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Tシャツとサンダルの候

母成峠から二本松市街へ


10月15日

10月も月半ば、折り返しのこの日、先ずは、戊辰戦争の激戦地母成峠へ。



古戦場跡の石碑が立つ母成峠。

石碑側面には、土方歳三や大鳥啓介の文字が見える。



ここには、防塁と塹壕、砲台跡がまだ残っている筈だが、場所が良くわからない。

わからぬまま、駐車場からピンクのリボンに従って進んでいくと、



あらら。

ここじゃないようだ。

もう一度石碑の所に戻ってみた。

何てことはない。

直ぐ傍には、遺構跡のちゃんとした配置図があるではないか。



こんな分かりやすい看板を見落とすくらいだ。

山で道迷いする筈だ。

えーっと、するってえと、



後ろの小山のどこかに石段がある筈だが、




あ、これだ。

登ってみよう。



階段が尽きた先は深い森だ。

スニーカーしか履いてないが、このまま行って大丈夫かいな。



案ずるより産むが易しだ。

直ぐに目指す防塁と塹壕跡が現れた。

上杉景勝時代に作られた防塁を再利用して、防衛ラインとしたものと書いてあったな。



防塁に沿って数10m進むと、途中、道路で分断されていた。

よく見ると、ロープが垂らしてある。

ここを降りて向こうへ行きたいなら、これを使えってか。

道路を横断して、再度、向こう側の森の奥へと進む。



この先で防塁は途切れている。

ってことは、この辺りが砲台跡の筈だが。

まあ、そう言う事にしよう。

目的を果たして駐車場に戻ると、ザックを担いだ見知らぬオジサンに声をかけられた。


「あのー、安達太良山の登山口って、ご存じありません?」


それを、九州人の俺に聞く?

東北人が、初めて母成峠に来ているこの俺に?

普通、おかしいでしょうよ。

でもね。

知ってるんだよな、これが。


「あー、知ってますよ。着いてらっしゃい。」


先ほど私が、道を間違えた場所に案内する。



「ここだと思いますよ、ほら。」

「有難うございます。では行ってきます。」


オジサンの後姿を見送ったら、二本松市内へ移動だ。





二本松城も戊辰戦争の際には、壮絶な戦闘が繰り広げられた舞台だ。

城の入り口広場には、二本松少年隊の銅像が立つ。



箕輪門







城内では、大規模な発掘調査が行われていた。

堀った跡には、礎石が並んでいるのが確認できる。



智恵子の藤棚?

あ、そうか。

二本松って、あの高村智恵子の出身地か。

そういや安達太良山、見えてるもんね。



本丸へと登って行く。




本丸の石垣が見えてきた。



落城の責任を取って自刃した城代と勘定奉行の碑。

因みに、二本松藩の藩主は丹羽氏であり、あの丹羽長秀を祖に持つのだそうだ。



雲に覆われる安達太良山。

あのおじさん、今、どの辺を登っているのだろうか。



二本松市街を見下ろす。


降りるとするかな。



搦手門




少年隊の丘。

供養塔などが立ち並ぶ。



傘松。

なるほど、傘としか言いようが無い。



瑠璃池


入場無料の割には、見所満載のお城だった。


昼飯は、



「福島牛のステーキ丼でございます。」




よくわからんで注文したが、今回は当たりじゃない?

カボチャ入ってないし。



美味しゅうございました。




その後、二本松城の観光案内のオバサンから教えて貰った、智恵子の生家へ。

今も当時の建物が残っているそうだ。



実家は酒蔵だったんだ。




裏には智恵子記念館が建てられている。

智恵子の切り絵作品を始め、高村光太郎の詩や随筆などが、多数展示されている。



温泉は道の駅喜多の郷に併設の蔵の湯500円

宿泊は当然、道の駅喜多の郷 w d t


走行距離152km 累積走行距離2026km

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