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通訳クラブ

会議通訳者の理想と現実

一歩、外へ!

2011年08月14日 | 『毎日フォーラム』コラム

 人は誰でも自分が一番快適に過ごせる comfort zone を持っている。物理的な快適要因の代表と言えば温度。 大学時代にアルバイトで、Thermal Comfort という学術論文を翻訳したことがあるが、どのような温熱環境を人は快適と感じるのか、条件を色々と変えて実験した結果をまとめたものだった。温度、湿度、空気の流れなど外的要因に加えて、体型や代謝による個人差もあり、一般に太っている人が暑がりなのは、体の体積に対して熱を逃がす体表の面積が小さいからだ。

 ある時、真夏のニューヨークの空港で、数人の通訳者と冷房の寒さに震えながら乗り継ぎ便を待っている横を、半袖短パンのアメリカ人が悠然と通り過ぎて行った。皆で呆然と見送ったが、これこそまさに体型と代謝の違いのなせる業だ。

 心理的な comfort zone もある。気持ち的に無理をしなくても良い楽な領域で、その内側にいる限りストレスは少ないが容易に惰性 inertia につながる。向上心とはそこから外に出ることを恐れない心のことだ。発想の面でも固定観念 stereotype にとらわれているとなかなか突破口 breakthrough が開けない。そこで常識の枠を超えた考え方 out-of-the-box-thinking が出来ると、意外な解決策が見つかったりする。あえて外に踏み出すことがきっと人生を豊かに楽しくするのだ。

 今年は節電の夏でクールビズがスーパー・クールビズに進化したが、残念なことにそんな服装のお客様を迎えるホテルなどの施設の中に、未だに固定観念にとらわれて室内を超冷え冷えにしているところがある。例年、夏の方が冷房で風邪をひかないように気を使うのだが、さすがに今年は大丈夫だろうと油断していたら、会議が終わる頃には体が震えるほど冷え切ってしまった。外に飛び出すと30℃を超える気温が逆にありがたく、しばし真夏の日向ぼっこと相成った。

 こんな冷房は快適でもないしエコでもない。環境省のウェブサイトにでも告発ページかなんか、設けていただけないものだろうか。・・・画期的だと思うけど。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年8月号掲載)

英語になった日本語

2011年07月11日 | 『毎日フォーラム』コラム

 ヨーロッパの空港で乗り継ぎの時間をもてあましてふらふらしていたら Shiatsu Massage の看板が目に止まった。なるほど、日本のホテルではまってしまうビジネスマンも多いのだろう。さすがに空港では無理だと思うが鍼灸は acupuncture & moxibustion と言って灸の方はモグサからきた言葉だ。

 日本語に外来語があるように英語にも外国語からの loan words があって、日本語が語源のこともある。高校時代のホームステイ先の家庭には小型のバーベキューグリルがあって、それを son of hibachi だと教えられた時には耳を疑った。醤油の soy(a) sauce はてっきり soy beans 大豆から来ているものと思っていたらなんと逆だと聞いた時も驚いた。ついでにスーパーに並ぶ satsuma は芋ではなくみかんである。

 日本の経営や品質管理は世界でも注目を集めてきたので zaibatsu や keiretsu、kaizen、kanban あたりがそのまま国際的ボキャブラリーになるのは分かるが、salaryman が日本語から逆輸入されていたりするのはちょっと意外だ。ちなみにアメリカ人がスコシと言ったら日本人の「少し」をまねているのではない。実は skosh はすでに英語なのである。

 最近英語のメディアでは「自粛」を voluntary self-restraint or jishuku と表現していたりする。英語で説明しきれない気持ちは分かるものの、karoshi などのように定番化しないで欲しいと思ってしまう。

 文化の面では、国際的にも定着している ukiyo-e(発音はユーキヨエ)や origami、haiku 等に加えて karaoke も立派に国際語入りを果たしたが、いかにもの英語名を獲得した Happy coat 法被という強者もいる。さらに躍進著しいのが anime、manga、otaku などのニュージャンル。もともと costume play の短縮版だったコスプレが cosplay として世界中で愛好家達の間で大盛り上がりだ。ただ、たまにいわゆるB級の映画やドラマで窮地に陥りもう駄目状態のキャラクターが "Bonsai!" と叫ぶのは "Banzai!" の間違いなので、誰か教えてあげて欲しい。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年7月号掲載)

出会いと別れの一言

2011年06月14日 | 『毎日フォーラム』コラム

 一時期ACの公共広告が数多く流れていたが、ちょっと好きだったのが「こんにちワン」や「さよなライオン」が出てくる「あいさつの魔法」。小学校低学年を対象として企画作成したそうだが、大人にも実践して欲しいメッセージだ。最近とかく隣近所のつきあいが希薄になりがちだが、住民同士が一言声を掛け合うだけで防犯上大きな効果があるそうだから、挨拶ぐらい出し惜しみせずにしたいものだ。

 先日英語での挨拶がどうも苦手で、という方にお目にかかった。顔見知りの相手だとおはようだけではすまなくて必ず "How are you?" がついてくる。中学校で習った "I'm fine, thank you. And you?" なんてネイティブは誰も言わないことは分かったけど、じゃあ、なんて言えばいいんだろう、なによりとっさに答えられない、と悩んだ結果、とにかくまず自分から "How are you?" の先制攻撃をすることにしたと笑っていらした。

 実はこちらも "How are you?" と返せば事足りるのだが、それでは何となく落ち着かなく感じてしまうのであれば、悠長に答えている時間のないときなどに便利な短いフレーズを数パターン持っていると安心だ。簡単で取っつきやすいのが "I'm good!" あたりだろうか。主語を省略するのもいい。気分の良い朝だったら "Couldn't be better!" で元気はつらつ感が伝わる。まあまあな日は "Can't complain." 忙しくてちょっと疲れがたまっていたら "Just getting by." いずれも最後に "You?" とボールを投げて完了。相手の出方を待てばいい。

 さようならにもバリエーションを持たせたい。その日のうちにまた会う予定があるなら "Catch you later." とか "See you in a little bit." というカジュアルな言い回しがある。 "Take care!" は「じゃ、気をつけて」という軽い意味。 "See you later." は仕事を終えて明日まで会わない時でも使える。自分が先に帰る時は後に残る同僚に "Don't work too hard." 立場が逆だったら "Have a nice evening." と送り出してあげるとスマートだ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年6月号掲載)

腕の長さの距離感

2011年05月14日 | 『毎日フォーラム』コラム

 会議では実際に通訳をする前に講演者と打ち合わせ briefing の時間を設定してもらうことが多い。通訳者はコミュニケーションのプロではあっても会議のテーマ subject matter のプロではないので、いただいた資料を自分なりにどんなに勉強しても分からない部分が残る。それを確認したり同席する専門家に訳語を教えていただいたりする、とても大事な時間だ。

 ある時、講演者に同僚と私の間に座ってくれるようお願いしたら、何故か私と肩が触れあうくらいの距離に座られてなんとも居心地の悪い思いをしたことがある。後から「近くなかった?」と同僚にこぼしたら「にじりよられてたよ」と面白そうに笑われた。快適な距離の感覚が少々異なる講演者だったのだ。

 文化人類学者のエドワード・ホールが動物行動学を応用して定義した個人空間 personal space によれば相手との距離 45cm 未満は密接距離 intimate distance と言ってほとんどスキンシップの距離。初対面の相手では落ち着かないのも無理はない。個人的な会話の適正距離は個人距離 personal distance と言い 45~120cm。「手を伸ばせば届く距離」と説明されたりすると、なんだか仲が良さそうだ。

 ところが at arm's length というイディオムは、腕の長さだから親密なのかと思いきや「距離を置く」という意味になる。グループ会社間の取引を対等な関係として行うとか、公務員が家族や友人を優遇しないとか、とても腕の長さでは足りないくらいのよそよそしさだ。いったい腕って、長いの、短いの?

 ある日うちで飼っている猫のくつろぐ姿があまりにも可愛くてついついかまいたくなり顔を近づけたら、頬に肉球がぴたっと張り付いてきた。猫はそのまま「邪魔しちゃいや~」とばかりに思いっきり両腕を突っ張って顔をそむける。これが arm's length の正体だ。腕を伸ばした長さとは個人距離の範囲で、安易になれなれしく立ち入ってはいけない距離なのである。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年5月号掲載)

今こそ笑おう

2011年04月12日 | 『毎日フォーラム』コラム

 「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しくなるのだ」とは大学の心理学入門で習ったジェームズ=ランゲ説。妙に説得力がある。同様に嬉しいから笑うのではなく、笑うから嬉しくなる。実際、笑いにはストレスや痛みの軽減効果がある。

 笑うと脳内で幸福ホルモンとも呼ばれるエンドルフィンが分泌され、幸福感を感じると共に自律神経の働きが安定する。その結果不安感が減少し、ポジティブな気持ちが生まれるのだという。大きく口を開けて笑う laugh に越したことはないが、giggle/chuckle くすくす笑いや、声を出さない smile、無理に笑おうとしてにやり grin になっても効果ありと確認されているそうだ。

 3月11日、東日本大地震で東京も大きく揺れた時、私はある民放テレビ局の会議室にいた。全員でテーブルの下に潜ったが、あまりの揺れの大きさと長さに、どうなってしまうのだろうと絶望的な気分だった。米国人クライアントに「ビルは免震構造だから大丈夫。ほら、もうおさまってきた・・・」と声をかけ続けたのは、自分への励ましでもあった。

 揺れがおさまってテーブルの下から這い出た全員が顔面蒼白で沈黙する中、局の人が室内のテレビをつけた。しばらく第一報を食い入るように見ていたら「あ、しまった」の声。「どうしてこういう時にNHKを見てるんだ!」あわてて自局のチャネルに変える姿に思わず全員が笑った。そのとたん、私は自分の気持ちがふっと楽観的になるのを感じたのだ。きっと無事に家に帰れるという根拠のない確信だった。

 夜中過ぎに帰宅したが、翌日から徐々に明らかになる東北地方の被害は想像を超えていた。復興には時間がかかりそうだ。被災者の皆さんがおかれた過酷な状況に胸が痛むし、原発対応や復興支援に当たる方々の頑張りに頭が下がる。ただ、こんな時だからこそ、時々無理してでも笑ってみて欲しい。みんなが前向きになることが今こそ必要だと思うから。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年4月号掲載)

ゴールインのイン

2011年03月22日 | 『毎日フォーラム』コラム

 プロ野球のシーズン開幕 opening に向けてオープン戦 exhibition games が目白押しだ。良い選手がどんどんメジャーリーグに進出して国内が寂しくなるかと思えばあに図らんや、ちゃんとスター選手が現れて盛り上げてくれる。今年も注目のルーキーを追ってマスコミ the media がキャンプ spring training に殺到している。

 キャンプが始まったりそれに参加したりすることを「キャンプイン」と表現しているが英語の in は前置詞であれば名詞の前に付くし、副詞であれば動詞の後に来るので camp in は単独では成立しない。このインは「入る」という動詞の地位を獲得したユニークな和製英語なのである。競争馬がゲートに入ってスタートに備えるのはゲートイン、カーレースでタイヤ交換のためピットに入るのはピットイン、テニスなどでボールがネットに当たってから相手コートに入るとネットイン。電話に直接通じるダイヤルインという方式があるが英語では direct dialing だ。

 また「始める」の意味を持たせた応用版もある。ある電気通信関係のプロジェクトで日本側はサービス開始日のことをサービスイン・デイと呼んでいたが英語では in-service day だった。映画の撮影を開始することをクランクイン、完了することをクランクアップと言うのは昔の撮影機のハンドルを回し始めたり止めたりするところから来たらしい。ところが英語で crank というと、同じく時代は古いが撮影機よりも自動車のエンジンをかけるために回すハンドルが連想されるので、かえって crank up の方が勢いよく開始するニュアンスが強かったりする。
 
 野球は間もなくシーズンイン。ファンはひいきチームの選手がホームインする score / cross the plate 姿に声援を送る。今年はどのチームがペナントを制して一位でゴールイン finish するのだろうか。


(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年3月号掲載)

「甘い」は甘くない

2011年02月21日 | 『毎日フォーラム』コラム

 医療政策に関するセミナーでその道のカリスマ的権威が冒頭の挨拶に立った。来賓の挨拶と言えば短い原稿が出て、ほぼその通り読んで下さるのが常だが、そこはカリスマ、一筋縄ではいかない。蕩々と持論をぶち上げ5分の予定を大幅に超過し、主催者が遠慮がちに「先生、そろそろ・・・」と割って入るまでほぼ20分間エネルギッシュに語り続け、終わると聴衆から喝采を浴びた。実に幅広い講話の中ではこんなこともおっしゃった。「生活習慣病の治療に医者や薬が必要なのは甘い生活から抜け出すのが難しいからだ。」

 「甘い生活」と言えば1960年フェデリコ・フェリーニ監督の何とも救いのない映画のタイトルで当時の欧州では流行語にもなった。The Sweet Life という英題もあるのに、原題が一般名詞化した la dolce vita や、英語と折衷の the dolce vita がセレブっぽさを出すのに使われたりする。

 このように出自が明らかなのは助かる。「甘い」は通訳者が英訳に困る言葉の一つだからだ。「酸いも甘いも噛み分ける」 ”can tell the bitter from the sweet” のように味覚の甘さをそのまま使える例は少数派。「脇が甘い!」を armpit が sweet だと直訳できると思う人はいないはずだ。 ”Don’t lower your guard / defense!” など、状況に合わせた表現を選ばなくてはならない。「甘く見ないでよ」は ”Don’t underestimate me!” あたりだろう。

 本来の意味から派生して新しい用法が生まれていくことを意味拡張 semantic expansion と呼び、文化を背景に結構好き勝手な方向に発展するので sweet と「甘い」の距離はどんどん離れていく。娘に甘過ぎる父親も indulgent/permissive であって sweet ではない。と言うのも ”He’s so sweet” というのはとてつもなく親切だったり、場合によってはイケメンだったりする時の最上級の褒め言葉だからだ。
 
 言われてみたい? ”You wish!” 「甘い!」


(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年2月号掲載)

チャージするものしないもの

2011年01月25日 | 『毎日フォーラム』コラム

 ビニール袋、ペットボトル、クレジットカードを英語にする時、共通する単語は何でしょう? 答えは plastic。それぞれ bag、bottle、money をつければいい。素材がどんな組成であるのか、アメリカ英語では気にしない。つるつるした樹脂系の物は全部プラスチックなのだ。クレジットカードの利用が増え始めた頃には、 plastic society なる言葉も生まれた。

 最近では plastics カードにも色々な種類があるが、ICチップ搭載のスマートカードは単に chip card と呼ばれたりする。Suica や Pasmo のようにあらかじめ決まった金額を入金して使うカードを総称して stored value card と呼ぶが、その入金を「チャージする」と言うのは、きっとバッテリーなどを充電するように減ってきた金額を補充するイメージから誰かが言い出したのだろう。英語としては正しくない。

 支払いレジ cashier で "Cash, check or charge?" なんて早口で聞かれてまごついた経験はないだろうか。「お支払いは現金、小切手、クレジットカードのどれになさいますか?」つまりこの場合の charge はクレジットカードの口座に請求することを指す。宿泊先のホテルでの食事を部屋につけて欲しい時 "Charge it to my room" と言ったり、何かを無償で提供するのではなくお金を取りたい時などに "I want to charge for this service" のように使う。

 Suica で出来るオートチャージ auto-charge の方は自動的にクレジットカードの口座に請求されて決済されることだと解釈できないこともないが、普通は毎月同じ日に行われる口座引き落としのことを指す言葉だ。カードへの入金は reload とか replenish と言う。

 お金が絡まない charge の使い方もある。 "I want to charge him with battery" 「暴行で告訴したい」となると少々物騒だが、野球の応援などでよく使う "Charge!" と言うかけ声は「行け~!」という励ましだ。新たな年を迎えた日本も、もっと元気になって欲しい。

Charge!

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年1月号掲載)

Can you slurp?

2010年12月28日 | 『毎日フォーラム』コラム

 午後一時半くらいにランチョン・ミーティングでの通訳を含めた一本目の仕事を終え、次の現場に移動する途中、腹ごしらえをしておこうとたまたま目にとまったラーメン屋に入った。時間も時間なので店内は空いていて客は3組くらい。通路を挟んだ向かいのテーブルは女性のおひとり様だ。彼女の席にラーメンが運ばれて来る。人の食事風景をまじまじと眺める趣味はないので、私は午後の資料に目を落とした。

 数分後、とてつもない違和感に襲われて彼女に視線を戻した。最初はその正体が分からず当惑したが、やがてはたと気が付いた。その女性はいっさい音をたてずにラーメンを食べていたのである。

 食を巡るマナーは多様だ。中国では出されたものを完食したら「足りなかった」の意味でホストに気を使わせてしまうそうだし、韓国ではご飯茶碗を持ち上げて箸で食べてはいけない(テーブルに置いたままスプーンで食べる)。欧米ではスープは音をたてずに eat 食べるものだし、パスタをずるずるとすする slurp なんてもってのほかだ。もちろん日本でも、スパゲティをすすり込んだりくちゃくちゃ音をたてて食べるのは大ひんしゅくものだ。

 ところがそば・うどんのたぐいやラーメンは、ずずずっとすする。上手い落語家が手ぬぐいをどんぶりに、扇を箸に見立ててそばをすする音を聞くと、見ているこちらまでお腹が空いてくるではないか。音も含めておいしさが構成されているのだ。美味しそうに食べることも立派な食事のマナーだと思う。

 ある通訳仲間の夫はフランス人だ。日本に長く暮らしている彼の好物の一つがラーメン。「じゃあ、家族でラーメン屋さんに行ったりするの?」と尋ねたら「私は絶対一緒に行かない」という意外な答えが返ってきた。「ラーメン、嫌いなの?」「ううん、大好き。だから一緒に行くのは嫌なの。だって、音たてないで食べるのよ。不味そうで許せない!」

(「毎日フォーラム 日本の選択」2010年12月号掲載)

ノーベル賞を巡る日本語の冒険

2010年12月27日 | 『毎日フォーラム』コラム

 今年は2人の日本人科学者がノーベル化学賞を受賞した。これで1949年の湯川秀樹以来、日本は18人のノーベル賞受賞者 Nobel Laureates を輩出したことになる。そのうち2008年物理学賞の南部陽一郎博士は49歳で米国籍を取得しているので正式にはアメリカ人受賞者にカウントされるが、受賞対象の研究は日本時代に行われた。

 隣国中国では民主活動家の劉暁波氏が平和賞を受賞した。かの国の検閲によってその公式な報道はいっさい無い。それでも中国伝統の「小道消息」口コミで、多くの国民が本当はそのことを知っている。しかしネット掲示板への書き込みも厳しく監視されているのでそのことは書けない。そこで、何故日本人は受賞できて中国人には出来ないのか、と言う議論が沸騰したそうだ。結論は「関係当局の責任」。

 2年前、南部博士を含む4人の日本人がノーベル賞を受賞した時、もう一つの隣国韓国でも同様の議論があったと聞いた。さまざまな分析がなされる中、韓国日報のコラムは日本の豊かな翻訳文化が背景にあると指摘。公共放送KBSテレビも韓国内の英語熱を取り上げたドキュメンタリーの中で、日本の科学者は翻訳により国際的な学術にアクセスできたと説明している。韓国の大学では物理・化学・数学などの基礎科学は翻訳せずに英語のまま学ぶため、それらの主要なコンセプトがすとんと腑に落ちない。つまり、イノベーションにつながるような深い思索が出来ないのだという。

 学生時代に翻訳のアルバイトをしていた会社に、インターナショナル・スクール出身の同僚がいて、バイト仲間は一様にバイリンガルの彼女を羨ましがっていた。そんな彼女がある日ため息をついて漏らした言葉を私は今でも忘れられない。「英語も日本語も中途半端で、私には哲学が出来ないの。」 日本の科学者達は幸運にも、それぞれの領域で好きなだけ深く、母語で哲学が出来たからこそ、大きな成果を残せたのだと思う。


(「毎日フォーラム 日本の選択」2010年11月号掲載)