藤原政文のほっと・どりーむメール

☆「ホッ!と」したり、「ほっと」する話題を「ホット」に綴ります。

豊繁桜を植える会

2014年03月04日 | 本日のほっと・ほっ!と・ホット
昨日3月3日は、5年間思い続けたことが実現しました。

ダム事業、さくらのまちづくり等に精力的、献身的に取り組まれた元木次町長 故田中豊繁氏を顕彰し、エドヒガンを尾原ダム左岸の広場に植えました。
これは、平成21年2月に偲ぶ会を開催し、その後、日登公民館(現日登交流センター)に桜を植えた際に「尾原ダムが完成したら、ダム湖畔に桜を植えたい。」との声が上がったところから始まったものです。
あれから5年、ついにそれが実現しました。

昨日は、心配していた天気も気温は低かったものの晴れ間の見えるほどで、午後3時30分から尾原ダムの通称モニュメント広場に関係者が集まり、植樹を行いました。
(植樹の様子は、夢ネットで土曜日、日曜日に放映されるそうです。)


その後、会場をサンワーク木次に移し懇親会を開催しました。
懇親会には、速水雄一雲南市長、福間賢造島根県議会副議長、深田徳夫雲南市議会議長、周藤強雲南市議会議員、土江良治雲南市議会議員、佐藤隆司雲南市議会議員、藤井勤雲南市副市長、そして、田中潤子故田中豊繁氏令夫人を来賓に、「豊繁桜を植える会」で声をかけさせた頂いた旧木次町職員、旧木次町議会議員など50人が集まりました。

懇親会に先立ち、偲ぶ会でも流された「田中豊繁氏を偲んで」のビデオを見ていただき、その後、記念撮影をし、その後、懇親会に入りました。

まず、黙祷、「豊繁桜を植える会」代表あいさつ、速水市長、福間島根県議会副議長のあいさつ、田中潤子令夫人のあいさつと続きました。
潤子夫人「主人も千の風になって桜を見ると思います。」

その後、深田雲南市議会議長のご発声で乾杯!
皆さん、田中町長との思い出話しでもりあがりました。

予定を10分だけオーバーして万歳三唱。
ご発生は、旧木次町職員で田中町長の先輩の木色健造氏。
お開き。  でした。

この様子は、☟下のフォトチャンネルをご覧下さい。
豊繁桜を植える会



以上、昨日の流れを書きましたが、以下、少し詳細に。
まず、3月3日に植樹をする日に決めた理由は、故田中町長の誕生日が3月3日だったこと、昭和30年3月3日は、木次町、日登村、温泉村が合併し「雲南木次町」になった日だったからです。

また、植える桜を「エドヒガン」にしたのは、なんといってもサクラの中では非常に長寿の種であることです。
中には樹齢2000年を超える巨木もあるようです。神代桜や淡墨桜、樽見の大桜、石割桜などが有名です。これらの桜は樹齢が300年~2000年といわれています。
この「エドヒガン」を通称「豊繁桜(とよしげさくら)」としたところです。
これからずっと雲南市の平安を見守っていただけると思います。


この豊繁桜を植える会は準備期間は極めて短く、慌ただしく進めましたが、無事終了することができ、ホッとしています。

また、久しぶりに司会役を仰せつかり・・・、懇親会では、最初に名前を間違える大失態をしてしまいましたが、かえってこれで楽になりみなさんの協力もいただき進めることができました。

3月2日付のブログでも書きましたが、田中町長には親子二代に亘り「恩」があります。
昨日も親父との思い出話も聞くことができました。


本当に、「豊繁桜」を植えることができ、ほっとしました。

無事に終わったことで安心してしまい二次会、三次会、四次会まで続きました。
最後には、配偶者により強制帰還・・・、でした。
(今、午後5時30分ですが、今夜もアルコール付き会合で、今から出かけます。家族の視線が・・・。)


余談ですが、上のフォトチャンネルの中にノートパソコンが写っている画像があります。
私のパソコンです。
スクリーンに映っているのは、娘と孫姫です。
デスクトップのパソコンのスクリーンも違うポーズの二人の画像です。
「親バカ、ジジバカ、大バカ者」と言われています。ハイ。


さてさて、5年越しの思いが叶いました。
明日からも、明るく、元気に、さわやかに、そして、正々堂々と歩んで行きます。

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