痛い(州´゜◆゜)>イタタ ★☆★☆日記

私の思う日々の疑問を伝えてみたい。

ねたむよりもっと素晴らしいこと*・☆

2017-09-25 19:41:30 | 日記
ねたむのは、自分がなくて相手が持っ

ているときなのでしょうか。


相手が持っていても、自分がそれをほ

しいと思わなかったり興味がなければ

ねたましいという気持ちにはならない

でしょうね。


わたしはあれがほしい、こうであって

ほしい。

でも、手に入らないし叶わない。

なのに、あの人はそれを実現してい

る。

そういうとき、人はねたみを持つので

しょう。


ねたみは悲しい気持ちから始まり、怒

りへと変わるようです。


悲しいのは自分に対してですね。


それはだれにでも多かれ少なかれある

のかもしれませんね。


ただ、ねたみの大きさ?深さ?程度が

それぞれ違うということと内容、つま

り何にに対してねたむかもそれぞれ違

うように思いますね。


今日、訪ねてきてくださった友人とそ

んな話をしていました。


ねたみはあからさまに表れることもあ

れば、心に閉じられて表には出ない場

合もあるということです。


わたしたちは人をねたまなくてももっ

と素晴らしいものをいただいていると

いうことに目を向けたいと思うので

す。


神さまがくださる祝福や賜物、恵みは

人間のものとは雲泥の差があります

ね。

それをすでにいただいているわたした

ちにとって、それ以外のものをねたむ

必要がないわけですね。


赦しによる永遠のいのちにまさるもの

は何一つありませんね。


わたしは喜んでいましょう。

神さまは無力なわたしを選び、霊魂と

心身ともに最高の救いをくださいまし

た。


何かを誰かをねたまなくてもいい人生

は神からのプレゼント。

わたしたちに与えられた晴れやかな心

は、いつも天のみ国をみている証し。


天使たちは人間をねたんでいますね。なぜなら、神は人間をもっとも愛されているからなのでしょう。*☆。.・*