46年組ホワイト家族

昭和46年にT所に入社した同期の、中さん、宇さん、田さん、安さんを中心とした連絡、雑談ブログです。

旧浦安から神田川そして目白までの自転車の旅

2016-04-20 07:59:12 | 日記
旧浦安の河口には、吉野家、吉久などの釣り宿が多いです。







神田川沿いの桜並木、西早稲田から日本女子大の前を抜けて、護国寺まで30メートル道路ができる予定で、ここは、神田川を渡る大きな橋の基礎工事をしています。










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42 コメント

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神田川沿いのチューブ ()
2016-04-21 11:22:39
自転車に乗りながら、神田川沿いを撮影しました。

https://youtu.be/6p7TRQh31mU
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神田川もいいけど、熊本大変 ()
2016-04-25 09:30:28
元気そうでなによりです。
ご無沙汰です。

神田川とか、自転車で全力ぶっ飛ばして全力投球ですねー
羨ましい !
ところで熊本・大分地震 !

県・市・町・村の各自治体の姿が、まったく見えませんでした !
各被災地で「水なし、食べ物なし」を訴えても、3日間くらい自治体の反応なし。

SOS送っても、届かない !
なんだこりゃ ?
飢え死にか ?
と見ていたら、ようやく物資が届きましたけど、県庁にどんどん積み上げられるだけで、「運ぶのはこれから検討して」、と対策本部がテレビに映って、コメントしてました。
こいつら一体何やってんだ~ ?
普通、翌日くらい県知事はじめ、幹部がテレビに出て、対応策についてコメントするだろう ?
役人なら、オレがオレが・・・で出たがるんじゃないの  ?

でも、その原因は、1週間後に放送してました。単純 !熊本県は、金がなくて、人を雇えず、人員不足だったので、
どうしようもなかったとのこと。
地方は、やっぱり大変なんだね・・・
頑張ってね !

ところで、話突然変わるけど、次回のめしの場所だけど、田さんの強い希望で、「都寿司」となりました。
日にちは、5月19日(木)で、11時20分集合となります。
そのあとのお茶は、ファミレス「ジョナサン」の予定です。
よろしく~






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5/19のなかよし会 ()
2016-04-27 13:39:25
次回のめしの場所は、「都寿司」11:20 
と決定しました。
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長い戦い (AN)
2016-04-27 16:59:52
クマモンの故郷も、倒壊した建物をみると、「物が多いね」って感じです。
活断層の上に住んでいる人々ほど、地震対策をしていないということがわかりました。
家の強度係数は0.9と弱い。
つぶれないように、つぶれない部屋を作っていない。
ツーバイ4で立てると、在来工法と比べて、「倒壊強度は2.5倍になる」とされていますが、熊本は見栄っ張りが多いようでヒノキに鬼がわらで、軒が長くのびている、つまり、見栄えがいい家が多いようです。加藤清正以来の伝統でしょうか。
在来は、柱に筋交い工法で揺れに弱く、コロニアル瓦でなく鬼がわらだと、屋根が重すぎる。
このブログを始めたのは、2011の東北地震がきっかけですが、その時の結論は「貧乏人は、ますます貧乏になる」ということでした。
九州でも、同じ構図ですね。
昨日のTVで、女川で当時16歳の高校生がドキュメントをやっていましたが、
母子家庭で、祖母、母、女子高生の3人で女川に住んでいた所、大地震の後、防災サイレンが鳴り響いていたので16歳の娘が「なんか変だから、逃げなくていいの?」と母〔40歳〕に聞いたところ、「女川でも、津波がここまで来るには、海から相当の距離を進まなければならない、よってそんなことはあり得ないので、避難の必要はない」として、家の中の片付けに追われていたところ、3人とも流されて、母親だけ死んだと話していました。
津波でやられる三陸に住んでいて、この対応ですから、滅びる町には、それなりの人物が住んでいるといえます。
それなりをまとめてみましょう。
①ものぐさ
②雑
③危険に対する洞察力が弱い
④努力嫌い
優秀な人間なら、努力して「都」に出てきて、それなりに成功する。
ダメンズは若いころからサボって、親の家にずくんで住みついて又は相続して、古くて立派な家に住み続けて、近所で半端仕事を続けて、最後は阿蘇山大噴火となって終わる。

家がつぶれた人々は、再建する力も乏しい人も多いと想像しますが、関西で空き家が大量に余っているので年金生活者は「家賃1万円」ぐらいで各地に散らばれば、残りの10-20年の人生は活断層地域から遠ざかって過ごせると思うし、マレーシア・タイ・フィリピンなどに移住することも一案です。
でも、親戚のしがらみなどでそれもできないのが、ダメンズのだめなゆえんなのでしょう。

仮設住宅よこせなどといって、これから長いトラブルが始まるものと思われます。
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百年に一度の大地震の時は、全国の民宿に散らばりましょう。 (AN)
2016-04-29 16:38:53
>各被災地で「水なし、食べ物なし」を訴えても、3日間くらい自治体の反応なし。

戦後熊本県庁始まって以来、初めての大地震で10人ぐらいの兼任防災担当を集めて、最初にやることは、とりあえず3日間は、つぶれた家の下で生きている県民の救出でしょうから、各消防団、警察を組織・割り振りして、手分けして数千軒のがれきの下の生存者の救出に追われるので、自衛隊が集まってくるまでの数日間は食べ物どころじゃないでしょうね。

車中泊している人々で、水や食べ物がない連中は福岡、鹿児島、長崎の民宿に30日ぐらい連泊すればいいんでしょう。
夫婦で一日1万円、30万円もあれば、エコノミー症候の解決も含めて、解決します。
担当者が命がけでがれきの撤去をしている中で、いつまでも体育館で寝転んでいるんじゃないよ、と言いたいです。

援助物質が届かない問題については、結局トラックなどの運転手の手配の問題だと思います。
地震に備えての予備運転手などいないわけですから、
普段は熊本産のイチゴや果物〔今日浦安のスーパーで熊本産の果実がたくさん並んでいました。〕
地震が起きたって、農家から果実を引き取って、都会に送る仕事などに予定が組まれているわけですから、これを集荷しないと、腐ってしまうわけで、また、熊本の各工場に部品を納品したり、製品を輸出するため、倉庫に届けたりと、あらかじめ組まれた予定があるわけで、被災者がどこかの体育館に合計10数万人集まって寝転んでいるといわれても、運転手的にはどうしようもないし、ぎりぎり営業の中小経営者も、トラックの集荷・配送予定をキャンセルして、どこかで救援物質を集めて、どこかの体育館に届けよといわれても、動きようがないわけです。
そのどこかって、どこなんですかというわけです。
トラックはすべて、コンピュータ指示による、納品・集荷伝票で動いているわけです。道路で配送中で渋滞している運転手が、荷物をすべて道端に捨てて、どこかの体育館に水や食料を取りに行くわけにはいきません。
だいたいどこに届けるんですか。相手は誰なんですかってことで、これが現代社会なんですね。

このため、大地震に備えて「各自3日分の水と食料は確保しておいてください」とされているわけですね。

とりあえずの解決策としては、各体育館で、集荷隊を組織して、自分たちの車で水や食料を手分けしてかき集めるのがいいんじゃないかと思います。



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亀戸天神 (灰色ねずみ)
2016-05-05 07:19:18
亀戸天神に行ってきました。
福岡太宰府の菅原道真(845年~903年)を祭ったもののようで、関東3大天満宮の一つ、湯島天神の次です。
菅原道真というと平安時代の人と思われますが、平清盛なんかはこの200年も後の人物です。当時は藤原氏全盛の時代ですね。

この亀戸天神の近くに亀戸水神という神社もあって、小さいのですが、それでも500年ほどの歴史があります。こちらは、水害がないようにとの祈祷のために作られた神社です。

この二つの神社とも、税金や固定資産税も取られずに生きているので、われわれ人民と違って後500年たっても、きっとこの地に存続しているのでしょうね。スマホゾンビの子孫たちが、シャメなどとって、合格祈願をしていることでしょう。

でも、1000年たったら、日本人の人口が300万人ぐらいに落ち込むので(日本死ねの呪いもあって・・)、もう周りには人もいなくなって、カラスがあくびしていることになるのでしょう。

とっとこ写真集 「20160501版」

{亀戸天神に行ってきました}

http://blog.goo.ne.jp/mimitar13/e/095e8e8c7fa5b54565e1f07fdc38e0a5

http://sourinn.com/616.html


(参考)文京区の寺社

文京区は、江戸城の北側にあり、奥州街道・中仙道方面からの防御を兼ねて、境内の広い寺社が配置された他、大名屋敷が多くあったことから、大名家の江戸菩提寺などが数多くあります。また御府内(江戸市中)にあたることから、庶民の札所巡りなども盛んでした。
•文京区の寺院(地区別)
•文京区の神社

文京区で江戸時代に朱印状を拝領した寺社
神齢山護国寺(1200石)文京区大塚5-40-1無量山伝通院(830石)文京区小石川3-14-6根津神社(寛永3年500石)文京区根津1-28-9天澤山麟祥院(寛永11年300石)文京区湯島4-1-8宝林山霊雲寺(元禄6年100石)文京区湯島2-21-6諏訪山吉祥寺(天正19年50石)文京区本駒込3-19-17白山神社(元禄6年30石)文京区白山5-31-26大智山海蔵寺(慶安元年8石)文京区向丘2-25-10湯島天満宮(天正19年5石)文京区湯島3-30-1

文京区にある本山格・本寺格の寺院
神齢山護国寺(真言宗豊国派大本山)文京区大塚5-40-1宝林山霊雲寺(真言宗霊雲寺派総本山)文京区湯島2-21-6諏訪山吉祥寺(曹洞宗(触頭))文京区本駒込3-19-17無量山伝通院(浄土宗(関東十八檀林))文京区小石川3-14-6

文京区にある郷社格以上の神社
根津神社(旧府社)文京区根津1-28-9白山神社(旧府社)文京区白山5-31-26湯島天満宮(旧郷社)文京区湯島3-30-1

文京区の寺社に関する七福神・札所・霊場
•江戸三十三観音霊場
•御府内八十八ヶ所霊場
•東京十社
•小石川七福神
•江戸五色不動
•東都歳時記
•上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場
•関東十八檀林
•東京三十三観音霊場
•山の手三十三観音霊場
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星野コーヒーと水元公園 (灰色ねずみ)
2016-05-05 07:21:40
水元公園に行ってきました。

とっとこ写真集

「水元公園のほとり」


http://blog.goo.ne.jp/mimitar13/e/a58df9946bb9b2ebc385f6b13dc33619?st=0#comment-form
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第二のセオル号事件 (遅れてきた男)
2016-05-07 23:37:14
韓国で第二のセオル号事件といわれる、「加湿器に入れた殺菌剤で100人ほど死んだ」ようですが、この殺菌剤、なんで韓国でのみ発売されていたのか疑問です。

http://matome.naver.jp/odai/2141147440485682201

日本では、このイギリス企業「オキシー・レキットベンキーザー社」は加湿機用殺菌剤は売ってないようですが、食器洗い機用洗剤「フィニッシュ」として、トップシェアーでした。もう30年以上前から「フィニッシュ」は売られていますが、以前は「サンスター社」が販売していました。

まあ、加湿機用殺菌剤が売られていなければ安心と思ったのですが、実は、日本でもっとも熱い男--松岡修三が「ファブリーズ」を朝から晩まで、CMで流していますね。
これ、家の中でソファーやベッドに噴霧するだけで、なんと、洗濯と同じ効果があると宣伝しています。
しかし、日本の主婦がこの殺菌剤を噴霧し続けたら、韓国と同じ現象が起きかねません。

危ないなぁーと思って調べてみたら、

すでにネットで、その危険性が指摘されていました。

http://matome.naver.jp/odai/2141147440485682201

ファブリーズを使っていると、目が痛くなることがあるという声を耳にしました。除菌成分として入っている第四級アンモニウム塩という化学物質が目に入ってしみているのです。第四級アンモニウム塩を含む床用洗浄液を使った後で、アレルギー性ぜんそくが発症するに至った例も。

出典
身近に忍び寄る化学物質に警鐘を鳴らす『ファブリーズはいらない』 - ライブドアニュース


除菌・消臭スプレーは、家庭用品品質表示法の対象外なので、洗濯用洗剤や台所洗剤のように詳細に成分を表示する必要はありません。だから「除菌成分(有機系)」などという曖昧な表示で、第四級アンモニウム塩などの危険な成分が入っていることが多いのです。
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燈明寺は真言宗のお寺 (masa)
2016-05-08 15:14:10
江戸川区平井6丁目の燈明寺は真言宗のお寺です。
隣に「金太郎煎餅」があります。

http://blog.goo.ne.jp/mimitar13/e/9bf163bf2285ffe43aef0b6118036387#comment-list
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いわくが色々と・・・ (masa)
2016-05-11 03:30:05
真言宗ともなると、お寺も立派です。
プチ熊本城のように2層天守閣があって、教義の能書きもうるさい。
「燈明寺は、東京都江戸川区平井にある新義真言宗の寺院。山号は明雅山。院号は明王院。本尊は不動明王。境内に聖天堂があり、古くから信仰を集め平井聖天とも称される。」
「新義真言宗寺院の燈明寺は、明雅山明王院と号します。燈明寺の創建年代等は不詳ながら、文明年間(1469-1486)に元暁法印が松応堂と号して開山したともいいます。江戸時代には歴代将軍の御膳所として使用された他、江戸図会名所にも描かれ、文人墨客が多数訪れており、境内の茶室は、伊藤左千夫の設計です。平井聖天燈明寺は、区指定史跡です。南葛八十八ヶ所霊場51番、65番札所です。

http://www.tesshow.jp/edogawa/temple_hirai_tomyo.shtml

江戸川区の文化財による燈明寺の縁起

燈明寺は、新義真言宗に属し明雅山明王院と称し、本尊の不動明王は身長1丈3勺(3.9m)で胎内に弘法大師1刀3札の不動明王を安置しているという。開山は元暁法印といわれるが年代は不詳である。
本堂は大正12年関東大震災のため倒壊したので千代澄道大僧正の発願により昭和4年に起工し同19年に完成した。建物は総高14.4m、幅17.1m、奥行27mの金堂造りである。内部の奥の院は飛鳥朝風、中陣は平安朝風に、外陣は鎌倉風に造られ、シャンデリヤは鹿鳴館で使用されたものである。外部は宇治平等院と京都東寺金堂の様式を取入れ、三つ屋根造りで軒ぞりの優雅な姿をした壮麗な建築である。
先代澄道大僧正は、正岡子規や伊藤左千夫などと親交が深かったので、それらの文人たちの短冊をはじめ、雪舟の「水墨山水図」、「南岳草花図譜」、応挙の「宇治橋」、牧渓の「虎の図」などを所蔵している。
燈明寺の別堂である聖天堂は「平井聖天」といわれ、昔から関東三聖天の一つである。江戸時代には歴代将軍の鷹狩の時、聖天に参詣され、また御膳所にもなっていた。
この聖天堂は、里見八犬伝の物語や桧山騒動の相馬大作の祈願したことなどでもその名を知られ、昔から多くの人の信仰を集めている。」

平井聖天堂は、古くから埼玉県妻沼聖天、江戸浅草待乳山聖天とともに関東三聖天の一つとして知られています。

後100年たって、今生きているすべての人々が死に絶えた後も、この辺鄙な平井の地で、何事も無かったように存在し続けるんでしょうね。
なにせ室町時代に建てられたお寺ですから。

このお寺の本堂のシャンデリアがもと鹿鳴館に吊るしてあったものを競売落札して掲げてあるとか、「先代澄道大僧正は正岡子規や伊藤左千夫などと親交が深かったので、佐々木信綱、伊藤左千夫の短冊をはじめ、南岳草花図譜、雪舟の水墨山水画帳、応挙の宇治橋、文晁の大幅、牧渓の虎の図などを所蔵する」とか、なかなかうるさいお寺ですが、真言宗の教義となると、この10倍能書きがうるさいです。
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