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道やりませんか!?

豊空会師範・田部井淳発信「道やりませんか!?」

空手に先手なし

2020-07-28 23:55:54 | 日記
「空手に先手なし・・・」

この言葉は、日本本土に最初に空手を根付かせたとも言える船越(富名腰)義珍師が残された言葉です。
武道・空手は格闘競技とは違い、自ら戦(たたかい)を挑まない、仕掛けない・・・。
そして、それは理念から技術論に至るまでキチンと整合性を持つ、“境地”と言える状態を指し示しているように思います。

理念的には、徹頭徹尾“護身(心)”に徹し、決して自ら“戦い”を仕掛けない。従って相手が仕掛けてこない限り“戦い”は起こり得ず消滅します。
護身の究極は、戦い自体を“消す”こと。

ならば“三十六計逃げるに如かず”という言葉も弱虫の机上論ではなく、戦いを消すため・・・。
そこには勝負論はなく、戦いを消すことによって自分も相手も傷付くことなく、“護る”ということが観えてきます。
然らば、武道の戦う“術(すべ)”は、戦いを消すための時間的、空間的、感情的制圧を目的とした最低限の行為を施せるためのものであるべきです。

“戦いを消すための闘い”を行う方法・・・。そのことを実現するためには、“戦い合う”よりもさらに高度な技と心を身に付け、相手よりもより高い“位”に立たなければ不可能な境地なのです。

その境地を目指して技と心を磨くところに武道家特有のロマンが生じるのだと思っています。
そして、それは技術論としても矛盾なく、究極の境地として厳然と存在していると考えています。
空手の型の動作は、表面的具体技はすべて“受け”の動作から始まります。
(これは原理を応用すれば攻撃技にも崩し技や投げ技にも、あらゆる具体技に変化応用できるため、あくまでも表面的と表現します。)

これは武道・空手の思想を現していると同時に、戦いを“制する”技術論、戦術論としても驚くべき整合性を持っていることなのです。
ここからは、あくまでも現在の私がたどり着いた私見だということをおことわり申し上げた上で述べさせて頂きますが、武道・空手の技の究極は“出合頭”、いわば“超カウンター”なのではないかと思うのです。

相手の攻撃に対して、武道で磨いた身心で究極の反応をし、“受け・避け”と同時に“攻・崩・制”を施す・・・。
このことはレベルによって具体的な動きの前の“気”のレベルで反応することも充分あり得り、それによって先・先の先・後の先等その状況に最も適した攻防のタイミングが決まります。
(少し専門的なお話になってしまいますが、このことも武道・空手の有効性を語る上で欠かすことのできないお話なので、しばしお付き合い頂きたいと思います・・・。)

人は、攻撃しているときが最も“隙(すき)”が出来やすく、技術論的は最も防御がしにくい瞬間なのです。
そして、攻撃をするには自らの身体の運動エネルギーを相手に向かって放出し伝えなければならない・・・。
従って運動エネルギー(ここでは“勢い”や“力”と考えてください)を生じさせて相手に向かっていかなくてはならない。

このことを走って来る自動車に対してのことに例えてお話しをさせて頂くと、自動車が一方的に脆い対象物に衝突すれば、当然その対象物は破壊されます。
しかし、地面に深々と埋め込んだ地面と平行に突き出したL字状のポールに衝突すれば、自動車が持っている運動エネルギーは、自らを破壊するエネルギーに変換されてしまいます。
武道・空手の理想の“技の境地”は、まずはここを目指すことと言っても良いと私は思っています。

もうお気づきだと思いますが、(技術論的に、突き出した鉄のポールは自在にその位置や形を変え、衝突を避けたり、必要とあらば相手に向かって運動エネルギーを増していきながら迎撃ミサイルのように確実にカウンターするということも変化応用として当然範囲にはありますが・・・。)
理念的に観た時、地面に固定された鉄のポールは自ら自動車に向かっては行きません・・・・。従って闘いを仕掛けることはありません。自動車が向かってこなければ衝突することもありませんから、自動車自体が傷つき壊れることもありません。

すなわち戦い自体が“消え”自らも相手も“護”られるのです。
向かってくる自動車の力自体が自動車自らを破壊してしまうことになる・・・。
しかも、武道・空手の技法は、例え話としてのこの鉄のポールの硬さを調整することが選択できるのです。
この鉄のポールを必要に合わせてゴムにしたり、ゲル状にしたり出来るなら・・・。
ポールを自動車の方向を変えるように使用出来るなら・・・。
ポール自体が自動車の走って来る方向をいち早く察知して、のらりくらりと自在にその位置や形を変えることが出来るなら・・・。

もちろん、簡単なことではありません。
そのためには、究極の反応が出来る“身心”とそれを実現できる“技”を磨きに磨き上げることが必須なのです。

“自ら”を護り“相手”をも護る・・・。

このような高い境地には、少なくとも私のような凡人では一生かかってもたどり着くことが出来ないでしょう。
しかし、この理念と技法を限りなく近づけ、一致させる理想の境地を目指して日々身心と技を磨いていくことが武道・空手家としての私の希望であり、喜びだと感じています。

そして、その過程で作られていく“反応”の良い身心は“健康”へも繋がり、あらゆることへの“感性”の高い自らへと導いてくれるものと確信しています。

KARATE CLASSIC

2020-07-22 00:26:36 | 日記
音楽には、様々なジャンルが共存しています。

ポップスやロック、ジャズ、そしてクラッシックに至るまで、同じ音楽というカテゴリーの中でジャンルとして明確に区分けされ、それぞれがそれぞれの役割を果たし共存して人々を楽しませています。


武道・空手も多種多様、様々な取り組み方がなされています。

スポーツ競技として取り組まれる方々、武術としての伝統を伝承される方々、プロ格闘家として活躍されている方々・・・。

どの取り組みも(武道・空手の有効性・有益性を広めたい)という共通の熱い想いの元に行なわれていて、武道・空手を愛し修練する者のはしくれとして、大変尊敬するとともに、心からうれしい思いです。


ただ、武道・空手の需要者の絶対数からすると、武道は決して安泰な状況とは言えないのではないでしょうか・・・。

スポーツとしては、プロも含めて野球やサッカー等に需要者の数で肩を並べることは、今後の大いなる課題でしょうし、伝統武術としては、たくさんの娯楽にあふれた現代において、その“価値”を理解させ広めることが重要な課題であるように思われます。

私共、豊空会は、ここまで書かせて頂いてきたような武道・空手の有益性を、音楽のジャンルで言う“CLASSIC”と同じ様な存在として役割を果たして往きたいという志を持って、1人でも多くの方々が武道・空手にいそしんで頂けるように、これから益々頑張っていきたいと思っております。

螺旋そして陰と陽 

2020-07-15 01:15:04 | 日記

この図は、私が主宰する空手道豊空会のロゴマークなのですが、様々な意味を込めて制定しました。
まずは、螺旋・・・。
DNAが螺旋構造をしていることは広く知られています。

そしてエネルギーとして解明されつつある“気”と言われるエネルギーの波動も螺旋状といわれています。
螺旋構造は特別な意味を持っています。
上達という現象も螺旋を描いて上達していく・・・。

繰り返し修練を積むことで、平面上では同じ位置に見えても、立体的には螺旋状に一周りし、一つ上の階層に到達している・・・。それを繰り返して上達していく・・・。

そして、古代中国に発生した陰陽理論・・・。表があるから裏がある、昼があるから夜がある、女性があるから男性がある・・・という様にどちらか一方だけでは存在が成り立たない、という“太極”理論。この意味も込められています。
光の時があれば闇の時もある・・・。

でも、明けない夜はない・・・今は辛い時期でも、必ず良い時期は来る。逆に今、順風満帆であっても必ず逆風の時は来る・・・。
そういう“陰陽”の理(ことわり)を現わしています。


中国の陰陽理論を現わす太極マークは、陰の中に陽の核があり、陽の中に陰の核がある2核を有しています。
それは、そのまま太極拳などの中国武術の攻防技術にも現わされており、攻撃の中に防御の核があり、防御の中に攻撃の核がある・・・。
そして攻撃の終わりは防御の始まりに、防御の終わりは攻撃の始まりに切れ目なくつながっていく・・・。

太極拳などに代表される中国武術の攻防技術は、その理論通りで非常にレベルの高いものです。
しかし、その上で日本の武道・武術には“一拍子の技”果ては“無拍子の位”という境地までがあると聞き及んでいます。

豊空会のマークは2つの核が融合されて、真ん中の一つの円に統合され、攻防は一つ、すなわち、攻防一体となる境地を目指すという理想への想いも形に表しています。

このように、技術論と精神論(思想)とが、整合性を持って一致した体系をなしているところも、他の運動文化にはない武道・空手の特筆すべき優秀性だと思うのです。

豊空会のマークには、様々な法則を求めんとする願いが込められています。

礼儀・節度

2020-07-01 00:11:49 | 日記
もう一つ、これは私が出会った興味深いエピソードをご紹介致したいと思います。

数年前、北欧の友人宅にしばらく居候をさせてもらっていた時のこと。

滞在最終日に、私は感謝の気持ちを込める意味で「この部屋の掃除をしたい・・・」と申し出ました。すると、その友人はとても不思議そうな顔をして、「No! You are a Guest・・・Why do you clean my room?・・・That work is me or house cleaner’s work・・・(いいえ!あなたはお客さんです・・・なぜあなたが掃除を?・・・掃除は私かハウスクリーナーの仕事です・・・)」と言って、両手を広げました。

それでも私は、日本人は“部屋”にも“感謝”の気持ちを持つことと、それを掃除というwork(働き)で表すことを説明し、心を込めて掃除をさせてもらいました。

彼は不思議そうな中にも感心した面持ちで、「You are kind man・・・(あなたは親切な人だ・・・)」とつぶやきました。

私は心の中で「ちょっと、違うんだけどなぁ・・・。」と感じつつ、困惑した彼の顔を微笑ましく思いながら掃除を続けました。

これも神道や“道”で育まれた、あらゆる空間に神=理=法則が働いているという感性あればこその成せる業であると誇りに思います。


日本の伝統は秩序を重んじます。

それは、全宇宙の“法則=理”が、秩序そのものだからです。

地球の自転・公転に始まり、月の周回、太陽系の運行、銀河系の運行・・・全て人智を越えた秩序と調和によって存在しています。

よって、日本の伝統は“空間”そのものにも感謝と敬意を払います。


極大の秩序から極小の秩序まで、目に見えるものから見えないものまで、あらゆる秩序があるからこそ、“ここ”が成り立っている・・・。

そこに“神”を感じ、それに沿おうとした“道”が神道であり、武道であり、書道、華道、茶道であるならば、常に高所太極に立ったものの考え方と、それを体現するための立ち居振舞い、所作動作、そして心を生み出し、育んだはずです。


そうして生まれ、育まれてきたのが日本の礼儀作法、そして節度ある態度です。

姿勢をまっすぐにすることの理・・・。

体幹部をまっすぐのまま傾けてお辞儀をすることの理・・・。

コミュニケーション手段である“言葉”を遣いこなすことの理・・・。

各々の立場や関係において最も良い身と心の“間合”を計ることの理・・・。


姿勢という身体の技、敬語という言葉の技、そして、何よりも高所太極に立った感覚から来る、思いやりの心・・・。

これらを駆使した最高のコミュニケーション能力が、日本人が紡いでいかなければならない“礼儀と節度”という技なのです。


思いやりと察する能力

2020-06-24 02:21:08 | 日記
“謙虚”とは決して“優柔不断”や“卑屈”などではなく、“理=法則”を重んじてきた日本人が伝統的に育んできた、目に見えないものを見、耳で聴こえないことを聴く・・・“思いやり”と“察する”能力が生み出した類い稀な感性なのです。


私の友人がかつて空手の指導も兼ねてオセアニアのある国に行き、現地の人々と一緒に活動をしていたときのことです。

ずっと働きづめだった彼に、その現場の責任者の人が「Are you tired?(疲れましたか?)」と聞いてきました。

日本人であり、しかも武道家である彼には、(「疲れた」とか「休みたい」とかは“弱音”であって、そうそう簡単に言うものではない・・・)という感性があります。


そこで彼は、「Thank you! But I’m OK!(ありがとう!でも自分は大丈夫!)」と元気良く答えました。

すると、責任者の人は「GOOD!」と親指を立ててニコッと微笑みました。

本当はヘトヘトでしたが、彼はその後も頑張って働き続けました。

そして彼の疲労が限界に達しているのを周囲の人々は誰一人として気付きませんでした。

そして、とうとう彼は倒れてしまいました。


海外における日本人のこのような例をたくさん耳にします。

外国の人々にしてみれば、「何故、はっきり言わないんだ!?」「言わなければ解らないだろう!?・・・」ということになりますが・・・。

日本人は“思いやる”とか“察する”という能力が高い人々の中で育っています。


働いている人は、自分が「疲れた」とか「休みたい」と言ったら責任者側に迷惑がかかると相手の立場を“思いやり”頑張る・・・。

責任者側は、大丈夫と言っているけど、だいぶ疲れている“はず”だからと“察し”、“思いやって”休ませる・・・。


日本人が育んできた見えないものを見、聴こえないものを聴こうとする伝統は、常に“相手”の立場に立ってものを考えられる、単純な優しさとは次元の違う、奥深くて、気高く、美しい精神性を日本人に与えたのです。