私のような未熟な若輩者が大変僭越なことと身の縮む思いではありますが、せっかく皆様に私の武道・空手に対する想いや考えを聴いて頂ける機会なので、私が武道・空手で往き着きたい技と境地についての私見をもう少し述べさせて頂きたいと思います。
先にも述べましたが、武道・空手の稽古の中核に当たる、いわば木でいう“根っこ”の部分は、ひたすら反応の良い身体と心を創っていくことにあります。その上で護身としての具体技は、まず受け技や消力技(体捌き等を使って相手の力の作用を消してしまう動き)等で相手の攻撃を防御し、対処します。
初歩の段階では、最も単純な反撃技である“打撃”つまり突いたり蹴ったりする技で相手を制することを学びます。
そして上達していくにつれて、より複雑な技法で相手を制することを修得していきます。
単純な反撃技、すなわち打撃技で反撃することは比較的容易ですが、(これは打撃技自体の奥深さが無いという意味ではなく、殴り返したり蹴り返したりする行為は、何も訓練していない人でも行なえるという意味での“行為自体”の単純性を指しています。)相手にダメージを与える度合いも、ある意味容易で大きいのです。
それに対して、相手の攻撃に対して複雑な技で対応するには、当然のことながら、より複雑で高度な身心の反応力と身体の操作が必要となります。
しかし、複雑な分だけ相手のダメージに対する緩和ということをも考慮に入れた状況を作り出すことが出来、やるかやられるかのような状況を回避出来易くなるのです。
一時、私は武道・空手の中に抱いてしまった自分の中の“矛盾”に悩まされた時期がありました。それは(自ら仕掛ける攻撃技は必要なのか・・・)という思いでした。
40数年武道・空手に携わってきましたが、年々、年を重ねる度に、人に酷いダメージを与えることへの嫌悪感が大きく募ってきたのです。
もちろん自らがダメージを負うことは嫌ですが、それは武道をやることに何の矛盾も来たしません・・・。
酷い目に会うのは嫌だけど、相手を酷い目に会わせるのも嫌・・・。
これはもう、“戦・闘(たたかい)”を具体として専門にしている人間としては、究極の悩みと言っていい程でした。
合気道のように自ら仕掛ける“攻撃技”の技法を廃止して、防御から入る技だけに徹しても良いのではないか・・・。
さらには、戦いの具体すら廃して、身体と心の開発法としてだけの“道”というシステムに変更したら・・・等々。
果ては、(俺は武道に向いていないのかもしれない・・・やる資格がないのかもしれない・・・。)
とまで思い悩みました。
その時、あらためて出会った、先項でも述べさせて頂いた“空手に先手なし”という言葉に救われたのです。
先にも述べましたが、武道・空手の稽古の中核に当たる、いわば木でいう“根っこ”の部分は、ひたすら反応の良い身体と心を創っていくことにあります。その上で護身としての具体技は、まず受け技や消力技(体捌き等を使って相手の力の作用を消してしまう動き)等で相手の攻撃を防御し、対処します。
初歩の段階では、最も単純な反撃技である“打撃”つまり突いたり蹴ったりする技で相手を制することを学びます。
そして上達していくにつれて、より複雑な技法で相手を制することを修得していきます。
単純な反撃技、すなわち打撃技で反撃することは比較的容易ですが、(これは打撃技自体の奥深さが無いという意味ではなく、殴り返したり蹴り返したりする行為は、何も訓練していない人でも行なえるという意味での“行為自体”の単純性を指しています。)相手にダメージを与える度合いも、ある意味容易で大きいのです。
それに対して、相手の攻撃に対して複雑な技で対応するには、当然のことながら、より複雑で高度な身心の反応力と身体の操作が必要となります。
しかし、複雑な分だけ相手のダメージに対する緩和ということをも考慮に入れた状況を作り出すことが出来、やるかやられるかのような状況を回避出来易くなるのです。
一時、私は武道・空手の中に抱いてしまった自分の中の“矛盾”に悩まされた時期がありました。それは(自ら仕掛ける攻撃技は必要なのか・・・)という思いでした。
40数年武道・空手に携わってきましたが、年々、年を重ねる度に、人に酷いダメージを与えることへの嫌悪感が大きく募ってきたのです。
もちろん自らがダメージを負うことは嫌ですが、それは武道をやることに何の矛盾も来たしません・・・。
酷い目に会うのは嫌だけど、相手を酷い目に会わせるのも嫌・・・。
これはもう、“戦・闘(たたかい)”を具体として専門にしている人間としては、究極の悩みと言っていい程でした。
合気道のように自ら仕掛ける“攻撃技”の技法を廃止して、防御から入る技だけに徹しても良いのではないか・・・。
さらには、戦いの具体すら廃して、身体と心の開発法としてだけの“道”というシステムに変更したら・・・等々。
果ては、(俺は武道に向いていないのかもしれない・・・やる資格がないのかもしれない・・・。)
とまで思い悩みました。
その時、あらためて出会った、先項でも述べさせて頂いた“空手に先手なし”という言葉に救われたのです。
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