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通訳クラブ

会議通訳者の理想と現実

ホームとプラットホームとプラットフォーム

2012年06月17日 | 『毎日フォーラム』コラム

 意外に思われるかもしれないが日本語の「ホーム」はちょっとトリッキーだ。極端な例だが「そこはホームに相談しないと・・・」と言われててっきり法務 legal department のことだと思ったら、その会社では米国本社をホームオフィスと呼んでいてそちらのことだった。ああ紛らわしい。

 一般的な例ではインターネットのホームページ。英語では website で、英語で home page と言うとそのサイトのトップページのことを指す。ほらね、ややこしいでしょう? さらに駅でよく聞くアナウンス「電車とホームの間が空いておりますので・・・」と言う時のホームは home ですらない。

 プラットフォーム platform とは、駅のホームの他に演台や舞台、靴の厚底や厚底シューズそのもの、個人がよって立つ信条や政党の綱領、議論を行う場やたたき台などを意味する。ずいぶんと幅が広いが、若干高くした台でその上に人や物が載るものと考えるといずれも納得がいく。ちなみにICTの世界ではアプリケーションの開発を行う際にそのアプリが乗る台、すなわちターゲットとするハードウェアや OS の事を指す。例えばゲーム開発のプラットフォームと言ったら、ゲーム機 gaming console が Wii なのか DS なのか、はたまた PS 、あるいは XBox なのかと言う意味だし、スマホのアプリなら iOS かアンドロイドか、ということだ。

 ところで私には妙な笑いのツボがあるらしい。昔々駅のホームの線路際には白線が引かれているだけだった。その後黄色い点字ブロックが敷設されるようになった頃のこと。駅員さんのアナウンスが「電車が参りますので、黄色い白線の内側にお下がりください。」・・・黄色い白線?! 笑いをこらえることができずそのまま電車に乗ったら間違いなく「変な人」 weirdo になってしまう。泣く泣く(大笑いしながら!)1本見送ったのだった。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2012年6月号掲載)

日本語の教え方

2012年05月17日 | 『毎日フォーラム』コラム

 海外で日本人が良く訪れるレストランで、料理を運んできてくれたウェイターのお兄さん達がにこにこしながら「イタダキマース!」 えっ、 一緒に食べるつもり? ”Bon appétit!”(ボナペティ)の日本語として誰かに聞いたのだろう。TPO(死語?)に合った使える言葉を教えるのは難しい。

 ベストセラーになった漫画「日本人の知らない日本語」の第三巻に海外で使われている日本語の教科書からびっくりするような例文が紹介されている。「これは私の犬ですか?」「いいえ、山田さんの猫です。」ツボにはまったと言うのだろうか、真夜中だというのに大声で笑ってしまった。しかし落ち着くと、逆にどのような状況でこの会話が成立するかが気になりだした。

 昔の中学英語の教科書で最初に習う例文 ”This is a pen.” 使えない英文の典型だったと思う。ところが2010年公開の映画「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」では主人公がはっきりとこれを口にするのだ。武器だと言って渡されたのが1本のペン。思わず「ただのペンじゃん」と抗議するシーン。あれ?そうすると ”I am a boy.” にも使い道があるかもしれない。母親の趣味でひらひらの洋服を着せられた子供が「あら、可愛いお嬢ちゃん」と褒めたつもりの知らないおばさんに口を尖らせて反論する場合とか・・・。うーん、どちらにしてもレアなケースだ。

 そこで犬と猫だが、例えば陶芸教室で置物を作った初心者が、焼き上がった作品の区別が付かず先生に質問している、と言うのはどうだろう。やっぱりレア?

 ちなみに研修などで海外から招かれた講師に教えて受けが良い日本語が「問題ない」だ。語尾を上げて質問にすれば講演の途中で「ここまで理解できましたか」の意味になるし、演習中に受講者のテーブルをまわりながら声をかける時も、受講生からの相談に乗る時も使える。おまけに Monday night と覚えればまず忘れない。お試しあれ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2012年5月号掲載)

Tips on Tipping (悩ましきチップ)

2012年04月10日 | 『毎日フォーラム』コラム

 仕事柄、比較的海外には良く行く方だがいまだに馴れないのがチップの習慣だ。部屋の枕の下に入れたり、レストランで15%を計算したりするのはまだ良いのだが、荷物を部屋まで運んでくれたりタクシーに積み込んでくれたりするベルボーイに渡すタイミングが難しくて、ついぎこちなくなる。堂々と渡せばよいのだろうが、請求されたわけでもない現金を手渡すことに、日本人特有の後ろめたさみたいなものがあるのだ。外国人向けの日本の旅行ガイドなどにも、Tipping チップについてと言う項目があって、日本人にチップを渡そうとすると、逆に侮辱 insult と受け取られかねないと説明されていたりする。そういう国民性なのだ。

 ちなみに tips とは To Insure Prompt Service の頭字語 acronym だと言う説があるそうだが、これはどうやら後付け backronym らしい。本当の語源 etymology は曖昧だが、15世紀くらいに少々あやしげな人たちが使っていた隠語で、つんつんと人をつつくという意味だったのではないかと言われている。

 つついて何をするのか? 秘密の情報を耳打ちするのだ。だから今でも tip-off たれ込みとか useful tips お役立ちヒント集のように、情報は情報でもちょっと色が付いた感じで使われる。また指だったり棒だったり、つつくものから始まってあらゆるものの先端部を表すようになったので the tip of the iceberg 氷山の一角にもなるし、舌の先 on the tip of my tongue に誰かの名前が載っていたら、どうしても思い出せなくて「ここまで出てるのに・・・」の意味になる。

 さてチップに関する tips。レストランでクレジット払いの場合、金額を確かめてウェイターにカードを渡し、返ってきたカードと共に渡されるレシート2枚にチップと合計額を書き入れてサインし、1枚は店に残しもう1枚は控えとして持って返る。ホテルのバーなどでは請求額は部屋につけてもらって、チップの分は現金でテーブルの上に残すとスマートだし手持ちの小銭も減らせる。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2012年3月号掲載)

What's in a name? (ネーミングの落とし穴)

2012年03月13日 | 『毎日フォーラム』コラム

 ファストフードショップのバーガーキングにワッパーと呼ばれる妙な名前のハンバーガーがある。この一押し商品は普通のバーガーよりも大きく具がたっぷり。Whopperとは度肝を抜くほど大きいという意味なのだ。目玉が飛び出るような価格を the price tag of whopping 3 million yen のように使ったりもする。

 一度撤退した後、昨年暮れ日本に再上場して話題になったウェンディーズのベーコネーター Baconator の方がまだ分かりやすい。ベーコン入りハンバーガー界のターミネーターと言う意味を持たせたネーミングだという。パティやチーズに加えカリカリベーコンが挟んであって、いかにも若い男性向きのバーガーらしくボリュームがあってマッチョなイメージだ。

 経済がグローバル化すると企業名や製品名が他の国でどのように訳されたり受け止められたりするかにも気を配らなくてはならない。コカコーラが中国進出するにあたり発音だけで漢字を選んだら「蝋のオタマジャクシを噛め」か「蝋を詰めた雌の馬」になってしまったので、発音で妥協して可口可楽に落ち着いたというのは有名な話だ。

 日本産業界のグローバル化の雄、自動車も海外でのネーミングには気を使うようだ。ホンダのフィットはもともとフィッタで計画されていたが、スウェーデンやノルウェーのスラングで女性の隠し所の意味があることが分かり欧州では Honda Jazz として発売された。三菱パジェロもスペイン語圏では自分を慰める人の意味になってしまうので Montero と名前を変えている。

 子供の頃から慣れ親しんだカルピスも英語では cow piss としか聞こえないので北米では Calpico になった。コーヒーのお供クリープはクリームに「製品名に入れると売れる」と言われるp音を組み合わせた絶妙なネーミングだが、英語の creep と同じ発音なので、知り合いのアメリカ人はコーヒーを飲むたびに ”Give me the creeps!”「俺をぞっとさせてくれ!」と言って遊んでいる。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2012年2月号掲載)

カタカナは日本語だ!

2012年02月11日 | 『毎日フォーラム』コラム

昔 IT が通信と融合して ICT と呼ばれるようになった頃、アジア・ワイヤレス・サミットなる会議があった。当時の総務大臣は日本語の挨拶なのにインフォメーションやコミュニケーションといった外来語だけ英語風に発音し、ICT をアイ・スィー・ティーと連呼して、私には何とも気持ちが悪かった。日本語の一部になった言葉は日本語らしく発音して欲しい。

時に誤った読み方が定着してしまうこともある。昨年末、ある朝の情報帯番組でそれまでに取り上げた内容から「アワード」と称して名シーンを選ぶ企画をやっていたのだが、これにかみついた視聴者がいる。曰く「正しい発音はアウォードです。」確かにその方が award には近いのだが、ためしにインターネットで検索して何件くらいヒットするのか見てみると60万ページくらい、一方のアワードは2千500万件と桁違い。単純な比較だが、どちらが市民権を得ているかは一目瞭然だ。小学校でローマ字を学ぶ日本人は a を見るとア、o を見るとオだと思いこむのである。

女性の化粧道具で眉を描くペンシルをアイブロウと呼ぶが、アイブラウの方が eyebrow の発音としては近い。そこで同じ実験をしてみたら240万対3万5千とこちらも喧嘩にもならない。

日本語でポーチというと玄関の外側に張り出した porch だったり、ポーチド・エッグのように料理の方法 poach だったりするが、一番用法として多いのは主に女性が持つ小さなバッグのことではないだろうか。この原型は pouch で、レトルトでおなじみパウチの方が発音は正解。でもそんな呼び方をしたら絶対笑われる。言葉は先に定着したもの勝ちなのだ。

私はアワードにもポーチにも何の異論もないし ICT はアイシーティーと発音する。ベートーヴェンという表記でさえベートーベンと読むのが正統な日本人というものだ。ただウォーム warm ビズがワーム worm ビズにならずにすんだのは、素直に良かったと思う。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2012年1月号掲載)

冒険の旅 ウルグアイ編

2012年01月12日 | 『毎日フォーラム』コラム
 人生初の南米出張はウルグアイだった。日本のほぼ真裏の首都モンテビデオで4日間の会議を終え、さあ、帰国の途に着こうと言う時に事件は起こった。

 午後1時台のサンパウロ行きの便がいきなり欠航になったのだ。すでに出国審査を通って待っていた乗客達はパニックだ。皆サンパウロから接続便があるのに、火山灰の影響なので航空会社はいっさいの責任を取れないと言う。なすすべなく預けてあった荷物を引き取り翌日早朝の便に予約を入れ空港近くに宿をとった。

 翌朝4時にチェックアウトすると、フロント係りが今朝の便も欠航らしいと言う。打ちのめされながらもとりあえず次の便のキャンセル待ちをするしかあるまいと思い空港へ。ところがなんとその日のサンパウロ便は全便欠航。火山灰ではない、機材がないから。前の日に飛行機が飛んできていないのだ。だったら昨日のうちに分かっていたはず。何故教えない?!
 
 前日の欠航でこの日は他の航空会社も全便満席。乗れるとしたら翌々日しかないと言われても、日本でも仕事が待っている。何とかウルグアイを脱出しなくてはならない。聞けば隣国アルゼンチン行きのフェリーが出ているとか。電話が通じた日本のエージェントにその経路も含めて帰国手段を探してもらうことにした。

 数度にわたる国際電話と不安いっぱいの待機の後、ブエノスアイレスから夕方の便で飛べるとの連絡。良かった!・・・ところが、である。思ったよりもフェリーの便数が少ないのだ。最寄りの港からではせっかく予約できた飛行機に間に合わない。万事休す!

 他の手段は、とコンピュータ画面をにらんでいると昼頃にもう1便のフェリーが。これなら間に合うが別の港から出る便で、そこまではタクシーで2時間半もかかると言う。でももうそれしか手段はない。躊躇している暇もない。空港タクシーならクレジットカードで支払える。こうして350米ドルで雇ったドライバーは、土埃がもうもうと立つ道を疾走し、何とか無事に乗り場に送り届けてくれたのだった。


(「毎日フォーラム 日本の選択」2012年1月号掲載)

波乱の海外 オーストラリア編

2011年12月19日 | 『毎日フォーラム』コラム

 9月に妹とオーストラリアに旅行した。日本からの便は夜に成田を出発して早朝に到着する。シドニーで入国後、乗り継いでメルボルンへ向かう旅程だ。搭乗が済みまもなく離陸かと思う頃、機長から機材トラブルで出発が大幅に遅れるため、次の便に乗り換えたほうが早いと言うアナウンス。エコノミーの席だったので座席の背を倒すのに気兼ねがないようブロックの最後列を取っていたのだがその工夫も水の泡だ。がっかりしながら航空会社のサービスカウンターに向かった。

 ぞろぞろ降りてきた乗客がこぞって次の便に座席を確保しようとする中、預けた荷物はどうなるのか尋ねると、次の便ではなくさらにその次になると言う。バゲッジ・クレームのあたりで空しく待つよりこのターミナルの方がましだと思い、そちらに変更した。もともと朝9時ごろの到着のはずだったのでホテルのチェックインには少々早いかと懸念していたが、この遅れで昼ごろになったのでその心配がなくなった。

 メルボルン観光後、夜行寝台列車でシドニーへ向かう予定だったので、出発の朝、確認のため駅に行くとなぜか予約が取り消されていると言う。誰が、何故、私の予約を勝手に取り消したんだ?! 未だに謎だが、2時間近くねばった結果、スタッフ用にキープしてあったコンパートメントを融通してもらって事なきを得た。のんびり出発直前に行っていたら乗れないところだったかもしれない。他は全て4人部屋の中、唯一の2人部屋だったのでかえって気を使わなくてすんだ。

 こんな綱渡りはあったものの、フィリップ島のペンギン・パレードを始めオーストラリア固有の鳥たち、コアラ、カンガルーと出会い、妹の大好きなマーケット巡りをしてとても楽しい旅行だったのだが、何故かそれだけでは終わらない。なんと帰国便が5時間遅れ。荷物を扱う関連会社のストが原因だ。結局、成田到着は夜遅く、都心へのアクセスの案内が悪いことこの上ない。最大のストレスは帰国後に待っていたのだった。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年12月号掲載)

海外トラブル フランス編

2011年11月22日 | 『毎日フォーラム』コラム

 昔々、日本の景気がまだ良かった頃、日本のお客様は通訳者を海外に同行させた。海外在住で「使える」レベルの通訳者がとても少なかったからでもある。最近は欧米での調達も不可能ではなくなったので、通訳者の海外出張は一時期に比べるとかなり減っている。それでも年に数回は私も海外で仕事をする。せっかくなのでその前後に数日観光することもある。

 10年ほど前、日本から直行便のないジュネーブでの仕事のために数日早くパリに飛んだ。美術館巡りなどしながら時差を解消し、いざ移動という朝、CNNが Paris is paralyzed!「パリがマヒしています」と言うのにぎょっとした。公務員や交通機関の大規模ストだ。残念ながらフランス語の出来ない私は事前にその情報を得ることが出来なかったのだ。ちなみに今は2006年から始まった France24 と言うチャンネルが英語でニュースを流しているが、当時はそんなのもなかった。

 ウェブサイトで確認すると予約した便が案の定、欠航になっている。まだサイトもプリミティブでウェブ上での予約の変更なんて出来ない時代。同じ目にあった人たちからの電話が殺到しているのだろう、航空会社の電話番号に何度かけても通話中でいっこうにつながらない。さあ、困った、どうしたものか?

 手元の情報源はダイアルアップで超スローなインターネットと数冊の旅行ガイドのみ。航空会社の支店を見つけて歩いていくか、と覚悟を決めてぱらぱらとめくってみると、その1冊にエールフランスの日本語対応の電話番号が小さく載っている。これだ!とひらめいた。きっとオペレータは一人しかいないだろうが、日本人のほとんどはパッケージ旅行で来ているはずなので、この番号が混み合うわけがない!これこそ天啓とかけてみるとあっさりつながり、数時間遅れたものの、運行する便へ変更できたのだった。

 こんな綱渡り、もちろん最初で最後のわけがない。海外でのはらはらどきどき、次号もおつきあいいただきます。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年11月号掲載)

オーストラリアの英語

2011年10月11日 | 『毎日フォーラム』コラム

 英語圏には英語 British English と米語 American English 以外にも様々な英語がある。インド人は自分たちの英語こそ正当な King’s English だと主張するし、スコットランドやアイルランドの英語は聞き取りに苦労するが独特のリズムがチャーミングだ。シンガポール人同士は時制がなくて文末のラ~という音が印象的な Singlish で会話をする。フィリピンでは英語で始まったはずのニュース番組がいつのまにかタガログ語に変わっていたりしてちょっと面食らうが、どちらも公用語なので問題ないらしい。

 独特の進化を遂げた動植物相を守るため、厳しい検疫制度で海外からの種子や微生物の持込を防いでいるオーストラリアの英語もなかなか厄介だった。なにせエイがアイになるややこしい発音なのだ。グッダイ・マイト Good day, mate! は有名だがサーファーが Good waves, today! と喜んでいるのが Good wives to die.(死ぬことになっている善良な人妻たち)に聞こえてしまったりすると、もうわけが分からない。さらに難関は数字、特に年号で1999年はネインティーンネインティネインになってしまってお馴染みのナインがどこにも登場しないし、ネインティーンナイティアイトなんて言われると反射的に1998年かと思うが実は1988年が正解。何かの会議でずいぶん苦労した覚えがある。

 ところが久しぶりに来てみると、あれれ? 地元の皆さんの英語にそれほど違和感がない。あんなにはっきりとアイと言っていたaの発音がすっかりエイに近くなっているのだ。地元のニュース番組にチャンネルを合わせると、アナウンサーやレポーターの英語がCNNともBBCとも違うのだけれども、ずいぶんとニュートラルな感じになっている。

 英語が不可逆的に国際語になりつつある中、この国の英語も標準化の道をたどっているのかもしれない。聞きやすくなったのは確かだが、まるで方言が失われていくような一抹の寂しさも感じる。どんなに厳しい検疫でも言語は守れないのだ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年10月号掲載)

細いの太いの細かいの

2011年09月21日 | 『毎日フォーラム』コラム

 昔懐かしいトランプゲームの定番と言えばババ抜きや七並べ等があるが、一つ異色のネーミングを授かったのが神経衰弱ではないだろうか。英語では pairs とか concentration(集中力)と呼ばれる。集中力と記憶力を駆使するこのゲームに、精神努力の後の極度の疲労を意味した昔の医学用語を当てたのはなかなかのセンスだ。トランプではなくノイローゼの方の神経衰弱と言いたい時には nervous breakdown を使う。

 ナーバスは日本語でも良く使うが、神経がぴりぴり過敏になっている状態を all nerves と表現することも出来る。ところがややこしいことに nerve はそういう細い神経ばかりでなく図太い神経を表すこともあるのだ。上司に進言したいことがあったのに、最後の最後で度胸を失った時はため息をつきながら ”I lost my nerve.” ただ、やっぱり神経、触れられると痛い。そこで ”He gets on my nerves.” と言ったら「神経にさわる奴だ」となる。

 細い太いの他に日本語の「神経」は細やかな場合もある。もともとこの言葉は杉田玄白や前野良沢が1774年に刊行された「解体新書」を翻訳した際に「軟骨」や「動脈」などと共に作り出した造語で、精神を表す「神気」と気の流れるルートを意味する「経脈」とを組み合わせたものだそうだ。そんな背景があって刺激伝達経路という解剖学的意味と共に、「神経が行き届く」「細やかな神経」のような気配りの意味が生まれたのかもしれない。そこで「無神経」と言うと無自覚 insensible、鈍感 insensitive、無粋 tactless 等を指すのである。

 一方英語の nerve には思いやりの意味はいっさい無い。「無神経な奴だ」と言いたくて ”He’s nerveless.” と言ったら「恐れ知らずだ」と褒めてしまうことになる。逆に勇気や度胸が行きすぎると図々しさや厚かましさになるので、たいした神経だ、とあきれる時の ”He’s got a nerve!” こそ「なんて無神経な!」にぴったりなのだ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年9月号掲載)