ここまで、ずっとお読み頂いてきたとおり、武道の真髄(神髄でしょうか・・・)は、自然界の“理=法則”を身心で感じとる稽古を重ね、その力を最大限に活かすこと・・・。
究極は、“理=法則”に身心を委ね、任せきる境地に至ること。
自然界の法則=理の力を借りた“借力”の状態・・・。
極限まで自然の法則を利用した身心の動きを体得し、“我”を捨てて“理”に身心を委ねる・・・。
そこから“力”を“借”りて発現させているという感覚・・・。それが真の“技”といえるものなのかもしれません。
そして、“そこ”に達した人達を古来“達人”と呼んだのではないでしょうか・・・。
“達”したと思われる方々の残された言葉はジャンルを問わず、皆一様に同方向に向かって指し示されています。
「大自然の前には、人の力は小さいもの・・・」
「理から入るは上達早し、技から入るは上達遅し・・・」
「我を捨てねば理に到れず・・・」
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ・・・」
「漕ぎゆく先は波のまにまに・・・」
等々・・・。
合気道の創始者である植芝盛平師に至っては「神人合一」という境地にまで到達されたとのこと・・・。
日本人独特の感性である“謙虚”さ。
諸外国の人々から見ると、“優柔不断”“難解”“引っ込み思案”“はっきりしない”“自信のなさ”“卑屈”“偽善”等々と映り、理解し難い行為のようですが、これも、目に見えないものを重んじてきた、日本伝統文化が生み出した優れた精神性なのです。
謙虚さとは、“謙虚ぶる”ことではなく、真に“大きな力”を感じた者が、人間や自分自身を省みた結果、得ることができるものなのかもしれません。