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徒然自己完結

適当な思いつきや感想を、これまた適当に断片的に残しておくだけの日記です。

舟を編む

2012-02-02 20:07:05 | 読書
三浦しをん さん。
読み終わって、とりあえず仕事をしようと思った。素敵な読後感だ。

彼女の小説を読むのはこれが2作目。
読んだのは『君はポラリス』(?)という恋愛小説の短編集だ。軽快で、思わずふっと笑ってしまう、個性的かつ魅力的でその上で現実離れしていない女性がかわいらしいのが印象的だった。

今回読んだ舟を編む、も人物がそれはもう魅力的だ。
少し離れて客観的に遠くから眺めていたい、そんな魅力あふれる登場人物達が夢中になっている事、それが辞書編集である。
辞書を作るのだ。

国語辞書。
個人的に国語辞典をそれほど活用した記憶は無い。
語の意味というのは大概、出てきた文脈から推測して読んでしまうから、本を読んでいる途中で辞書を引こうと思った事がない。その一語が分からなくても大体はその本を読み進める事において支障がない。中学や小学校で語の意味を調べて来い、なんていう宿題も、こんな単語調べ無くても知っているよ、というのが主で、辞書を引いて感銘をうけたという経験が無い。
個人的には古語辞典や英和、英英辞典にはそれなりにお世話になったし、用もなくぴらぴら引いてみたりはしたが、国語辞典に関しては、無関心だった。
大学に入って一人暮らしを始める時も、英和と英英辞典は家から持ち出してきているが国語辞典は置いてきた。
最近はわからない言葉はネットで検索するから尚の事必要性を感じていない。

それが今回この本を読んで、辞典を今持っていないことがものすごく悔しく感じている。言葉についての無頓着がもったいなく感じてしょうがない。辞書を作る、そういう人たちが言葉についてどういう感性を持っているのか、どういうところにこだわっているのか。全然知らない世界のはずが、ものすごくリアルに伝わって来る。おもしろい小説だった。
おもわずくすっとわらってしまうところも多い。ラブレターの下りなど最高だと思う。そんなラブレターもらえるものならもらってみたい。便せん15枚。最高だと思う。
そして、言葉っておもしろいな、と思う。辞書を読むという概念が私にはそもそも無かったけれど、今すごく辞書を『読んで』みたい。隅々まで読んでみたい。辞書に書いてあること、というのは、どうすれば客観的な事実と客観的に正確な意味に見えるか、という編者の意見のようなものなんだな、と思った。

辞書にまつわる経験といば、中学生のころ、宿題で書いた作文を県のスピーチコンテストで読んで来い、と言われた。その作文の内容が、確か言葉をテーマにした物だった。きちんと覚えていないか、その中で今は使われていない言葉、として『烏兎』という言葉を紹介した。これは、太陽に烏が住み、兎が月に住んでいることから、太陽と月を表した言葉だという。たまたま言葉、というテーマに辞書を眺めていた時に見つけた単語で、辞書にはこんな言葉も乗っているが、今じゃこれは口に出しても通じない。言葉っていうのは使っわれるもので、人とともに変わって行く物だ、というような内容だった気がする(あまり記憶にはないが、この言葉の紹介はいれてあった)
そんな事を書いていたが、今回読んだ話によれば、辞書編集というのは、現代語も乗せれば死語もきちんと乗せる。こういう言葉があった、こういう用法があった、そして今こういう言葉があり、こういう用法がある。言葉は生きているものだから、どっちも大事だ、ということらしい。
なんだか納得した。こんな使いもしない言葉にページをさして使えない辞書だ、なんて中学生の私は思っていたんだと思うが、お前の考えの浅さが残念だと笑ってやろうと思う。

そして、読み終わって、とにかく熱中して仕事がしたくなった。
時間を空けてまた読み直したい。

スローハイツの神様

2012-02-01 14:58:15 | 読書
辻村深月氏の小説である。

本の購入は近年ずっとamazon経由だったが、最近になって大型の本屋が近くに出来た。ふらふらと寄るようになってすぐに手にとった本が、辻村深月の『冷たい校舎の時は止まる』だった。読むならこの本!!というような帯ととものに、本屋もポップを手作りしたりしてかなり押しているようだった。こういう、人のお勧めが見えるのが本屋で本を買えるいいところだと思う。

そこで、読んでみたんですが、これ、すごくおもしろかったんですね。
なぜ、今までこの人の本読まなかったのだろう、って思うくらい。高校生の頃を思い出すというか。この本が発表された頃は、丁度高校に入学した頃。新書にはもちろん手を出せるお小遣いもなく、文庫になったのが受験のシーズン。なるほど、読んでいないわけだ、と納得するとともに、あの時期に読んでみたかったような気もした。高校生の自分がよんだらどう思っただろう。そう考えてしまうような小説だった。丁寧な心理描写は、確かに痛々しさもあるけれど、そんな傷になるような経験がなくても、そこまで鋭くなくてもどことなく覚えのあるような、そんな考えを持っていたような懐かしさもある感じで、すっと中に入ってくる。そういう心理描写だと思いました。
ただ、やっぱり振り返って今読むからこそ感じ取れる鋭さもあるかもしれない、とも思ったので別に高校生が読むべき、とは思いませんでした。過ぎた後振り返ると見える心理のような物が丁寧に書かれているようにも思ったので、むしろ高校生の私に響いたかどうかは分からないですね。響いたかもしれないけれど、その響き方が今よりよかったかはわからないなっていう感じ。それでも高校の時に一期一会でこの本を読んで泣けてたらいいなぁ、と感じた本でした。

まぁ、そんなこんなで大分つぼに入ったのでこの作家さんの他の本をお買い上げ。
「凍えるくじら」

「スローハイツの神様」
それから吉川英治新人賞をおとりになった
「ツナグ」
どれもすごく面白かった。
気を抜くと涙が出そうになるような。そういう迫って来る物があります。
入りも面白い。
南極の氷に閉じ込められたくじらの描写
ツノダ・コーキの小説に影響を受けて殺し合いが始まる、という記事。
でも凍えるくじらもスローハイツの神様もそういう殺伐感とは関係ないところからスタートします。何が始まろうとしているのか、わくわくしながらページをめくる、そういう読書が楽しめます。
読み終わって、振り返ってあらすじを書こうとすると、それほど変わったプロットじゃないし、奇抜な展開でもないし、今までになかったテーマでもない。あらすじなんか紹介しようとすると、私の力量ではものすごく平凡ななんてことない小説のような説明になってしまいそうですが、ものすごく”読ませる”力があって、読み終わった後にすーっとなにか気分が良くなって、誰かとこの本の事で話がしたくなる。そういう小説だと思います。

周りの人にとりあえずすすめてみたくなる。
そんな小説です。

日本人へ 国家と歴史編

2012-01-12 13:57:26 | 読書
塩野七生さんの著書です。
文藝春秋で連載されていたとか。
イタリアに暮らし、地中海の歴史を様々に物語っていらっしゃった著者のコラム集です。個人的には非常に面白かったです。

歴史的なチーズにきっついシチリアのワインの話を読めば、ワインが飲みたくなったし、イタリアの遺跡を散歩する話を読めば、ローマに飛んで行きたくなり、ブランドのバッグの話が出てくれば買い物に行きたくなる。淡々とした筆致の中で、それでも想像力をかき立てるのがうまい作家さんだなぁと感じました。
しかし、そう言った趣味のどうこうよりも、やはり流石なのは政治への意見。もちろん、それはどうか、ということもありますが、首相が変わったくらいでは引き返せないところまでやって初めて、ヤッタ、と言えるのでは?とか何をどうやるか、よりも何をどう一貫してやり続けるかの方が重要だとか。そうそう、一言で言うならそう言う事が言いたかった!!と思うような事が多かったです。
もやもやとしていた事が、表現を得たような、そういう爽快感がありました。

小中高、と夢中で読んだ田中芳樹さんの著書でもそうでしたが、やはり歴史を詳細に勉強すると、現在から見えて来る事もいろいろあるのでしょう。
ローマ人の物語を読んでみよう、と今日第一巻を購入してまいりました。


個人的には、世界史の教科書の下りが心に残っています。
塩野さんは世界史の教科書を何種類か手元に置いておられるそうです。
この程度の知識しかない人、しかし知識はこの程度でも知力は一人前の日本人が読者であること、これを念頭において執筆をされるというのです。
つまり、失礼に値するようなやさしい語り口を用いない、そして知的水準を下げないこと。その上で知識の足りない人に物語を伝えて行くためには、明晰に書く、それ以外にない。そう言い切っておられます。
この明晰に書くこと、これのなんと難しいことか。
学会での発表や、研究施設の一般公開で我々はたいがい、分かり易さと正確さをトレードオフのものだと考え、結局は分かり易さの為に、正確さを捨ててしまいがちです。
しかし、経験してみるとこれが伝わらない。これ以上ないほど難しいところを削ったはずなのに、うまく伝わらない。
考えてみれば、語り口をやさしくしても、内容はやさしくならないし、正確さをなくしてごまかせば、その上に積み上げるすべてがぐらぐらします。我々の多くは、相手は知識は足りないが知力は一人前だという、そういう想定がうまくないのだろう、と思いました。子供に語りかけるように、ぱっと見やさわりだけを柔らかくして、結局中身は茫茫たるものにしてしまう。だから伝わらないのでしょう。その中には、相手を少し下に見るような、そういう傾向も見られるのかもしれません。

相手の知識をきちんと想定し、知力は対等と認めた中で、「明晰に」述べる。
難しいですが、人に何かを伝えようとする以上は、常に念頭に置かなければと思いました。

コンスタンティノープルの陥落

2011-10-21 13:26:25 | 読書
塩野七生さん
初出版は18年も前ですが、まさに今更読みました。

東ローマ帝国、ビザンチン帝国と呼ばれていた、ローマ帝国の遺児である、このギリシア正教の国の最後の1年ほどを詳細に記した、歴史書のような歴史小説です。

国とはいっても、今のイスタンブールに当たる部分、実際の支配権としてはより小さな範囲をまもる、城攻めと防衛である。地図などの図がきちん用意されていて、はるか遠い場所ですが、この帝国の首都がいかに要所であるかはきちんと分かります。
様々な立場の人たちの視点を、非常にうまくおりまぜて、どういった利害があり、どのような人たちが何をもって関わっているのかがよく分かって、淡々とした調子の中で臨場感があってとてもおもしろかったです。

親しみと誠意でもって、慕われる事で統治したコンスタンティヌス帝と、畏怖で持って統治しようとするスルタン、マホメット2世の対照もよく出ていて面白い。様々なまわりの人間の手記によってなる、歴史的視点に基づくこの小説では、マホメット2世はいつも、何を考えているのか、命令が各所にくだされ、その指示が身を結ぶまでよく分からない。腹を立てている事は分かってもその先の何を見ようとしているのかをそのとき回りにいる人たちには察する事ができない。その人となりは、畏れられようとしている、という事以外はよくわからない。反面、コンスタンティヌス帝は、人々と握手をし、その手を取ってはらはらと涙を流し、素直で誠実な言葉をかける。様々な人の手記からその人となりは明らかで、それ故に慕われている。

落日の皇帝と、若き征服王のもとでの攻防は、その実、ヘタレなギリシア人にとって国の滅亡よりも心を配る事が多かったためなのか、なんなのか、自らの権益を守りたい二つの共和国のイタリア人と、征服王の戦いでもある。

この小説では様々な立場の盛り込み方が非常に上手だと思う。
また、まとめの部分で、西欧、ヴェネチアに対する尊敬の念や、なんとも言えない読後感を得られた。
おもしろい小説だった。


くじらの彼

2011-10-16 16:33:28 | 読書
有川浩先生

図書館戦争の作者様ですが、この方読んだ事ありませんでした。
海外出張の飛行機のお供に何冊か購入した文庫の中の1冊。
こういうかわいい恋愛小説は久しぶりに読みましたが、とてもかわいくて素敵でした。

作者の先生、名前見て男の人?と思っていたんですが、女の方みたいですね。いや、デリカシーないし、よくあるやり方で女の子泣かせるような男の人が彼だったりするんですが、いざというときちゃんと理想の王子様なんですよね。
キュンキュンしながら読みました。
時にはこういうのもいいなぁ、なんてほのぼのしました。
短編集ですし、軽く読めて、楽しかったです。
この人の本、他にも読みたいな、と思う本でした。