真夜中親父の呟きblog

一所懸命に生き、よかれと思ってやったことを、ガチャガチャ言われる筋合いなどねぇ!と放言する、ヘンコツ親父。

実に個人的な呟き、いや…ボヤキになってるか…(汗)

2016-12-13 19:20:19 | Weblog
【実に個人的な呟き】
※ 暗い話なので、読みたくない方はスルーなり表示されないように削除してくださって結構です…(汗)。

家族と離れ離れに暮らすしか無くなり、一人暮らしを余儀なくされている。
妻子は電車とバスを乗り継いで1時間以上は楽に掛かる細君の実家に越した。
そして離籍…(汗)。
この年令になって、こうしたことになるなんて、予測もしてなかっただけに参った。
妻子と日々一つ屋根の下で暮らしていたのが当たり前と思っていたら、その全てが引っ繰り返った。
なんでこうなるんだろう?という思いが胸の内を堂々巡りする日々が始まった。
妻子の居ない生活から来る果てしなく大きな深い喪失感は、毎夜寝る間際に重くのしかかってくるようになり、なかなか寝付けなくなった。
そんな中で、講義に行く日だけは、社会的に大きな責任があるので思いっ切り気合を入れて起きるようにしている。
しかし終わっても真っ直ぐうちに帰る理由などどこにもないわけで、かと言ってウロウロしても寂しさが増すだけなので、仕方なく一人飯は美味しくもない外食を止む無くするにしても、あとは誰も待たない部屋にただ意味もなく戻るしか無かった。
細君は以前、「B型だし、何の根拠もなしに自己肯定できていいね」とかLINEで書いてきたりするのだが、それって俺のことを読み違えてる。
だが、それに反論するのも虚しくなるだけなので、スルーしてきた。
なので、それをこちらは認めてるのだろう、と思われている。
細君の前で、落ち込んだところを見せたことはない。心配を掛けるだけになる、というのが大きな理由。
しかし、喪失感の大きさや、それをどうすればいいのか分からず、毎日毎日虚しさを覚えつつ過ごしていることさえも、きっと理解できないのだろうと思っている。
月に1度か2度、子連れでこちらに返ってきてくれるのはありがたいけれど、結局はまた実家に戻るわけで、その別れ際の娘の泣きそうになる顔を見る度に、凄く辛くなる…。
こうなってしまったのも全部、小生が悪いのだ。甲斐性なしのために、こうなってしまったのだ…、という自責の念がますます強くなるばかり。
いっそ、歩いている時や、寝ている時などに、いきなり心臓が止まってしまえばどんなにいいだろう…。辛く悲しく、虚しい思いから、そうすれば解放されるはず…、なんて、何度も何度も考えてしまう。
子どもの幼稚園の行事に呼ばれる。
細君としては、気遣ってくれているのだろうけれど、それが思いっ切り別な意味でストレスになってる。
当然、娘の普段の様子を全く見ることが出来ない毎日になってしまってるだけに、どんな風に過ごし、どんなことをしたり、出来るようになってたり、何を考えているかなどを、少しは知ることが出来るだけに、行事は全部行きたいし見たい。
だが、その為には、朝一番からあるわけで、朝5時半から6時前には起きて、7時前には部屋を出て、電車とバスを乗り継いでも、1時間半から2時間弱掛けて行くしか無いことになる。
それでなくても、色んなことを考えてしまって、夜早く寝付けないのが普通になっているこちらとしては、果たしてその時刻にちゃんと起きられるかどうか、ということだけでも、もう予定が決まった日から当日まで、ずっと重い責務を感じたままで、ストレスが日々積み重なっていく日を送ることになる。
本当におきられるだろうか?行けなければ、娘にがっかりさせるだけではなく、悲しませてしまうことになる。幼いころの喪失感、親に期待を裏切られた時の腹立たしさや悲しみ、辛さを感じさせてしまうことになる…。
そんな思いが、ますますこちらには重圧となり、ストレスが一層強くなってしまう、という悪循環を繰り返す日々になるだけ。
一緒に暮らしていたら、こんなことも起きなかったはず、という思いは、ただただ虚しいだけ…。
もう二度と一緒に住むことがないのはハッキリしているのだから、出来ればこちらだって、これまでのことから気持ちを一新してリスタートしたいけれど…(汗)。
一層、遠くに移住しようかなぁ……。
そうしないと、真新しい気持ちでの生き直しも、出来そうもない気がしてきた…。

本の回収騒動の感想は「やはり彼がやりましたか」

2010-02-10 00:17:01 | Weblog
「医学的に誤った表記」で新型インフル関連本を緊急回収という異常事態。
それは、村重直子氏の著書で「新型インフル禍の真犯人 告発!死の官僚」というものだ。
出版元は、1月7日に刊行したばかりの厚生労働省医系技官・村重直子氏の著書「新型インフル禍の真犯人 告発! 死の官僚」を回収することを発表した。
新型インフルエンザの実態を伝えようと企画し、緊急出版として村重氏に取材し、文章を出版元の編集サイドでまとめたものだ。
入稿を急ぐあまり、事実関係の確認が十分でなく、医学的に誤った表現などが多数あったという。
出版元は、
「結果として、村重氏の著書として は、タイトルもふくめて本意と違うものになってしまった。著者と話し合い、速やかに回収します」となった。
村重氏は、2月末までに、同社からタイトルも新たにした書き下ろしの著書を刊行するという。
なお、『新型インフル禍の真犯人 告発! 死の官僚』を既に購入した場合は、村重氏の新著と無償で交換。送料などは出版元が負担することになった。

以上が、事態の詳細だ。

さてここでこの本の担当編集をした社員が誰かというと、小生が知る人物だったことが分かって、やはり、と思った。
彼は、週刊誌の編集部にいて、その時にも記事の捏造を日常的に平気で行い、大トラブルになったことも含め、何度か問題を起こしてきたのだ。
小生が取材した記事では、勝手に都合のいいように書き換えて、
「読者に分かり易くなるようにしただけなんですけど」
と言い訳するありさま。
お蔭で、取材させて貰った相手から「そんなことは一言も言ってない」と、逆鱗に触れ、取材した小生までがいい加減なライターだと疑われたことがあったのだ。
温泉関連の取材でも、
「若女将が背中を流してくれる」という風に捏造し、ゲラチェックをした小生が、その部分について、「ありもしないことを書く必要がどこにある?」と削除を指示したにもかかわらず、そのまま入稿し誌面になって、そのホテルから「うちではそんなサービスなどしないとあれほど言ったでしょう?」と抗議を受けたし、取材した小生の立場も無くなるほどだった。
その彼が、上記の本を担当したというのだから、さもありなん、と思ったわけだ。
昨年、週刊誌の編集部からかれが異動するのを知り、彼に、
「今度は創作もOKな仕事なのだから、向いているな」と軽口を叩いたのだけど、まさにお得意の創作をしてしまって、この事態を招いた、ということになるのだろう。
彼にとって、事実が何であるかはさほど大切ではなく、どれだけ面白く書けるか、だけが大事なのだ。
勘違いしている。
だからこそ、今回のような本の中味に繋がってしまったのだ、としか思えない。
彼をこの本の担当にしたこと自体が間違っている。
彼には、ノンフィクション系ではなく、ノベルだけを担当させるべきなのだ。
人事担当者も、彼のそれまでの週刊誌の現場での数々のトラブルを知っていたなら、早くからその資質に気が付いたろうに、と思う。

本の企画を雑誌の編集長に盗まれた!

2010-01-17 19:27:13 | Weblog
新年早々、メルマガを見て驚いた。
小生が本に書きたいということで出版社の本を出す部署の編集者に話したものが、丸ごと既に雑誌に掲載されているではないか?
急ぎ、ネットでチェック。
ノンフィクションを掲載する雑誌が休刊となり、その受け皿的に創刊された雑誌には、確かにもう記事として掲載されていた。
しかも、編集者の名前まで出ていて、それは小生が企画を話した編集者のもの。
書き手は、同和問題を書いてきて名前が知られ出している大阪出身のライター。写真は、小生と仕事仲間であるカメラマンなのだ。
どう考えても小生の企画を丸ごと盗んだものではないか。
頭に来て翌日その編集者に電話をした。
彼が言うには、その雑誌の企画として、小生から出された内容だということを雑誌の編集長に話したという。
その後、企画は採用となったが、編集長が以前使ったことのあるライターに書かせたい、ということになったのだという。
そこで編集は、では写真だけでも企画を立てた小生に、と提案したのだそうだが、本にしたいということで聞いたが、違う人に書いて貰うのだから、この際違う人に写真を担当して貰ったほうがいい、と押し切られたのだという。
小生は担当編集を問い詰めた。
「なぜ、雑誌に企画として出すことを言わなかった?何故、他の人に書いて貰う形で企画が採用になった時点で俺に連絡をしてこなかったのだ?」
「言い辛くて…」
「あとからこうして分かる方が気分が悪いやろ?それも俺が気が付かなければ黙っているつもりだったのか?」
無言である。
上京したとき、早い解決をということで編集者に抗議をした。
「うちの編集部ではお金を出せる立場ではありませんので、あれが本になるときに何らかのことが出来ないかと考えていたんです」
というので、
「お前からその編集長に話をして、どういう風に対処してくれるのかを決めろ」、と要求したら、翌日編集から返事が戻ってきた。
「まだどこの部署から本を出すことになるのか決まっていませんが、本にするときに写真も必要になると思うので、それを仕事として撮影して貰って、それに上乗せするということでどうでしょう?」
というので、その編集長に会うことにした。
エレベーターを降りたら、編集が待ち構えていて、盗用した編集長の席へ案内された。
編集長は、頭を下げるでもなく「どうも!」というだけ。
どこかに座って、きちんと話をするのだろうと思ったが、案内する様子もない。
なんだこれは…。
そこで企画を盗まれた側のショックがどれほど大きいか、どんなに腹が立っているかなどを話したら、ウンウンと編集長は肯きながら聞くだけ。
一言の謝罪も無く、悪びれる様子もない。
つまり、企画を盗んで本にしようとしていることに対して、悪いという風に思ってはいない、という態度なのだ。
小生が、以前編集に「こういう人の本を書きたい」と提案したとき、編集はその人物のことを全く知らなかったので、以前小生が週刊誌で記事にしたときの元原稿を彼に送り、どれほどこの企画がいいものかを理解できるようにした経緯がある。
抗議したとき、編集に、
「俺が本の企画として話すまで、お前は全くこの人のことを知らなかったよな?」
「はい、その時点ではそうです」
「なら、その雑誌に他のライターを使って記事にするということは、おれの企画を丸ごと盗んで、おれを踏み付けにしたんや。俺がお前に企画内容を提案しなければ、この雑誌に記事として出ることもなかったということやろ?」
「それはそうですね」
という遣り取りがあったのだ。
こうして、明らかに小生の企画を盗んでいるにもかかわらず、こういうのを盗っ人猛々しい、というのだろう。
編集長は、全く小生を知らない訳じゃない。週刊誌の編集部に彼が居た頃は、その班の仕事を何度かしてきている。
この盗んだ企画内容を本にするために、雑誌で小生以外のライターを起用する理由として、編集には
「本にするなら彼よりも、自分が知っていて彼より名前の立ったライターに書かせたい」
と言ったのだという。
要するに企画内容には惚れたが、小生に書かせるよりも、自分が昔本の担当をしたことのある過去に付き合いのある同和問題を同じ出身者として本を何冊か書いて、多少は知られてきているライターに書かせたい、と判断したわけだ。
フリーランスは企画が命なのだ。
色んなことを調べ、興味を惹けば本にしようと相手方と交渉して了解を得るわけで、小生はこの企画では、取り上げる人物と親しくお付き合いし、本にすることも快諾されていたのだ。
その人物は、小生から話のあった本の企画が、別なライターに切り替わったのだ、と思っただろう。
本を出すという出版社も同じで、企画を出したという編集者の名前もその人物には伝えていて、企画内容も含め、それらが全て一致しているのだから。
これをどうするべきか?
本にしようと大事に温めていた企画を丸ごと乗っ取られたわけで、ショックは大きい。
その人物の本を、その後、小生が書こうとしても既に出版されてしまったら、同じような本の企画など類似本だということで、採用されないのだ。
その人物は、いままで本にされたことがないので、真っ先に出すことに非常に意味があるのに…。
写真の撮影代に上乗せする、というのは、つまりは多くても10万20万円程度で済ませようという意図を感じる。
立ち話で済ませようとしたことや、謝罪無き和解案の提示、ということから考えても、大したことないトラブル、と思っている節があるからだ。
ある同業者によれば、
「これは慰謝料を請求すべき悪質な盗用だから、100万、200万は貰わないといけない」
とまでいう。
出版の差し止めとか、裁判に掛けて企画の盗用を認めさせた上で、弁済金として金を取る方法もあるだろうが、ことはそう簡単じゃない。
なにしろ小生はその出版社の週刊誌で記事を書き、写真を撮ることを軸にして生活をしているのだ。
その出版社とことを起こすのは、どう考えても得策とは言えないからだ。
よって、軟着陸というか、法的に揉める形ではない解決が望ましい。
しかし、人の企画を丸ごと盗んで、悪いとも思っていないかのような雑誌の編集長がいること自体、大問題だ。
謝罪無き和解案の提示だけに、その方向で構わないということにはしたが、その内容によっては、安易な弁済額では済ませない、とは思っている。
さて、今後はどうすべきなのだろうか…。

写真の補正技術が高いレベルであるだけに、手を抜けなくて…

2009-10-25 03:03:20 | Weblog
仕事で使うのがデジカメに殆ど切り替わってから、撮影後の後処理に時間を取られるようになっている。
以前なら撮影したあと、現像時にモードを16bitや32bitにまず変換し、レベル補正、コントラスト補正を行い、そしてカラー補正を場合によっては掛けたり掛けなかったりした。その後トーンカーブでメリハリを付け、カメラ側で忠実設定で撮影しているので、彩度をやや持ち上げてから、モードを戻し、アンシャープマスクをして仕上がりだった。
ところがだ、この頃はそれだけでは思うほどには綺麗に仕上がらないことに気が付いた。
以前なら気にならなかったり、どうすればいいのか分からず諦めていた部分も、己の補正能力が高くなるにしたがって、更に綺麗に出来るのが分かったのだ。
これは、昨年末まで3ヶ月間に亘って、大阪のある私立の芸術大学で、Photoshop技能認定試験2級試験の対策講座の講師をしたことが大いに役立っているのだ。
報道の現場では、撮影した写真は、原則加工や修正を加えず、あくまでも補正のみで取り扱うから、あれこれPhotoshopの機能を十二分に使うことをしなくても、それで従来は充分に間に合っていると思っていた。
だから色んなことが出来るはず、と思いつつも、加工や修正などを仕事では殆ど使わず、プライベートな写真のみに、たまに思いついて使ってきただけ。
しかし、講師を担当するに当たって、教材の本を渡され、それに沿って教えねばならなくなった。
つまり、基本中の基本から、応用、そして高度な技術まで駆使できるようになっておかないと、質問されても分からない、ということが出てくる可能性もあった。
用意周到な小生としては、必要な部分のみしか読んで習得してこなかった知識や技術だけでは、いけない、と思って。大学の往復の電車の中で、プロ用のノウハウ本を勉強し、これでもか、というほどPhotoshopで出来ることを一通り以上全て学んで身に付けた。
教えなければいけないから、色んなことを先に学び、それを自分のモノにしてから学生たちに教える、という有難い仕事でもあったわけである。
それまでも関西でのカメラショーで、Adobe社の臨時講師として、ヨドバシカメラで一般の人向けにPhotoshopの色んな使い方や役に立つ補正や加工、修正などを教えてきたのだけれど、時間が大学で教えるのと比べても圧倒的に短いので、あれこれ教える時間などなく、かいつまんでPhotoshopの魅力を伝える程度だった。
大学での講義は週2回で、1コマ90分を2コマ。これを、3ヶ月間、教えたのだから、中身の濃さが違う。
この時の経験が、己の補正能力のアップに繋がった。選択範囲を色んな方法で指定できるということは、画像に応じて一番効率よく選ぶ能力に繋がる。フィルターの、レンズ補正を使う頻度も増えてきた。
他に、あれやこれやと、実に効率よく補正を出来るようになり、いままでなら諦めていたようなやや難しい補正も。
より綺麗に仕上げることが出来る技術が身に付いたのはいいのだけど、そうしたことが出来るから、してしまうことになる。
お寺さんの撮影で、室内でストロボを焚いて撮るのは時折避けた。影がドーンと出るのは嬉しくない。こうした場合、天井バウンスが出来るならそれを使うのだけど、お寺の本堂などは天井が高いだけでなく、色んなモノが吊り下がっていたりして、その方法が殆ど使えない。
自然光だけで、と思っても、Nikonと違ってCanonは高感度にしたらノイズがどうしても目立ってしまう。つまり綺麗に光を廻して撮影するのは楽じゃない状況。
自然光だけで撮影したら、今度は電球色の赤目の強いライトの中でおまけに日の光も差し込んでいるという複雑な光の中なので、通常の補正では全く綺麗には上がらない。
例えば、通常の補正のパターンだけでは、ともすれば白いはずの部分に、シアンやレッドがかなり残ったりするので、そこを白が綺麗に出るように補正したりするわけだ。複雑な色の混じった本堂の中だけに、こうしたことは欠かせない。
ちゃんと綺麗に出来る能力も技術もあるのだから、これを全てのカットで行う。従って、現像で思いっきり時間が掛かってしまうのだ。
今までなら、1カットにつき2,3分で終わっていたモノが、今はその先の行程も加わったことで、複雑な画像なら1カットに付き15分や20分ほどかかることも出てきた。
今回の本葬の写真は荒選び後、更に絞り込んだが、列席した和尚さんの人数が多いこともあって、それぞれ顔が分かるカットも必要だろうと思うと、もうこれ以上は減らせないというので、残ったのが230枚ほど。
現像後のプリント作業では、縁有りのフルサイズで出来るだけ大きく焼くための、枠の幅の指定をそれぞれに加えるため、これにも時間が掛かる。
仕上げて納品できる状態にするまで、果たしてどれほど時間が必要なのかを計算するのも恐ろしい。
出来ることがあるからやる、その時のベストを仕上げる性分だし、妹のお寺さんでもあり、ますます絶対に手を抜けないだけに、作業は入念にと思っている。
一部だけシアンに傾いた画像を、綺麗に仕上げたら、自分でもビックリするほど綺麗な色の写真に仕上がるのだから、やはりそれをしないでは済ませられないのだ。

事前の覆面取材とフィルム撮影に加え強行スケジュールに疲れ果て

2009-10-05 19:58:10 | Weblog
覆面取材を何日も重ね、ようやくどこを取材・撮影するかが決定。
しかし締切は迫っているし、慌ただしくアポイントを取るが、まずは広報へ、という予測通りの展開。
紙で残したいので取材の企画書をまずは送ってもらってから検討しますとなる。
店側の都合を予め聞いたら、土日は満杯になるので、取材などは困る、ということになった。
となると実際に行けるとしても2日間ほどの中で決めなきゃいけない。
しかし、その片方の日程は、既に別な取材を入れているので、となるとたった1日で2ヶ所の取材をせねばならなくなってしまった。
しかも、両方とも、営業時間外で、と考えているものだから、たった3時間の中で、フレンチなどのフルコースの料理写真を撮影せねばならないという強行軍。
他に周辺の撮影もあるだけに、どう考えたって綱渡り。
移動時間はたった20分程度しかない計算。
そしてこれが一番大変だったのだけど、なんと料理はフィルムで撮影、ということなのだ。
今どきリバーサルを撮るとは思ってもいなかった。フィルムカメラは処分するつもりだったが、急ぐ理由もないということで、たまたま残していた。
手持ちの35ミリもしくはハッセルの6x6で撮れば済むのだけど、問題はカメラボディじゃない。デジカメと違って、あとから色温度の変更は出来ないので、当然のことながら美味しそうに料理を見せるためには、色温度のフィルターが必要となるのだ。
ということは、そのフィルターフォルダーも必要。
リバーサルフィルムだけに、露出をきっちりと計らねばならないので、露出系も…。
フィルムというだけで、こうしてあれやこれやと必要なものが多くなってしまった。
それでなくても、きちんとした料理写真を撮影しようとすると、ライティング機材がかなりな量になる。
まずデュフューザーで料理を囲ってからライティングするため、幅2メートルほどのデュフューザー。それを支えるため、伸縮するアーム付きのスタンドが両サイドにいるので2本。メインのライトを斜め奥上から当てるため、重り付きアームと、それを支えるスタンドも1本。
メインのライトは、大型ストロボでは更に重くなってしまうので、あれこれ考えた。
クリップオンストロボを使っては、深い被写界深度が稼げるほどには光量が無い。
蛍光灯式のライトを使う手もあるが、当然、大光量のものじゃないので長時間露光でないと奥までピントを合わせられない。となると、リバーサルフィルムだと色転びが懸念される。
結局は、一体式のストロボを使用することにした。
早めに現場に着いて、出来るだけ撮影時間を稼げるように、と思ったのだが、料理撮影は個室で、ということで、その個室にはまだ客が…。
14時過ぎから撮影予定だったのに、客が退席して片付けが終わって、部屋に入ってもいいとなったのが、なんと15時過ぎ。
次の取材先との約束は15時半頃だから、もうどう考えても間に合わない。
バタバタと用意してサッサと撮影して、慌てて移動。
着いたら16時。
フゥ~。
今度は夕闇との時間の勝負。
料理撮影後、両方の場所でライトアップした建物などを撮り廻らねばならないのだ。
真っ暗になってしまっては写真的にも余りにも寂しい。
出来ればその前に撮りたいのだ。
今どきなら18時半頃までが限度。
そうすると、空が素敵な感じで写せるのだ。
かくしてなんとか撮り終えたが、片方の夜景が真っ黒な空となってしまった。
デジカメならその場で画像が確認できるのに、リバーサルだとそれが出来ないもどかしさ。
そして現像が上がるまでが不安一杯になる。
そんな仕事だったが、報酬は…。
こんな日々を送っておりまする。

新型インフル取材をしている小生の息子が罹ってしまって…

2009-09-08 02:10:54 | Weblog
朝方電話が鳴った。まだ5時間も寝たかどうかという時刻。
老眼鏡をまだ掛けてないので、相手の名前も読めぬまま電話に出た。
以前取材をさせてもらった人で、小説を書いたので一度見て貰いたい、というので預かり、その後書き出しの部分についての感想を述べさせて貰ったりしたことがある。
その後、小生が指摘した書きだしの摑みがまどろっこしいという部分を書き直してみたので見て貰いたい、ということでまた小説を送ってもらっていたのだ。
感想を聞かれるが、まだ寝ぼけ眼で頭の半分は寝ている。
しかし直ぐに感想を返していたわけでもないこともあり、行き掛かり上、電話で感想を述べさせて貰った。
既に色んな人に見せて、感想を聞いているそうで、その一環なのだとか。
しかも、もう応募作品として送った後で、1次選考を通るかどうか、ということらしい。
「夢ですから」と本人はいうのだけれど、ハードルはかなり高い賞なので、1次選考そのものが大変なのだ。
小生も応募したいと思っている賞だった。
人は人、自分は自分と思うが、それよりも、あなたはこの小説で応募したんですね、という淡々とした受け止め方だ。
その後、眠いのに眠れなくて、仕方なく起きて朝のルーチンに入った。
事件取材の方は、手掛かりを探したり、捜査の展開待ちという状況。
思うに任せぬのがじれったいが、こればかりはこれ以上闇雲に動いてもどうしようもないので、アンテナだけはしっかり張っておくのに夕刻から切り替え。
久し振りに前妻に電話した。
高校1年生の子どもは元気か?といつものように聞いたら、なんととんでもないことになっていた。
8月末に新型インフルエンザに罹り、高熱が出て、土曜の晩だからと総合病院の夜間の救急診療に連れていったらしい。
担当は若い医者で、新型インフルエンザと判明しても、
「タミフルは若い人に異常行動が出る怖れがあるので、うちでは処方しません。寝ていたら治るので、解熱剤を出しておきます」
と言われ、タミフルも、リレンザも貰えなかったのだという。
ところがなかなか熱が下がらず、微熱が取れないこともあって、別な医院で診て貰ったら、なんと
「肺炎になっています。肝機能の働きも落ちている」
と言われたのだというからビックリ。
新型インフルエンザでは、息子ぐらいの年齢ではタミフルでの異常行動がみられるケースもあるということで、リレンザを処方することが多いはず。
なんの抗ウィルス剤も投与しないなんて考えられない。
前妻は、そうしたことを知らなかったこともあり、若い医師のいうことをただただ鵜呑みしてしまったわけだ。
小生は8月19日には神戸で「新型インフルで死者2人目」の関連の取材をしていたし、その前に関西で新型インフルが上陸したときにも取材をし、その感染力の強さも、治療法に関してもそれなりに充分な知識もあったのに…。
まさか我が息子が、その新型インフルエンザに感染して、間違った治療を受けた結果、肺炎にまで成ってしまったなどとは…。
子どもと一緒に暮らしていない親としては、そのフォローには当然限界があるにしても、それにしても…、なのだ。
もし一緒に暮らしていたら、「微熱が続く」ということだけでも肺炎の可能性を疑うだけの知識もある小生が、病院に早めに連れていっただろうに…。
取り敢えず、別れた妻に言ったのは、免疫力を高めて自己治癒力を引き出すのが一番だと、小生も愛用していて、免疫力を高める作用のある「エキナセア茶」を飲ませることを進言。
「ほんの木」の通販サイトから注文したらいい、とまで細かく教えた。
野球部の新人戦にも出ることが出来ず、本人はさぞや無念なことだろう。
酷く成らずに、早く治って貰いたい、と願うことしか出来ぬのは辛いものだ。
本日、ある仕事の依頼を受けた。かつてルポを書かせて貰った月刊誌の編集長をいている時に、一度御挨拶したことのあったのだ。
その後、異動した書籍の部署の仕事である。
こうして御縁が仕事に繋がったということは、実に有難いことだ。
感謝、感謝である。
同居人が請けた仕事、リストを送ってその後の動きについて具体的に徐々に決まってきたようだ。
小生の出番はまだ先のことだが、この進行具合なら大丈夫そうで、経過を聞いてホッとしている。
さて、我が家に現れる半家猫になってきた茶猫は、ちゃんと言葉が分かるみたいで、こちらが話し掛けたら返事をするし、ダッコされたくないときにダッコしたら嫌だ嫌だと言うし、眠いときに身体を撫でたら、何をするの?と半分怒って抗議したりもする。
来たときの挨拶だけでなく、近頃は出ていく前にもちゃんと挨拶してから外へ行くという実に礼儀正しくお行儀のいい娘に育ってきた。
小生も、茶猫の姿が見えないと少し心配になって、時折外に出て、家の周りを見まわったりしてしまうほど。
このところすっかり茶猫の動向が気になりっぱなしだが、やはり「即かず離れず」、の関係でいたいものだ。
完全にベッタリよりもお互いが楽だし、そうした関係こそが、お互いの人格や猫格(笑)を尊重することになるはず、と思っている。

選挙取材で思うこと

2009-09-01 03:13:03 | Weblog
ずっと選挙の取材に関わってきている。
当落予想をその都度やってきているだけに、各選挙区の当落は非常に気になるものだ。
注目選挙区として色んな所へも行ったが、そこの結果も勿論チェック。
候補者たちの足掻きぶりは今回ほど分かり易かった選挙はない。
駅頭に朝立ち、挨拶だけをするある党の重鎮といわれる人物は、選挙期間中だけのパフォーマンスと有権者に見抜かれていることを自覚できないようだ。案の定、対立候補に僅差で負けた。
政治家や政治家になろうという人物を、長年取材者として観察してきただけに、こうした人たちに対して、「だから政治家を目指そうという立派な人物が出ないんだよ」という思いを何度抱いたことか。
志のある政治家が非常に少なくなってきている。
世襲などは最低だ。地盤も看板も最初から有利な戦いを繰り広げ、「親の代から政治は家業にさせて貰ってきました」と街頭で叫ぶなど、ふざけんな、と思うだけ。
スタート地点で差があれば、有利なのは当然。結果、如何に志の高い市井の人物が政治家になろうと思っても、それさえ難しくなるのは余りにも不公平。
機会均等であるべきで、政治家の師弟がどうしても政治家を志したいのなら、親とは違う地盤で立てよ、と思う。
自民大敗は当然だった。
かといって民主がいいということで選んだ結果ではない。
一度変えたい、ということでの今回の政権交代なのだ。
今回の選挙での一番の収穫は、有権者が政権を変えたいと思ったら変えられる、ということを学習できたこと。
あまりにも長く人任せにしてきた結果、どうしようもない状況になったのだから、有権者は政治家を、政党を選んで、責任を持って今後見守らねばならない。
マスメディアの役割は、今後は与党となる民主、社民、国民新党に矛先を向けるのは当然のこと。
しかし、本当は「今の選挙制度で本当にいいのか?」というチェックをすべきなのだ。
民意を本当に反映した選挙制度になっているか?
一票の格差は解消されないままだし、小選挙区は2大政党を作るために作ったものなのだから、制度自体を見直して、本当に民意を反映した政党、政治家を選べる制度とはどういうものかというのを報道すべきなのだ。
それと当選しての万歳ってどうなの?
「万歳」で本当にいいのか?
当選したら勝ち、という意識がそこにはあるのではないのか?
政治家たちに問いたい。
志を持って、仕事をしているのか?公僕の意識はあるのか?
どんな国にしていこうとしているのか?そのビジョンは民意を反映しているのか?
選挙取材を続けながら、政治家たちのだめな部分ばかりに目がいくようになったが、だからといって失望しているわけではない。
ちゃんと志を持ってやろうとしている人がいるのも知っているからだ。
それにしても、日本には余りにも先のビジョンを描けない政治家たちばかりで、正直なところ政治家たちの意識の低さには呆れている。
こんなひとたちに政治を任せるしかないのは実に不幸なことだ。

星になった大親友の想い出

2009-08-29 01:24:59 | Weblog
なんだか、家に来る野良猫の話題ばかりがこのところ多くなってきている。
何よりも、現在一番身近な出来事であるだけでなく、これが可愛くて堪らないのだから、自然とそうなっているわけだ。
猫ばかり取り上げるつもりは無いのだけれど、仕事がそう連日沢山あるわけではないので、たまたま猫の話題が連続しているだけなので御容赦を(笑)

で、本日は、まずはある友人がかつて突然亡くなった日。
1982年8月28日、オートバイでカーブの坂道を下っていき、路肩に駐まっていたトラックの後に突っ込んでの事故死。
まだ32歳だった。毎日放送のスチール写真を撮る仕事をする傍ら、週刊明星の写真を撮影するなどしていて、小生と現場で会ううちに、同じ年ということもあって意気投合。
以来、友だち付き合いをして、謂わば唯一の大親友となった。
小生は小学館のフリーライターを務め、彼は集英社のフリーカメラマン。
小生が写真が欲しいときには彼に頼み、彼が記者が欲しいときには小生が担当。
週刊プレイボーイで麻薬取締官を採り上げた連載をしたときもそのコンビだった。CanCamで女子大生を取材するときも組んだ。
どちらともなく、たまたま同じような時期にオートバイの中型免許を取った。
小生はヤマハのMidnightSpecial。彼はヤマハのSR-400。
「GORO」で大学生の同好会の夏合宿の取材では、ツーリングしながら現地まで走ったのもいい想い出だ。現地に到着したのはいいが、坂道でUターンしようとして、バイクを転かしてしまった苦い思い出もある。
彼は、酒が好きだったので、よく一緒に飲みにもいった。後に小生が再婚することになった相手もその場に呼んだりして、本当に裏表のない付き合いをしていた。
お互い将来に夢を持ち、一緒に組んで必ずいい仕事をしよう、と誓い合ったものだ。
彼の奥さんは医者の娘だった。
ある時、奥さんのお父さんが亡くなり、遺産が相続された。
彼は茨木にマンションを買い、車の免許も取ることにもなった。
「すまんけど俺は今後、一段高い金持ちのレベルの生活を送るわ」
と真顔で言ってきた。
小生は嫉妬する気持ちも全く出て来ず、ただただ彼の生活がよくなることを心から喜んだものだ。
マンションに引越をする前夜、彼は新居の写真を一人撮影に行った。
酒好きな彼は、部屋で一人ビールなどで祝杯をあげたようだ。
そしてオートバイに跨り、カーブの坂道をリーンインしながら勢いよく風を切り裂きながら下っていった。
駐まっていたトラックに気が付いた時は、もう止まれなかったようだ…。
後部に突っ込み、両手首骨折で、頭部への衝撃は凄まじかったようで、ほぼ即死…。
あれほど将来は一緒に組んでいい仕事をしようと言ったじゃないか…、悔しさで一杯だった。
小生は、焼き場で彼のお骨を拾うとき、小さな骨片を持ち帰った。
家に戻ってから、口に入れ、噛み砕いて飲み干した。
彼と一緒に、俺はこれから生きていくんだと…

小生は2週間ほどは仕事も全く手に付かなかった。

その後、彼の持っていた撮影機材一式をどうするか?ということになり、御家族が大事に持っているだけでは、本来の機能を眠らせるだけで、彼の本意ではないのではないか、となった。
小生が機材を全て引き取った。相場価格を一応支払ったと思うが、中古だったので格安だった気もする。
とにかく、彼のカメラとレンズなどは小生が遺品として引き継いだわけだ。
そして、その後、写真誌の創刊となる。
彼が目指していた写真の世界を少しでも理解できるかも知れない、という思いで創刊スタッフにライターとして契約したのも、そういう理由からだった。
彼がもし事故で亡くなっていなければ、小生は写真誌のスタッフとしてはおそらく仕事をしていなかった。
彼が亡くなった後、心にポッカリと穴が開いたままの状態。
あれほど好きで乗り回していたオートバイも、カーブに差し掛かる度に、「寂しがり屋の彼が、俺を呼んでいる」と感じ、バイクを思いっきり倒して曲がれなくなっていた。
そして、やがてオートバイを手放した。
彼がもし生きていれば、一緒にやりたかった仕事が実はある。
今、お前が生きていたなら…
何度も彼のことを思う。
彼は小生の中で生きているし、一緒に人生を歩んでくれている。
彼は彼なりにやりたいことがあったはず。
これからやろうという矢先、先にあの世に行ってしまった。
彼のやろうとした写真の世界を、小生も少しは覗いているわけで、写真でも表現できるようになったのは、こうした経緯もあって写真を撮り出したからなのだ。
毎年彼の命日には、夜空を見上げ、輝く星を彼と思ってあれこれ語りかけてきた。
墓の場所も分からなくなってしまったし、彼の死後、オーストラリアに渡ったという奥さんや娘さんの消息も、もう分からない。
星を見上げ、彼のことを考えると、今でも悔しさが込み上げてくる。
なんで先に逝ったんだよ…。
今思うのは、彼の志の方向にあったものと小生が志したものは同じ方向だったのだから、そのノンフィクションのジャンルで、いい仕事をして彼に喜んで貰おう、ということ。

そうした志はよしとしても、現実の生活で朝食抜きで日に一食だけという為体(ていたらく)なのは如何にも不様。経費書きもボチボチとしか進まぬが、これも自業自得なのだから誰にも文句も言えない。
本日の晩飯は、ペペロンチーニのパスタを2人前。
昨日のたらこスパゲッティーと、本日のパスタの連続には、流石にもう飽きたので、ご飯でも炊いてみようかと思うが、おかずは「おかか」と「梅干し」「ラッキョ漬け」の予定(笑)。
兎に角、溜まっている取材経費を一刻も早く書いて、それが戻って来るまでは、飯なんか食っている場合じゃないというか…。
もう煙草は嫌でも止めんといけんね(笑)

寝顔を見ているだけで癒される幸せ

2009-08-28 01:16:56 | Weblog
無防備な寝顔ほど見ているものを幸せにしてくれるものは無い。
かつて3人の息子たちが生まれたときに、ずっと寝顔を見ていて、「この子たちのためにも頑張らねば」と思ったりしたものだが、今はもう昔。
昼過ぎに小生が起きて、トイレに行って窓を少し開け、玄関で雪駄を履こうとする気配だけで玄関の前でもう茶猫が啼いて待っているのが習慣となっている。
朝刊を取り込む間、玄関の三和土で小生が入るのを今か今かと待っていて、玄関に入ったら、先に回り込むようにして家に上がり、ミャーミャー啼きながらまとわりつきつつ、餌の容器の所まで付いてくる。
小生がアメリカン珈琲をコーヒーメーカーで作り、ホームベーカリーで前夜に作っておいた食パンを焼いて食べる間、同じように食べ、水を飲んだりしている。
食事しながら朝刊をチェックしている間、猫はもう食べ終わって身繕い。
こちらも食べ終わったら、食器の片付け後、茶猫のそばに座り込んで毛梳き開始。首周りから背中、そして腹回り、脚、シッポと順に梳いていく間、大人しくしている。
お腹の下の辺りをするのが、ちとまだ難しい。
どうしても梳き毛ブラシや小生の指を嘗めに来てしまい、お腹をしようとしても、立ち上がってしてい、結局まとわりつかれることになってしまうのだ。
とはいえ、機嫌がいいと、腹を出して仰向けになって、されるがママの格好となり、腕を広げて脇の下あたりの毛梳きも出来ることもあるわけで、ジッとしているところをみれば、どうやら心地いいのだろう。
食べ終わって、毛梳きも一旦終わると、茶猫は散歩に出掛ける。
今日は、一体どこへ行くのか?
知られないように少し尾行をしてみた。
玄関を出て、左に曲がり、庭の植え込みの間を通って、物置小屋前を通過。その後、隣の家の裏庭を通って、隣家の家屋の裏側に回って行った。
そのあとを追いかけるのは、ちと難しいのが残念。
スタスタ歩いていくところを見ると、いつもの散歩コースなのだろうが、一体彼女はどこへなにしに行くのだろうね。
庭先に出てみると、風の通り道もあるので、家の中にいるよりも確かに涼しい。
猫って、ちゃんと心地いいところを知っていて、生活に取り入れているんだね。見習わなきゃ(笑)。
午後3時頃、網戸だけにしていた玄関で、何やらひっかくような音がしたので、見に行ったら、茶猫がお座りして中を見ていた。開けて招き入れたら、また餌を食べ、その後今度は台所の食卓の前の椅子の下に丸くなって寝だした。
小生は、あれこれ作業をしながら、時折茶猫の様子をチェック。和室に行って前のようにベッドの上でオシッコをされては困るので、こうしてどこにいるかだけは見ておかないといけない。
作業も一段落。茶猫は安心しきって伸びて平和な寝顔。
呼吸する度にお腹が動くのを見ているだけでも、なんだかこちらまで癒されてしまう。
音楽室で例によってチェロを練習。
時折、戻ってきて猫の様子をチェック。
今度は、座布団の上にオシッコをされないように気を付けないといけないからだ。
ピアノ練習になってから、やはり姿が見えないままでは不安で、落ち着いて練習できないので、茶猫が目を醒ましたのを見計らい、
「音楽室でピアノを弾いているから、チャーちゃんもおいで」
と声を掛けたら、付いてきた。
で、音楽室に近い和室の敷居の手前で寝そべって聴きだしたのを確認してから、ピアノ練習。
何曲も弾いてから、ふと見たら、万歳して熟睡中。
なんて聞き分けのいい彼女なんでしょう、と感心する。
猫は寝るのが仕事ですもんな。
で、こちらも夕刻から夕刊チェックとテレビでニュースチェック。
茶猫はまた椅子の下で丸くなって、なにやら寝言も…。
同居人は2日間ほどこちらへは帰ってこないらしいので、茶色の美人さんと二人きり。
ウウッ、なんて平和な時間の過ごし方(笑)。
現金支出を控えなければならないと、一人でホームベーカリーで食パンを焼いたつもりが、なんと出来上がりの合図の音で開けてみたらビックリ。出来てない?
調べてみたら、撹拌用の羽を付け忘れたままでスイッチを押してしまっていたのだ。
ま、明日は朝食抜きで、水でも飲んで誤魔化し、絶食療法のつもりで1日1食にしてここは凌いでみよう(笑)。
しかし平和でないのは財布の中身も同様。
本日、遅ればせながら家賃と機材のレンタル代を振り込んだら、もう預金残高に余裕が無くなってしまった。
当分、現金支出は控えるだけでなく、食材も新規購入は一切無して凌ぐしかない有り様。
これじゃ経費書きを、ますます急がねば…

カンボジアの人の詩に曲を!

2009-08-26 02:38:00 | Weblog
このところ連日ピアノの練習をしている。
仕事があればそれを優先するものの、あとは猫の毛梳きや餌の補給などをする程度。
勿論、朝夕刊のチェックと切り抜きは仕事上欠かさないし、気になるものがあればネットで調べたりもする。
そして一段落したら、音楽室へ行ってチェロとピアノを弾くというパターン。
昨夜などは、夜中の2時半頃までピアノを弾いていて、本日も昼から起きだしたので、夕刻結構長くあれこれ弾いていた。
リビングに戻ったら、晩飯を作っていた同居人が、
「ピアノ、結構長く弾いてたね。それだったら、カンボジアの歌を作ったらいいのに」
と言われた。
そうです。この夏休みというか、雑誌の合併号休みの間に、「カンボジアの歌を作る」という目標を書いて部屋に貼っていたのを指しているのだ。
あることがきっかけで、カンボジア地雷撤去の運動をしている団体の方とお近づきになり、現地でのラジオ放送で、現地の人の作った詩に歌を付けて貰いたい、と依頼されている。
小生は、かつて音楽家志望だった高校生の時、地元の高校の交歓会の時にみんなで歌う歌を作曲し、それが採用されたことがあったのを知って、そういう話になった。
現地の人が書いた、という詩が載った冊子を頂いたのだけど、それをそのまま歌にするのは結構キツイ。
どう考えても詩に補作をするか、参考にして作り直さないと歌にするのは難しそう。
現地のことも殆ど知らないだけに、なおさら大変。
実は、作曲を引き受けるとき、最初の話としては、現地に新たに中学校を造るので、その学校の校歌を作ってもらいたい、というのがまず出た話だった。
それを快諾したら、現地の人の詩に曲をつけて、それをラジオで流したい、と言われ、話の流れもあってそれも一緒に引き受けたのだ。
しかし、依頼されてから、もう随分経つ。
詩を受け取ったのは、年末ギリギリ。
なんとか時間に余裕があるときに、と思っていたら、その後あれこれ己の問題を抱えてしまって、なかなか取り掛かれなかった。
とはいえ、引き受けた以上は、是非ともいいものに仕上げて渡さねば。
一番の問題は、カンボジアで歌われている歌などを全く知らないこと。
出来れば、それを知った上で作れたら、とズッと思ってきた。
しかし現地に行くこともかなわないのだから、今できる範囲で調べるのが課題。
曲というのは、突然天から降りてくるものではあるけれども、どう考えても余りにも時間が掛かりすぎてしまったことを、ただただお詫びするしかないことは間違いない。
連日ピアノを弾いているのは、実は気持ちをそちらに持っていくための準備なのだけれど、そのことは同居人には一言も説明してない。
本日は改めて現地の人が綴った詩を読み直している。
急ぎ、いいものを作らねば、とプレッシャーを己に掛けているところだ。
まずは、歌詩を完成させ、それからが曲作り。
急ぎ、頑張らねば。