おぐりっつあのカルタ

おぐりっつあ、というのは、ロシア語できゅうりという意味です。hippo,子どもの育児のことを書いています。

26日:日曜日ベベフィー・スペイン語を歌う会感想

2011年06月30日 01時20分59秒 | インポート
ソイ おぐり。

6月25日の日曜日は、ベベフィーに、先々週アメリカのユタ州から一年間のイヤーロングプログラム(高校留学)から帰国した高校生が来てくれました。

彼女の、(日本でオーケストラしていたから)アメリカでオーケストラしていても指揮者の指示がわかった。ホストシスターも参加していたけど、彼女はわからなくて聞かれた。話と、

四歳の子が、幼稚園に入って、お支度は上のお姉ちゃんがしていたので、自分もできる。 キリスト教系の学校なので、献金のある日があって、明日幼稚園に持って行ってね。とお金を渡したんだけど、わからない様子。 お姉ちゃんが黒い袋が回ってくるからそこに入れるんだよ。と説明してもわからない。 黒、も、袋、も知っているんだけどわからない。 人間って単語でなくてイメージで理解するんだなあ

という話が同じだ!で面白かったです~。

あと、自分のためにヒッポに入ったと小学生二年生のオンマの話を受けて 大学生のオンマが自分のために入ったんだけど子ども達も楽しくなったみたいで交流に行ったと話してくれました。

おぐりはその大学生も小学生の五年の時の韓国青少年交流から知っているので、感慨深いものがありました。 お姉ちゃんはドイツに、弟さんはカナダにイヤロンに行っているんだよね~。

午後にやったスペイン語を歌う会は 夏にメヒコに行く私達(2家族)とロシア組(3家族)とダラダラ歌いました。

ワインも一升瓶持って行きました。

五井から来てくれたロシアに行くアッパーがスペイン語もロシア語もすごかったな~。 スペイン語だけでなくロシア語が入って楽になった、かな?

やっぱり一つの言語だけでなく多言語だね~。


18日講演会感想~。

2011年06月30日 01時11分59秒 | 日記・エッセイ・コラム

18日の土曜日も講演会でした。

午後半休取っての参加。だんなさんに息子を会場に連れてきてもらったけど、間に合うかどうか、ヒヤヒヤものでした・・・(^^;)

司会は今度の夏にアメリカにイヤロン(1年間の高校留学)に行く高校生と、11月にファミリーを立ち上げる予定のオンマのピカピカ2人コンビでした。

子育てが楽になりました。という話が良かったよなぁ(苦笑)

おぐりは、3歳の息子とパフォーマンスしました。息子は人前でパフォーマンスするの初めてだった(しかもろくに練習してねぇぇぇぇっ!!!)ので、背中に冷たい汗が流れておりました・・。

うちは2番目で、案の定、まっすぐ立ててない・・・。スペイン語の自己紹介(これは一応できる)と、メヒコ行きます!(2人ばおり)でやりました。

自分の方の紹介は、メヒコ行きます~。あと、14日の講演会でなぜ自己紹介をするのか、を上手に説明してくれたフェロウがいたんだけど、今回お休みだったのでなんとか泥縄で説明。

まあ、次回はメヒコでスペイン語ですることを考えると、まあましかなあ・・・?

(緊張のあまり、案の定何を話したか覚えていない)

講師の話は・・・。

台湾の2世の方で、日本で育って、ヒッポに入って、フェロウ(研究員)している方の話。

・家の中では、中国語・台湾語だった。外では日本語の世界だった。両親の言葉に、日本語で答える生活。

・5年生の時に旅行で北京に行ったけど、言葉はぜんぜん困らなかった。(日本に帰国してから、日本語だけで、日本に帰ったんだと気がついた)

・高校に入ってから(ちょっとおぐりの記憶あいまい)、北京に2年間留学に行った。色々な国の2世の人がいて、夜のガールズトークになると、女の人って、話聞きませんよね~。言いたいことが、それぞれの国の言葉が飛び出していた。

・その後、アメリカにも留学

・就職・結婚して(お相手は日本人)、子供を産んで、仕事を辞めたときに、子供に、日本語と中国語で話しかけていたが、

・・・この子は、どう返事をするのかな?この家、今、会話がないな。日本語しかないな。いや、日本語すらないな。

(一回開かれた感覚は、もう元には戻らないんですよね。)

と、思って、自分は中国語・台湾語で育ったから、そういう環境を与えてあげたいな、と

思って色々な教室を回ってみたら、too muchだと言われたり、色々な国の言葉があっても

それはひとつずつだった。

で、ヒッポに出会って、「知っているか。台湾語って、もともと台湾の言葉ではなく、大陸の言葉なんだよ」と言われて、彼女は父母から聞いて知ってはいたけど

この団体、案外まじめな団体かもしれない、と思って入会を決めたそうです。

彼女、べべフィーもやっているんだけど、べべフィー視点からの話もあって面白かった。

この言い方、日本語としてはあっている。(あれ?前回の講演かな?)

私も中国に短期留学はしているので、懐かしく聞いてしまいました。高校の後輩にやっぱり台湾2世の人がいたので、そんな感じなのかなあ?と聞いていました。

息子が託児部屋に行きたがらず、仕方なくひざの上で聞かせていたけど

とりあえずはおとなしく聞いていましたね~。


14日講演会感想

2011年06月29日 08時25分57秒 | 日記・エッセイ・コラム

soy おぐり。

講演会、第一弾終わりましたね~。パチパチ。

おぐりはパフォーマンスやりました。

講師から、あまり語らずに歌ってという話だったので、ヒンディー自己紹介・日本語自己紹介・息子と一緒にやっていること・日本語もだいぶ出てきて、スペイン語自己紹介も出来るようになって、どうなるかみてみたい…と、頑張って短くまとめてみましたが、どうだったかな?

メキシコ交流のお題のイチロー15番を練習してはみたけど、結局ソノコタイトル歌いました(^_^)v ←しかも忘れて、あとで歌った。

ドイツに三年前?にイヤロンに行っていた大学生の話がすごかった。他の大学生との違いで、勉強に対する姿勢を話してくれました。

新しい方は何組来たんだろう? 男性が三組、女性の三人組、あと単発の女性が二人?いらしてました。

私は午後仕事だったので、講師の話終わってすぐ出たけど、帰りに講演会来てくれていた人と会って、体験会の会場聞かれたよ~。

ハデ、 講演会感想。

まず自慢。 おぐりは、講師のおうちに泊まったことあるよ~。

ご主人が02年にインドに行くときに、押しかけ体験談を話に行った事があります。話の中で、お住まいをnehon hierと紹介してたけど、…nein nehon hier…遠かったよ(;_;) (00年に私がインド行ってます~。)当時お子さん2人小学生でした。ケグジャギでした~。

はで感想。

・子どもを観察する目がすごい~。ベベフィーだあ~。

・ファミリーの帰りに自転車でワンリトルフィンガーを口ずさんだら、長男が指を打った。これわかってるよ~。

・インドの人がコミュニケーション取るのに柔らかい話。 調査票の話せる言葉がEnglish・Hindiだけだったので、インドは公用語が20以上あると聞いてて、何カ国か語が話せると聞いてたので、他にはないの?ときいてみたら 英語とヒンディーは一番話せる。○○語はお母さんの言葉なので、だいたいわかる。マラティ語は友達の言葉なので何となくわかる。

一歩外に出ると全く違う言葉を話す人がいる。 どうしているの?と聞いたら、人間の言葉は一つだから、何を言っているかをあてっこguessするの。だいたい当たるよ。 現に、ケーキを分ける時に子どもが5つだと、残りが…とブツブツ言っていたら、 だいたいこういう事言っているんでしょう?と当ててました。

見てたらわかるとも思ったけど、中小企業の社長さんが、子どもの独り言をしげしげ観察するかな?

インドの方、子どもと遊ぶ時にインドの?一本橋こちょこちょをやったら 子どもが、これ、長崎のおじいちゃんがやるのと同じだ~。と、 いちが刺した、にが刺した、…はちがさした~。 そしたら、インドの人真似して、 ~た、~た、…~た (蜂と8をかけたダジャレだけど、それはわかってない。でも楽しめる)

楽しくなって色々な国の言葉で乾杯(さる~。チンチン~。)を言ってみたりと盛り上がりました。

帰る時に子どもに、いつか一緒にビジネスをやろうって普通は言わないよね~?

・中国の方がその何年か後に来て、始めに一言。 私に日本語をたくさんください。

…は、はい。

緊張してしまって普通の食事時の会話も出てこない。

中国の方もいい方、インドの方もいい方。 日本の下町の一家は同じ。

では何が違うか。 インドの方言葉と言葉の間が壁ではなく 薄い膜のような感じ。 言葉を今使う。人間の言葉として捉えている。

その中国の方もいい方何だけど、日本語を外国語として捉えていて、いつか使ってみようと思っている。

言葉を 人間の言葉として捉えるか 外国語として捉えるか

私達は人間の言葉をやりたい

~う~ん。 奥が深い…。 交流前にいい話を聞けたなあ~。


ビバメヒコ反対された~。

2011年06月19日 22時44分31秒 | インポート
ヒッポの講演会を14・18として、新しい人にメヒコ交流行く話をしました。

ちゃんと家族と向き合わないと、と思い 今日・明日と実家に帰ったので メヒコ交流に行く話をしたら、母と妹に反対された(;_;)

せめて息子は置いていきなさいと。 キャンセル料払うし、 面倒はみるからと。

こ、困った…。

頑張って行きたい理由を話してみたけど、ダメだったよ…。

あきらめるしかないかなあ…。


6月13日多言語WS・バラこん

2011年06月17日 17時59分44秒 | インポート
ソイ おぐり。 13日WSとバラこん行きました~。

WSはなぜ多言語か?いくつから多言語か? などがテーマでした。

いろんな人の話を聞きましたよ。

1.フェロウやって20年の方のアメリカのGFでアリゾナに行った時に、 台湾人や香港人、タイ料理屋さんで韓国人に会って、それぞれの国の言葉で挨拶とヒッポの紹介した話を多言語でした話。 に~し~台湾人? り~ほ~。あ~ぼえ?じゃばぼえ? わし~じゃばじゃば。 わし~○○…。

Oh!You can speak Chinese!Why?

わし~。ヒッポ家族倶楽部的成員…。

香港の人に会って、 ねいほ~。ほもあ。んごほうほう。んごぎう~

タイ料理を食べて アロイま~。

韓国の人に会って、 ソンセンニム あにぐ コメディアンえよ。

と言われてしまったそうな…(^_^;)

2.色々な言葉を話すと多言語のフラワーモデルは円ではなく球体で、中は透明。 何色にもなれる、何色にも染まれるという話もありました~。

※2つの言語だと比べてしまう。日本語と英語だと反発する。 でも、例えば、日本語と英語と中国語だと 英語と中国語は文法同じだな、日本語と中国語は漢字が同じだな、と同じを見つける。 言葉が増えるごとに言葉の網の目が細かくなっていく様子が、花に似ているので、フラワーモデルと言ってます~。

3.一週間前にイヤロンから帰ってきた高校生のK君の(イヤロンに行くためにヒッポに入った)、日本語を英語に訳すのではなくて、 ジェスチャーや表情などで伝え始めたら、 わからないことは周りが補ってくれて、コミュニケーションが成り立つようになった話 言葉はコミュニケーションの道具の一つでしかない。

4.大学生のIちゃんの、イヤロンでフランス行った時は ジャポネ アクサン(…と聞こえた。)を直されて話したくない…気分だったけど 上海合宿→長春からマカオまでのバックパッカーを経て、話さないともれなくボラれる、ことを経験してから大学のプログラムでリヨンに行ったら リヨンの人が優しいこともあって、 聞いてもらえるから、話せるようになった。 話の中で多言語だと感情が豊かになるという話もあったな~。

5.ヒッポ設立当時から関わっている方の、多言語が話せることと ヒッポで多言語を楽しそうに話す人がいることは、また違う まだ上手くまとまらないけど…。

ドイツにイヤロン行っていて、ルクセンブルクの人を受け入れた大学生の、ルクセンブルクの人の話を思い出しました。 そのルクセンブルクの人は、ドイツ語も話せるけど、あまり好きじゃないって言っていたんだって。

6.そうそう、日英西韓独仏中露あたりまでは、フラワーモデルもどこかいびつだったけど、 伊泰マレーが出てきたあたり(おぐり入会した頃)からいびつさがなくなってきた。 タイ語、マレーシア語、一言話すと相手がすごく喜んでくれる言葉です~。


午後はバラこん(ヒッポ作った人との懇談会)で うちのファミリーのアメリカのユタ州から帰って来た高校生の帰国報告と、同じくイヤロン生たちの話を聞いたよ~。

話題になっていたのが

・名前を読み間違えられた話(アメリカでアルファベットでもあるんだね~。) 自分の名前を文月・Julyと言っていたら何か反応が薄い…。dryと聞き間違われていたらしい。 (演劇部の時の早口言葉に、だら、でれ、どろ:らだ、れで、ろど、があったのを思い出しました) ○たろう君は○たらーとホストママに間違えられたそうな。

・鬼とか色々間違われてしまった人もいたらしい。(私もわからん…)

・洞窟に行って道迷って警察呼んだそうな

・行きの時にチケットもらったけど、空港違って大変だった。←誰だったかな?

・イヤロン終わる頃?に学校のプログラムで色々な国の人と一緒にNYの旅行に行った時、台湾人や韓国人と仲良くなって、差別の気持ちは少しあったけど、話してみたら素晴らしくて、話すことはいいと思った。←今の若者でもあるのかあ…。

・学校まで車で五分だから歩いてみたらめちゃ遠かった


で、色々話聞きながら、 …名字間違われるのは、海外だから仕方ないじゃん… …私は、結婚して改姓してから日本でも遠藤さんとよく間違われます。新婚旅行先のハワイでは、○○ enjoy!と言われたし。 ロシアではみどり?みだり?と聞かれたし(;_;) 中国では緑Lu:(上にウムラウトがつくリィなのに)Luルゥ路と読まれたし。 夏にメキシコ行くけど、スペイン語だとどういう発音になるのかな?


・19年前(92年夏)に中国北京に行っていた時に、互相学習していた中国人と、軍の訓練見ながら、 奇怪!あなたがいるから日本とは戦争しません。と話していたことや 98年冬のイタリア交流でホストノンナと、絵とカタコトイタリーで戦争の話をしたことを思い出しました。

イヤロン生の話に自分の経験が共鳴して、あまり意識してなかったけど、結構貴重な経験しているのかな?と思いました。