『奔馬』
2006-10-03 | 本

豊饒の海(二)
『奔馬』三島由紀夫
『春の雪』の松枝清顕の生まれ変わりである、
飯沼勲が主人公です。
ひたすら「純粋」を求め、高潔な「死」を望む。
現代には無い感覚と価値観で、とても新鮮でした。
「死」=悲しみ、終わり、避けるべきもの、絶望感
私にとってはこうでした。
死ぬというのは、全ての終わりで、
現在は「自殺」行為自体が「逃げ」であったり、
道徳的に良くないこととされます。
だけどこの物語は、誠実に「死」と向き合い、
純粋のうちの「死」に全てをかけている。
現代に生きる自分には想像もつかない感情です。
でも、感情移入できてしまうのです。
その生き方を、美しいと感じられるし、憧れのようなものも感じます。
この本のなかで、私自身は本多の心理にとても共感してしまいます。
本多側の立場から、飯沼勲を見ていました。
純粋さや、情熱というのは、精神的な偏りのように感じました。
「極端さ」に近いような。
大人になって、いろんなことを知って、
いろんな人と協調して、
バランスのとれた精神状態をもつことで、性格もまるくなり、大人になる。
バランスがいいってことは、中間的だから、
同時に純粋さは失われていくのではないかと思います。
三島由紀夫は、
年齢を重ねること=「老い」という風に、
いいことと捉えていなかったのかな、と感じます。
本多が歳をとり、飯沼が歳をとり、そこに若い勲の行動が描かれる。
『春の雪』には無かった「年齢」の対比で、
勲の若い純潔さがみずみずしく、際立って、
三島由紀夫が『豊饒の海』で描こうとしたものが少し見えてきたように感じました。