私は、ある時期から、現代における武道の価値と、その存在意義に対して自分なりに突っ込みを入れるようになりました・・・。
元々“武”は武士が“兵(つわもの)”、すなわち兵士として戦場で役立てた技術で、戦国時代などはそのままズバリの存在でした。
江戸時代には“武家社会”の権威と秩序の象徴として“武”が機能しており、武士の“有様”や精神というものに重きが置かれ、やがて“武士道”が形成されていきました。
ひるがえって現代、武道の技は現代の戦争の技術、すなわち“兵士”の技術そのままには成り得ませんし、いくら“実戦空手”と謳っても現実の犯罪や事件に特化されているわけでもありません。
それでは現代における武道の価値と存在意義はどこにあるのだろう・・・と愚考するわけです。
武道を、空手を愛しているがゆえの悩みと言えるかもしれません。
役に立つ事柄が明確でないものは、その価値と存在意義が危うくなると思うのです・・・。
そして、自信を持って需要してもらうこと、広めることがはばかられる・・・。
武道・空手を稽古してきて、個人的に得られたことは膨大なものが確実にありました。しかしながら、私には“武道”でなくてはならない、“武道”でなくては得られないと明確に理由付けできる答えが必要だったのです。
様々なジャンルの“師”に付き、自らの身心を実験台として研究・研鑽を繰り返す日々の中で往き付いた答えが(“道”としての機能)でした。
人間自体の身心の開発法として、これほど効果的で多岐に渡るものが他にあるだろうか・・・解ってくればくるほど、その想いは強くなる一方でした。
武道の稽古体系には、全身心に渡る様々なコントロール方法のメソッド・ワークが存在します。
人類最先端の科学テクノロジーのほとんどが“軍事”から生まれるのは、(悲しむべき矛盾でもありますが・・・。)やはり“生命”が懸かっているところに、人は“叡智”を結集するということなのでしょう。
翻って、身体運動の分野で“軍事”に当たるのが“武”であった時代、人はそこに無上の“叡智”を集めたはずです。
身体の創り方から合理的な動き方、心のコントロール能力、具体技、自然現象、思考性、果ては死生観・境地に至るまで、全てが上達対象です。
そこから得られる能力は、昔日から現代に至るまで一貫して人の“進化”に関係する事象として、人が生きる目的の根幹にも関わる問題を含むと言えます。
武“道”は、精神文化と運動文化を網羅する稀有な文化として、その価値と存在意義を輝かせる時期だと切に思うのです。
元々“武”は武士が“兵(つわもの)”、すなわち兵士として戦場で役立てた技術で、戦国時代などはそのままズバリの存在でした。
江戸時代には“武家社会”の権威と秩序の象徴として“武”が機能しており、武士の“有様”や精神というものに重きが置かれ、やがて“武士道”が形成されていきました。
ひるがえって現代、武道の技は現代の戦争の技術、すなわち“兵士”の技術そのままには成り得ませんし、いくら“実戦空手”と謳っても現実の犯罪や事件に特化されているわけでもありません。
それでは現代における武道の価値と存在意義はどこにあるのだろう・・・と愚考するわけです。
武道を、空手を愛しているがゆえの悩みと言えるかもしれません。
役に立つ事柄が明確でないものは、その価値と存在意義が危うくなると思うのです・・・。
そして、自信を持って需要してもらうこと、広めることがはばかられる・・・。
武道・空手を稽古してきて、個人的に得られたことは膨大なものが確実にありました。しかしながら、私には“武道”でなくてはならない、“武道”でなくては得られないと明確に理由付けできる答えが必要だったのです。
様々なジャンルの“師”に付き、自らの身心を実験台として研究・研鑽を繰り返す日々の中で往き付いた答えが(“道”としての機能)でした。
人間自体の身心の開発法として、これほど効果的で多岐に渡るものが他にあるだろうか・・・解ってくればくるほど、その想いは強くなる一方でした。
武道の稽古体系には、全身心に渡る様々なコントロール方法のメソッド・ワークが存在します。
人類最先端の科学テクノロジーのほとんどが“軍事”から生まれるのは、(悲しむべき矛盾でもありますが・・・。)やはり“生命”が懸かっているところに、人は“叡智”を結集するということなのでしょう。
翻って、身体運動の分野で“軍事”に当たるのが“武”であった時代、人はそこに無上の“叡智”を集めたはずです。
身体の創り方から合理的な動き方、心のコントロール能力、具体技、自然現象、思考性、果ては死生観・境地に至るまで、全てが上達対象です。
そこから得られる能力は、昔日から現代に至るまで一貫して人の“進化”に関係する事象として、人が生きる目的の根幹にも関わる問題を含むと言えます。
武“道”は、精神文化と運動文化を網羅する稀有な文化として、その価値と存在意義を輝かせる時期だと切に思うのです。