美呆村

美呆の日記

言語造形公演(大阪) のお知らせ

2014-06-10 | イベント
7月13日(日)に、大阪のことばの家で、言語造形の公演をいたします。

そのお知らせです。

「ことばの家」の諏訪先生のブログにも掲載されていますので、
こちらもご覧ください。





詩とメルヒェン ~詩人による言語造形~

演目:自作の詩と物語
出演:稲尾教彦 (詩人、菓子美呆店主) 
場所・ことばの家
日時:2014年7月13日(日)
   開場14時
   開演14:30 (公演は約一時間)
 公演後、「ことばの家」の諏訪耕志先生を交え、詩と言語造形についてのアフタートークあり。
 菓子美呆のお菓子販売もあります。
料金:  大人      ご予約1500円  当日1800円
   中学生以上20歳以下 ご予約1000円  当日1300円

お問い合わせ・お申し込み: 「ことばの家」(諏訪)
MAIL  : info@kotobanoie.net
TEL/FAX  : 06-7505-6405
ADDRESS  : 〒558-0053 大阪市住吉区帝塚山中2-8-20



【みなさまへ】
日々、この言語造形という芸術に取り組むことによって、こころの深くを、洗い、清め、
熱を得ているように感じています。
それは、生きて在ることの意味を、日々新たに蘇らせているようにも思えます。
詩は、私にとって、「わたしは在る」というその臨在の、すぐそばにまで在って、自分の魂を写すもののように思います。向かい合い、書くことを通し、わたしをそこまで運んでくれる、形ある天からの息吹であると。
今回は、自宅を店舗にしている「菓子美呆」のコンセプトにもなっている物語を、メインに語ります。
詩は、植物や、人間の感情や心象風景をテーマに選んで語りたいと思っています。
静かな夏の昼下がり、温かな思いが、ことばの家を満たしますように
 



5月17日の 物語の会 の報告

2014-05-19 | イベント
一昨日、春の物語 詩の朗読会が終わり、

ほっとした中に、充実感を感じています。

昼の部には、お母さんたちの他に、小さなお子さんも二人参加され、

穏やかな、静かな会に。

夜の部は、遠方からのお客様もいらっしゃって、厳かな

キャンドルナイト。

ゆれる炎。 ゆれる静けさ。

声は静けさの、合間をぬって。



夜の部は、

詩を4つと、おじいさんと男の子の話(美呆の童話)

を語りました。

語り終わった後、お客様は、しばらく、しーんとして

余韻に包まれているようでした。



今回、この童話の稽古をしていて、いろんなことを思い、考えました。


ことばの一つ一つにおいて、

自分は、意味を、再び見出さなくてはいけないのだという思いに駆られました。

生活の中で、自分のことばの持つ、意味が、低くなっていて、

ほんとうの、輝きある、活き活きとした、生命的な高次の意味を、失っていたように

感じ始めたのです。

それに気付いたことが、よかった。気付かなければ、ことばは

洗いなおされないままでした。

(これは、この時期に「アナスタシア(ウラジーミル・メグレ著/ナチュラルスピリット刊)」を

読んでいたからというのも影響が大きいと思います。とてもおすすめの本ですので

ぜひ読んでみてください)



言語造形の基礎訓練において、母音や子音を意識した発声の訓練をやります。

胸部内をはじまりとして、喉の形、口角、そして、腕手。

からだを動かしながら、自分のからだが、言語の響きの形であるように。

そうして、一音一音を発声していくことを毎日繰り返していると

意識の先で、ことばの精神のようなものが、向こう側からなにかを

断片的に教えてくれるような感覚が、たびたび起こるのです。

そのたびに、自分の声の響きは変わり、ことば、一音に対する自分の意識の中での

力が変わってゆくのを感じました。

物語の一文、一文を、からだを使ってひたすら練習していると、

慣れる部分もあるのですが、僕の場合、まだまだ拙くて、

語ろう語ろうとしてしまう意識が強く出てしまい、

文を伝える、内側のスピードが早くなりすぎてしまったようなときがありました。

すると、語りのときに、自分の前に広がるべき童話の絵姿、イメージが、ついていかないということもわかりました。(これは稽古の段階での話です)

呼吸の外的なもの以外に、息以外の何かが、腹に降りてくるときに語りだす・・・・というのが

ちょうどよい、語りのスピードのように思いました。

聴いている側からしたら、すごく、淡々としている語りだったと思います。

それから、本番前日ぐらいから、物語の世界が、語っている意識の先で

ふわふわと、ゆらいで浮かんでいるような感覚がありました。

おそらく、これを、自分のからだに引き寄せて語ることができればいいのだ、という直感が働きました。

その、意識の先では、一文を語り、吐ききった息の後に、次のことばが、浮かびました。

その感覚は、詩を書いている感覚と似ていました。

こうした場合、また、詩作においてのこのような状況下では、

湧き上がる感情に、意識を重ねるならば、涙が流れてしまいます。

しかし、自分は今、観客を目の前にしているので、そうすることは適さない立場、

感情は、自己と分けたまま、そして、その感情を気付きのままそっとしておくことを

継続することにより、その力が、自己を深部へと運んでいく力となっていったように思います。

こうした感情と同一化しない内的な修練は、シュタイナーの「いかにして高次の世界を認識するか」

や、自分が過去に傾倒したクリシュナムルティの云うところの「自己凝視」「内部の自己感情、思考と同一化しない」

ということを、日常的に訓練することで成り立っているように思います。


そして、物語の、もっとも盛り上がる部分においては、

僕は、かるく、目の前が白みがかってきていて、物語の世界が、もうすぐそこまで

来ているような気がしました。


公演が終わってみて、自分的には次なる目標が生まれました。

あの白みがかったように現れる物語の世界を、自分は

空間全体を呼吸させるように語りたい・・・

と。


まだまだ、拙い語りですが、少しずつ、精進していきたいと思っています。


それから、今回、お客さんに感想を書いていただくようにしたのですが、

今までとは違う、新しい発見が。

今までは、瞑想的な意識になった、というようなことが共通の感想でいただいていましたが、

今回は、「自分の雑念が吹き飛ばされて、からだも、皮膚も、自然なるよい状態に組み直されていくような

感じがした」「これはつまり、治療オイリュトミーのような言語造形では」

「マッサージや、ヒーリングを受けた後のようなすっきりした感覚になった」

「今日はひどく疲れていたのですが、朗読が始まってから体が軽くなり、スッキリしました」

「最近、頭がふらふらしていて、ぐったり疲れていたのに、終わった後は、ものすごく

体が軽い。始まる前と全然ちがう。不思議」

というような、治療的な感想を、ほぼ共通にいただきました。


言語造形が、芸術的であり、治療的であり、教育的でもあるという、自分の予感的理念が

少しずつ、形になっているのかもしれません。



長くなって申し訳ないのですが、あと少しお付き合いください。

この物語に取り組みたいと思ったのは、

自分の、生きることにおける意味をもう一度見つめなおすということ、

それから、お菓子作り、ものづくりにおいての、

内的な価値を、もう一度、見つめなおしたかったからです

この童話を書いたのは9年前ですが、ここ数年で、育児や仕事のことで

あらゆる生活の内部にあるはずの、新鮮な精神の価値が徐々に薄らいでいったことを

感じていて、それが、自分にとっては、危機感を感じるものとなっていました。

ものや、自然の内部にある声、また、それらと、自分の内部にある声が、ふたをされ、

それをないものとしてしまうとき・・・単にがむしゃらに働きづめるとき・・・・

「もたざる幸福」から離れてしまい、わたしたちは、

自分は違うと思いながらも、いつのまにか物質主義的な感覚になり、

本当の豊かさを失ってしまうのです。


僕は、そうした自分の初心に当たる部分に向かうため、この作品を選び、語りました。

そして、これからも、どんどん再演していきたいと思っています。

この物語の、語りの会を催したいと思われた方が、もしいらっしゃいましたら、

お声かけください。

そうした機会を、どんどん、増やしてゆきたいです。

あわせて、地球環境や、食、循環をテーマにしたお話も交流会のような形で出来たら・・・。

うーん、楽しみなってきたな~。



近いうちに、おじいさんと男の子の話(美呆の童話)も、全文を掲載したいと思います。







手のひらの星 

2014-04-30 | イベント



先週、4月25日(金)~27日(日)までの三日間、美呆で
「手のひらの星」のイベントを開催しました。

誰もが、心の中に持っている、創造という名の、星。
その星を、手のひらに持ち、共有してゆこう、
というテーマを持ったイベントでした。

創造する心、という中には、本当に自分を生きること、
というものが含まれ、そこへ向かい、
展示、コンサート、料理、お菓子、共に力を合わせとてもいいイベントになりました。


コンサート前


布作品の椎原由紀子さんの展示、
なにか、日常の固くなりがちなこころもちを、やわらかく、すくい出してくれるような
やさしい、透き通った布のインスターレーション。
ぼくは、この展示期間中、軽く、浮遊感を感じながら
夢ごこちでした。

春の風に揺られながら、なんとも涼しげな、優しい気持ちになれる
そんな作品たち。
椎原さんのお人柄そのもののよう。





キャンドルナイトの、布明かりも、めちゃくちゃステキ!
ロウでぬらした布を使用しているため、燃えないんだそうです。


今回料理を担当してくださった、大分の「LIFE GALLERY 花」のいくこさん。
丸いお皿に、たくさんのお惣菜がのって、きらきらしていました。
(写真撮れていなくてすみません。コンサートの受付などでばたばたでした)

マクロビオティックの、からだも、こころも清らかにしてくれるお料理。
そして、いくこさんの人となりが、こもって、素晴らしい料理でした。
コンサート中に、台所のほうから、いい気のような、すがすがしい
おいしそうな匂いが、風に運ばれ、ただよってきたときは、
それだけで、からだが清められてゆくようでした。
ああ、今度は、大分のいくこさんのお店で、食べてみたいな!


コンサートは5回。
重松壮一郎さん、ほかおななこちゃん、本当にありがとうございました。

重松さんのピアノ演奏は、自分に、内的な時間を与えてくれる演奏だなあと、つくづく思います。
演奏を聴いている間は、(「聴いている」という表現も的確ではなくて、むしろ、体感しているという感じでしょうか)
外的なものが、あまり気にならなくなり、音の感情や、透き通る感じ、イメージ、激しさを
自分の心が内側で体験してゆくような感覚。それによって、ある種のカタルシスを感じる演奏。
現代人が、日常で独りになり、内的に体験しなくてはならない感情、心的感覚を、
重松さんは、ピアノの演奏を通して、させてくれるような気がします。


オープニングコンサートでは、ねっこぼっこも、事前にお集まり体験を開催したり、
託児で参加しました。

ねっこぼっこで初めての託児を、たくさんのスタッフの人に協力してもらって
やっとできた、「私にもどるじかんコンサート」でした。
ねっこぼっこのスタッフのみんな、ありがとう!


ななこちゃんのライブでは、アンコールも。
ななこちゃん、なんだか、歌いながら、すっかり気分がよくなって
そのままゆっくり横になりたい気分、といっていました。

ななこちゃんの、透き通った、ほんわかした、それでいて、時に強く激しい歌声。
繊細だなあ、力強いなあ、MC面白いなあと、いろいろな面を感じさせるななこちゃん。



ぼくが出演する回も2回ありました。
「言の葉の音つむぎ」では、前半は重松さんとのセッション。

後半、円になって座り、
みなさんに、持参された詩や、うちの本棚の詩集から選んで朗読してもらいました。
それがまた、すごくいい時間でした。
(あ、これは、奈良でやっていた、美呆朗読会ではないか!)

由紀子さんいわく、こんなに温かい雰囲気の会はない、とおっしゃっていました。
ありがとう。ぼくもそんなふうに感じました。
なんだか、みなさんが、ぬくもりの中で、親しみを感じる中に居たように感じました。

ラストコンサートは、ものすごく、盛り上がりました!
というか、前半、由紀子さんが号泣しすぎて、大変だった・・・ということを
休憩中聴いて、みんなで大笑いしてました。




なんだか、休憩中も、スタッフ室(台所)では、笑いが絶えず、みんなにこやかで
心が安らかになっていました。
本当に、安心の中で、コンサートの時間に向かえていたなと思いました。

自分としては、言語造形の基礎訓練をしっかりと始めてから初めてのステージでしたが
その基礎訓練の成果といいますか、手ごたえを感じれたような、回になりました。
「銀河のほとり」の朗読は、今までで、一番よく出来たように思いました。

ラストコンサートも終わり、由紀子さんの作品も撤収する時間となって、
なんともさみしいような気持ちになりましたが、
打ち上げがまた、ほんとたのしく、最後の最後まで楽しかったイベントでした。
打ち上げ時の、つむぎちゃん(重松家の娘)の、オンステージが爆笑でした。

去年くらいまでは、とってもおとなしかったつむちゃんが、
「夏去りのワルツ」を元気に歌いながら、踊って、コントしてくれたんです。
ああ、こどもって、みんなこうして、どんどん成長して、かわってゆくんだなあ
と、これからも、楽しみになってきました。


それにしても、ほんと、楽しいイベントでした。
(楽しい、楽しい連発しすぎですね^^。)
ほかおななこちゃんが、「いろんなイベントにでてるけど、こんなにいいイベントはなかなかない」
といってくれてました。
そして「ライブして、翌日どっと疲れが出たりするんだけど、ふしぎと、むしろ元気になってる」
といっていました。
うれしい。


自分の星に向かって生きること、
それが、こうして元気につながっていっているんだろうなあとおもいました。


そういえば、コンサートに出した、チョコレートパフェは、今回初お披露目だったのですが、
大好評で、スタッフの間では、毎日、余った分を食べていました。
そのパフェの写真をのせようと思ったら、・・・ない!
ああしまった、また撮り忘れた~!

試作で作っていたときの写真はありますが、↓


手のひらの星のときは、イチゴたっぷりだったので
これとは違ったんです。
他の方のブログで、幻のパフェの写真が見れますように・・・


本格的な、展示、コンサートというビッグイベントは初めてでしたが
本当に楽しかったです。
また、こうしたイベントをしたいです。
ぜひそのときは、みなさん、いらしてくださいね^^


追伸
写真をも少し載せます。











手のひらの星の、シンボル




由紀子さんのワークショップ



お疲れさまでした! たのしかった~!








詩の作品展

2013-11-21 | イベント
    
     秋


雨の恵みに 歌われる日々たち
声は光のように しずけさを満たしていった

しずかであるからこそ
拡がる 大気のひびき

幾層にもつらなる 記憶たちの
夕暮れ

とまどいながら たどりながら
たしかめてゆく

こうして浮かびあがってくるものたちの
出どころの不確かさをおもう
同時に 追憶が満たす
こころのリアルさも

秋、その朝からの雨
しずかに ぬれてゆく ものたちの声
わたしもそっと そこへ降りてゆくのだ











急に寒くなってきましたね。
みなさんお元気ですか。

クリスマス前に、詩の作品展を開催いたします。
上記の詩は、作品展のフライヤーに載せている詩(自作)です。
フライヤーは桑迫賢太郎くんが慣れないパソコンで、作ってくださいました。

ホームページにも書きたいのですが、(やっと・・・!)パソコンを新しくしたら
書き換えができなくなり、こまったので、ひとまず、
ブログに書きますね。









稲尾教彦   詩の作品展

「ボクは歩いてここまでやってきた」

■時 2013年 12月20(金)~23日(祝・月)
   11:30~17:00

■場所 菓子美呆
〒859-3704 長崎県東彼杵郡波佐見町小樽郷598-3
℡ 0956-76-9949

■ 入場無料

★ 作品展にあわせて、菓子美呆もオープン
 21,22日はヴァン・ゴッホ・カフェが出張出店!
  冬野菜のカレーもあります。

===============


期間中、夜に朗読会もあります。

 詩の朗読会                     
   ~冬の夜、声がときをゆらす               
      静かなキャンドルナイト~              
   
■時 12月21(土)、22(日)日
    開場 17:30  スタート 18:00~(約1時間)


■ 料金 1000円
(要予約・1ドリンク付き)

================



以上です。


今回、詩の作品展ですが、今まで、朗読や演劇という形でしか発表してこなかったので
詩を展示するというのは初めての試みで、どきどきしています。

展示に関しては、ケンタローくんが全面協力してくださって、いろいろとアドバイスを
いただいています。

ケンタローくんは、前回の生命の森展の搬入時、
絵画の展示に関して、かなりストイックに
位置を見定めていらしたのが心に残っています。

詩という、ことばの展示なので、むずかしいかもしれませんが、
こころに伝わるような展示を、ケンタローくんと一緒につくりあげたいと思います。
(ケンタローくんは、カレンダーの原画の展覧会や作品展で忙しいのに、ごめんなさい)


それと、今回は、ヴァン・ゴッホ・カフェのRYEちゃんに
出張出店をおねがいしています。
でんわをすると、いつも、

「電話ありがとう~!」

と、ほんとうにうれしそうに言ってくれる、RYEちゃん。
こころから、人生を楽しんで生きてるって感じがして、こちらも楽しい気持ちにさせてくれます。
ケンタローくんとともに、大好きなご夫婦です。

うちあわせなど、密な時間を共にすると思うけど、よろしくね。


今、新しく詩を書いています。
妻に読んでもらったら、新しい感じね、といってくれました。

なにかにむけて書く詩もあるけれど、
ほんとのところ、詩は、自己への瞑想をとおして生まれる、
内面性の詩が、スタンダードなのではと思います。
少なくとも、わたしにとっては。


さて、作品展まで一ヶ月をきりました。
詩を生み出すことで、自分を新しく生まれ変わらせることを感じています。


ぜひ、いらしてください!




















生命の森展 ご来場ありがとうございました

2013-10-04 | イベント
生命の森展が終わって、二週間が経とうとしています。

このイベントに参加できて、ほんとよかったなあと思えている今日この頃です。


さて、僕の展示内容は、落ち葉を敷き詰めた上に

詩を書いた紙をいくつか置いた、インスターレーション的な感じになりました。

しゃがんで、手にとって、広げて読んで頂く形になりましたが

みなさん、読んでいただけましたでしょうか。

落ち葉は、美呆の裏山から、かき集めてもって来ました。

しゃがむと、ほんのり、山の土の匂いのような、腐葉土のような匂いがしました。


それから、重松さんとのコラボライブでは、

やはり、円形に落ち葉を敷いたところで、落ち葉の上を歩いたり、立ち止まったり

切り株に座ったりしながら、朗読をしました。

内容は、ゆっくりと森の中に入ってゆき、生命ある森の様子や、

森の孤独、獣達の命のやり取り、

それから、人それぞれの中にある、精神の森のような描写の詩を読み、最後に

森から帰ってきたという詩で締めくくりました。


実は、このライブの二日前にぎっくり腰になっていて、
当日の朝、まともに立つこともできなかったですが、

朝から、ケンタローくん夫妻に島原の鍼灸の名医に連れて行ってもらい、なんとか
立てるようにしてもらって、本番を迎えたのでした・・・

車にまっすぐ座れなかったので、横になって連れて行ってもらいました。


でも、ライブはとても好評だったようで、本当によかったです。
(落ち葉に寝転んで朗読するのか!!と一人で葛藤していましたが・・)
自分は、もうとにかく精一杯でしたので、よくわかりませんでしたが、
みなさんがよかったよかったと言ってくださり、涙をふいていらっしゃいました。
僕の腰の痛みが通じてしまったのでしょうか(苦笑)。
よかったら、来て下さった方、ご感想を教えてくださいね。

腰を痛めたため、妻に迷惑をかけてしまい、また
重松さんにも、相当、ご心配をお掛けしてしまい、
ものすごく人に支えられたことを感じました。
ほんとうにありがとうございました。


でも、心のどこかで、まったく悲観することなく、
きっとこれには意味があるんだ、きっといい方向に進んでいるんだという
確信があり、ふしぎと、ネガティブになりませんでした。

きっと、自分はできる限りのことをやったという思いがあったからでしょうか。
なぜでしょうね。
今は、ただ、まっすぐに向かうべき方へ、進んでいることを感じます。

クロージングの、最後の重松さんの演奏は、

自分の中の神と向かい合うような、その限界への挑戦のような、そして、それを

超えるような、圧倒的な光や嵐のような音の中にいました。

そのときの光景と波動は、胸の奥深くに、沈んでゆきました。

重松さん、本当にすごかったです。ありがとうございました。

まだ、生命の森展の余韻を感じています。

これから、自分で企画する、次のイベントへゆっくりと移行していきたいと思います。