やすら木

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とらおとねこまるのフランス紀行ミシェルブラス編

2008-07-26 14:04:29 | Weblog
翌朝もう1度部屋で食べる気も起きなかったので、ホテルのレストランで朝食を摂り、早々に出発する。きょうはここから北東にあり前回も訪れた、ワインのメッカ、ブルゴーニュ地方のボーヌまで長距離ドライブである。日曜日は町中も含め、道路はとても空いているので、長距離の移動にはとても都合がよいが、ガソリンスタンドはお休みのところが多いのでそれだけは気をつけなければいけない。途中いくつも小さな町や村を抜け、切り立った岩山に古城のそびえるのがみえる川沿いの道を通り、多くの自転車乗り達とともに田園風景を堪能しながら、ボーヌへとひたすら走る。
 とらおによれば、フランスの道は慣れれば、日本より運転しやすいそうだ。それは、まず道路標識が整備されていることと、道を間違えても、どこかで必ずロータリーがあるので引き返しやすいということで、これはヨーロッパ全土で共通らしい。以前、航空機等の機器を設計する際に、ヨーロッパでは「人間は間違いをするもの」という前提で行われると聞いたことがあるが、道路もその思想のもとに作られているような気がする。そしてこの考え方は大変素晴らしいもので、ねこまるは教育、経済など全ての社会システムはこの思想を前提に作られるべきと思う。完璧なシステムに拘泥するのではなく、その修正と予防の方法に知恵を絞る方が現実的だし、そこから新たな進歩がうまれるかもしれないからだ。

 出発して2時間ほどたったので、 ロアンヌという町で1度目の休憩をとることにしたが、カフェに入り、化粧室を借りようとしたら、若い給仕が少し困ったような顔をして鍵を持ってきて、外へでて、ある方向を指し示す。その通りに行くと、夜は絶対に近寄ってはならない、ここなら青空の方が数段安全かつ清潔という、ものすごい化粧室があった。フランスには日本のようにドライブインはないし、大きな店も日曜日は休みのうえ、化粧室はない。だからカフェにでも入るほかないのだが、田舎の町にはこのような場所しかないこともある。店に戻るとさっきの給仕が心配そうに「大丈夫?」といってきたので、お礼をいって鍵を返した。そしてまたしばらくドライブを続け、そろそろ昼になってきた。サン・ドゥニという小さな村のはずれにバー兼レストランのようなところがあり、とらおがそこがいいというので、とりあえず店に入り、食事ができるかきいてみると、ショートカットの黒髪に黒い瞳の清楚でチャーミングな若いマダムがでてきて、大丈夫といってくれた。 
 壁際の2人席へ案内され、注文を終えてから落ち着いて店内を見渡すと、ワインカーヴをイメージさせるインテリアがなかなか素敵で、きょうは、何かパーティらしく大人から子供まで大勢の人数がテーブルで談笑している。その他にも2組ほどお客様がいて、皆正装こそしていないものの、ちょっとお洒落な格好をしていて、ここは村の中でも特別な日に利用されることが多いレストランのようだ。汗と埃にまみれた我々は少々肩身が狭い。
 やがて料理が運ばれてきた。まず、たっぷりの生野菜に載った鴨肉のパテ。これは野菜も沢山食べられ、パテも肉の臭みは全くなく、野趣溢れる個性的な味が引き立てられていて、ワインを飲めないのがとても残念だった。さすがのとらおも、これから数時間運転しなければならないのでビールで我慢している。次に、「とても熱いので気を付けて」といいながらマダムが給仕してくれたサーモンのバターソース。これもパリパリに揚がったジャガイモと柔らかく煮込んだ人参や青豆などの野菜とともに、グリルされた鮭の大きな切り身が美味しいソースをたっぷりかぶって出てきた。チーズや田舎風のパンはとびきりの味だし、デザートも青リンゴやレモンのシャーベットにケーキが盛り合わされ、食事を締めくくるのにふさわしい上品な甘みであった。装飾はなく、とてもシンプルで素朴な料理だが、どれをとっても味は大変洗練されていて素晴らしく、我々は心の底から感動した。これで水とビール2杯を頼んで2人で39ユーロは格安で、料理の味、雰囲気、値段のバランスを考えるとここが今回の旅行で1番のレストランであり、こんな店が日本にあったら、毎日長蛇の列ができてしまうだろう。誠意と親切と勘の良さが表れるのが料理だといった人があるが、ここはまさにその言葉通り、シェフが挨拶になど来なくても、一皿一皿に充分人柄の良さが表れていた。逆に、飾り付けだけ大仰だったり、さめきった餃子を愛想良くだされると、怒りが倍増し、その皿や丼で思わずフリスビーを始めたくなってしまうのはねこまるだけだろうか?
 ここで感心したのは、パーティのグループの子供達も1人1人メニューを渡され、料理を選んでいることだった。こんな風に小さい頃から社交の一端を学んでいくのはとても大切なことだと思う。
 そしてこのレストランはどうやら家族経営らしく、黒髪のチャーミングな若いマダムはワインを開ける手つきがまだ少々おぼつかないようで、それを心配そうに銀髪の大マダムが見守っている。大マダムは各テーブルをまんべんなく回り、「料理はどう?楽しんでいる?何か注文は?」という感じで声をかけながら気を配っている。ブラス夫人のジネットといい、ここの大マダムといい、レストランは単に食事をするためだけはなく、食を通じ皆が楽しい時を過ごすための場所であることをあらためて教えられた気持ちである。
 名残惜しいが出発しなければならない。クレジットカードを使おうとしたが、若マダムは磁気テープのない部分を読み取り器に必死に差し込んでいる。店も忙しいようなので、現金で40ユーロ渡してお別れする。小さな小さな村はずれにこれほど素晴らしいレストランが存在するフランスは本当に食文化の懐が深く、うらやましい限りで、たまたまそこに巡り会えた我々はとても幸運でありブラスの次に心に残る場所だった。そして我々は再びボーヌへとひたすら車を走らせる。

 
夕方5時過ぎ、ようやくボーヌに入り、宿を探し当てた。きょうから3泊は葡萄農家を改築した家族経営の朝食つきホテルに泊まる。車を駐車場に停め、建物の方に行くと庭のテーブルで5,6人の人がご主人とワインを飲んでいた。予約がある旨挨拶をすると、名前をノートで確認し、例によって「まざよじー」と発音されてしまう。3階の部屋に案内してもらうが、ここも螺旋階段が延々と続き、途中で案内の女性に「ノーリフト」、つまりエレベーターはない、と早々に宣言されてしまった。とらおは必死に大きなスーツケースを運ぶ。これではバリアフリーも何もあるものか。
 ここで夕食を摂ることはできないので、沢山のお薦めのうちから近くのレストランを紹介してもらう。部屋で、触るのも暑苦しいフリースジャケットその他の荷物を整理していると、ねこまるに気球屋さんから電話が入ってきた。実は、今回は葡萄畑に囲まれたボーヌの街を気球に乗って空中散歩するプランを予約していて、到着翌日の朝か夕方を希望していたのだが、何しろお天気次第なので基本的に連絡待ちという約束だった。気球屋さんはきょうの夕方どうかといってきたが、もうレストランを予約してしまったのと、とらおも長時間の運転で疲れていたので、次の機会を待つことにした。
 紹介されたレストランは車で15分ほどの、コルトン・シャルルマーニュの葡萄畑の近くにあった。レストランの自動ドアがひらくと「いらっしゃいませ」という流ちょうな日本語が出迎えてくれ、2人とも驚いて顔を見合わせてしまった。何とマダムは静岡出身の女性でフランス人シェフと結婚して、最近この地でレストランを開いたということであった。加えて給仕にパリからきた日本人の青年がいて、彼によれば5月の末のパリは気温がひとけたで、この暑さは急激なものらしく、いわく「体がおかしくなりますよね。」ということだった。
 昼食をかなりしっかり食べてしまったので、できるだけ軽めの料理をみつくろってもらい、前菜に生野菜のサラダ仕立て、ねこまるはチキンの牛乳仕立て、とらおは牛肉の赤ワイン煮、デザートにチョコレート菓子を頼んだ。前にも書いたがフランスの牛乳はとても濃いので、蒸したチキンのあっさりした味にほどよい風味が加えられていた。赤ワイン煮も上品なこくがあり、きょうは昼夜とも充実した食事であったが、唯一ここのデザートがいただけなかった。デザートとして供されたものはブラスのビスキュイ・ド・ショコラを一回り小さくしたコピーで、決してまずくはなかったが残念ながら味は似て非なるものであった。やはり、本質を理解することなく単なる模倣に走ると良い結果を生まないようで、参考にするのは良いが、独自の工夫を加えなければ、オリジナルを考え出した相手にも失礼というものであろう。

 今日あらゆる分野において、知的所有権の保護を叫ぶ声がかまびすしいが、あまりにも厳しいルールは、結局富の偏りと進歩の阻害を生み、あまり良いことには思えない。そしてこれは料理の世界にだけは適用してはならないと思う。なぜなら、そんなことをすれば人々はより美味しいものを食べられる機会を奪われ、ひいては世界中が不幸に見舞われるからである。
 京都、西陣の織り元、山口伊太郎氏は70才にして私財を投じ、源氏物語4巻を西陣織りで絵巻にすることを思いつき、101才で3巻までを完成させ、現在4巻目を製作中である。彼は若い頃から常に独創的な紋様を織り続けてきた人だが、この世界には特許など存在しないに等しく、新作を発表するたびに模倣されてきたらしい。しかし彼いわく「真似されても咎めだてはせん。その頃には私はもう次のことを考えてるから腹もたたへんのや」といってのけたうえ、30年かかった労作を、「西陣はフランスのジャガード織機のおかげで大変な進歩をとげた、また、後世の職人がこれを参考によりよい仕事をするため」という理由で、装飾の裏地も付けず、パリ国立ギメ美術館にすべて寄贈してしまい、フランスではこれを「伊太郎織り」と名付けてくれたという。さすが世紀を生きてなお現役の方は行動も言動も奥が深く、真に独創性を追求する人はこうでなければならない。2言目には特許だシェアだと血眼になって騒ぐ方々、恐れ入ったか、という感じである。と同時にこのような文化遺産を早々に流出させてしまう日本国は、美に対する敬意が少なすぎるような気もする。文化を大切にするというのは、次に勲章を授ける白髪頭を思い浮かべるだけではないのではなかろうか。

 とはいえこのレストランは、葡萄畑の真ん中で風景も素晴らしいし、味や雰囲気もとても洗練されているうえ、フランスでは希有な冷房設備がある。ねこまるはあまりの気持ちよさにうっかりネコになり、椅子の上で丸くなって寝てしまいそうだった。店をでてまだほの明るい葡萄畑の中をホテルへ帰る。今回の旅で日本の田舎ではなぜ朝食付きの宿が定着しないのかが理解できた。フランスではヴァカンスシーズンは夜10時にようやく日暮れを迎えるので食事を終えてホテルに帰るまでとても明るく、幹線道路の幅も広い。だからワインを飲んで運転してもそれほど危険ではないのだが、日本は真夏でも7時をすぎると暗いし、田舎の道は細く、夜、黒っぽい服を着た高齢の方がふらふらと自転車に乗っている。この状況で飲酒運転はやはり容認できるものではないだろう。
 部屋に戻り寝ようとすると、ここでも時刻を告げる鐘の音が鳴り響く。12時を過ぎさすがにおしまいかと思いきや、結局一晩中鳴っていた。おまけにすぐ近くに線路があるので、朝早くから列車の音で目が覚める。裕福であったとおぼしき葡萄農家を改築したようで、部屋の造りや広さは申し分ないのだが、田舎の宿が必ずしも静けさを保証するわけではないことを痛感した。
 きのうの段階で、気球屋さんから翌日の朝は上空が曇っていてだめだといわれていたので、ゆっくりおきて朝食をとり、懐かしいボーヌの町へと出かける。ロマネコンティの葡萄畑をみるツアーがあったので、とらおの希望により申し込んだ後、ボーヌの町を散歩するが、ともかくきょうも暑い。ねこまるは、基本的に適応型なので、日本食をどうしても食べたいとは思わないが、今回ばかりはガラス鉢に氷がびっしりつまったそうめんが恋しく、日本に帰ったらまずそれを食べようと誓ったものの、実際帰国したときの6月下旬の日本は涼しくて、そうめんどころではなかった。
 冷房が唯一きいているチョコレートショップの奥にティーサロンがある店で休憩することにし、お茶と、とらおはサンドウィッチをねこまるはクロックマダムを注文する。クロックムッシュは、パンにハムやホワイトソース、チーズを挟んで焼いたものだが、クロックマダムはどんなものかと思ったらクロックムッシュに目玉焼きが載っているだけだった。これは雌鳥は卵を抱えるからという意味かと思ったのだがどうだろうか・・・
 ツアーは5時半からなのでホテルに帰って昼寝をしてから出直し、集合場所に行くと、我々も入れて5組のうち日本人の若いカップルも1組参加していた。ガイドによればきょうは気温37℃だそうで、聞かなければよかったと思ったほどだった。乗り込むやいなや、車は猛スピードで細い裏道をくぐり抜け、いくつか名門シャトーの葡萄畑を案内し、最後にロマネ・コンティの畑にたどり着いた。説明するまでもなく、ロマネ・コンティは年代にもよるが1本約6,000ユーロする最高級ワインである。ガイドは、「皆さん、これがロマネ・コンティの畑の土です。ワインは無理でも土に触るのはただなので、どうぞご自由に触り、ずっと手を洗わずにいてください。」などと英語で説明しながら、手を土にこすりつけたり、記念写真をとってあげたりしている。彼によれば多くの葡萄畑では害虫駆除のため、消毒薬を使っているが、ロマネ・コンティは特別な方法で無農薬栽培にしているという。葡萄の木は、葉に産み付けられた害虫の卵がかえり、その幼虫が葉を食べることによって枯れてしまう。そこで葡萄畑に、虫の雌のフェロモン成分を合成したテープ状の化学製品を置くと、雌を求めてやってきたものの、香りはすれども姿は見えずという、いわば御簾越しに恋を語る源氏物語的状況に、雅(みやび)を解さない虫の雄は混乱をきたし、畑に近寄らなくなるということだった。この方法はコストが高いのが唯一の欠点だそうだ。その説明を聞きながら、ねこまるは、フランスでは虫の世界でも苛められるのは雄なのかと思うと、少々気の毒になってきた。
 そして、ロマネ・コンティにお別れして、とある小さな醸造所へと向かう。フランスにおいてはワイン造りは伝統的に男の仕事とされているが、そこはフランソワという女性がワイン造りをしている珍しい所だという。醸造所を運営していた彼女の父上が、娘4人を残し突然亡くなり、相次いで母上も亡くなられ、村の人々は、女にワイン造りは無理だといってずいぶん売却を薦めたり、手伝いを申し出たようだが、皆で力を合わせて、ワインを造り続け、去年は賞までとったらしい。実際ワイン造りというのは知識も体力も感性も要する大変な仕事である。
 到着すると、小柄な女性が10才くらいの男の子に大きなトラクターの操作を教えている最中で、彼女がフランソワだった。地下の小さな貯蔵庫に案内されたが、外はとても暑いのに、石造りの建物の地下は涼しくて鳥肌が立つくらいなのが本当に不思議だ。テイスティングをしながら、ガイドが、フランソワが近くのワインの学校に通った頃は女性は1人だけだったが、現在は5倍に増えたことや、日本を代表するホテルのひとつホテル・オークラもここから直接仕入れていることなどを説明してくれた。

 フランソワは、小柄だが、スリムで引き締まったスタイルがジーンズやシャツを引き立て、赤銅色に日焼けした肌に耳元で切りそろえた短い金髪、化粧気こそないが、すっきりと高い鼻に細い金縁眼鏡の奥の知的な瞳、意志の強そうな口元が端正な顔立ちを作り、強さと気品を併せ持つその雰囲気はジャンヌ・ダルクの再来のようだ。彼女はねこまるが今まで会った中で最も美しい女性である。
 人は特に女性に対し、得てして表面上の人形的綺麗さを求めるものだが、彼女は強い意志と厳しい労働によって培われた心身両面の真の美しさを備えており、月桂樹でもかぶせたらそのままギリシャ神話の女神になるだろう。同時にねこまるは大昔、写真でみた美少女を思いだした。それはまだロシアがソ連であったころの、ズハラット(花のつぼみ)というイラク軍の少女隊の写真で、軍服にソ連製のライフル銃を肩に軍事訓練している14,5才の美少女がアップになっているものであった。美しく真剣な面立ちには幼さが残り、銃と軍服がおそろしく不似合いだったのが印象的で、フランソワの美しさが豊かで希望に満ちているのに比べると、写真の少女の美しさは悲しくはかなげなものだった。人は国も民族も時代も選んで生まれてくることはできない。彼女がなぜ銃をかつがねばならなかったのか、つぼみは美しい花を咲かせたのか、答えは疑問符のままである。

 そんなフランソワのワインを即売していたので是非とも買い求めたかったのだが、何しろこの暑さ。せっかくのワインはきっと味が変わってしまうだろうから、あきらめた。いつかホテル・オークラへ行ったら是非フランソワのワインを味わいたいものだ。
 外に出るとさっきの男の子がまだトラクタに乗っている。彼はフランソワの甥にあたるらしく、現在このシャトーの有力な後継者で、期待の星であるとのことだった。
 
 ボーヌの町中に戻ると7時を過ぎていたので、ホテルへ帰らず、お薦めレストランのひとつで食事をすることにしたが、途中で、今回の宿泊候補にあがったホテルをみつけて驚く。インターネットでみた遠景写真では葡萄畑に囲まれたとても静かで風光明媚な雰囲気だったが、実際は幹線道路沿いにあり、かなりうるさそうで、あの写真は建物の裏から上手に撮ったものらしく、2人で胸をなでおろした。
 レストランに着くと、予約を入れていなかったせいか、給仕の青年は少々不機嫌だった。しかしこの暑さの中、長袖のシャツにネクタイをしめてサーヴィスをしているのは、表彰ものである。冷たいトマト風味のスープに加え、ここは製氷器があるらしく、ワインクーラーに氷がたっぷり入っていて、とらおは大喜びだ。ハムのテリーヌ、サーモンのグリルや冷たいデザートもとてもおいしかったが、魚の切り身の量はサンドゥニのレストランの半分くらいで、やはり都市のレストランの分量が少ないのは、日本と同じようだ。
 ホテルに帰り窓を全開にして、ベッドに寝ころぶと、鳴り続ける鐘の音にも慣れたようで、今夜はことりと眠りに落ちた。

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