さて、右橈骨遠位端骨折に苦しんでいる私ですが、ネットで色々調べて情報を集めてます
他者の体験記を読んで自分の経過と比べて、、、とかやるんですが、基本的に40代以上の方の体験記が出てきます。
というわけで今後のために(?)記録しとこうかと。
んで、まずは三年前の左橈骨遠位端骨折について書きます。
この時もなんとなくで記事が残ってます。
受傷直後の記事は
こちら
暫く経ち、足首を捻挫した時にふと思い出してまとめたのが
こちら
三年も経つのでだいぶ曖昧な記憶しか残ってませんが、参考までに。
・2016年4月23日(受傷日)
上の記事で書いてあるように、高校の運動会の応援団(ダンス)の練習中の事故で怪我をしました。女子が仁王立ちしてる上を跳び箱の要領で飛びこす「肩飛び」で飛びすぎた結果、手首から落ちました。この時は破茶滅茶に痛かったです。でもこの時は折れてるなんて一ミリも思ってなかったので応急処置だけしました。といってもテーピングで手首を固定するだけでしたが。
その後、肩飛びの練習はしなかったものの、普通にダンスの練習はしてました。ロックなので割と派手に腕回して動いてました。1時間くらいやって解散。痛いな〜と思いながら電車に揺られ帰宅しました。
風呂でよく左手首を観察したところ、右手首と比べるとちょっと曲がってることに気がつきました。ここで初めて骨折を意識しました。自室のベッドでアイシングしながらいろいろググりましたね。すると「橈骨遠位端骨折」というものがヒット。これかな?いやまさか〜などと思いながらその日は就寝。
・2016年4月24日(受傷翌日)
もともとこの日は部活の大会でした。大会といっても先輩がたくさんいたのでベンチ外で見守るだけの簡単なお仕事。ですがお休みして病院に行くことに。この時点では「手首を捻った」という伝え方。日曜日なので休日でも空いてる2,3駅先の病院まで行きました。
とりあえずレントゲンを撮りました。んで名前呼ばれて撮ったものを見ますよね。そして医者から「折れてるね」との一言。
まぁ衝撃。
シーネで掌から肘上までを固定され、よくある腕つりの状態に。大きい病院への紹介状を書くよ、とのことだったので通学路を考慮してもらいました。
部活の先輩やコーチ、応援団のメンバーに連絡。あとクラスにも連絡。運動会出られない。ビックリされました。そりゃそうだ。
風呂はビニールとかで覆ってね、とのことでしたので大変。
とりあえずこの骨折で窮地に陥ったのが応援団。本番は5/10で、替えはいません。オーディションで勝ち取ったので。
・2016年4月25日(受傷3日目)
ひとまず学校の授業を受けました。そりゃ注目の的よね。
放課後、学校から1駅のとこにある大きめの病院へ。ここでもレントゲンを撮り折れてることの再確認。CTやらなんやら。
ちょっとだけズレてたのでゴリ押しで治し、新たなシーネで固定。痛かった。
この後はかなり曖昧なのですが、たぶん毎週月曜に通うことになりました。
折れてはいるものの、応援団はやらなきゃなので毎日汗流して激しく踊ってました。我ながら恐ろしい。
風呂用の腕カバーも買い、そこそこ快適な風呂になってきました。
・2016年5月2日(受傷から9日)
正確な情報がないのでアレですが、多分この日が2回目の通院。先生が「もうちょいずらさなきゃだな〜」みたいなこと言われて死にそうになりながらズラしたのはこの日かな?で、運動会本番前に肘までの固定を外したかったのでいろいろ交渉。7日に来てもらえたらもしかしたら、と言われたのでその日に行くことにしました。
・2016年5月5日(受傷から12日)
応援団の演技のOBOGへのお披露目。折れてることを感じさせない踊りを見せてやりました(ドヤ顔)
・2016年5月7日(受傷から14日)
病院に行きました。当然違う先生が待ってるわけですが、怒られました。シーネは外せない、と。僕もゴネました。「主治医が言ってたんだ!」と散々言いましたが「主治医が見てないとこでそれはできない」というもっともな答え。「手首の骨折は“大怪我”だよ」と言われました。モヤっとした気持ちでほんの数百円の診察料を払い帰宅。
・2016年5月9日(受傷から16日)
3度目の通院。この日は応援団の学内事前お披露目だったので急ぎでやりました。ここで手首付近のみのシーネに変更。やっと肘が伸ばせました。大して話も聞かずに病院を後にし、学校に戻りました。この日のお披露目の映像はYouTubeに残ってます。
ダンス中、ついうっかり左手を床について立ち上がろうとしてしまい、痛みに顔をしかめる様子がしっかり残ってます。
多分次の通院は二週間後と言われた気が。
・2016年5月10日(受傷から17日)
運動会やりきりました。我ながら頭おかしい。
・2016年5月23日(受傷から1ヶ月)
たぶんこの日が4回目の通院。正確なことは覚えてませんが、この日でシーネによる固定を終了しました。軽めのサポーターをつけてもらいました。
この辺はかなり記憶が曖昧です。固定が終了したといっても完全に繋がったわけではなかったのかな。この数日後の部活後の写真は左手がテーピングでぐるぐる巻きでした。プレー復帰はまだまだだったのでちょっと謎。ちなみに部活はバレーボールです。
・2016年6月12日(受傷から1ヶ月と3週間くらい)
部活の引退試合。大会で負けて先輩が引退。この時もプレーに復帰してなかったはず。軽くパスとかはしてた気がするけどわからん。
プレーに復帰したのはこの後でした。正確な日付は覚えていません。
・2016年6月27日(受傷から2ヶ月と4日)
何回目の通院かはわかりませんが、始めに紹介した記事によればこの日で治療終了。
というわけでこれが第一回橈骨遠位端骨折の治療経過。だいたい2ヶ月もすれば完全にくっつくって感じだったのかな。
この時は軽くズレてるくらいで、今思うと比較的軽めの骨折だったのかな?(大怪我に間違いはないけど)
運動会に向けて必死で治そうとしたのでカルシウム分摂りまくってた記憶があります。ある意味ドーピング…?笑
手首折ると関節の動きが硬くなる、とよく言われますがそんなことなかったです。この左手首に関してはですけどね。
骨折したことなんて忘れるくらいグリングリン動いてます。
今現在進行中の右橈骨遠位端骨折はまた追い追いで、笑笑