五 錯誤
1 定義
行為者の主観的な認識と、客観的に生じた事実との不一致
→この場合、行為者に故意責任を負わせることができるか
2 分類
(1) 事実の錯誤
(2) 法律の錯誤
→この区別が特に問題になるのが、違法性阻却事由の錯誤である。
3 事実の錯誤の種類
(1) 具体的事実の錯誤と抽象的事実の錯誤
・具体的事実の錯誤→同一構成要件内に該当する事実の間での錯誤
例:甲を殺そうと思ったのに、乙を殺してしまった(ともに殺人)。
・抽象的事実の錯誤→異なる構成要件に該当する事実の錯誤(刑法38条2項)
例:甲の飼い犬を殺そうと思ったのに、甲を殺してしまった。
(2) 客体の錯誤、方法の錯誤、因果関係の錯誤
・客体の錯誤→行為者が行為の客体を取り違えた場合
例:甲だと思って発砲したのに、実は見間違えで、実際は乙であった。
・方法の錯誤→行為者の意図した客体とは違った客体に結果が生じてしまった場合
例:甲を狙って発砲したのに、隣にいた乙に当たってしまった。
・因果関係の錯誤→行為者の認識予見した因果関係の経過と、現実に起こった因果関係の経過が一致しない場合。
例:甲を殺そうとして発砲したが、甲には当たらなかった。しかし、驚いて飛び退いた甲が足を滑らせ、川に落ちて溺れて死んでしまった。
※因果関係は故意の対象か
多数説は、因果関係における相当因果関係説、錯誤論における法定的符合説の立場から、行為者の認識した因果の経過と現実の因果の経過とが相当因果関係の範囲内で符合している限り、故意は阻却されないとする。
しかし、この説に対しては、この説は相当因果関係がある場合には、因果関係に錯誤があっても故意は阻却されないということと同義であるから、因果関係の錯誤を問題にする必要はないとの批判がされている。
4 具体的事実の錯誤
(1) 判例・学説
①具体的符合説
→故意が認められるためには、行為者の認識した内容と、発生した結果とが具体的に符合することが必要である。
→客体の錯誤では故意は阻却しない(上の例でいえば、甲か乙かを見間違ったとしても、「その人間」を殺すという認識はある以上、殺人の故意はあるとする。)しかし、方法の錯誤は故意を阻却する。
②法定的符合説(判例、通説。なお、抽象的事実の錯誤における抽象的符合説もこの点では同様。)
→行為者の認識した内容と、発生した結果とが、構成要件の範囲内で重なっていれば故意が認められる。
→客体の錯誤、方法の錯誤いずれの場合も故意は阻却しない。
(2) 具体例
①甲を殺そうと思って、甲を狙って発砲したが、隣にいた乙に当たり、乙が死んでしまった場合
具体的符合説→甲に対する殺人未遂罪と、乙に対する過失致死罪
法定的符合説→甲に対する殺人未遂罪と、乙に対する殺人罪
②甲を殺そうと思って、甲を狙って発砲したが、甲にかすり傷を負わせた上、乙にも当たって、乙が死んでしまった場合
具体的符合説→甲に対する殺人未遂罪と、乙に対する過失致死罪
法定的符合説→甲に対する殺人未遂罪と、乙に対する殺人罪
※上記のとおり、法定的符合説では、故意犯が複数成立することなる。もちろん、本来的数罪としても、観念的競合により科刑上一罪となるが(判例はこの立場)、数罪成立することには批判も多いため、法定的符合説の学説には、①軽い殺人未遂罪が重い殺人罪に吸収されるとする説、②重い乙に対する殺人罪と甲に対する過失致傷罪とが観念的競合となるとする説(故意は1回しか発現していないと考える)がある。
(3) 具体的符合説に対する批判
①具体的符合説は、客体の錯誤については故意を阻却せず、一方、方法の錯誤については、生じた結果について故意を阻却すると考えるが、方法の錯誤と客体の錯誤の区別の限界は曖昧である。
例:電話を掛け間違えて脅迫した場合はいずれなのか?
②具体的符合説は、結論において具体的な妥当性を欠くという欠点がある。
例:Aの飼犬を殺そうとして隣にいたAの飼猫を殺した場合
→具体的符合説では、犬につき器物損壊罪の未遂、猫につき過失器物損壊罪が或立することになるが、両者とも現行刑法では不可罰であり、Aのペットを殺そうとして現にAのペットを殺しているのにもかかわらず、無罪となるのは不合理である。
例:現金のみを盗もうとしたところ誤って小切手も盗んでしまった場合
→具体的符合説では、小切手については窃盗罪が成立しないことになってしまう。
例:YがXに「Aの家に窃盗に入れ」と教唆したところ、Xは間違って隣のBの家で窃盗を働いた場合
→Yにとっては方法の錯誤が生したことになるが、具体的符合説によると、YにはXのBの家での窃盗につき窃盗教唆が成立しないばかりか、XはAの家に侵入すらしていない以上、Yに(Aの家の物についての)窃盗未遂の教唆を認めることもできない。
例:YがXに、Aを殺せと教唆したところ、Aと取り違えてBを殺してしまった場合(Bにとっては人違い)
→Yにとっては方法の錯誤が生じたことになるが、具体的符合説によると、(過失による教唆は認められないので)Yは無罪となる。
(4) 法定的符合説に対する批判
①XがAを殺害しようとしてA、B2名を殺した場合、法定的符合説では故意の内容以上の刑責を認めることになるのではないか。
②XがAを殺害しようとしてピストルを撃ったところ、弾丸がAとその側にいたBのちょうど真中を通過した場合、AB両者に対する2つの殺人未遂が成立することになる。
(5) 批判に対する法定的符合説からの反論1(一故意説)
法定的符合説を採用しつつも故意の個数を問題にし、1個の殺意で2人を殺害したという上記のような場合には、Aに対する殺人既遂罪と、Bに対する過失致死罪の成立を認めるという考え方が主張されている(一故意説)。この説は、Aに対しての殺害目的は達成したのだから、Bに対する結果は過剰結果であり、故意は問題になりえないと説明する。
(批判)
一故意説によると、XがAを殺害しようとして、Aに重傷を負わせBを殺害した場合、Bに対する殺人既遂をまず認め、1個の故意を使い果たしてしまった以上、Aに対して過失傷害を認めることになるが、殺そうとして狙ったAに重傷を負わせたのに過失傷害罪しか成立しないというのは、いかにも不合理である。さらに、その後、重傷だったAが死亡した場合には、Aに対する殺人既遂とBに対する過失致死を認めることになろうが、故意の内容が事後の事情により変化するのはおかしい。
(6) 批判に対する法定的符合説からの反論2
XがAを殺害しようとしてA、B2名を殺した場合に、2つの殺人を認めても、1個の行為である以上、観念的競合となり殺人罪の法定刑の範囲内で処断されるのであり、科刑上不当な結論に至るわけではない。
2人の中間を弾丸が通過したような場合には、当該犯罪の結果発生の具体的危険がある以上、両者に対する殺人未遂罪を認めざるを得ない。
霰 論証
①法定的符合説
そもそも故意責任の根拠は、犯罪事実の認識、認容があれば、行為者に規範が与えられ、反対動機が形成されるのに、それに従わず、敢えて犯罪行為を行う点に非難可能性が認められる、という点にある。
そして、行為規範は、構成要件ごとに与えられるものであるから、ある犯罪事実の認識、認容があれば、それと構成要件を同一にする犯罪事実についても規範が与えられ、反対動機の形成が可能であるといえる。
よって、認識した結果と発生した結果が、構成要件の範囲内で重なっていれば、具体的に一致していなくとも、行為規範が与えられ、反対動機を形成しえたのであるから、故意責任をとうことができる。
②具体的符合説
故意は一定の客体に対して自己を実現していく意思であるから、行為者の認識したところと現実に発生したところが具体的に一致しなければならないとする具体的符合説が妥当と解する。法定的符合説は、主観面と客観面が構成要件内で一致すれば故意責任を負うとするが、構成要件という単なる「指導形象」にそのような意味を持たせるのは不当である。
また、故意には質的な差異とともに量的な差異もあり、1個の故意から2個以上の故意犯を認めることになる法定的符合説は、故意の量的差異を見過ごすことになる。
5 抽象的事実の錯誤
(1) 判例・学説
①抽象的符合説
およそ犯罪となる事実を認識して行為し、犯罪となる結果を生じせしめた以上、認識した犯罪より軽い犯罪であれば、いかなる犯罪に対しても故意が認められるとする(抽象的符合説の中でも、説が分かれるが、以下はその中でも有力な牧野説による)。
②法定的符合説(判例、通説。具体的事実の錯誤での具体的符合説もこの点では同様)
認識した内容と、発生した結果とが構成要件の範囲内で重なっていれば故意が認められる。
(2) 具体例
①甲の飼い犬に向かって発砲したら、甲に当たったため、甲が死亡した。
抽象的符合説→器物損壊罪、過失致死罪(観念的競合)
法定的符合説→器物損壊罪未遂(不可罰)と過失致死罪
②甲に向かって発砲したら、甲の犬に当たったため、犬が死んだ。
抽象的符合説→器物損壊罪、殺人未遂罪の重きに従って処断
(観念的競合ではない特殊の場合)
法定的符合説→甲の殺人未遂罪と過失器物損壊罪(不可罰)
(3) 法定的符合説への批判と反論
飼い犬だと思って人を殺してしまった場合は過失致死罪のみが成立し、飼い犬を殺そうと思って飼い犬を殺した場合は器物損壊罪が成立するが、過失致死罪は罰金刑しかなく、3年以下の懲役の器物損壊罪よりも軽くなってしまうが、不当である。
←過失致死罪が軽すぎるのが原因である。また、現実には重過失致死罪や業務上過失致死罪(5年以下の懲役)が成立する可能性が高いので、問題は起こらない。
(4) 検討(法定的符合説を採用)
具体的錯誤における法定的符合説と同様。
6 法律の錯誤
(1) 種類
①法の不知
→自己の行為が法的に許されないことを全く知らなかった場合
②あてはめの錯誤
→自己の行為が法的に許されると思っていた場合
(2) 効果
法律の錯誤によって、違法性の意識を欠くことになる。違法性の意識が故意の要件かについては前述のとおり争いがある。
①違法性の意識不要説(判例)
→違法性の意識は故意の要素ではない。
②厳格故意説
→違法性の意識は故意の要素である。
③制限故意説
→違法性の意識は故意の要素ではないが、違法性の意識の可能性が故意の要素である。
④責任説
→違法性の意識は、故意、過失とは別個独立の責任要素である。
違法性の意識を責任要素とするか(→厳格責任説。結論的には厳格故意説と同様の結論)、違法性の意識の可能性を責任要素とするか(→制限責任説。結論的には制限故意説と同様の結論)でさらに分かれる。
7 違法性阻却事由の錯誤
(1) 具体例
①誤想防衛→急迫不正の侵害がないのに、あると誤信した場合など
②名誉毀損罪において、事実が真実でないのに、真実であると誤信した場合
(2) 判例・学説
①事実の錯誤説(判例、通説→故意阻却)
行為者が違法性阻却事由があると誤信した場合、その行為者には、故意責任の根拠となる行為規範が与えられていないのであるから、故意は認められない。
ただし、過失犯の成否は問題となる。
なお、名誉毀損罪の故意の対象については議論があり、判例、通説は「証明可能な程度の真実性」とする。
②法律の錯誤説(→法律の錯誤が故意を阻却するか否かについてはさらに説が分かれる。)
行為者が違法性阻却事由があると誤信した場合であっても、構成要件の認識はあるのだから、行為規範は与えられているのであり、ただ、自己の行為が許されるものと思ったのに過ぎないから、法律の錯誤となる。
8 誤想過剰防衛
(1) 種類
①急迫不正の侵害がないのにあると誤信し(誤想防衛)、かつ、防衛の程度が相当性の範囲を超えている(過剰防衛)場合
ア 相当性を超えている行為との認識がある場合
イ 相当性を超えている行為との認識がない場合(厳密には誤想過剰防衛ではない)
②急迫不正の侵害はあるが、防衛の程度が相当性の範囲を超え(過剰防衛)、かつ、相当性の範囲を超えている行為との認識がない(過剰についての誤想)場合(これも厳密には誤想過剰防衛ではない)
(2) 故意の存否
正当防衛の要件があると認識していた場合(①のイ、②の場合)は、誤想防衛と何ら変わりがない。違法性阻却事由の錯誤の問題である。
①アの場合は、行為者の主観を前提としても、過剰防衛であるから、故意犯が成立することに問題はない。
(3) 36条2項準用の有無(文言上、「適用」は困難である。)
36条2項の刑の減免の根拠をどう考えるかによる。
①責任減少説
急迫不正の侵害の下の行為であるが故に責任が減少し、その結果刑の減免が認められているのであるから、急迫不正の侵害を誤想した者も、責任が減少するのは同様であり、36条2項の準用を認める。そして、理論的には過失犯であっても、36条2項の準用を認める余地はある。すると、(1)①アの場合に36条2項の準用が認められることはもちろん、①のイ、②の場合に過失犯が成立する場合にも36条2項は準用されうる。
②違法減少説
不正な侵害に対して防衛行為を行うという点で違法性が減少し、行き過ぎがあった点も刑の減免が認められるのであるから、急迫不正の侵害が客観的に存在しなければ違法性の減少はあり得ない以上、違法性が減少し、刑の減免が認められる。ただし、過失犯でも準用は認められる。
→(1)②で過失犯が成立する場合には、36条2項が準用されるが、その他の場合は準用は認められない。
1 定義
行為者の主観的な認識と、客観的に生じた事実との不一致
→この場合、行為者に故意責任を負わせることができるか
2 分類
(1) 事実の錯誤
(2) 法律の錯誤
→この区別が特に問題になるのが、違法性阻却事由の錯誤である。
3 事実の錯誤の種類
(1) 具体的事実の錯誤と抽象的事実の錯誤
・具体的事実の錯誤→同一構成要件内に該当する事実の間での錯誤
例:甲を殺そうと思ったのに、乙を殺してしまった(ともに殺人)。
・抽象的事実の錯誤→異なる構成要件に該当する事実の錯誤(刑法38条2項)
例:甲の飼い犬を殺そうと思ったのに、甲を殺してしまった。
(2) 客体の錯誤、方法の錯誤、因果関係の錯誤
・客体の錯誤→行為者が行為の客体を取り違えた場合
例:甲だと思って発砲したのに、実は見間違えで、実際は乙であった。
・方法の錯誤→行為者の意図した客体とは違った客体に結果が生じてしまった場合
例:甲を狙って発砲したのに、隣にいた乙に当たってしまった。
・因果関係の錯誤→行為者の認識予見した因果関係の経過と、現実に起こった因果関係の経過が一致しない場合。
例:甲を殺そうとして発砲したが、甲には当たらなかった。しかし、驚いて飛び退いた甲が足を滑らせ、川に落ちて溺れて死んでしまった。
※因果関係は故意の対象か
多数説は、因果関係における相当因果関係説、錯誤論における法定的符合説の立場から、行為者の認識した因果の経過と現実の因果の経過とが相当因果関係の範囲内で符合している限り、故意は阻却されないとする。
しかし、この説に対しては、この説は相当因果関係がある場合には、因果関係に錯誤があっても故意は阻却されないということと同義であるから、因果関係の錯誤を問題にする必要はないとの批判がされている。
4 具体的事実の錯誤
(1) 判例・学説
①具体的符合説
→故意が認められるためには、行為者の認識した内容と、発生した結果とが具体的に符合することが必要である。
→客体の錯誤では故意は阻却しない(上の例でいえば、甲か乙かを見間違ったとしても、「その人間」を殺すという認識はある以上、殺人の故意はあるとする。)しかし、方法の錯誤は故意を阻却する。
②法定的符合説(判例、通説。なお、抽象的事実の錯誤における抽象的符合説もこの点では同様。)
→行為者の認識した内容と、発生した結果とが、構成要件の範囲内で重なっていれば故意が認められる。
→客体の錯誤、方法の錯誤いずれの場合も故意は阻却しない。
(2) 具体例
①甲を殺そうと思って、甲を狙って発砲したが、隣にいた乙に当たり、乙が死んでしまった場合
具体的符合説→甲に対する殺人未遂罪と、乙に対する過失致死罪
法定的符合説→甲に対する殺人未遂罪と、乙に対する殺人罪
②甲を殺そうと思って、甲を狙って発砲したが、甲にかすり傷を負わせた上、乙にも当たって、乙が死んでしまった場合
具体的符合説→甲に対する殺人未遂罪と、乙に対する過失致死罪
法定的符合説→甲に対する殺人未遂罪と、乙に対する殺人罪
※上記のとおり、法定的符合説では、故意犯が複数成立することなる。もちろん、本来的数罪としても、観念的競合により科刑上一罪となるが(判例はこの立場)、数罪成立することには批判も多いため、法定的符合説の学説には、①軽い殺人未遂罪が重い殺人罪に吸収されるとする説、②重い乙に対する殺人罪と甲に対する過失致傷罪とが観念的競合となるとする説(故意は1回しか発現していないと考える)がある。
(3) 具体的符合説に対する批判
①具体的符合説は、客体の錯誤については故意を阻却せず、一方、方法の錯誤については、生じた結果について故意を阻却すると考えるが、方法の錯誤と客体の錯誤の区別の限界は曖昧である。
例:電話を掛け間違えて脅迫した場合はいずれなのか?
②具体的符合説は、結論において具体的な妥当性を欠くという欠点がある。
例:Aの飼犬を殺そうとして隣にいたAの飼猫を殺した場合
→具体的符合説では、犬につき器物損壊罪の未遂、猫につき過失器物損壊罪が或立することになるが、両者とも現行刑法では不可罰であり、Aのペットを殺そうとして現にAのペットを殺しているのにもかかわらず、無罪となるのは不合理である。
例:現金のみを盗もうとしたところ誤って小切手も盗んでしまった場合
→具体的符合説では、小切手については窃盗罪が成立しないことになってしまう。
例:YがXに「Aの家に窃盗に入れ」と教唆したところ、Xは間違って隣のBの家で窃盗を働いた場合
→Yにとっては方法の錯誤が生したことになるが、具体的符合説によると、YにはXのBの家での窃盗につき窃盗教唆が成立しないばかりか、XはAの家に侵入すらしていない以上、Yに(Aの家の物についての)窃盗未遂の教唆を認めることもできない。
例:YがXに、Aを殺せと教唆したところ、Aと取り違えてBを殺してしまった場合(Bにとっては人違い)
→Yにとっては方法の錯誤が生じたことになるが、具体的符合説によると、(過失による教唆は認められないので)Yは無罪となる。
(4) 法定的符合説に対する批判
①XがAを殺害しようとしてA、B2名を殺した場合、法定的符合説では故意の内容以上の刑責を認めることになるのではないか。
②XがAを殺害しようとしてピストルを撃ったところ、弾丸がAとその側にいたBのちょうど真中を通過した場合、AB両者に対する2つの殺人未遂が成立することになる。
(5) 批判に対する法定的符合説からの反論1(一故意説)
法定的符合説を採用しつつも故意の個数を問題にし、1個の殺意で2人を殺害したという上記のような場合には、Aに対する殺人既遂罪と、Bに対する過失致死罪の成立を認めるという考え方が主張されている(一故意説)。この説は、Aに対しての殺害目的は達成したのだから、Bに対する結果は過剰結果であり、故意は問題になりえないと説明する。
(批判)
一故意説によると、XがAを殺害しようとして、Aに重傷を負わせBを殺害した場合、Bに対する殺人既遂をまず認め、1個の故意を使い果たしてしまった以上、Aに対して過失傷害を認めることになるが、殺そうとして狙ったAに重傷を負わせたのに過失傷害罪しか成立しないというのは、いかにも不合理である。さらに、その後、重傷だったAが死亡した場合には、Aに対する殺人既遂とBに対する過失致死を認めることになろうが、故意の内容が事後の事情により変化するのはおかしい。
(6) 批判に対する法定的符合説からの反論2
XがAを殺害しようとしてA、B2名を殺した場合に、2つの殺人を認めても、1個の行為である以上、観念的競合となり殺人罪の法定刑の範囲内で処断されるのであり、科刑上不当な結論に至るわけではない。
2人の中間を弾丸が通過したような場合には、当該犯罪の結果発生の具体的危険がある以上、両者に対する殺人未遂罪を認めざるを得ない。
霰 論証
①法定的符合説
そもそも故意責任の根拠は、犯罪事実の認識、認容があれば、行為者に規範が与えられ、反対動機が形成されるのに、それに従わず、敢えて犯罪行為を行う点に非難可能性が認められる、という点にある。
そして、行為規範は、構成要件ごとに与えられるものであるから、ある犯罪事実の認識、認容があれば、それと構成要件を同一にする犯罪事実についても規範が与えられ、反対動機の形成が可能であるといえる。
よって、認識した結果と発生した結果が、構成要件の範囲内で重なっていれば、具体的に一致していなくとも、行為規範が与えられ、反対動機を形成しえたのであるから、故意責任をとうことができる。
②具体的符合説
故意は一定の客体に対して自己を実現していく意思であるから、行為者の認識したところと現実に発生したところが具体的に一致しなければならないとする具体的符合説が妥当と解する。法定的符合説は、主観面と客観面が構成要件内で一致すれば故意責任を負うとするが、構成要件という単なる「指導形象」にそのような意味を持たせるのは不当である。
また、故意には質的な差異とともに量的な差異もあり、1個の故意から2個以上の故意犯を認めることになる法定的符合説は、故意の量的差異を見過ごすことになる。
5 抽象的事実の錯誤
(1) 判例・学説
①抽象的符合説
およそ犯罪となる事実を認識して行為し、犯罪となる結果を生じせしめた以上、認識した犯罪より軽い犯罪であれば、いかなる犯罪に対しても故意が認められるとする(抽象的符合説の中でも、説が分かれるが、以下はその中でも有力な牧野説による)。
②法定的符合説(判例、通説。具体的事実の錯誤での具体的符合説もこの点では同様)
認識した内容と、発生した結果とが構成要件の範囲内で重なっていれば故意が認められる。
(2) 具体例
①甲の飼い犬に向かって発砲したら、甲に当たったため、甲が死亡した。
抽象的符合説→器物損壊罪、過失致死罪(観念的競合)
法定的符合説→器物損壊罪未遂(不可罰)と過失致死罪
②甲に向かって発砲したら、甲の犬に当たったため、犬が死んだ。
抽象的符合説→器物損壊罪、殺人未遂罪の重きに従って処断
(観念的競合ではない特殊の場合)
法定的符合説→甲の殺人未遂罪と過失器物損壊罪(不可罰)
(3) 法定的符合説への批判と反論
飼い犬だと思って人を殺してしまった場合は過失致死罪のみが成立し、飼い犬を殺そうと思って飼い犬を殺した場合は器物損壊罪が成立するが、過失致死罪は罰金刑しかなく、3年以下の懲役の器物損壊罪よりも軽くなってしまうが、不当である。
←過失致死罪が軽すぎるのが原因である。また、現実には重過失致死罪や業務上過失致死罪(5年以下の懲役)が成立する可能性が高いので、問題は起こらない。
(4) 検討(法定的符合説を採用)
具体的錯誤における法定的符合説と同様。
6 法律の錯誤
(1) 種類
①法の不知
→自己の行為が法的に許されないことを全く知らなかった場合
②あてはめの錯誤
→自己の行為が法的に許されると思っていた場合
(2) 効果
法律の錯誤によって、違法性の意識を欠くことになる。違法性の意識が故意の要件かについては前述のとおり争いがある。
①違法性の意識不要説(判例)
→違法性の意識は故意の要素ではない。
②厳格故意説
→違法性の意識は故意の要素である。
③制限故意説
→違法性の意識は故意の要素ではないが、違法性の意識の可能性が故意の要素である。
④責任説
→違法性の意識は、故意、過失とは別個独立の責任要素である。
違法性の意識を責任要素とするか(→厳格責任説。結論的には厳格故意説と同様の結論)、違法性の意識の可能性を責任要素とするか(→制限責任説。結論的には制限故意説と同様の結論)でさらに分かれる。
7 違法性阻却事由の錯誤
(1) 具体例
①誤想防衛→急迫不正の侵害がないのに、あると誤信した場合など
②名誉毀損罪において、事実が真実でないのに、真実であると誤信した場合
(2) 判例・学説
①事実の錯誤説(判例、通説→故意阻却)
行為者が違法性阻却事由があると誤信した場合、その行為者には、故意責任の根拠となる行為規範が与えられていないのであるから、故意は認められない。
ただし、過失犯の成否は問題となる。
なお、名誉毀損罪の故意の対象については議論があり、判例、通説は「証明可能な程度の真実性」とする。
②法律の錯誤説(→法律の錯誤が故意を阻却するか否かについてはさらに説が分かれる。)
行為者が違法性阻却事由があると誤信した場合であっても、構成要件の認識はあるのだから、行為規範は与えられているのであり、ただ、自己の行為が許されるものと思ったのに過ぎないから、法律の錯誤となる。
8 誤想過剰防衛
(1) 種類
①急迫不正の侵害がないのにあると誤信し(誤想防衛)、かつ、防衛の程度が相当性の範囲を超えている(過剰防衛)場合
ア 相当性を超えている行為との認識がある場合
イ 相当性を超えている行為との認識がない場合(厳密には誤想過剰防衛ではない)
②急迫不正の侵害はあるが、防衛の程度が相当性の範囲を超え(過剰防衛)、かつ、相当性の範囲を超えている行為との認識がない(過剰についての誤想)場合(これも厳密には誤想過剰防衛ではない)
(2) 故意の存否
正当防衛の要件があると認識していた場合(①のイ、②の場合)は、誤想防衛と何ら変わりがない。違法性阻却事由の錯誤の問題である。
①アの場合は、行為者の主観を前提としても、過剰防衛であるから、故意犯が成立することに問題はない。
(3) 36条2項準用の有無(文言上、「適用」は困難である。)
36条2項の刑の減免の根拠をどう考えるかによる。
①責任減少説
急迫不正の侵害の下の行為であるが故に責任が減少し、その結果刑の減免が認められているのであるから、急迫不正の侵害を誤想した者も、責任が減少するのは同様であり、36条2項の準用を認める。そして、理論的には過失犯であっても、36条2項の準用を認める余地はある。すると、(1)①アの場合に36条2項の準用が認められることはもちろん、①のイ、②の場合に過失犯が成立する場合にも36条2項は準用されうる。
②違法減少説
不正な侵害に対して防衛行為を行うという点で違法性が減少し、行き過ぎがあった点も刑の減免が認められるのであるから、急迫不正の侵害が客観的に存在しなければ違法性の減少はあり得ない以上、違法性が減少し、刑の減免が認められる。ただし、過失犯でも準用は認められる。
→(1)②で過失犯が成立する場合には、36条2項が準用されるが、その他の場合は準用は認められない。