この事を記事にしようかだいぶん迷いましたが、なんかホッとしたので書くことにします
実は二日前、私の母の命日でした。
30年前の7月17日、37歳でこの世を去りました。
他界するには早すぎると大人たちは言ってましたが、実際自分がその歳に近づくにつれその事を痛感するようになりました。
当時、私は7歳。小学校に入学して初めての夏休み直前にその日を迎えました。
前の晩から母方の親戚や祖父母が来ていて、子供心に「何か様子がおかしい」と思っていました。今思えば、お医者様に「逢わせたい人を呼ぶように」言われたんだと思います。
ドラマのワンシーンのように、母の横に置いてあるモニターが
「ピーーーーーーー」となって直線を描くと隣の数字も「0」になったのを
今でもはっきりと覚えています。
「男は泣くな」と育てられた兄たちも一生懸命涙をこらえていましたが
「今日は泣いてもいいんだぞ」と優しく父が言った瞬間から泣き崩れていました。
それからずっと父は私たち兄弟3人を男手一つで育ててくれました。
私は母の記憶があまりありません。
一生懸命思い出しても片手で足りるくらいしか覚えていません。
顔も写真で見て覚えているくらいです。
7歳ってそんなもんなんですね。小学校に入った頃の自分の母親の顔を覚えていますか? 覚えてませんよね。
私はいつも一番上の兄をうらやましく思っていました。
一番、母親と一緒にいた時間が長いから。。。
一番、母親との思い出があるから。。。
私はたったの7年で、しかも闘病生活の間は祖父母のところに預けられた事を思うと、ほんのわずかしか一緒に居れなかったって悔やんでいました。
だけど、自分が子供を生んで育ててみて分かったんです。
たった7年でも、こんなに手がかかってるんだって。
赤ちゃんの頃、いくらだっこしても泣き止まなかったり、いくらおっぱいあげてもまだほしがったり、ちょっと熱が出ると心配で心配でたまらなかったり。
おしゃべりが出来るようになったら、反抗期が来たり、生意気言ったり、ちょっとかわいい事言ってみたり。
小学校に入学するときは、親もドキドキしたり、ランドセルがまぶしかったり。
たったの7年じゃない、7年も一緒に居れたんだ!!って思えるようになったんです。
きっと、たくさん抱っこしてもらっただろうし、たくさんわがまま言っただろうし、たくさん一緒に笑っただろうなって。
そう思えるようになってからは、兄をうらやましいと思うことは無くなりました。
そして2日前、母が他界した時と同じ、37歳の7月17日を迎えました。
しかも息子はあの時の私と同じ7歳の7月17日です。
数年前から、この日が来るのがちょっと怖かったんです。
もし、私も似たような運命だったら。。。
だけど、何事も無くこの日を迎えられました。
なんだか、ホッとしました。
そして「今からだ、ここからだ!!」って思ったんです。
だから、私は決めました。
母の分も長生きしたい。母の分も子育てしたい。母の分も幸せな家庭を築きたい。
そのために、出来ることはなんでもしようって。
日ごろ、子供にイライラしたり、怒鳴りつけたり、
とても「良いママ」とは言えない私。
この日が私に考えるチャンスをくれました。
一緒に居られるだけで幸せなんだ
健康なだけで幸せなんだ
生きてるだけで幸せなんだ
当たり前が幸せなんだって。
これから先は、今を一生懸命生きようと思います。
「今から、ここから!!」