三浦しをん さん。
読み終わって、とりあえず仕事をしようと思った。素敵な読後感だ。
彼女の小説を読むのはこれが2作目。
読んだのは『君はポラリス』(?)という恋愛小説の短編集だ。軽快で、思わずふっと笑ってしまう、個性的かつ魅力的でその上で現実離れしていない女性がかわいらしいのが印象的だった。
今回読んだ舟を編む、も人物がそれはもう魅力的だ。
少し離れて客観的に遠くから眺めていたい、そんな魅力あふれる登場人物達が夢中になっている事、それが辞書編集である。
辞書を作るのだ。
国語辞書。
個人的に国語辞典をそれほど活用した記憶は無い。
語の意味というのは大概、出てきた文脈から推測して読んでしまうから、本を読んでいる途中で辞書を引こうと思った事がない。その一語が分からなくても大体はその本を読み進める事において支障がない。中学や小学校で語の意味を調べて来い、なんていう宿題も、こんな単語調べ無くても知っているよ、というのが主で、辞書を引いて感銘をうけたという経験が無い。
個人的には古語辞典や英和、英英辞典にはそれなりにお世話になったし、用もなくぴらぴら引いてみたりはしたが、国語辞典に関しては、無関心だった。
大学に入って一人暮らしを始める時も、英和と英英辞典は家から持ち出してきているが国語辞典は置いてきた。
最近はわからない言葉はネットで検索するから尚の事必要性を感じていない。
それが今回この本を読んで、辞典を今持っていないことがものすごく悔しく感じている。言葉についての無頓着がもったいなく感じてしょうがない。辞書を作る、そういう人たちが言葉についてどういう感性を持っているのか、どういうところにこだわっているのか。全然知らない世界のはずが、ものすごくリアルに伝わって来る。おもしろい小説だった。
おもわずくすっとわらってしまうところも多い。ラブレターの下りなど最高だと思う。そんなラブレターもらえるものならもらってみたい。便せん15枚。最高だと思う。
そして、言葉っておもしろいな、と思う。辞書を読むという概念が私にはそもそも無かったけれど、今すごく辞書を『読んで』みたい。隅々まで読んでみたい。辞書に書いてあること、というのは、どうすれば客観的な事実と客観的に正確な意味に見えるか、という編者の意見のようなものなんだな、と思った。
辞書にまつわる経験といば、中学生のころ、宿題で書いた作文を県のスピーチコンテストで読んで来い、と言われた。その作文の内容が、確か言葉をテーマにした物だった。きちんと覚えていないか、その中で今は使われていない言葉、として『烏兎』という言葉を紹介した。これは、太陽に烏が住み、兎が月に住んでいることから、太陽と月を表した言葉だという。たまたま言葉、というテーマに辞書を眺めていた時に見つけた単語で、辞書にはこんな言葉も乗っているが、今じゃこれは口に出しても通じない。言葉っていうのは使っわれるもので、人とともに変わって行く物だ、というような内容だった気がする(あまり記憶にはないが、この言葉の紹介はいれてあった)
そんな事を書いていたが、今回読んだ話によれば、辞書編集というのは、現代語も乗せれば死語もきちんと乗せる。こういう言葉があった、こういう用法があった、そして今こういう言葉があり、こういう用法がある。言葉は生きているものだから、どっちも大事だ、ということらしい。
なんだか納得した。こんな使いもしない言葉にページをさして使えない辞書だ、なんて中学生の私は思っていたんだと思うが、お前の考えの浅さが残念だと笑ってやろうと思う。
そして、読み終わって、とにかく熱中して仕事がしたくなった。
時間を空けてまた読み直したい。
読み終わって、とりあえず仕事をしようと思った。素敵な読後感だ。
彼女の小説を読むのはこれが2作目。
読んだのは『君はポラリス』(?)という恋愛小説の短編集だ。軽快で、思わずふっと笑ってしまう、個性的かつ魅力的でその上で現実離れしていない女性がかわいらしいのが印象的だった。
今回読んだ舟を編む、も人物がそれはもう魅力的だ。
少し離れて客観的に遠くから眺めていたい、そんな魅力あふれる登場人物達が夢中になっている事、それが辞書編集である。
辞書を作るのだ。
国語辞書。
個人的に国語辞典をそれほど活用した記憶は無い。
語の意味というのは大概、出てきた文脈から推測して読んでしまうから、本を読んでいる途中で辞書を引こうと思った事がない。その一語が分からなくても大体はその本を読み進める事において支障がない。中学や小学校で語の意味を調べて来い、なんていう宿題も、こんな単語調べ無くても知っているよ、というのが主で、辞書を引いて感銘をうけたという経験が無い。
個人的には古語辞典や英和、英英辞典にはそれなりにお世話になったし、用もなくぴらぴら引いてみたりはしたが、国語辞典に関しては、無関心だった。
大学に入って一人暮らしを始める時も、英和と英英辞典は家から持ち出してきているが国語辞典は置いてきた。
最近はわからない言葉はネットで検索するから尚の事必要性を感じていない。
それが今回この本を読んで、辞典を今持っていないことがものすごく悔しく感じている。言葉についての無頓着がもったいなく感じてしょうがない。辞書を作る、そういう人たちが言葉についてどういう感性を持っているのか、どういうところにこだわっているのか。全然知らない世界のはずが、ものすごくリアルに伝わって来る。おもしろい小説だった。
おもわずくすっとわらってしまうところも多い。ラブレターの下りなど最高だと思う。そんなラブレターもらえるものならもらってみたい。便せん15枚。最高だと思う。
そして、言葉っておもしろいな、と思う。辞書を読むという概念が私にはそもそも無かったけれど、今すごく辞書を『読んで』みたい。隅々まで読んでみたい。辞書に書いてあること、というのは、どうすれば客観的な事実と客観的に正確な意味に見えるか、という編者の意見のようなものなんだな、と思った。
辞書にまつわる経験といば、中学生のころ、宿題で書いた作文を県のスピーチコンテストで読んで来い、と言われた。その作文の内容が、確か言葉をテーマにした物だった。きちんと覚えていないか、その中で今は使われていない言葉、として『烏兎』という言葉を紹介した。これは、太陽に烏が住み、兎が月に住んでいることから、太陽と月を表した言葉だという。たまたま言葉、というテーマに辞書を眺めていた時に見つけた単語で、辞書にはこんな言葉も乗っているが、今じゃこれは口に出しても通じない。言葉っていうのは使っわれるもので、人とともに変わって行く物だ、というような内容だった気がする(あまり記憶にはないが、この言葉の紹介はいれてあった)
そんな事を書いていたが、今回読んだ話によれば、辞書編集というのは、現代語も乗せれば死語もきちんと乗せる。こういう言葉があった、こういう用法があった、そして今こういう言葉があり、こういう用法がある。言葉は生きているものだから、どっちも大事だ、ということらしい。
なんだか納得した。こんな使いもしない言葉にページをさして使えない辞書だ、なんて中学生の私は思っていたんだと思うが、お前の考えの浅さが残念だと笑ってやろうと思う。
そして、読み終わって、とにかく熱中して仕事がしたくなった。
時間を空けてまた読み直したい。