美呆村

美呆の日記

謹賀新年・出産報告

2016-01-01 | 日記

自宅の前の坂道


あけまして、おめでとうございます。

2015年は、引っ越しに第三子の出産にと、大変化の年でしたが
新しい土地での暮らしに、学び深い日々を過ごすことができ、
大晦日の晩は、感謝の想いで、いっぱいでした。

課題は課題として持ちつつ、それでも
感謝の念のもとに立つ、ということが大切なことだなと
思い至っています。


ところで、出産後2週間が経ちました。
やっと、出産の報告を。
2015年の12月16日(水)の早朝五時半頃、元気な男の子が生まれました。
予定日を2週間も遅れてのお産でしたが、三人目にして、一番安産でした。

今回も自宅出産。
しかも助産師さんなしの、家族だけの、プライベート出産。
早朝でしたが、子どもたちも起きてくれて、家族みんなで立ち会い
迎えた、新しい赤ちゃん。
名前は「雨光(あみ)」。男の子です。

この名前は、私が一年ほど前に書いた詩集
「雨、その慈しみの中で」のことばのインスピレーションから付けました。
 この詩集が意味するところの雨は、天上の雨。
天なる世界の、光のしずく。

自分の中では、この詩が生まれたとき、北海道への道がひらかれ、
導かれたように感じていました。
というのも、この詩が生まれたのち、すぐ、北海道ということばがやたら目に入ってくるようになり、
北海道シュタイナー学園の存在を知り、見学に足を延ばしたのでした。
そして、宿泊時に「ひびきの村」にも滞在し、そのご縁で、こうしてスタッフとして呼んでいただき、
住まわせていただくようになりました。

こころの奥底に沈んでいる光に向かって、進むような、導かれたような、そんな感覚。
そして、北海道へ移ってから、母子ともに、非常に元気になり、
きっと、この赤ちゃんはこの北の地を求めていたんだな、と感じていました。


ところが12月、出産予定日を過ぎ、どんどん日が経つにつれて、
なにをやってもなかなか生まれてこない、遅い・・・と、
妻はもちろんのこと、待つこちらとしても、まだかまだかと気がめいってくる日々が続きました。
そんなある日、ひらめきのもと、この詩集をまだ、赤ちゃんと妻に朗読してないことに気づき、
きっと読んだら、陣痛が始まるのではないかと思い、15日の夜に朗読したのです。
そうしたら、妻も、朗読がすごくこころに入ってきたことを感じ、なにかがふっきれた感があったそうです。

そして、その夜中に陣痛が始まり、3時間で生まれました。

私は、きっとこの子は、この詩の朗読を聴いてくれていたし、
その想いを、受け取ってくれていたんだと感じました。
だからきっと、やっぱりこの名前なんだと思いました。

そうした流れの中から、この雨光の名前はつきました。


長々となってしましましたが、出産話でした。
上の子もこうした物語のある誕生をしましたが、雨光もでした。


4200グラムと大きく生まれましたが、水中出産でしたので、
とても楽にお産ができました。
そして、今回が一番、リラックスできて、よそ行きな感じのしない、一番自然な感覚の中でお産ができた
という感じがしました。

子どもたちも、目の前で立ち会ったからか、そのあとも、いろいろと手伝ってくれたりと
新しい家族を、穏やかに迎えてくれました。
それにしても、忘れていました、赤ちゃんって、こんなにも可愛いものなんですね。
そして腕に抱いていると、じんわりと、幸せになってきます。

赤ちゃんのいる生活って、忙しいけれど、なんともいいがたく、いいですね。
おむつやおっぱいで、なんとも可愛らしい声で一生懸命ないて、呼んでくれる。
ちいさな手足。甘い赤ちゃんの匂い。
はー、まだまだ赤ちゃんに浸っています^^

これから、美呆の新しい家族になりました、雨光(あみ)を、
どうぞよろしくお願いいたします。