真夜中親父の呟きblog

一所懸命に生き、よかれと思ってやったことを、ガチャガチャ言われる筋合いなどねぇ!と放言する、ヘンコツ親父。

星になった大親友の想い出

2009-08-29 01:24:59 | Weblog
なんだか、家に来る野良猫の話題ばかりがこのところ多くなってきている。
何よりも、現在一番身近な出来事であるだけでなく、これが可愛くて堪らないのだから、自然とそうなっているわけだ。
猫ばかり取り上げるつもりは無いのだけれど、仕事がそう連日沢山あるわけではないので、たまたま猫の話題が連続しているだけなので御容赦を(笑)

で、本日は、まずはある友人がかつて突然亡くなった日。
1982年8月28日、オートバイでカーブの坂道を下っていき、路肩に駐まっていたトラックの後に突っ込んでの事故死。
まだ32歳だった。毎日放送のスチール写真を撮る仕事をする傍ら、週刊明星の写真を撮影するなどしていて、小生と現場で会ううちに、同じ年ということもあって意気投合。
以来、友だち付き合いをして、謂わば唯一の大親友となった。
小生は小学館のフリーライターを務め、彼は集英社のフリーカメラマン。
小生が写真が欲しいときには彼に頼み、彼が記者が欲しいときには小生が担当。
週刊プレイボーイで麻薬取締官を採り上げた連載をしたときもそのコンビだった。CanCamで女子大生を取材するときも組んだ。
どちらともなく、たまたま同じような時期にオートバイの中型免許を取った。
小生はヤマハのMidnightSpecial。彼はヤマハのSR-400。
「GORO」で大学生の同好会の夏合宿の取材では、ツーリングしながら現地まで走ったのもいい想い出だ。現地に到着したのはいいが、坂道でUターンしようとして、バイクを転かしてしまった苦い思い出もある。
彼は、酒が好きだったので、よく一緒に飲みにもいった。後に小生が再婚することになった相手もその場に呼んだりして、本当に裏表のない付き合いをしていた。
お互い将来に夢を持ち、一緒に組んで必ずいい仕事をしよう、と誓い合ったものだ。
彼の奥さんは医者の娘だった。
ある時、奥さんのお父さんが亡くなり、遺産が相続された。
彼は茨木にマンションを買い、車の免許も取ることにもなった。
「すまんけど俺は今後、一段高い金持ちのレベルの生活を送るわ」
と真顔で言ってきた。
小生は嫉妬する気持ちも全く出て来ず、ただただ彼の生活がよくなることを心から喜んだものだ。
マンションに引越をする前夜、彼は新居の写真を一人撮影に行った。
酒好きな彼は、部屋で一人ビールなどで祝杯をあげたようだ。
そしてオートバイに跨り、カーブの坂道をリーンインしながら勢いよく風を切り裂きながら下っていった。
駐まっていたトラックに気が付いた時は、もう止まれなかったようだ…。
後部に突っ込み、両手首骨折で、頭部への衝撃は凄まじかったようで、ほぼ即死…。
あれほど将来は一緒に組んでいい仕事をしようと言ったじゃないか…、悔しさで一杯だった。
小生は、焼き場で彼のお骨を拾うとき、小さな骨片を持ち帰った。
家に戻ってから、口に入れ、噛み砕いて飲み干した。
彼と一緒に、俺はこれから生きていくんだと…

小生は2週間ほどは仕事も全く手に付かなかった。

その後、彼の持っていた撮影機材一式をどうするか?ということになり、御家族が大事に持っているだけでは、本来の機能を眠らせるだけで、彼の本意ではないのではないか、となった。
小生が機材を全て引き取った。相場価格を一応支払ったと思うが、中古だったので格安だった気もする。
とにかく、彼のカメラとレンズなどは小生が遺品として引き継いだわけだ。
そして、その後、写真誌の創刊となる。
彼が目指していた写真の世界を少しでも理解できるかも知れない、という思いで創刊スタッフにライターとして契約したのも、そういう理由からだった。
彼がもし事故で亡くなっていなければ、小生は写真誌のスタッフとしてはおそらく仕事をしていなかった。
彼が亡くなった後、心にポッカリと穴が開いたままの状態。
あれほど好きで乗り回していたオートバイも、カーブに差し掛かる度に、「寂しがり屋の彼が、俺を呼んでいる」と感じ、バイクを思いっきり倒して曲がれなくなっていた。
そして、やがてオートバイを手放した。
彼がもし生きていれば、一緒にやりたかった仕事が実はある。
今、お前が生きていたなら…
何度も彼のことを思う。
彼は小生の中で生きているし、一緒に人生を歩んでくれている。
彼は彼なりにやりたいことがあったはず。
これからやろうという矢先、先にあの世に行ってしまった。
彼のやろうとした写真の世界を、小生も少しは覗いているわけで、写真でも表現できるようになったのは、こうした経緯もあって写真を撮り出したからなのだ。
毎年彼の命日には、夜空を見上げ、輝く星を彼と思ってあれこれ語りかけてきた。
墓の場所も分からなくなってしまったし、彼の死後、オーストラリアに渡ったという奥さんや娘さんの消息も、もう分からない。
星を見上げ、彼のことを考えると、今でも悔しさが込み上げてくる。
なんで先に逝ったんだよ…。
今思うのは、彼の志の方向にあったものと小生が志したものは同じ方向だったのだから、そのノンフィクションのジャンルで、いい仕事をして彼に喜んで貰おう、ということ。

そうした志はよしとしても、現実の生活で朝食抜きで日に一食だけという為体(ていたらく)なのは如何にも不様。経費書きもボチボチとしか進まぬが、これも自業自得なのだから誰にも文句も言えない。
本日の晩飯は、ペペロンチーニのパスタを2人前。
昨日のたらこスパゲッティーと、本日のパスタの連続には、流石にもう飽きたので、ご飯でも炊いてみようかと思うが、おかずは「おかか」と「梅干し」「ラッキョ漬け」の予定(笑)。
兎に角、溜まっている取材経費を一刻も早く書いて、それが戻って来るまでは、飯なんか食っている場合じゃないというか…。
もう煙草は嫌でも止めんといけんね(笑)

寝顔を見ているだけで癒される幸せ

2009-08-28 01:16:56 | Weblog
無防備な寝顔ほど見ているものを幸せにしてくれるものは無い。
かつて3人の息子たちが生まれたときに、ずっと寝顔を見ていて、「この子たちのためにも頑張らねば」と思ったりしたものだが、今はもう昔。
昼過ぎに小生が起きて、トイレに行って窓を少し開け、玄関で雪駄を履こうとする気配だけで玄関の前でもう茶猫が啼いて待っているのが習慣となっている。
朝刊を取り込む間、玄関の三和土で小生が入るのを今か今かと待っていて、玄関に入ったら、先に回り込むようにして家に上がり、ミャーミャー啼きながらまとわりつきつつ、餌の容器の所まで付いてくる。
小生がアメリカン珈琲をコーヒーメーカーで作り、ホームベーカリーで前夜に作っておいた食パンを焼いて食べる間、同じように食べ、水を飲んだりしている。
食事しながら朝刊をチェックしている間、猫はもう食べ終わって身繕い。
こちらも食べ終わったら、食器の片付け後、茶猫のそばに座り込んで毛梳き開始。首周りから背中、そして腹回り、脚、シッポと順に梳いていく間、大人しくしている。
お腹の下の辺りをするのが、ちとまだ難しい。
どうしても梳き毛ブラシや小生の指を嘗めに来てしまい、お腹をしようとしても、立ち上がってしてい、結局まとわりつかれることになってしまうのだ。
とはいえ、機嫌がいいと、腹を出して仰向けになって、されるがママの格好となり、腕を広げて脇の下あたりの毛梳きも出来ることもあるわけで、ジッとしているところをみれば、どうやら心地いいのだろう。
食べ終わって、毛梳きも一旦終わると、茶猫は散歩に出掛ける。
今日は、一体どこへ行くのか?
知られないように少し尾行をしてみた。
玄関を出て、左に曲がり、庭の植え込みの間を通って、物置小屋前を通過。その後、隣の家の裏庭を通って、隣家の家屋の裏側に回って行った。
そのあとを追いかけるのは、ちと難しいのが残念。
スタスタ歩いていくところを見ると、いつもの散歩コースなのだろうが、一体彼女はどこへなにしに行くのだろうね。
庭先に出てみると、風の通り道もあるので、家の中にいるよりも確かに涼しい。
猫って、ちゃんと心地いいところを知っていて、生活に取り入れているんだね。見習わなきゃ(笑)。
午後3時頃、網戸だけにしていた玄関で、何やらひっかくような音がしたので、見に行ったら、茶猫がお座りして中を見ていた。開けて招き入れたら、また餌を食べ、その後今度は台所の食卓の前の椅子の下に丸くなって寝だした。
小生は、あれこれ作業をしながら、時折茶猫の様子をチェック。和室に行って前のようにベッドの上でオシッコをされては困るので、こうしてどこにいるかだけは見ておかないといけない。
作業も一段落。茶猫は安心しきって伸びて平和な寝顔。
呼吸する度にお腹が動くのを見ているだけでも、なんだかこちらまで癒されてしまう。
音楽室で例によってチェロを練習。
時折、戻ってきて猫の様子をチェック。
今度は、座布団の上にオシッコをされないように気を付けないといけないからだ。
ピアノ練習になってから、やはり姿が見えないままでは不安で、落ち着いて練習できないので、茶猫が目を醒ましたのを見計らい、
「音楽室でピアノを弾いているから、チャーちゃんもおいで」
と声を掛けたら、付いてきた。
で、音楽室に近い和室の敷居の手前で寝そべって聴きだしたのを確認してから、ピアノ練習。
何曲も弾いてから、ふと見たら、万歳して熟睡中。
なんて聞き分けのいい彼女なんでしょう、と感心する。
猫は寝るのが仕事ですもんな。
で、こちらも夕刻から夕刊チェックとテレビでニュースチェック。
茶猫はまた椅子の下で丸くなって、なにやら寝言も…。
同居人は2日間ほどこちらへは帰ってこないらしいので、茶色の美人さんと二人きり。
ウウッ、なんて平和な時間の過ごし方(笑)。
現金支出を控えなければならないと、一人でホームベーカリーで食パンを焼いたつもりが、なんと出来上がりの合図の音で開けてみたらビックリ。出来てない?
調べてみたら、撹拌用の羽を付け忘れたままでスイッチを押してしまっていたのだ。
ま、明日は朝食抜きで、水でも飲んで誤魔化し、絶食療法のつもりで1日1食にしてここは凌いでみよう(笑)。
しかし平和でないのは財布の中身も同様。
本日、遅ればせながら家賃と機材のレンタル代を振り込んだら、もう預金残高に余裕が無くなってしまった。
当分、現金支出は控えるだけでなく、食材も新規購入は一切無して凌ぐしかない有り様。
これじゃ経費書きを、ますます急がねば…

カンボジアの人の詩に曲を!

2009-08-26 02:38:00 | Weblog
このところ連日ピアノの練習をしている。
仕事があればそれを優先するものの、あとは猫の毛梳きや餌の補給などをする程度。
勿論、朝夕刊のチェックと切り抜きは仕事上欠かさないし、気になるものがあればネットで調べたりもする。
そして一段落したら、音楽室へ行ってチェロとピアノを弾くというパターン。
昨夜などは、夜中の2時半頃までピアノを弾いていて、本日も昼から起きだしたので、夕刻結構長くあれこれ弾いていた。
リビングに戻ったら、晩飯を作っていた同居人が、
「ピアノ、結構長く弾いてたね。それだったら、カンボジアの歌を作ったらいいのに」
と言われた。
そうです。この夏休みというか、雑誌の合併号休みの間に、「カンボジアの歌を作る」という目標を書いて部屋に貼っていたのを指しているのだ。
あることがきっかけで、カンボジア地雷撤去の運動をしている団体の方とお近づきになり、現地でのラジオ放送で、現地の人の作った詩に歌を付けて貰いたい、と依頼されている。
小生は、かつて音楽家志望だった高校生の時、地元の高校の交歓会の時にみんなで歌う歌を作曲し、それが採用されたことがあったのを知って、そういう話になった。
現地の人が書いた、という詩が載った冊子を頂いたのだけど、それをそのまま歌にするのは結構キツイ。
どう考えても詩に補作をするか、参考にして作り直さないと歌にするのは難しそう。
現地のことも殆ど知らないだけに、なおさら大変。
実は、作曲を引き受けるとき、最初の話としては、現地に新たに中学校を造るので、その学校の校歌を作ってもらいたい、というのがまず出た話だった。
それを快諾したら、現地の人の詩に曲をつけて、それをラジオで流したい、と言われ、話の流れもあってそれも一緒に引き受けたのだ。
しかし、依頼されてから、もう随分経つ。
詩を受け取ったのは、年末ギリギリ。
なんとか時間に余裕があるときに、と思っていたら、その後あれこれ己の問題を抱えてしまって、なかなか取り掛かれなかった。
とはいえ、引き受けた以上は、是非ともいいものに仕上げて渡さねば。
一番の問題は、カンボジアで歌われている歌などを全く知らないこと。
出来れば、それを知った上で作れたら、とズッと思ってきた。
しかし現地に行くこともかなわないのだから、今できる範囲で調べるのが課題。
曲というのは、突然天から降りてくるものではあるけれども、どう考えても余りにも時間が掛かりすぎてしまったことを、ただただお詫びするしかないことは間違いない。
連日ピアノを弾いているのは、実は気持ちをそちらに持っていくための準備なのだけれど、そのことは同居人には一言も説明してない。
本日は改めて現地の人が綴った詩を読み直している。
急ぎ、いいものを作らねば、とプレッシャーを己に掛けているところだ。
まずは、歌詩を完成させ、それからが曲作り。
急ぎ、頑張らねば。

ささやかな幸せの積み重ねこそが

2009-08-25 04:23:44 | Weblog
「野菜がもう無いんだけど」
同居人が昨日言った。
「今はちょっと厳しいので、当分は野菜は辛抱して冷蔵庫の中を整理しようか」
と答えたら、
「野菜は私が出すから」
というので、本日は一緒に車で買い物へ。
トランクがロックできないままで浮いた状態のままなので、余り車に乗りたくないのだけれど、歩くには遠すぎる距離にしかスーパーがない。
出掛けしな銀行に行くというので、まずは郵便局で女子高生に写真を送り、その後駅前の銀行まで先に廻った。
こちらも手持ちの現金が無いと新聞の集金などで困るということで、必要額だけをちょっぴり降ろした。
スーパーで、無花果を見つけた。
小生も大好きだけど、同居人も無花果は好き。熟れていて旨そうだ。
結局はおかずの定番の「シラス干し」や、「シシトウ」、「国産大豆の豆腐」などの他パンや牛乳など、あれこれ買い込んでしまった。
レジに並んだら同居人は小銭入れを小生に預けたままでトイレへ行ってしまい、いざ支払おうとしたら、同居人の小銭入れに入っている小銭程度では支払いなど出来ないほどの総額…。
小生の財布から降ろしたばかりの札を出してのお勘定となった。
ま、人の懐をアテにしてはいけない、ということを確認したわけだ。
こうなる気がしていたし、これも致し方ない、と考えることにした。
稼ぎが悪いのは、自分の責任。それでも食べるしかないのだから、その支払いも自分で責任を取るしかないというわけだ。
戻ってきて、車のヨゴレが気になっていたので、水洗いした。
自分で車を洗うなど、これまで殆ど無かった。
以前、初めて買った車を水洗いしたことがあったけど、それが最初で最後。
結局、自分にとって車は単なる足代わりと思っていたようで、磨き上げたりすることなど無かった。ガソリンスタンドで手洗いとワックス掛けを頼んだりしてはいたけれど、それもベンツに乗っていた頃まで。
それ以降の車は、洗車機に掛けて来たけれど、それも時折。
汚れても雨が降ればまたヨゴレも落ちる、という程度で気にならなかった。
今の車を洗車機に掛けるのは、その費用を考えると度々というわけにもいかない。
そこでせめて水洗いを自分でするようにしたわけで、自分で手洗いするのはこの車でもう4度目。
こうしてたまに洗うと結構綺麗だ。
新車から14年経った割に綺麗なのは、余り乗っていないせいだけではなく、大家さんが大事に乗っていたからなのだ。トランクのロック、早く直さないと…。
茶猫を膝の上に抱き上げて寝かせ、丁寧にブラッシングしていたら、それを見て
「ホント、ついこの前まで野良猫だったとはとても思えないね」
と同居人も眼を細める。
猫を撫でているとその温かな体温を感じる。茶猫が心地いいときに出す「ゴロゴロ」という喉の音が、こちらも心地いい気分にさせてくれる。こうして撫でさせてもらえるだけでも幸せなことだ。
晩飯前に、まずは無花果を食べてみた。
「ウ~ン、美味しいね」
「本当だね」
晩飯は、同居人の提案でポークカレー。
同居人が「活力鍋」を使ってカレーを作っている間、小生は音楽室でチェロとピアノの練習。
好きな音楽をこうして好きなときに演奏できるのは幸せなことだ。
ポークカレーは、辛いのが苦手の同居人の舌に合わせてやや辛みに欠けるが、これまた美味(おい)しゅうございました。
晩飯後、また音楽室で午前2時半頃までピアノを弾いた。
夜遅くでも、弾きたいときに楽器を演奏できるのも、防音を施した音楽室を使えるからこそ。
なんて小生は恵まれているんだろう。感謝、感謝というしかない。
本日は何気ないある日常という過ごし方となった。
こうした身の丈のささやかな幸せの積み重ねこそが最も大切なことで、これこそが「幸せな人生」の一端なのだと感じる日となった。

やはり女心は分からないもので

2009-08-24 00:17:41 | Weblog
同居人が、「用事もあるので晩ご飯は実家で」というので、こちらは「2人前一人パスタ」を作って食べた。
茶猫は同居人が出掛けてすぐに和室のベッドの上で伸びてお休み中。
名刺入れを拾ってくれた女子高生宛に手紙を書き、写真などを封筒に入れて発送の用意。
その後、ピアノの練習にいったら、茶猫は気配を察知してベッドから降りて、小生の足にまとわりついた後、餌の入った容器の所にいって晩ご飯を食べ出した。
色々と弾いていたら、茶猫が「ミャー」と啼いているのが聞こえたので、返事をして廊下にいったら、「ミャー、ミャー」と啼く。
「オシッコか?」と聞きながら玄関の戸を開けたけど、外になかなか行こうとしないので、また閉めて、ピアノの練習。
少し経った頃、音楽室まで茶猫が来て「ミャー」と啼く。
「なに?」と聞きながら抱き上げたら、なんだかお尻が少し濡れているような気がして、慌てて家の中を見廻ったら…。
なんと小生のいつもすごすリビングのソファーの、すぐ前の床に置いている座布団がビシャビシャになっていた。
やられました~。
やはり長く寝ていた後、オシッコのために玄関の辺りで戸を開けて、と啼いていたのに、短時間だけ開けて、すぐに出ようとしなかった為、オシッコを外で仕損ねさせてしまったのだ。
そこで自分のいつもの居場所ではない所にある座布団の上で、思いっきり放出し、その報告をしに音楽室まで来て啼いて合図したということだったのだ。
見つけてからすぐに、座布団を廊下に持っていって、茶猫を呼んで、
「この上でしたら駄目。オシッコは外でするんだよ」
と言い聞かせたら、チラッと見たものの、目を背けて知らん顔をしたり…。
オイオイ、分かったのか?
どっちにしてもこれは小生のミスである。
折角何度も啼いて呼ばれたのに、茶猫が外に出たいという意思表示を見誤った結果、こうなってしまったのだ。
全ては早く音楽室に戻って練習したい、という自己本位の気持ちが、雌の茶猫のこの所業に繋がったわけで、彼女には謝るしかないわけだ。
ウウ~ン、やはり人もだけど猫も女心って分かりにくい(笑)

同居人泣かすにゃ刃物は要らぬ

2009-08-23 04:02:05 | Weblog
朝11時過ぎに家の電話が鳴った。
小生にしてはこんなに朝早く(笑)、家の架線電話に掛かってくること自体、なにやら不吉な報せかとドキッとしてしまう。
まだ5時間ほどしか寝てないこともあって、寝不足と寝起きで不機嫌モードのままで出たら、宅急便の着払いの連絡だった。
そうでした。「ほんの木」の通販サイトに、免疫力を高める「エキナセア茶」と、腸内環境を良くする玄米胚芽酵素の「スーパー酵素」、そして日々の栄養バランスを考えて「有機野菜飲むならこれ!1日分」という缶ジュースを注文していたのだった。
宅急便が来て、門の所まで受け取りに出たら、茶猫が車の下から出てきてミャーミャーと啼きながら、もう先に玄関に入って待っている。
さあ、大変だ、猫のペットフードを昨夜の時点で切らしていて、もう囓り残しの小さな粒だけしかないので、朝飯にするには量的に足らないはず。
餌の容器を見ながら、いつも食べるサイズの半分も無い小さな粒だけなのを見て、食べようとせずに鳴き続ける。容器の真ん前に連れていって鼻先を餌に押しつけてみたが食べる気がしないらしくて、小生の指を甘く囓り出す始末。
そこで一計を案じた。マタタビの粉を振り掛けた。案の定、食らい付いてくれた。但し、マタタビの掛かっている餌の一部だけで、粉末を嘗める程度。
こりゃ買いに行かないといけないと、車を出して、コーナンへ。
前回「魚系」だったので、いつも同じものばかりはバランスがよくないと思って、今回は「肉系」にした。ついでに、抜け毛が気になっていたし、これまで使ってきた人用の櫛では埒が明かぬと、専用のブラシを買い求めた。なんとも物入りだけど、ズッと使えるだろうと思っての投資だ。
早速戻ってきてそれを使ったら、気持ちよさそうにジッとしている。
抜ける抜ける。フサフサで暑苦しい毛皮も、抜け出している毛がかなり取れた。
茶猫も気に入ったようで、時折そのブラシを嘗めに来るほどだから、こりゃ早く入手すべきだったと反省。
背中、横腹、手足などを毛並みに剃ってブラッシング。その後、毛並みに逆らってブラッシングして、最後にもう一度毛並みに剃って整えてあげる。
お腹の辺りをしようとしても、なかなか茶猫はさせてくれない。辛抱強く、馴れるまで何度も何度も優しく梳いていたら、ようやく横になってくれて、お腹あたりも出来た。ついでに足を持ち上げて、足の内側をしようとしたが、嫌がってすぐに足を引っ込めてしまうので、これは断念。
夕方まではあれこれ仕事関連の資料調べなどであっという間に時間が潰れた。
一旦打ち切ってピアノの練習。茶猫がいるので、チェロは本日はお休み。
案の定、茶猫は和室に来て、寝そべって聴いている。途中見たら、もうすっかり伸びきって、足を柱に上げる変な格好で爆睡中で笑ってしまった。
なんでここまでリラックスできるんだろうね。
晩ご飯の用意を同居人がしだしてから、小生は芸能界志望の女子高生の写真を出力したり、CD-Rに焼いたりして完成。明日、手紙などを添えてようやく送れる態勢になったので少しホッとした。
なかなか写真の出来はいい。多分気に入って貰えそうだ。ただもう少し全身のカットのバリエーションが欲しかった。
晩飯はシャケと野菜ののホイル包み焼きがメインで、あとは大根下ろし。
茶猫はまだ寝ているようで起きてこないので平和に晩ご飯を食べられた。
その後、もう一匹の野良・ミーちゃんが網戸を自分で開けて入ってきて餌を食べている。どうやら玄関の引き違い戸の鍵を開けておけば、もう自分で出入りできるようになったわけだ。
晩飯後、ピアノ練習。
本日は「究極のリラクゼーション曲集」から、坂本龍一の「put your hands up」と「energy flow」、つのだたかしの「シチリアーナ ~リュートのためのアリア~」、S.E.N.Sの「Forbidden Love」などなど…。
スラヴァの「アヴェ・マリア」は、初見で弾けそうだと大まかな見当を付けて弾き出したら、なんといきなり感情を込めてある程度は弾けて自分でも感激。
一部、テンポ通り弾けずにスローになったりしたものの、これはもう少し馴れたらちゃんと弾けると踏んで、何度か弾き込んだ。
感情を込め、弾き進むうちに曲のクライマックスでは自分の気持ちも盛り上がる。
悲しいほど美しい和音の響きが少しづつ変化しいくに従って、悲しみの心が指先から鍵盤に伝わり、モニタスピーカーから流れ出るグランドピアノの音色も悲しみ色に染まる。
色んな種類の悲しみを沢山実体験してきているだけに、感情移入もそう難しくはない。
弾きながらその悲しいときの感情が甦り、押しとどめながらの演奏となった。
そして最後の音符では鍵盤に指を静かに落としてから、そっと指を上げた。
と、和室を見たら同居人がベッドに横になっていたので、
「どうだった?」
と声を掛けたら、なんと涙で顔をグシャグシャにしていたのでビックリ。
なんとも、泣かそうと思っていたわけではなかったのに、またまた悲しい気分にさせてしまったようだ。
自分なりに結構いい出来だったと思ったので、ちょいと褒めて貰いたくて聞いたのに(笑)、これじゃ逆効果というか、予想外の事態だ。
ま、悲しみを心の奥に閉じ込めず、こうして音楽を聴いて徐々にガス抜きしておいたほうがいいだろうと思うことにした。
それにしても最近少しちゃんとピアノが弾けるようになってきたようで、自分では嬉しい。
演奏していると、自分の演奏している美しい曲に癒され、アルファー波が出ているのを感じるし、ストレス緩和の効果があるのだから、有難いことだ。
拙(つたな)い小生の演奏でも、どうか、同居人の深い悲しみを緩和することに役立って貰いたいものだ。

芸能界志望の女子高生撮影で

2009-08-22 02:51:38 | Weblog
先日のお盆に、松山日帰り出張を言われたものの、渋滞で午前3時に出ても焦りまくって走る羽目になるのは適わないと思って、自腹覚悟で前日入りした愛媛県松山市。
そこで前回出張時に落とした現金を入れた名刺入れを拾って届けてくれていた親切な女子高生が、芸能界を目指していることをその後知ったこともあって、今回の出張時に渋滞を避けるため帰る時間を遅らせついでに面会出来た。
お母さん同伴でやって来たのは不用心でないことも分かり、大変よかった。
話を聞き、オーディションに出す書類に添付する写真は、なんとお母さんが撮影した中から良さそうなのを選んで送っていると聞いては、こりゃ小生が撮らなきゃいけないでしょ、ということで急遽撮影と相成った。
今まで色んなスターやタレントさんたち、そしてプロのモデルさんも含め、数々撮影してきているし、それらしい写真を撮影しなきゃ、と思ったものの、スタジオを借りてライティングを決め、という訳にもいかず、かといってどこか適当な屋外での撮影場所を知っているわけでもなく、待ち合わせ場所の近所での撮影となった。
実に可愛いし、清楚で聡明な雰囲気を併せ持ちつつ、目力もあって、なかなかいい。
笑顔の訓練をしているようでもないので、その辺りアドバイスも今後必要だと感じた。
写真で全ての印象も決まるわけで、それだけ見た目が大切な世界を目指しているのだから、そうしたことも含め、意識改革も必要だろう。
その彼女を撮影した写真は、その後あれこれ仕事もあったりしてまだ手つかずだったが、本日ようやくセレクトと現像に取り掛かれた。
小生のこのサイトに、彼女のお父さんの会社からのアクセスも本日夕刻にあったので、御両親としても心配なことでしょう。
早く処理できたらよかったのだけど、どうしても仕事優先で後回しになってしまって恐縮の限りだ。
で先ほど、ようやく現像終了。
あとは紙焼きとして出力するのと、CD-Rに焼き込んで送らねばならない。
それは明日の作業となる。もう暫しお待ち下され。
写真を一枚一枚見ながら、もっとあれこれポーズを付けて撮影したらよかったと反省しつつも、あの状況下で、イメージを構築する間もなく撮影するしかなかったことを残念に思った。
とはいえ、彼女の魅力を短時間の撮影だったが、ある程度は引き出せたか、と思う。
ポーズを付けて撮影するのは、NHKの朝ドラの主役を撮影して以来。いや、その後韓流のスターを撮影するときも一応ポーズ付けはしたな、なんて思い出したり…。
本日は、「此花パチンコ屋放火殺人事件」の取材時に、写真を提供してくれた人から問い合わせが入り、その件で改めて担当編集者に連絡して手配仕直しなどをした。
夜、チェロで「シューベルトの子守唄」を練習した後、ピアノで「Image」の楽譜集から何曲か初見で弾けそうなものを弾いてみて、こりゃ早く練習しておけばよかったというのを発見。
日々、少しづつ練習していたら、いつの間にか弾けるようになると思っていたけれど、それはメンデルスゾーンの無言歌集から「慰め」をやっとらしく弾けるようになってきたことからも証明された。
アリの歩みように日々コツコツと一歩一歩、というのがやはり楽器では必要なんですね。
チェロの方も、そうありたいものだけれど、家にやってくる茶猫がチェロの音がやや苦手なようで、ピアノならそばに来て寝るのに、チェロの時は離れて終わるのを待っているだけに、茶猫が来たらなんだかチェロの練習を控えてしまうようになっていたのを反省。
上手くなれば、茶猫も嫌がらずに傍で寝るはず、と思って、非常に厳しい聴衆がいるつもりで練習に励みたいものだ。

夏休みといえば宿題でしょ?

2009-08-21 00:59:31 | Weblog
原稿のゲラチェックをする手筈だったのに、担当編集から来たメールにファイルが添付されていない。
ああ、忘れたのですね、ということで「添付されてないよ」と連絡。
折り返しすぐに原稿のゲラが来た。
入念に読みながら、おかしな関西弁にされたところを直したり、御本人の口調とは違うと思われる言葉遣いを直す。
ついでにミスタッチなども直し、再度読み直す。
元の原稿ではこうしたまとめ方では無かったが、短くする上で、何故この部分だけ使ったのか、編集サイドの意図を汲み取りつつ、それでいいのかどうかを吟味。
こうした作業をいい加減にしてしまうと、取材された側からのクレームに繋がりかねないので、インタビューした側としては、最後のcheckpointとしては非常に大事な仕事となる。
その後、担当編集に送って、一旦終了。
これでこちらの手を離れ、あとは担当編集が校了してくれるわけだ。
今回の仕事は、取材したのが7月中旬。その後、写真撮影を追加したりしたものの、連載のこのシリーズが始まるまでの間が結構あったことになる。
掲載されないとこうしたものには稿料が出ないので、先に掲載されればされるほど、経済的に厳しいことになる。
同居人は、朝早く起きて葬儀に向かった。
小生は同居人の出掛ける気配を何となく感じて、9時過ぎには目覚めてしまい、朝刊を取り込んで朝食を摂ったものの、寝たのが午前5時頃なので、再度うたた寝してしまった。
14時過ぎに目覚め、もう食べるものもないので、お茶だけ飲んで、チェロとピアノの練習。
そうこうするうちにゲラが到着しての仕事となった。
同居人がなかなか戻ってこないので、どうしたのかと思ったが、また人と会ったりしているのだろうと思って、特には心配しないようにした。
夕刻、メールが来て、「電車に乗って戻り中」ということだったので、リビングで寝転けている茶猫に留守番を頼んで迎えに行った。
帰り道に煙草とパンと牛乳を買い、戻ったら、茶猫は場所を変えて寝ていた。
8月の暑さも、今週いっぱいで峠を越えるらしい。
隣家に孫の男の子が来ていて、門の外で隣家の親父さんと一緒に何やら工作物に塗装をしていて、それを奥さんが見守っている。
「夏休みの宿題ですか?」
「ええ、でもお祖父ちゃんの宿題になってしまって」
と笑った。
なんだか小学生の頃の夏休みを思い出すな~。
可愛い孫の宿題をちょっと手伝うはずが、殆ど一人でやってしまったのか?
小生は、夏休みの宿題は全部自分でやったけど、ま、それもいい想い出になるんだろうね。
平和な隣家の夏休みの夕刻の風景を見ながら、自分の子どもたちには、こうしたことで親らしいことを何もしてやれなかったという思いが過(よ)ぎる。
再び音楽室に行って、静かにチェロを奏でながら、我が3人の息子たちの顔を思い浮かべていた。

大混雑が分かっていても行かねばならない仕事で

2009-08-12 00:17:48 | Weblog
合併号休みの間に取材しなければならない仕事がある。
本日、再度相手方の都合や行事関連を確認して、一件は明日、そしてもう一件は15日に取材する予定がほぼ決定。
高速に乗ると、この時期時間が非常に読みにくいので、明日はその辺りを考えて高速を使わず、地道で行こうかと思っている。
問題は15日朝の取材地が、通常で高速道路を利用しても4時間少しは掛かる場所で、しかも人々が帰省するルートに丁度当たるから、高速で混んでいたらもう6時間、8時間、いや10時間掛かるかも知れないということ。
倉敷に中学時代のコーラス部の仲間が住んでいるので、そこに前日泊まらせて貰えたら、翌日朝出て、混んでいてもそこからなら4時間もみていたら着くだろうと思って電話を入れてみた。
しかしお盆の時期。なんと友人宅には子どもと孫たちが里帰りしていて、10人ほどの客が居る予定だと聞いて、
「やはりお盆やから大変やな」とねぎらいつつ断念。
ま、そうは都合よく友人宅にこの時期泊まれるはずも無いと思っていたので、想定の範囲内ではある。
しかし、そうなると困った。15日朝出発して取材時刻までに着いていようと思ったら、午前3時頃に出るぐらいの覚悟が必要だろうし、それでも混んでいたら思っている時間に着かないかも知れないのだ。
この取材で一番ネックなのは、遠隔地なので、従来ならば前日夜に入って宿泊して、そして翌日取材して帰ってくるというのが当然なのだけど、経費節減がかなり厳しく徹底されているだけに、担当編集者からは「あの、日帰りして貰いたいんですけど」と実に言いにくそうだったが、しっかりと経費の件ではそう言われているからだ。
担当編集には、「通常で4時間以上は掛かる場所だから、普通は泊まりの仕事。ま、経費が辛いというなら日帰りするけど」と言ったものの、やはりこの時期は時間が読めない。
で、あれこれ考えた。
帰省で大混雑するのが分かっているだけに、当日出発では一体何時間かかるか分からないままで現場へ向かうことになり、そうなると走行していても焦りまくって行くしかない。
となると、運転中はずっと強いストレスを感じながら走るしかないので、それでは大腸ポリープを誘発させる怖れすら出てくるかもしれない。
どれほど安く泊まれても、宿泊が罷り成らないというなら、こうなりゃもう自腹を切ってでも前日夜には現場に入っておこうかと思う。
やはり無用なストレスを抱えることなく仕事をしたい、ということで、前日現地入りをすべきだ、というのが結論。
明日でも、担当に、1泊しても3000円程度だが、それでも日に10時間以上は運転しなければならないスケジュールで日帰りというのがどうしても必要ですか?と聞いてみて、それでも日帰りをというなら自腹、とするか…フゥ…。
なんでこんなことで疲れなきゃいけないんだろうね?

蒸し暑い夏に抱えるストレスあれこれ

2009-08-11 00:07:35 | Weblog
低気圧で豪雨になり大変な被害が出ている。
お声が掛かるかと思ったが、合併号休みということもあってか、特には連絡無し。
合併号の休み明けの締切の仕事で、出張に行かねばならないのだけれど、この低気圧での天候不順もあって、予定を組みにくいのが辛いところ。

近頃、同居人は午後3時、4時頃まで寝て、それから起きだしてくる。その後、風呂に入ってから軽く食事を取る生活パターン。
ネットワークビジネスでの集会や出張があるときには張り切って朝早く起きたりするのに、そうしたことがないときは、このような生活サイクルで、晩飯は午後7時頃から作り出し、何故か中休みがあり、和室に籠もって寝っ転がったりして、結局晩飯が出来上がるのは午後9時頃なら早い方。
こちらとしてはそうした生活サイクルを送られるのは甚だ迷惑なだけ。
こちとら、このところずっと不眠症のためか朝方6時7時、下手すりゃ8時過ぎまで眠れなくて、それからやっと眠りに落ちる始末。起きたら午後1時半頃なのだ。
もうとてつもなく、どうしようもない生活を二人とも送っております。

同居人とこのところしっくりいってないと感じているが、理由は彼女のネットワークビジネス。この前など、夜中の3時半頃、和室でまだ携帯電話でなにやら静かに喋っていた。相手の声は男性。こんな時刻に喋らないといけないなど理解できないだけでなく、いったい何をやっているのか不安にさせることが継続中なのだ。
殆ど金を持ってないから、だまし取られるにしても被害額は少ないだろうとは思うが、騙された、と気付いたときのことが不安でもある。

そんな中、近頃の小生の慰め役となっているのは野良猫。
茶猫が、ほんとうによく懐いてくれていて、姿を見せるとすぐに近寄ってきて身体をスリスリしながら「ゴロニャン、ゴロニャン」と啼くのだ。毛が抜けるのが気になるので、本日は櫛で毛スキを何度かしてあげた。最初はちょっと嫌がって櫛を咬んだりしたけれど、なんどかやるうちに気持ちがいいのかジッとしているようになった。これで少しは廊下に落ちる毛も少なくなるだろう。

昨夜、といっても10日の午前50分からのNNNドキュメント09'「戦場のラブレター」という番組を見た。硫黄島で米兵が拾った手紙を、差出人に戻す、というのを追いかけている内容。拾得者の米兵の取材でアメリカにも行き、受け取った遺族のうち、長男は硫黄島に慰問に今年3月に行き、それにも同行取材している。
小生も、本の執筆では、硫黄島に行って、それを本の〆で使いたいのだけれど、はたしてそれは叶えることが出来るだろうか…。

5月に大阪市内でチケットで乗ったタクシー代の件で、編集長から連絡があった。
なんでももう2年前からチケットでタクシーに乗るのはしないように、と連絡しているはず、などと言われたもので、「それは初めて聞きましたけれど」と答えた。
フリーランスに連絡する窓口となっている人物から、こうした事務連絡が小生だけに入らないこともこれまで何度かあったので、また意識的に抜け落としたのだろう。こうした陰湿な嫌がらせをする、彼の心の狭さに同情するだけ。
「この程度の額なら現金で支払って。こちらで処理したら振込代も掛かるし、今日中に支払いに行って。今後はチケットで乗るのはよほどの場合を除いてしないで」とあれこれ言われてしまった。
でもホント聞いてなかったんだから、仕方がないではないですか。
で、電車とバスを乗り継いで支払いに行くとなんと振込代どころか、920円もかかるのだから、そのあたりの経済効率を考えると、その方法は如何なもんでしょうね?

本日、格安で購入した本。
遠藤周作著「死について考える」、「ひとりを愛し続ける本」、「ほんとうの私を求めて」、「心の航海図」。柳田邦男著「ガン 50人の勇気」。