幸福の鍵 第3部
皆さん、こんにちは。
連日のテーマ、結婚 幸福の鍵の続きをお送りしています。
我々が暮らす環境には、使用目的がない物はありません。
食器や家具、電化製品、車、飛行機や様々な日用品も野菜や果物、家畜からペットに至るまで、存在目的があり人間に直接であれ間接であれ全て、人間のために存在しているものと考えるべきでしょう。
イジメを平気で行う人や命までも奪う人達は、都合の良い解釈、判断で傷つけたり奪ったりするだけで、その真の存在価値、存在目的はあるのです。
イジメなど平気で行う人などは、最低被害者のご両親の気持ちをまず全く無視し、必要のないようなことを吹き込み、被害者自身の人権や権利などを無いものかのように洗脳する。
被害者のご両親にとっては、かけがえのない大切なお子さん。手塩にかけて育てた思い出までも否定するとっても悪い子ちゃんです。
被害者の未来は、その時点ではまだ開花されていないだけで被害者本人すらまだ知らないほど。
例えるならば「みにくいアヒルの子」のようなものかも知れませんよね。
雛鳥の頃には、保護色で醜いように見えるかも知れませんが成長すれば白鳥になることもある。
野鳥の鳥などのメスは、オスとは異なり生息地域に異なりメスは、オスより派手さのない地味な色をしていたりします。
なぜ?
それは、卵を暖め守らなければならないからです。種類によっては鳴き声まで違う場合もあるものです。
醜いからとその加害者らは判断したりするようですが、意外や意外、秘めたる才能があるものです。
現にイジメられっ子の中には、芸能界で華やかに活躍する人も少なくない。
そのように直接的に関係性や存在理由がわからなくとも、偶然はなく、必然的に価値や目的は必ずあるものです。
それでは、歴史にも目的があるのでしょうか?
人間自身は、自身の価値そのものに対して、全く判らないかも知れませんが宇宙含め全てに規則性や秩序があることを発見したり、人間がその利用価値を探ろうすれば、人間にとって必要なものばかりがありであることを発見します。
歴史とは、人類が生き様々な活動した結果にしか過ぎないことのようですけど、人間自身を通して働こうとされない何かコントロールするチカラがある。
なぜ、人類に直接的に働かれないのであろか?
人間自身に間接的でも働かれるその存在、。つまりその森羅万象など宇宙全てを創られた創造の起源主を「神」と呼ばれる。
数学的に例えるならばプラス圏とマイナス圏の中和、調和された存在ゼロとも呼ぶし、地球上で地域民族的の違いから真とか、アラーとか呼ぶ人もいる。
このブログの中で分かりやすい表現として「神」と表せて頂きますが、その神が直接コントロールせず間接的に導くのは、なぜなのか?その意味をしっかり説いておきたい。
宇宙森羅万象全てを司る神が人間ごとき存在をもコントロール出来ない訳がない。歴史そのものも結果的に意味なく綴ってきた訳でもない。
もしも、人間を直接コントロールしたとするならば、多分人間は、その神の存在自体を恨むであろうと思います。
物を作り暮らす中で、拘束され生きていたとしても、イジメではないがある強力な支配下での生死は、きっと地獄のような味わいを感じ暮らし続けていくしかないものです。
その人類歴史は、歴史であっても地獄絵巻ですから、例えどんなに長くとも幸福ではないので、人類にとって「未来」という光輝く理想など夢にも出ない価値となるしかないです。
例え、素晴らしい人類の環境を人類の手で自ら理想郷を作ったとしても、達成感はなく、味気ないものにならざる得ないことでしょう。
創造主は、人間に間接的に働かれるシステムを創られた理由は、創造主ゆえに、「創造性」「繁殖性」「管理性」を与え他の存在と違うように創られた故に、そこにあると言わざるを得ません。
人間に達成感や感謝し、暮らす姿を見たかった、共に喜びたかったという説を解かなければ全ての理由を埋める理由がないのです。
それで、例え第二次世界大戦などのような人と人との殺戮をも繰り返したどり着く先々だとしても、人類自らがある悟り改めることをする行為を通して、歩ませる意味が歴史という内容に含まれる理由は、「色々あったけど自らたどり着いた」という達成感のためにあるということです。
川には水が流れ、我々は船でその川を下るけれど、自ら上手くこぐことにより、その水の利便性やまたその水に溺れるという恐ろしさを乗り越え、下るならば、その船の利用は、直接泳ぐよりも楽だし、楽しいことを知り、いつしか海へと流れ着くことを知ることでしょう。そのようなものです。
歴史の中で、人類にとって本当に危機が迫っている時に、創造主である神は、遣わす者を通して大河から大海原へと無事にたどり着けるよう送られる時に、その遣わされた者の声に耳を傾け、自らの手で舵を切り直すならば、創造された本来の世界へと流れ着くことができることだと気づくことが大切です。
環境問題解決にしろ、このままじゃヤバい!何とかしなきゃと気付きつつも、目先の欲望に惑わされてしまうのではなく、我々の本来の目標は、創造したお方の目標に向けていくべきだと示す方の指先を見つめ、互いに協力して共にたどり着こう!ということです。
振り返ると日本には、第二次世界大戦終戦からおよそ400年前にフランシスコザビエルという方がキリスト教を正式に伝えに来ました。
その時鉄砲という武器も伝わった(猟のためにだけ使用するように教えなかったキリスト教の失敗)ことにより、織田信長が鉄砲による戦が主流となり天下統一という野望を抱くこととなるが結果は皆さんご存知の通り信長は殺され豊臣秀吉が引き続き、結果徳川家康が天下統一を成すこととなるがこれも明治維新により廃幕となりその80年後のフランシスコザビエルから400年頃結果キリスト教文化圏ににり、今の民主主義国家となりました。
織田信長は、新しい首都創りには、新しい宗教が必要であり、その万民のチカラを手に入れる者こそが天下統一となるという考えから自らを神と呼び図ったものと考える方が歴史的に融合すると私は、思います。
このような類似したスパイラル的歴史は、フランシスコザビエルが来るおよそ400年前にも鎌倉幕府時代に日蓮とい人が幕府に要望するが鎌倉幕府は日蓮を殺害しようとしたことにより、1つとなれず第二の奈良を目指していた鎌倉幕府(鎌倉大仏 奈良の大仏と同じように創られたとあるが後に水害に遇い大仏を取り囲む物を流されて今の鎌倉大仏となったらしい)以降平安時代位まで大きな文明の発展はなかった。しかし、フランシスコザビエルが来ることにより歴史が変わっていった。
奈良という都市構想は過去ダメになったが鎌倉に奈良の大仏を作り、奈良には京都以上に寺がある(金閣寺などもそう)ように、鎌倉に大きな宗教都市を築こうと目論んだことに唾を吐いた日蓮が目障りとなって逆に民は分裂し、新都市構想は梅雨と消えたという意味の歴史ですね。
徳川家康は、毎日の愛読書として鎌倉時代の史実を読みあさったと言われています。どのような都市創りをしたら良いのか考えたと思われます。
ですから水戸光國らは、このことから江戸の歴史をもキチンと記載し後々の子孫のために資料を作り始めたとも言われていますよね。
明治維新には、その意味から京都から関東に移す際に、地名を東の京都として、名前を改名することで、京都をコピーしましたよ!と国民に知らしめ、安定感を保ちたかったし、政治には次の新幕府に豊臣家の家紋を用い、天皇と共にある政府をイメージさせて、ダブル安定感を与えた知恵は、多分西郷隆盛らのチカラだったりして!?と思います。
また、同様のスパイラル的歴史は、遡ることその日蓮が活躍するおよそ400年前の頃にも空海という方がいて、今の奈良に京都以上の都市創り計画がなされ、首都には(つまり京都)当時宗教があったが宗教力がなくなり、天皇のチカラがなくなりつつあったのではないだろうか?と思います。
今の奈良をご存知の通り、そりゃあお寺がものすごい多い。奈良の大仏様みても、あの豊臣秀吉や徳川家康も奈良の大仏にエライ金だしていたくらい宗教のチカラは、無視できなかったのでしょうね。
このように第二世界大戦終戦から遡る1200年前に空海は、新政府構想に当たり新しい宗教を学んで来るように依頼され今の中国へ渡りインドまで行って学んで帰っできたにも関わらず、空海の才能を理解しなかった者たちは、帰国した空海を京都へ帰郷をも許さず、今の福岡県太宰府にて待機させていたそうで、結果空海が苦労して持ち帰った密教は、奈良には用い得ず和歌山県の山中に空海が修行させる場所を許可したという結果となりました。
その空海の時代から遡ってもハッキリとした日本史は漠然としており、私は、日本史に限らず世界の中の日本という観点に戻り、その前は世界ではどうなってたんやろうねぇーと言うことで、ザ~と世界史を見下ろすと、結論からしてイエスキリストがいたローマ時代の中でキリスト教が誕生し、ローマ帝国も東西分裂した400年、キリスト教統一国家までの約400年の合計800年だったということです。
世界史は、この2000年分見下ろすならば、結局ローマ時代イエスキリストを殺害したローマ帝国は、そのキリスト教信徒らのチカラにより東西分裂となり倒れ、後々キリスト教王国が生まれ、西欧に広かったキリスト教も分裂し統一国家として倒れキリスト教は世界へと旅立ち始めた頃に、空海が現れ、日蓮が現れ、日本にもキリスト教が到来し、織田信長によって受け入れ始めたかのように思える場面もあったが豊臣秀吉や徳川家康らによって拒否された宗教ではあったがイエスキリストの死後から約2000年を迎えようとする頃には江戸幕府も倒幕し、キリスト教文化を築いていたイギリスの支援を受けキリスト教文化を受け入れていたが第二世界大戦勃発と共にキリスト教文化は一旦否定されてはいた日本も、結局第二世界大戦終戦には、アメリカという建国300年足らずの国によって敗戦し、そのアメリカのキリスト教文化圏の支援と日本の努力なども含め結果イエスキリストが殺害させてから2000年後には、きらびやかな経済発展を成し、摩天楼のビル街、鉄道、通信など西欧、アメリカなどのキリスト教文化圏の中にスッポリとのめり混んで、当たり前かのような顔している今の日本と日本人であるということです。
私達の「幸せの鍵」とは、結論的に、宗教なしに未来はない・・・ということです。
しかし、以前の投稿でも明らかにしましたように、宗教がチカラを失っている。
特にキリスト教自体がチカラを失うことから他の宗教もチカラを失って来ている。
他の宗教がチカラを失っている理由は、元々他の宗教には、キリスト教文化圏とは、違い文化の発展の遅れが際立て遅い🐌💨💨。
これが経済発展の格差をモロに見せつけられ、遅れを取り戻せと思うほど途上国にとっては、キリスト教文化圏に入りたいというのは否定できない。
しかし、キリスト教のチカラが低迷している原因は、アメリカであれ日本であれ、韓国であれイギリス、フランスなど含めてですが、青少年の育成問題で先ず、問題点が多いことです。
地球上には4分の3が宗教をしている人達であると言われています。
その中で分派は別にして、問題なのは四大宗教。
その四大宗教は、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、キリスト教ですが、内イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は、元々祖先は、アブラハムという民族の先祖を持ち、神の呼び方は違うけれども、天地創造の神を崇めていることです。
そして、そのイスラム教圏、ユダヤ教圏、キリスト教圏はあるんだけれど、国境を越え経済面からして、この3つの宗教を信じる人らが世界中のお財布👛だと言われていることです。
この点も含め私達の幸せの鍵とは、やはり宗教を除いてはあり得ます?あり得ない?どちらでしょうか?
そう、あり得ないということですね。
結婚をしましたよ!とかします!とかも大切ですが、明日どうなるの?も気になることですよね。
青少年の教育問題は、先ほどキリスト教文化圏が問題と言いましたが本当は、どの宗教圏でも同じように問題になっています。
つまり青少年の犯罪が多発しいるのと、低学年化しています。
結婚して、あなた方にも子供を授かっても、安心出来る環境であればよいのですが、どうやらそうならない、方向がチラホラ見え隠れしています。
日本も積み木崩しという実話をもとに制作されたドラマがありましたように、青少年の教育問題は、日本のみならず各国が苦戦中のようです。
私の結婚をすることの意味を考えると言うベビーなイメージと捉えるのも仕方ないことでしょうが未来をどうする?も考える結婚をすることは、やはり大切だということでしょう。
このような観点、視点で結婚を考えるブログです。
皆さんが幸せになりますように。