは言えず・・・・。アメリカを縦断するロードムービー。
女性になりたい男性を演じるのはフェリシティ・ハフマン、この人は「デスパレートな妻たち」で、子沢山のキャリアウーマンを演じている。
「デスパレートな・・・」では、この人は知的で光っていたが、この「トランス・アメリカ」ではawfulだった。私の個人的意見としては ひ・ど・い!けっこう評判がいいらしいけど、つまんない映画だった。

めめめめめ

2006-08-21 | Weblog
中尊寺の境内にある峯薬師堂は めの病 に、ごりやくがあるらしい。
今と違って、白内障などが簡単に治せない時代には仏様にすがることで魂が救われたのだろう。
はためく「め」の絵をごらんください。ききめありそうでしょ。(平泉続く)

つわものどもが夢のあと、平泉

2006-08-20 | Weblog
東京に車で帰る途中、岩手県の平泉に立ち寄った。長い間一度は訪れたいと願っていたのだが、やっと願いが叶った。平泉はこのところ世界遺産になるかどうかで紙面を賑わせている。藤原氏三代が栄華を極めた地、そして兄、頼朝に追われた源義経が無念の日々を送った場所である。
のちに松尾芭蕉がこの地をたずねて武将達の栄耀栄華と衰退を想い、「夏草や兵
どもが夢の跡」と詠んで、偲んだことでも有名である。
この写真は中に鐘をしまってあるお堂。二階建てだったが火事にあい、一階部分だけが残った。それにしてもこの古さ、本当に情緒があるわ。(平泉続く)

涙を流したマリア像

2006-08-12 | Weblog
秋田に涙を流したマリア像があることをご存じだろうか。

秋田市にある「聖体奉仕会」というカトリック修道院(写真はその建物の一部)のマリア像が涙を流したのは1973年から1984年の間のことらしい。101回流したという。そして1988年にバチカンにより「奇跡」として認められることとなった。このことは日本ではさほど知られていないが、海外では"THE LADY OF AKITA"として広く知られている。日本で有名ではないのは、クリスチャンが少ないためだろうと思う。

今日その教会を訪れる機会に恵まれた。
教会というにはあまりにも日本的な造りの建物で意表をつかれたが、なかで一人の修道女さんが掃除をしておられた。「マリアさまでしょう?どうぞどうぞ」と案内された大きな聖堂にはキリスト像があり、信者が跪いてお祈りする台がいくつも並んでいる。マリア像はその左側の一画にあった。1メートルくらいの大きさの美しい木製マリア像だった。神々しいというより、懐かしい優しさをたたえた表情のマリアである。

今日そこにたまたま行く機会を得たのは、友達のお墓参りの帰りに教会を見つけたからだ。この地がふるさとである、まだ若く美しかった友達が数年前に亡くなり、その後私が偶然この地にしばらく住むことになり、やっと彼女のお墓参りをすることができたその日にマリア様に出会えたのだ。


東北の道の駅,だんごがうまい!

2006-08-08 | Weblog
日本全国において今や「道の駅」が大盛況のようす。なかなかいいアイディアだよね。
地元自慢の品を売れば、そこに立ち寄った観光客は必ず買いたくなるもの。
野菜や味噌、漬け物、地ビール、おもち、なんでも興味がわいて買ってしまう。
それが旅の醍醐味だっつうの。
ここ、東北ではけっこう充実した道の駅が多い。そこで必ずと言っていいほど売っているもの、それはお・だ・ん・ご。
柔らかくて、甘くて、なんだかほっとする味は嬉しい。私の拙い「絵に描いた餅」は緑色のがずんだもち。グレイはごま味。淡い黄色はくるみもち。遠野の道の駅「風の丘」のおだんごがピカイチでした。

竿灯祭り

2006-08-06 | Weblog
今年も行きましたよ、竿灯祭り。提灯の明かりが大通りにずらーっと並ぶと、それは壮観です。
稲穂をかたどった竿灯を肩や腰などに乗せてみせる競技ですが、じっさい、技を磨くために春から練習をしてるんだって。
各グループで(会社とか学校とかのグループ)、我こそはと思う人が順にパフォーマンスするんですよね。お囃子は太鼓と笛、「どっこいしょ~、どっこいしょ~」というかけ声が終始聞こえてきます。
激しさはなく、秋田の県民の人柄のように穏やかさが感じられるお祭りです。

宮沢賢治

2006-08-05 | Weblog
ああ、この人のことを語るに熱くならないではいられない。
今私は賢治の世界に夢中なのである。
(この前はファーブル、もっと前はヘッセ・・・なあんてカッコつけすぎ?)

端的に申しますと、岩手に行くので賢治の童話でも読んでおこうかなと、暇に任せて大昔に読んだ童話を読んでみたってわけ。そうしたらぐいぐい惹かれて、次に詩集「春と阿修羅」を。
賢治独特の言い回しと言葉を駆使して築き上げた世界の不思議なこと!!涙さえ禁じ得ないのですっ。(最後の「っ」は不真面目な響きあり・・・反省ペコリ。

写真は賢治記念館の庭。この日時計は賢治の設計のものだそうだ。日が沈み始めた頃、人一人いない記念館の広大な庭で(茶目っ気たっぷりな庭なの、これがまた)存分に賢治の世界を堪能した私でした。

   どなたもどうかおはいりください。
   決してごえんりょはありません。

なんて表のドアに書いてあるティールームもあるのだ。時間が遅くて入りそびれたけど。

鉛温泉

2006-08-05 | Weblog
何の得もないけど、鉛温泉の宣伝をしちゃう。これは昨日からの一連の旅行記です。
岩手県花巻(はなまき)市のはずれにある(はずれと言うより秋田よりと言うべきか)鉛温泉の古い旅館に泊まった(写真)。
作家の田宮虎彦がこの温泉を愛し、ここで執筆活動もしたという。
ここには7個のお風呂があり、すべてが掛け流しで熱い湯が蕩々と流れ出ている。なかでも圧巻は「白猿の湯」だ。大きなドームのような部屋の戸をガラリと開けると、眼下には大きな楕円形のお風呂が見える。相当の高さの階段を下りて、脱衣。そろりとお風呂に入れば(ところがそろりとはいかないのが大変なところ。用心しないと溺れるかも)、なんと水深は1メートル以上あり、立ちながらの入浴である。中心部には下から熱い温泉が湧き出ているのがわかる。

このお湯にじっくりつかっていると「あ~!極楽、極楽」とついついオバンくさい言葉が出てきてしまうのであった。。。
はっきり言ってこの写真はよくない。一階部分が写ってないもの。実はね、写真を撮っているときに蜂の大群がきたから慌てて逃げたの。本当は三階建てのふるーい建物です。情緒はあったよ!