痛い(州´゜◆゜)>イタタ ★☆★☆日記

私の思う日々の疑問を伝えてみたい。

心、精神、思いを尽くして愛するとは

2017-10-29 18:11:57 | 日記
心を尽くして、精神を尽くして、思い

を尽くして、あなたの神である主を愛

しなさい。


これが第一のおきてですね。


どうすればこのように愛することがで

きるでしょうか?


心も精神も思いもどのような違いが

あって、どのように愛するようにと神

はわたしたちに望んでおられるので

しょうか?


ガムシャラに愛すること?

わたしを無にして愛すること?

何も考えないで愛していればいい?

愛するとは何ですか?

従順、従うことが愛することですか?


第二のおきても、第一と同じように重

要だとイエスは言われましたね。


隣人を自分のように愛しなさい。


旧約の時代も新約の時代も、今現在も

これから終わりの日までも、この二つ

のおきては変わることはありません

ね。


隣人を自分のように愛するのですか

ら、まず自分を愛していなければいけ

ませんね。


自分を愛せないということばもよく聞

きますが、自分で自分を愛することが

難しいと感じるときは、まず神さまが

わたしを愛してくださっているという

事実を信じることでしょうか。


なぜなら、神さまがわたしを存在させ

てこの世で愛する対象として養ってく

ださっているからなのですね。


神に愛されている存在がわたしたち一

人ひとりであるということですね。


神の愛がわたしにあり、その愛されて

いる自分の存在を認めることが自分を

愛していることに繋がり、同じように

隣人も愛されている存在であり、それ

を認めることが隣人を愛することに繋

がっているのかもしれませんね。


また、もうひとつ、神を愛するならば

神の愛されている一人ひとりを同じよ

うに愛することが神を愛することにも

繋がっているということでしょうか。


この二つのおきては、切り離すことが

できず、一つだけでは成り立たないの

かもしれませんね。


けれども、わたしは思います。

愛するとはそう簡単ではないと。


ですから、キリストの十字架のゆるしや御助けをいただきながら、恵みのなかをひたすら主をあがめ、祈りつつ歩んでいるということでしょうか。😓

コメントを投稿