美呆村

美呆の日記

朗読会 言語造形について

2013-11-26 | 詩について
詩の作品展では、土曜と日曜日の夜に、朗読会をします。
今回は共演者(音楽などの)はいなくて、本当に久しぶりの、一人での朗読になります。

今回は、誰の手も借りずに(準備はお世話になるのですが)、
一人で詩を、ことばを語ることに向かいたいと思ったのです。

書かれたものを読むのと、
ことばを声にしてきくのでは、まったく違うものになります。
同じ作品を、違う人が朗読するだけで、まったく色合いがかわります。
読むのと、聞くのと、どちらがいいのか
それは、どちらとはいいきれないし、
抒情詩のようなものなら、一人の、静かな時間に読みたいと思うかもしれません。


いま、言語造形という、語りの芸術を学んでいます。
毎月、月に一度、兵庫の姫路まで、勉強しにでかけています。
わざわざそんな遠くまで・・・と思われるかもしれませんが、
この距離が、心の準備をさせてくれます。
一回の出会いの大切さを感じます。


言語造形に取り組むようになって、
ことばが発せられることにおいて、それが、わたしが求める価値、精神的な力に
届くように感じられます。
ことばに、真剣にむかいあうこと、まっすぐに声を解き放つこと、
あたまで語るのではなく、からだを動かしながらことばに取り組むことによって、
作品の感情を沸き立たせること。

そうして
からだでことばと向かい合うことによって、より、感情が純化したかたちで、
立ち上がっているように思います。

言語造形を教えてくださっている諏訪先生がおっしゃるには、
「あたまでこうしよう、ああしようと考えてやると、伝わらない。
手足を動かして、感情が自然とわきあがってくれば、それは伝わる」
と。

シュタイナーの考えでは、思考は頭部、感情は胸部、意志は手足とつながっています。
意志とは、その人が意識できないほどの意識下の精神の働きです。
その精神は、手足を動かすこと、からだをめいいっぱいひらいて、使うこと、
によって、他者にも伝わる感情を生み出すのです。

なんだか不思議なんですよね。
行為のかたちが、こころを生んでいる、というか・・・

練習時はものすごく動きますが、実際語る場では、からだは動きません。
そのぶん、見えないからだがその場を駆け巡っている、と思います。

動いて練習しているとわかりますが、内的なものを感じたのち、
動かずにことばを発すると、自分の内部で
なにかが動いているのがよくわかるんです。

おそらくこれが、この場に生まれるバイブレーションであり、
おそらく他者に知らず知らずに伝わる、
静かで、確かな、ふるえ、なのではないかな、と今のところ思っています。



今回語る予定にしています作品の中に、「帰郷」という作品があります。
わたしが23歳のころに書いた、一人芝居の戯曲です。

それは、恋愛に挫折した若い女が、生まれ故郷の海の見える丘で、
夕日が沈む1時間、
目の前にいる、病気で赤ん坊のようになってしまった父親に
その思いを語る・・・というお話です。

その一番クライマックスにあたるラストの25分ほどを語ります。

なぜこの作品を選んだのか、
それは、わたしの作品の中で、一番高い感情が感じられる作品だからです。
内容自体は、すごく静かなのですが、そこにこめられている感情は
とても大きなものです。
これを書いたときに、わたしは、自分の奥深くで、なにかがものすごく高められ、
進んだことを感じました。

シュタイナーは、人間を、肉体、魂、霊と三つに分けて考えますが、
霊の成長は芸術を通して顕著に現れる、ということを言っています。
それは、今になって、実感として、本当に、よくわかります。

その人にとっての芸術に向かうことによって、自分の一番深い部分が
前に進んだように感じるのです。
この経験は、芸術にたずさわる人にはきっと、みな通じるのではないでしょうか。

そして、その価値は、何をもってしても代えられない。
霊の成長は、肉体の死後も持ち越されるのです。
そういうような深さでの価値を感じるのです。

それほどまでの価値を直感的に感じられるから、時には、いのちを懸けてでもやることがある。
それが芸術なのだと思います。















































声に

詩の作品展

2013-11-21 | イベント
    
     秋


雨の恵みに 歌われる日々たち
声は光のように しずけさを満たしていった

しずかであるからこそ
拡がる 大気のひびき

幾層にもつらなる 記憶たちの
夕暮れ

とまどいながら たどりながら
たしかめてゆく

こうして浮かびあがってくるものたちの
出どころの不確かさをおもう
同時に 追憶が満たす
こころのリアルさも

秋、その朝からの雨
しずかに ぬれてゆく ものたちの声
わたしもそっと そこへ降りてゆくのだ











急に寒くなってきましたね。
みなさんお元気ですか。

クリスマス前に、詩の作品展を開催いたします。
上記の詩は、作品展のフライヤーに載せている詩(自作)です。
フライヤーは桑迫賢太郎くんが慣れないパソコンで、作ってくださいました。

ホームページにも書きたいのですが、(やっと・・・!)パソコンを新しくしたら
書き換えができなくなり、こまったので、ひとまず、
ブログに書きますね。









稲尾教彦   詩の作品展

「ボクは歩いてここまでやってきた」

■時 2013年 12月20(金)~23日(祝・月)
   11:30~17:00

■場所 菓子美呆
〒859-3704 長崎県東彼杵郡波佐見町小樽郷598-3
℡ 0956-76-9949

■ 入場無料

★ 作品展にあわせて、菓子美呆もオープン
 21,22日はヴァン・ゴッホ・カフェが出張出店!
  冬野菜のカレーもあります。

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期間中、夜に朗読会もあります。

 詩の朗読会                     
   ~冬の夜、声がときをゆらす               
      静かなキャンドルナイト~              
   
■時 12月21(土)、22(日)日
    開場 17:30  スタート 18:00~(約1時間)


■ 料金 1000円
(要予約・1ドリンク付き)

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以上です。


今回、詩の作品展ですが、今まで、朗読や演劇という形でしか発表してこなかったので
詩を展示するというのは初めての試みで、どきどきしています。

展示に関しては、ケンタローくんが全面協力してくださって、いろいろとアドバイスを
いただいています。

ケンタローくんは、前回の生命の森展の搬入時、
絵画の展示に関して、かなりストイックに
位置を見定めていらしたのが心に残っています。

詩という、ことばの展示なので、むずかしいかもしれませんが、
こころに伝わるような展示を、ケンタローくんと一緒につくりあげたいと思います。
(ケンタローくんは、カレンダーの原画の展覧会や作品展で忙しいのに、ごめんなさい)


それと、今回は、ヴァン・ゴッホ・カフェのRYEちゃんに
出張出店をおねがいしています。
でんわをすると、いつも、

「電話ありがとう~!」

と、ほんとうにうれしそうに言ってくれる、RYEちゃん。
こころから、人生を楽しんで生きてるって感じがして、こちらも楽しい気持ちにさせてくれます。
ケンタローくんとともに、大好きなご夫婦です。

うちあわせなど、密な時間を共にすると思うけど、よろしくね。


今、新しく詩を書いています。
妻に読んでもらったら、新しい感じね、といってくれました。

なにかにむけて書く詩もあるけれど、
ほんとのところ、詩は、自己への瞑想をとおして生まれる、
内面性の詩が、スタンダードなのではと思います。
少なくとも、わたしにとっては。


さて、作品展まで一ヶ月をきりました。
詩を生み出すことで、自分を新しく生まれ変わらせることを感じています。


ぜひ、いらしてください!